3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『カラオケ行こ!』

 中学生の岡聡実(齋藤潤)は合唱部の部長。合唱コンクールからの帰り際、聡実らの歌声を耳にしたと言うヤクザ・成田狂児(綾野剛)からカラオケに誘われる。組長が主催するカラオケ大会で最下位になった者に待ち受ける罰ゲームを免れるため、どうしても歌がうまくならなければならない、ついては聡実に歌を教えてほしいのだという。聡実は渋々コーチを引き受け、狂児とカラオケに通うようになる。原作は和山やまの同名漫画。監督は山下敦弘。
 テレビドラマ『MIU401』等を手掛けた野木亜紀子が脚本を手掛けているのだが、意外と山下監督の持ち味とも合っている。原作の「ヤクザと中学生」という設定は、一歩間違うと即犯罪感が出てしまい実写化するとどうなんだろうと少々心配だったが、割と大丈夫だった。狂児の聡実に対する物理的な距離感がおかしい、かつ綾野が例によって色気駄々洩れなので「近い!近い!」と突っ込みたくはなるのだが…。人と人の物理的な距距離って漫画だとあまり気にならないけど、生身の人間が演じていると気になるものだなと妙な所で再認識した。
 基本的に原作に忠実なのだが、狂児の持ち歌であるXの『紅』の扱い方が大きく違う。この曲、あまりに有名かつキャッチーなので、最近は何かで目にしてもネタ的な扱いなことが多かったように思う(原作もどちらかというとそう)。しかし本作は『紅』が何を歌った楽曲なのかということに真面目に取り組む。『紅』という楽曲を歌うということ自体にちゃんと意味を持たせているのだ。まさかこんなところで『紅』の歌詞分析を目にするとは…。これは確かに実写化でないと演出しにくい部分だと思う。狂児の『紅』が聡実の『紅』になるという構図の立ち上げ方が上手い。
 聡実の両親や同級生の描き方には山下監督の持ち味が出ていたように思う。聡実に対する家族の視線が入ることで、彼が成長過程にある子供だという側面がより感じられる。また、「映画見る部」の部員(1人しかいない)と聡実の距離感がすごくよかった。この部だったら私も入部したい。またそれとは真逆の真面目で熱心すぎる合唱部後輩・和田の造形も原作からパワーアップされていた。和田のような子はともすると「うざい」扱いされそうだが、本作はそういった真っすぐさを忌避するなという話でもあると思う。一方で合唱部の副部長女子はあまりに人間が出来ていて、魅力的だけどちょっと都合が良すぎるのではないか。子供同士でこういうケア要員を作らないでほしんですよね…。 



天然コケッコー
藤村聖子
2023-05-15

 

『ニューヨーク・オールド・アパートメント』

 ティト(マルチェロ・デュラン)とポール(アドリアーノ・デュラン)兄弟はレストランのデリバリーで働きながら語学学校へ通っている。母ラファエラ(マガリ・ソリエル)はダイナーのウェイトレスをしている。彼らは祖国ペルーからアメリカへ渡り、ニューヨークで不法移民として暮らしているのだ。ティトとポールは語学のクラスに入ってきたクリスティン(タラ・サラー)に一目ぼれするが。監督はマーク・ウィルキンス。
 エピソード同士の繋がりが奇妙だと思ったら、過去のエピソードと現在のエピソードが入り混じっているのだと段々わかってくる。そういう構造の映画だという気配がしないまま時間軸がスライドするので少々戸惑った。
 ティトとポールは、自分たちは透明人間だと言う。それがどういうことなのか、冒頭の事故のエピソードを筆頭に随所で実演されるのだが、これが結構しんどかった。つまりいてもいなくてもいい、尊重しなくてもいい存在として扱われ続けるということなのだ。移民である、女性である、シングルマザーである等々、ある属性によって粗雑に扱っていい存在にされてしまう。ラファエラのボーイフレンドが段々増長し上から目線になるのも、クリスティンと恋人との顛末もそういうことだ。特にラファエラのボーイフレンドの態度はなかなかの気持ち悪さだった。相手を大雑把な属性でくくって、その属性故に尊重しているような振る舞いをするが、実のところ自分にとって扱いやすい相手と見下している。
 このボーイフレンド以外にも、人をざっくりと括る人がちょいちょい登場する。語学学校の教師など、様々な言語・文化的背景の人と日々接しているはずなのに、相手の多様さに全く興味を示していないし無神経。授業の中での質問の投げかけ等雑すぎて怖い。相手に対する解析度があまりに低いのだ。あえて低くして面倒な思考を排しているようにも見えた。すごく失礼なのだが、これは意外と人が陥りがちな思考の省略化な気もする。
 ティトとポールが言う透明人間状態は、移民としてだけではなく、家庭内でも生じる。ラファエラがボーイフレンドを連れてきている時は彼らはいないものとしてスルーされがちだ。ラファエラは息子たちを愛しているが、物理的にスペースがない状態ではお互いを透明人間化せざるを得ない時もある。お互いに尊重し合うには物理的なスペースや豊かさがないと難しいのかもしれない。

トリとロキタ Blu-ray [Blu-ray]
シャルロット・デ・ブライネ
TCエンタテインメント
2023-10-27


『親愛なる八本脚の友だち』

シェルビー・ヴァン・ペルト著、東野さやか訳
 水族館で暮らすミズダコのマーセラスは、実は人間たちの言葉を理解し、水槽から抜け出すこともできる。ある夜、水槽の外を徘徊中に身動き取れなくなった所、水族館の清掃員トーヴァに助けられる。トーヴァは30年前に息子を亡くし、近年夫も病死し一人で暮らしていた。トーヴァはマーセラスの賢さに気付き彼に興味を持っていく。
 タコに高い知性があるということは近年の研究でわかってきているそうだが、本作に登場するマーセラスはその中でも飛びぬけて知性が高い。ある意味タコが探偵役のミステリとも言える。マーセラスとトーヴァは言葉によるコミュニケーションができるわけではない。しかし、お互いを尊重し合い、もっとよく知ろうという気持ちが2人の間の友情を育んでいく。マーセラスがトーヴァにある発見を伝える為に文字通り命を懸けて奮闘する様は、タコと人間とは言え友愛としか言いようがない。マーセラスもトーヴァも若くはない(マーセラスは寿命が尽きるまでカウントダウン状態だ)。残り時間が見えている者同士だが、それでもまだ人(タコ)生何が起こるかわからないという希望が感じられる好作。トーヴァとマーセラスを筆頭に登場人物が皆生き生きとしている。トーヴァに思いを寄せるお喋りなスーパーマーケットの店主イーサンや、元バンドマンでどうにも子供っぽいキャメロン等、時にいらっとさせられるが憎めない。特にキャメロンの30代だというのに子供のような言動は大分いらつくが、それ故彼が段々変化していく様子が響く。過去の悲しみから逃れられない人たちが、そこから歩みだす物語でもあるのだ。
 なお、一か所誤記なのかそうではないのか微妙によくわからない所があって気になった。

親愛なる八本脚の友だち (扶桑社BOOKSミステリー)
シェルビー・ヴァン・ペルト
扶桑社
2023-12-22


タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源
ピーター・ゴドフリー=スミス
みすず書房
2018-12-07


『シャクラ』

 孤児だったところを義父母に引き取られた喬峯(ドニー・イェン)は成長するにつれ武術の才能を発揮し、武林最強の技「降龍十八掌」を会得。丐幇(かいほう)の幇主として尊敬されるようになる。しかしある日、副幇・馬大元殺しの濡れ衣を着せられてしまう。さらに漢民族ではなく契丹人であるという出自を記した文書が見つかり、丐幇を追放される。喬峯は自分を陥れた犯人、そして自身の出生の真実を探る為旅に出る。しかし彼を更に陥れようとする計画が動いていた。監督・主演はドニー・イェン。
 香港を代表する武侠小説家・金庸の長編小説「天龍八部」が原作。原作の4人の主人公のうちの1人が喬峯(きょうほう)だそうだ。私は武侠小説については全く疎いのだが、映画化された本作を見る限り、中国では一般的な知識としてこの話が知られているのかな?という印象を受けた。日本で言ったら歌舞伎の演目みたいな感じで、正確な細部は知らなくてもキャラクターと大まかなお話、名場面は割と知られているというような。というのも、本作、映画を見る側が既にこの話を知っているという体で作られているような印象を受けたからだ。ストーリーの流れがいきなり飛躍したり、登場人物の設定・背景の説明がざっくり省略されていたりと、前知識がないとこれは戸惑うのでは?という作りなのだ。脚本が下手というよりも、「皆さんご承知の通り~」というような身振りに思えた。ここは原作の名場面なんだろうなというシーンはがっつり作りこんでいるので、決して雑に作っているから話の飛躍が多いというわけではないのでは。武侠小説の知識ゼロの人間が見るものでもなかったかな…。
 アクションは華やかで見栄えがするし(さすがにドニー・イェンの若作りがすぎるのではという気はしたが)、何よりセットが豪華!予算が潤沢にあることが一目でわかるリッチな作り。ビジュアル的には美しいし楽しい。やはり予算があるって娯楽大作にとっては大事なんだな…。

天龍八部〈第1巻〉剣仙伝説
金 庸
徳間書店
2002-03-01



『完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』

田中康弘著
 フリーカメラマンの著者はマタギに興味を持ち、マタギの里として知られる秋田・阿仁に通って長年取材を続けた。マタギの人々と共に山を歩き猟や獲物の解体・料理を体験することで見えてくるマタギの生き方。本著は著者の『マタギ 矛盾なき労働と食文化』、『マタギとは山の恵みをいただく者なり』を底本とし、合本・再編集の上文庫化。
 狩猟から獲物の調理まで、主に食文化を中心にマタギの生活を観察・記録した本著。現代のマタギは一体どういう生活をしているのか、そもそもマタギという職業(?)だけで生活できるのか不思議だったのだが、狩猟のみで生活しているマタギはほぼおらず、他の職業と兼業で週末のみ狩猟に出るといったスタイルだそうだ。狩猟も他のマタギと予定を合わせていくことが多いので、こちらが思っているほど常時狩猟をしているわけではない。一方で、山に入って山菜やキノコを集めたり(天然のマイタケはやはり滅茶滅茶美味しいし貴重らしい)、川魚を捕ったりというのもマタギの生活の一部で、山と共に生きる山岳地のライフスタイルの一つと言った方がいいのかもしれない。著者が取材したマタギの人たちはどの人もとにかく山が好き!ということが伝わってくる。春夏秋冬どの季節の山にもそれぞれの魅力があることが、彼らの生活を通して見えてくる。著者は研究者ではないのでマタギ文化の伝来や日本における信仰の受容等に関する考察は少々怪しいのだが、実際に一緒に行動しマタギを観察・体験していくことによる生き生きとした記録になっている。マタギの人たちはとにかくよく歩く(そこそこ高齢の方が多いことを考えると驚異的だと思う)ので、これにカメラをもってついていく著者は相当大変だったろう。作中でも体力の限界とはこういうことかという描写が何度も出てくるのだが、それでも同行したい魅力があるというのも伝わってくるのだ。ロマンとは距離を置いた、実生活としてのマタギの生き方・技術の記録になっていると思う。
 ただ言わずもがなだが、マタギの伝統を受け継ぐ人は急速に減少しており、おそらくマタギとして猟銃を使いこなせる人もいなくなっていくという。マタギの生き方は現代的な生活の中では合理的というわけではない(山の民としては合理的なのだが)し利便性も低い。山に相当な魅力を感じていないと続けられないと思うが、子供の時に山に魅力を感じるような原体験をすること自体が難しくなったのだろう。作中でも阿仁やその近辺の寂れ方にも言及されている。阿仁に限ったことではないのだろうが、文化が失われていくのは少し寂しい(部外者としての勝手なノスタルジーではあるが)。




 

『哀れなるものたち』

アラスター・グレイ著、高橋和久訳
 19世紀末のグラスゴー。医学者のバクスターは身投げした女性の体にその女性の胎児の脳を移植して組成させるという驚異的な手術を成功させる。蘇生した女性・ベラは美しい容姿と無垢な心でバクスターの友人マッキャンドルスをはじめとする男性たちを惹きつける。マッキャンドルスのプロポーズを受け入れる一方でうさん臭い弁護士・ダンカンと駆け落ちをしたベルは世界を旅する中で急速に成長していく。
 本著はマッキャンドルスが記した手記を著者アラスター・グレイが発見し編集・発表したものという、重層的な構造になっている。グレイいわくマッキャンドルスは実在し彼の手記は事実に基づいている。作中には確かに実在した人物の名前も登場し、グレイによる膨大な注釈もマッキャンドルの手記のノンフィクション性を演出する。これが誰の語りなのかというラインを曖昧にしていくのだ。
 マッキャンドルスが記すのはベラという体は大人、精神は子供な女性が世界を見て成長・変化していく過程、いわば成長譚だ。まっさらな状態で世界と向き合うヴィクトリアは社会通念に染まっておらず、感情や欲望の発露も率直だ。強い自我を持ち社会的格差もジェンダーも踏み越えていくベラの行動は小気味良い。精神がまっさらな者から見たらこの社会のシステムは色々とおかしいということが、ベラの目を通して描かれていく。彼女はバクスターにより創造された存在だが、本作の下敷きになっている『フランケンシュタイン』のような悲しい創造物にはならない。バクスターも彼女を独立した存在として自分の元から手放すのだ。
 しかしマッキャンドルの手記の後に配置されたある人物の手記によって、上記のストーリーはひっくり返る。ひっくり返るというより「そうだけど、そうじゃない」と言った方がいいのか。ここでまた、誰が何の為に、誰に読ませたくて書いたのかという問題が浮かび上がる。題名の「哀れなるものたち」という言葉がこのひっくり返りによって更に際立ってくるのだ。本作、ヨルゴス・ランティモスにより映画化されて第80回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞しているが、この構造をどのように取り込んだのか(あるいは取り込まなかったのか)非常に気になる。

哀れなるものたち (ハヤカワepi文庫)
アラスター グレイ
早川書房
2023-09-26




『傷を抱えて闇を走れ』

イーライ・クレイナー貯、唐木田みゆき訳
 高校生のビリーはアメフトの天才選手として活躍しているが、かっとしやすい気質の為トラブルも絶えない。ある日、母親のボーイフレンド・トラヴィスと喧嘩をし殴りとばしてしまったビリーは家を飛び出す。翌日戻ってみると彼は死んでいた。一方、新任コーチのトレントはビリーがトラヴィスを殴り飛ばす所を目撃していた。
 コンパクトな作品ではあるが、中身がみっちりと詰まっていて息苦しいくらいだ。何が息苦しいかというと、登場人物たちが追い込まれている状況の出口のなさ。ビリーは才能に恵まれているが親からの過剰な期待、母の恋人の暴力、そして貧困に蝕まれている。彼は試合の中で自制心を働かせることが下手でいつも怒りに駆られているが、その怒りは他の選手たちとの環境の格差やそこへの理解のなさによるものでもあるだろう。ビリーの母・ティナは親としてどうなんだという振る舞いではあるのだが、子供たちを守り生き延びる為の彼女なりの手段でもある。またトレントはチームが好成績を残せなければコーチとしてのキャリアを断たれると宣告されており、後がない。敬虔なクリスチャンである彼とビリーとが実は似た背景を持つことが徐々に明かされるが、それが必ずしも共感・信頼を生むわけではない。心が通うかと思われた、また心が通っているはずだったある2人の間に致命的な亀裂が入るように、本作の登場人物たちは皆一人だけの穴に放り込まれてしまったようなのだ。

傷を抱えて闇を走れ (ハヤカワ・ミステリ)
イーライ クレイナー
早川書房
2023-12-05


たとえ傾いた世界でも (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
フェンリイ,ベス・アン
早川書房
2014-08-08


 

『笑いのカイブツ』

 不器用なツチヤタカユキ(岡山天音)はどんなアルバイトも長続きしないが、テレビの大喜利番組にネタを投稿することを生きがいにし、毎日気が狂うほどにネタを考え続けていた。お笑い劇場の作家見習いになるが、笑いを追求するあまり周囲に理解されずはじき出されてしまう。落ち込んでいた彼を救ったのはラジオ番組だった。番組にネタを投稿する「ハガキ職人」として注目を集めるようになったツチヤは、憧れの芸人から声を掛けられ上京するが。原作はツチヤタカユキの同名小説。監督は滝本憲吾。
 ツチヤは笑いに対しては大真面目にやっていて桁外れの集中力と情熱を見せるし、おそらく才能があるのだが、それが痛々しくもある。彼は万事に不器用で、特に人間関係は非常に不得意。笑いを作る仕事をしたくて劇場や放送局で見習いをするが、どちらも気遣いや根回し、時には自分のやり方を曲げる協調力等、人間関係を調整する力が必須。いくら笑いの才能があっても、その笑いを乗せる場を回していく力がないと役に立たないのだ。自分が好きなものについての才能はあるが、好きなものが乗っかっている場との相性が最悪というギャップは、ピンク(菅田将暉)が指摘するように大変な皮肉だ。今のメジャーな「お笑い」の世界(だけでなく周囲と協力して何かを作っていくような世界)ではいくら才能があってもツチヤのような人間は必要とされにくいだろう。
 ツチヤの才能を買っている芸人・西寺(仲野太賀)はそれがわかっているからツチヤに色々と教えよう、場に馴染ませようとするのだろうが、ツチヤにはそれが辛い。ただ彼の「もうムリです」という訴えは多分周囲に通じない。本作はツチヤに共感しやすいようには作っていないし、彼に本当に才能があるのかどうかも明言はしていない。そこが映画としてバランスの良い所だと思う。実際のところツチヤは身近にいたらかなり面倒くさいタイプだろう。しかし、この通じなさは胸に刺さった。ツチヤの「人間関係不得意」は相当極端だが、私もどちらかというとツチヤ寄りの人間なので、その部分だけは若干共感してしまう。
 ツチヤタカユキの自伝的小説が原作なので、作中のベーコンズはオードリーということなのだろうが、水木(板橋駿谷)の声の出し方・しゃべり方はかなり春日に寄せていている感じでちょっと笑ってしまった。西寺はそこまで若林に寄せてはいないが、何かの拍子にあっここは寄せたなという印象のところがある。

笑いのカイブツ (文春文庫)
ツチヤ タカユキ
文藝春秋
2019-06-06


ハガキ職人タカギ! (小学館文庫)
風カオル
小学館
2017-05-26





『マナートの娘たち』

ディーマ・アルザヤット著、小竹由美子訳
 弟の遺体を浄めようとする姉。本来は同性の役割であり周囲は止めるが彼女はがんとして聞き入れない(「浄め(グスル)」)。障害のある弟を持つ兄が語るある事件(「失踪」)。アラブ系女性リナはインターンとして働く企業で出世を目指し、懸命に努力していたが(「懸命に努力するものだけが成功する」)。様々な形で過酷な人生を生き延びる人々を描く短篇集。
 9編を収録した短篇集だが、登場人物たちの多くは自分が何者なのかゆらぎを感じていたり、アイデンティティの自認と周囲からの視線がずれていたりと、居場所のなさを感じている。彼らは移民、マイノリティーなのだが、著者がシリアからアメリカへの移民であるという背景が投影されているのだろう。ただ本作はわかりやすいマイノリティーの話ではなく、マイノリティーの多種多様さ、複雑さを前面に出したものだ。特に新聞記事やインタビュー、一人語り等がコラージュされた「アリゲーター」は圧巻。シリア系夫婦がリンチされた事件、黒人に対するリンチの記録、先住民に対する迫害等が現れるが、これらの迫害された側のエピソードに何らかのリンク・連帯が生じるわけではない。自分たちが迫害されていても他の属性の誰かを差別するという側面があり、迫害される側は一枚岩ではなく複雑なのだ。修羅の国としてのアメリカの姿が現れる一遍だが、この差別をしてしまうという欲望、自分より貶められる存在を作りたくなる欲望はどの国、どの場所でも生じる厄介なものだと思う。それ故恐ろしい。
 なお「懸命に努力するものだけが成功する」は映画「アシスタント」とほぼ同じような話で、このシチュエーションがいかに(むかつくことに)ありふれているかよくわかる。また「三幕構成による、ある女の子の物語」では登場人物がどうも『聖☆おにいさん』(中村光)のアニメを見ていたらしい。あれアメリカで見られるんだ…

マナートの娘たち (海外文学セレクション)
ディーマ・アルザヤット
東京創元社
2023-04-11


五月 その他の短篇
アリ・スミス
河出書房新社
2023-03-24




『PERFECT DAYS』

 トイレの清掃員として働く平山(役所広司)。早朝に起きて仕事に行き、シフトをこなすと銭湯に入って少し酒を飲んで帰宅する。同じような毎日だが、彼にとっては満ち足りた毎日だ。そして変わらない日々の中に、年下の同僚や彼のガールフレンド、居酒屋のおかみ、そして彼の過去に繋がる人々とのやりとりによりさざ波が立つ。監督はビム・ベンダース。
 本作、舞台が日本、更に言うなら日本の東京以外だったら大分自分が受け取るものが変わったのではないかと思う。舞台が東京の渋谷近辺というなまじ自分の生活圏と重なっている土地なので、平山が清掃するトイレにまつわる背景や、平山の賃金てどれくらいなんだろうとか、その収入であの生活はできるのかなとか、いろいろと生々しい所が気になってしまい、フラットに見るのは難しい。平山のつつましくもその人なりに充足した生活っていいよね、という趣旨なのだろうが、現実の生活を度外視して「こういう日本ステキでしょ」という製作側(日本側のスタッフがかなり入っているので)のアピール、エキゾチズムとしての日本描写に見えてしまう。なまじ日本の貧困を知っていると、平山の生活はもはや優雅(多分自動車は所有物だし毎日首都高使ってちょっと外飲みして銭湯にも通えるし、そもそも実家は資産家らしい。それを捨ててきたということだろうが)に見える。少なくとも今の日本では、生き方の選択肢の一つとして見るほどの余裕が持てない観客が多いのではないか。
 ただ、そういう観客側の事情を置いておいても、本作は映画としてちょっと弱いなと思った。ジム・ジャームッシュ監督『パターソン』は本作とほぼ同じパターンの「地味な仕事と代り映えのない日々の反復に見えるが、実際は毎日少しずつ違い美しい」ストーリー構造なのだが、『パターソン』の方が圧倒的に映画としての強度があるというか、足腰の強さを感じる。本作は確かに映像は美しく詩情はあるが、いまひとつ緊張感に欠ける。ベンダース監督ってこんなにふわふわした映画撮る人だったかなー。

パリ、テキサス(字幕版)
オーロール・クレマン
2015-01-22


パターソン(字幕版)
チャステン・ハーモン
2021-12-22


 
 

『きっと、それは愛じゃない』

 ドキュメンタリー監督のゾーイ(リリー・ジェーズ)は幼なじみの医師カズ(シャザト・ラティフ)が見合い結婚をすると知らされる。今時の英国でなぜ親が選んだ相手と結婚するのかと納得できないゾーイは、制作会社からドキュメンタリーの新ネタを要求された際、見合い結婚の軌跡を追うドキュメントを撮ると勢いで断言してしまう。渋るカズを説得して撮影を始めるが、自分のカズに対する気持ちに気付いてしまう。監督はシェカール・カプール。
 ゾーイとカズは幼馴染で家族ぐるみの付き合い。シングルマザーであるゾーイの母親にとってはカズ一家が家族の代わりでもあった。じゃあゾーイの母親は異文化に対しての理解も深いのかと思ったら、差別的な発言がポロポロある所がなかなかリアルだしハラハラさせられる。パキスタンからの移民であるカズの家族と仲は良いが、彼らの文化や社会背景を理解しているというわけではないのだ。このあたりの、悪意はないが結果として差別的になっているという表現の匙加減が上手い。また親が子の結婚相手を選ぶことが普通である文化の姿、そのメリットも描かれ、基本ラブコメだが異文化ギャップコメディとしても目配りがきいている。どちらの文化がいいと断言するわけではないのだ。
 ゾーイは世代的にも母親よりは異文化を受容・理解しているが、それでも親の為に結婚するという文化圏の考え方には同意できない。とは言え恋愛による「運命の人」を探す彼女が付き合う相手が押しなべてクズなので、これはもう親の采配を頼った方がいいんじゃないかとも思わせる。親の紹介で親しくなる獣医がすごくいい人っぽいし(そこが物足りないんだろうけど…)。彼女がなぜクズに惹かれてしまうのか自分を見つめなおす過程になっているのだ。結婚と家族と個人を巡るあまり浮つかないラブコメで、ラブコメがそんなに好きでない私にも楽しめた。
 それだけに、ラブコメが基本にある以上やはりそのオチになるかという物足りなさもあった。もうちょっと攻めてもいいんじゃないかなー。

あと1センチの恋(字幕版)
サム・クラフリン
2021-01-27


クレイジー・リッチ!(字幕版)
ソノヤ・ミズノ
2020-11-13


『ポトフ 美食家と料理人』

 19世紀、フランス。斬新なメニューを開発し食を芸術の域に高めた美食家のドダン(ブノワ・マジメル)と、彼が考案したメニューを具現化する天才的な料理人ウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)の評判はヨーロッパ各国に広まっていた。ユーラシア皇太子の退屈な晩餐のメニューにうんざりしたドダンは、逆に皇太子を最もシンプルな料理・ポトフでもてなそうと決める。そんな矢先、ウージェニーが倒れてしまう。監督はトラン・アン・ユイ。
 料理をするシーンがかなり長く、野菜の収穫・選別から下ごしらえ、煮たり焼いたりという手順をじっくり見せてくれる。匂いや味まで想像できる映像で楽しく美しい。ドダンは美食家とあって料理の素材となる野菜や果物、家畜も屋敷の敷地内で栽培・飼育しているし、この時代にはおそらく大変贅沢であったろう氷室まで完備している。台所も広々としていて、この時代の調理用具やコンロ、オーブンはこういう風になっていたのかと眺めているのも楽しい。料理を中心とした映像がとても美しいのだ。ただ、食にあまり興味のない人が見ていて果たして面白いのかどうかは何とも言えないが。
 邦題のサブタイトルが少々余計ではと思ったのだが、ドダンとウージェニーの関係を端的に表しているものだった。2人は長年プライベートでもパートナーと言える関係にあり、愛し合ってはいる。ただ、カップルとしての関係以上に、料理という共通のテーマ上でのパートナーなのだ。同じものを見て同じ方向を目指せる知識と情熱がある。2人の最後の会話にもその関係が反映されていた。

青いパパイヤの香り (字幕版)
グェン・アン・ホア
2022-05-20


大統領の料理人(字幕版)
イポリット・ジラルド
2015-01-16



2023年ベスト本

2023年は私にしては新刊を割と読んだ年だった。映画鑑賞本数が減った分新刊本に時間と予算を割くようになったということか。

1.『アロエ』キャサリン・マンフィールド著、宗洋訳
日本初翻訳だそうでありがたい。100年以上前の作品にこんなに子供の頃の感覚を呼び覚まされるとは。

2.『水車小屋のネネ』津村記久子著
他人と生きることへの希望が感じられる。

3.『本屋で待つ』佐藤友則、島田潤一郎著
待つとはそういう意味だったかと、その力に震えた。

これもまた他人(という名の家族)と生きることへの希望を感じさせる。感性の切れの良さと率直さ。

5.『潜水鐘に乗って』ルーシー・ウッド著、木下淳子訳
美しくてユーモラスで寂しい。

6.『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』ペ・スア著、齋藤真理子訳
遠くに連れていかれる、かつ円環を感じさせる作品。

7.『破果』ク・ビョンモ著、小山内園子訳
おばあちゃんハードボイルド。ただし慈愛はない。

8.『頬に哀しみを刻め』S・A・コスビー著、加賀山卓朗訳
落とし前のつかないことに落とし前をつけるには。

9.ルクレツィアの肖像』マギー・オファーレル著、小竹由美子訳
彼らの知らない彼女のこと。

10.『メグレと若い女の死』ジョルジュ・シムノン著、平岡敦訳
新訳実にありがたい。これもまた、彼らの知らなかった彼女の物語。

アロエ
キャサリン・マンスフィールド
春風社
2023-09-28


水車小屋のネネ
津村 記久子
毎日新聞出版
2023-03-02


本屋で待つ
佐藤友則
夏葉社
2022-12-25


ちょっと踊ったりすぐにかけだす
古賀及子
素粒社
2023-02-27


潜水鐘に乗って
ルーシー・ウッド
東京創元社
2023-12-18



破果
ク ビョンモ
岩波書店
2023-02-22


頰に哀しみを刻め (ハーパーBOOKS)
S・A コスビー
ハーパーコリンズ・ジャパン
2023-02-16





ルクレツィアの肖像 (新潮クレスト・ブックス)
マギー・オファーレル
新潮社
2023-06-29




2023年ベスト映画

新作旧作、国内外ひっくるめてのベスト10。新作映画見逃しても焦らなくなりました。

ある男女のうつろいが香港という土地の変遷と重なっていく編集が見事なミステリ。

映画はなぁ!こういうのでいいんだよ!

帰れない、の意味とその結末が胸に刺さる。原作をよりブラッシュアップした感じ。

愛v.s世間。ファスビンダーおそるべし。

技法の凄まじさに圧倒されるストップモーションアニメ。

「じゃない方」西部劇。勇猛果敢でなくてもいいじゃない。

日本の状況を鑑みつつ。

熊とは何か。映画を撮るとは何か。ブーメランも辞さないパナヒ監督の覚悟を見た。

鈴木亮平の底力。好き嫌いは別として本当にいい俳優なんだな。

ファンアイテムでありつつ、物語を生み出す・欲望することの業と希望に切り込んでいたと思う。

シャドウプレイ【完全版】 [Blu-ray]
ジン・ボーラン
アメイジングD.C.
2023-12-06


帰れない山 [DVD]
ルカ・マリネッリ,アレッサンドロ・ボルギ,フィリッポ・ティーミ,エレナ・リエッティ
Happinet
2023-11-08


帰れない山 (新潮クレスト・ブックス)
コニェッティ,パオロ
新潮社
2018-10-31


不安は魂を食いつくす DVD [DVD]
イルム・ヘルマン
TCエンタテインメント
2024-02-09


オオカミの家 初回生産限定豪華版 [Blu-ray]
ライナー・クラウゼ
TCエンタテインメント
2024-04-12



シー・セッド その名を暴け
ジェニファー・イーリー
2023-12-12






エゴイスト 通常版DVD
宮沢氷⿂
ライツキューブ
2023-08-25







『水車小屋のネネ』

津村記久子著
 高校を卒業したばかりの理佐と小学生の妹・律は、山間にある町に引っ越し2人暮らしを始める。母親の恋人が律を虐待し、理佐の進学費用を使い込んだ為だ。理佐はそば屋に就職するが、そのそば屋にはそば粉を引くための水車があり、水車小屋にはネネというヨウムがいた。姉妹とその周囲の人たち、そしてネネの40年間を描く。
 1981年、1991年、2001年、2011年という4つのパートから構成されている。10代だった理佐も小学生だった律も、どんどん大人になっていく。成長するにつれてものの見え方や他人に対する認識が変わっていく様にはっとする。こういう親切のやり方は確かに子供にはぴんとこないだろうとか、あの時のあれはこういうことだったのかという認識のギャップが埋まっていくのだ。そして姉妹もまた、自分たちを手助けしてくれた大人のように成長していく。母親とその恋人以外は概ねまともな大人ばかりなので、そうかまともな大人とはこういうことだった…と読者側としても襟を正してしまった。
 姉妹はいわば親を捨てて(というか親が親をやることを放棄したので)2人で暮らし始める。自分の進学、ついては将来設計をいきなりめちゃくちゃにされた理佐の怒りと悲しみや、母親の恋人の自分に対する態度を淡々と説明する律の姿は非常に辛いし、その嫌さが生々しい。まだ未成年の身で妹を養おうという理佐の行動は無謀なのだが、そうせざるを得ないという彼女の覚悟、年少の者は守らねばというまともさが非常によくわかるのだ。
 ただ、理佐と律の心もとない生活には、それを少し手助けしようという人たちがぱらぱらと現れていく。彼ら彼女らもまた、年少の者は守らねばというまともさを持っている人たちだ。理佐の就職と引っ越しを助けてくれた職場の先輩を筆頭に、そば屋の店主夫妻や地元のコーラスグループの人たち、律の担任教師や同級生の親、ネネの世話を一緒にしている老婦人等が現れていく。濃密な関わりではなく、一線を守った浅めの好意や援助が複数あるという所がポイントだろう。本作には理佐・律姉妹以外にも、居場所がなくて水車付近に流れ着いてくる心もとない人たちが登場するが、彼・彼女らは浅めの関係、他人としての思いやりやいたわりでずっと繋がっていく。他者を思いやる、助け合うというのはこういう形でいいのではないか。本作はある種家族小説的ではあるのだが、その家族的な集団は血が繋がっていない全くの他人で、お互いに自主的に選んで家族的な関係になっていく。これが今の家族、というよりも他人と共に生きていこうとする形の一つの在り方なのかなと思った。大事なのは血縁ではなく、的確に支え合える、手助けができる関係にあるということだ。その中心に人間ではないネネがいるという所もまた面白い。

水車小屋のネネ
津村 記久子
毎日新聞出版
2023-03-02


うどん陣営の受難
津村 記久子
U-NEXT
2023-07-07


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