アキ・カウリスマキ監督の「敗者3部作」3作目。これまでの2作でも、主人公の敗北ぶりは相当なものだったが、今作はさらに輪をかけて敗北している。しがない警備員のロイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)は職場でも浮いていて、友人と言えるのはソーセージ屋の女性だけ。そんな彼の前に美女が現れるが、彼女はギャングの情婦。ロイスティネンは犯罪に利用されてしまう。
 カウリスマキ以外の人がこの話を映画にしたら、全く救いのない話になりそうだが、カウリスマキが撮ると、陰鬱ながらもどことなく妙なおかしみが生まれてくる。これはこの人の強みだと思う。このおかしみはどのへんから生まれてくるんだろうなーとカウリスマキ作品を見るたび考えるのだが、セリフの間合いとかちょっとした動作のタイミング(あと、犯罪の計画等の細部がものすごく大雑把で描く気ないのが見え見えなところとか)はもちろん、役者が表情に乏しいというのが大きな要因になっているように思う。オーバーアクションも笑いを誘うが、リアクション少なすぎというのもまた笑いを誘う。もっとも、嬉しくても哀しくてもあまり表情が変わらないにもかかわらず、わずかな動きで喜んでいるのか悲しんでいるのかはきちんとわかる。カウリスマキの映画を見ていると、今まで見てきた映画は表情がうるさすぎたんじゃないかと思えてくる。表情は小出しなのだが、ここぞという所でこそっと出すので印象に残る。ロイスティネンが唯一リラックスして笑っている、孤独ではないように見えるのが刑務所の中というのが胸を打つのだ。
 また、映画の尺が短いことにも好感を持った。本作は何と78分。3時間近い映画が珍しくなくなった中では異例の短さだ。しかし短すぎるという印象は全く受けなかった。私は常々最近の映画は長すぎると思っているので、本作の短さは大歓迎。役者の演技も上映時間も、ここまで切り詰めても大丈夫だということを証明していると思う。もちろんカウリスマキの作風は少々特異なので、映画監督が皆こういうコンパクトな作品を撮れるわけではないだろうが、惜しげもなく切っていく、そげ落としていくということは大事なのではないかなと思った。
 主人公がズタボロになっていく、救いのない話であるのにこれ見よがしな悲壮感がないのは、主人公が全く愚痴を言わないかもしれない。悲惨な運命を淡々と受け入れてしまい女に対して恨み言の一つも言わない態度は、それこそ負け犬と言えるのかもしれない。しかし、彼が最後にたどり着く境地からは、単なる負け犬とは思えないのだ。何が一番大事か理解した人間は案外しぶといのかもしれない。