監督であるリンダ・ハッテンドーフは、取り始めた当初はこういった作品になるとは思っていなかったのではないか。奇跡的ともいえる化け方をするのがドキュメンタリーの面白さではないかと思う。最初はもっとパーソナルというか、こじんまりとした作品になる予定だったのではないか。それが、撮影対象であるホームレス・ミリキタニ老人のバックグラウンドが明らかになるにつれ、国・民族の歴史とダイレクトに繋がっていく。
 本作の撮影対象は、NYに暮らすホームレスの老人・ミリキタニ。監督は、路上で絵を描く彼に興味を持ち、少しずつ撮影を進める。日系人である彼は、第二次大戦中に制収容所に入れられていたこと、その際に市民権も剥奪されたことがわかってくる。そして9.11。粉塵の舞う路上にミリキタニを放置できなかった監督は、自宅での同居に踏み切る。多分、監督はこの時、ものすごく迷ったのではないかと思う。ドキュメンタリーを作る際、対象との距離の取り方は重要だろう。関わりすぎると監督自身が作品の一部、撮られる対象とならざるを得ないこともある。作品を作品として見る距離感が失われるかもしれない。しかしその危険を冒して、監督がミリキタニと関わっていくことを選んだということがとても興味深いし、人と人との関わり方の可能性がちょっと垣間見えて、じんときました。
 映画の後半では監督もフレームの中に入ってくるし、どんどん発言し、ミリキタニの世話を焼いたりする。ミリキタニはミリキタニで、夜遅くに帰ってきた監督にガミガミ言ったりスネたりする。ちょっと気難しいおじいちゃんと孫みたいな感じになっていくるのがおかしい。ミリキタニがまとう空気は、監督と同居することで明らかにやわらかに変わってくるのだが、監督の方も変わっていく。彼女は元々、第二次世界大戦中のことや、もちろん強制収容所のことなどよく知らないし、特に興味もなかっただろう。しかしミリキタニの記憶を追うことで、歴史を辿らざるを得なくなってくる。もしミリキタニを撮らなかったら、日系人の歴史など知らなかったのだ。人の出会いの不思議さをしみじみと思った。
 ちなみにミリキタニはこの作品がヒットしたおかげで、おそらく約70年ぶりに来日することとなった。実に、人生何が起こるかわからない。