長嶋有の同名小説が原作。監督は根岸吉太郎。むしゃくしゃして有給休暇を取った薫(ミムラ)は、小学生のころ突然あらわれた「ヨーコさん(竹内結子)」のことを思い出す。薫の母親が家出した後、父の知り合いらしいヨーコさんは晩御飯を作りに家に出入りするようになった。型破りなヨーコさんだが、自分を子ども扱いしない彼女に薫はだんだん懐いていく。
 夏の匂いを強烈に感じる映画だった。撮影は多分そこそこ寒い時期だったんじゃないかと思うのだが、撮影技術の賜物か、日差しと陰のコントラストが強く空の青色がクリアで、夏特有のキラキラ感を思い出した。植物の青臭い匂い、海の磯臭さ、錆びた金属のつんとした匂いがふわーっと漂ってくるような気がした。私、基本的に夏は嫌いなんですが、この映画見ている間は、ああ夏って素敵!夏気持ちいい!って思いました。夏休みが終わる寂しさも含め、夏のいいとこどりみたいな感じだった。
 ヨーコさんは薫に新しい世界を教えてくれた。自転車の乗り方も、麦チョコをカレー用の大皿で食べてもいいってことも、コーラを飲んでも歯は溶けないということも。ヨーコさんと対照的に、薫は枠から外れられない生真面目・几帳面な子だ。父親や弟に微妙に遠慮しているところとか、冒険できないところとか、私も「お母さんに怒られるから」といいつけは守る、冒険しないタイプの子供だったんで、あーこの踏み切れない感じわかるなーと思った。大人になった薫も、やっぱり枠からはみ出られないタイプだ。会社サボらず律儀に有給取っているところとか、理不尽なお客にたいして上手く切り返せいない所とか。しかしヨーコさんは、薫のそういうところを尊敬できると言ってくれた。多分薫にとっては、この言葉が大きな支えになったのだろう。
 ただ、ヨーコさんは大人で薫は子供だ。仲良くはなっても、ヨーコさんが抱えるものの微妙な部分を理解することはできない。ヨーコさんがなぜ泣いたのか、なぜ自分を連れて海へ行ったのか、子供の薫には多分ぼんやりとしかわからない(映画は薫視点ということもある)。自分が大人になって初めて、あの時ヨーコさんが抱えていたものの見当がつくのだ。そしてヨーコさんも、薫のことをわからないなりに近づこうとしていたのだろう。大人と子供の、これ以上は歩み寄れないボーダーラインの描き方が上手く、なんだかさびしくも切なくもあった。
 ヨーコ役の竹内結子は、奔放なヨーコ役にはどうなんだろうと思っていたら、意外に合っていた。ざっくばらんな言動がすごくかわいかったです。でも個人的には大人になった薫役のミムラの方がかわいいと思う。美人度では竹内が上なのだが、ちょっと美人すぎるのよね。あと、薫の父親(古田新太)のダメ男ぶりに妙に説得力がある。こういう人いるなー。意志が弱くて自己弁護が上手いの。自分の身近で人が争うのを嫌がるのだが、それは優しいんじゃなくて面倒くさいんだよね。