いまいち芽の出ない二つ目の落語家、今昔亭三つ葉(国分太一)。なりゆきで小学生の村林(森永悠希)、無愛想な美人・十河(香里奈)、元野球選手の湯河原(松重豊)に落語を教えることになる。しかし全員、一向に上達しないのだった。監督は『愛を乞う人』の平山秀幸。
 登場人物は皆真面目で、物事に真っ向から向かっていく。象徴的だったのが、冒頭、カルチャースクールでの十河の言葉だ。三つ葉の師匠である小三文(伊藤四郎)は、カルチャースクールで「話し方教室」を開く。十河もその教室に参加していたのだが、小三文が話し始めて数分で教室を出て行ってしまうのだ。不審に思った三つ葉は十河を問いただすが、彼女は「本気で話してないじゃない」と怒るのだ。確かにカルチャースクールでの小三文の話は本気中の本気、というわけではなかったかもしれない。しかし本気で話せばカルチャースクールの生徒が面白がるかといえば、そうでもないだろう。
 真っ向から取り組むのが常にベストとは限らない。その場その場に応じた本気というものがあるのだ。十河も、野球解説が下手な湯河原も、自分の言葉に対して誠実であろうとする。きちんと話そうとするのだ。しかしきちんとしようとすればするほど、言葉は自分自身から遠のいていく。湯河原はプライベートでは口が悪く、下手な選手はけちょんけちょんにけなす。「そのままで解説やればいいのに」と言われるくらい、反感は買うかもしれないが面白い。しかしいざ解説本番となると、言葉を選びすぎて試合のスピードに間に合わない。逆に三つ葉は言葉が早すぎ・多すぎで失敗する。「聞いて欲しくてしゃべっているんです」「わかってねぇなぁ」という師弟のやりとりが心に残る。
 じゃあどうすれば噺が上手くなるのか、どうすれば上手に喋れるようになるのかという答えは、実はこの映画の中では出ない。そもそも何故落語なのかという点も曖昧だ。彼らはそれぞれ一歩踏み出すものの、問題は残ったままだ。しかし、この人たちは大丈夫なんじゃないかなと感じられる。人生いろいろあるけど何とかなるよとでもいうような。
 ロケ地は浅草等の下町エリアなのだが(原作では武蔵野方面だった)、これがいい味を出している。やっぱり川のある風景は絵になると思う。そういえば、水上バスや電車等、移動シーンの多い映画だったなぁ。三つ葉が水上バスの上で噺を練習するシーンがなかなかよかった。ストーリーの詰めが甘いところがあるのだが、風景がいいからまあ許しちゃうよという気分になる。
 私は、実は原作小説にはそれほど感心しなかったのだが、映画は良かった。役者の力による所が大きかったと思う。三つ葉は結構怒りっぽく、一言多いキャラクターであまり好感持っていなかったのだが、国分太一が演じるとあまり嫌味にならない。国分には「役者」というイメージを持っていなかったのだが、キャラクターの良い部分を出してくれたんじゃないかと思う。