3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『来る』

 香奈(黒木華)と結婚し幸せな新婚生活を送る田原秀樹(妻夫木聡)の会社に、「知紗さんのことで」と伝言を残した来客がいた。取り次いだ後輩社員はその来客の顔も名前も思い出せず、突然出血し倒れる。知紗とは香奈が妊娠している子供に付けるつもりの名前だった。2年後、秀樹の周辺で奇妙な出来事が起こり始め、身の危険を感じるようになる。友人の民俗学者・津田(青木崇高)からオカルト専門フリーライターの野崎(岡田准一)とその知人で霊能力のある比嘉真琴(小松菜奈)を紹介してもらう。原作は澤村伊智の小説『ぼきわんが、来る』、監督は中島哲也。
 中島監督作品は大概シネフィルに嫌われがちだが、今回は特にキッチュなビジアル、かつぎゅうぎゅうに要素を詰め込み盛りが良すぎるくらい。音楽も多用すぎるくらい多用しており見た目も音も余白がない。野暮と言えば野暮だしMVにしか見えない部分もある。しかしエンターテイメントとしては予想外に楽しかった。予告編ではあまり期待していなかったのだが、テンポがよく飽きさせない。
 序盤、秀樹が香奈を実家の法事に同行する、そして2人の結婚式、新居でのホームパーティという流れがあるのだが、自分内の「あっこれ耐えられない」メーターの針がすごい勢いで振り切っており、今年一番の映画内不愉快シチュエーションだった。映画の登場人物にこんなに殺意を感じたのは初めて。もちろんこの不愉快さは監督や俳優の意図したもので、そういう意味では非常にすぐれた作品だろう。本作のキモは何かが追ってくるという所にはなく、そのへんにいそうな人たちの気持ち悪さ、不愉快さにあると思う。
 秀樹はルックスはいいし愛想もいいし、ぱっと見友人が多くて人望もあって、という万事うまくいってそうな人なのだが、実は薄っぺらくパフォーマンスのみで中身を伴わない。法事の席でよそ者として不安を抱える香奈への配慮が全くなく、適当に大丈夫大丈夫という姿(香奈の膝をぱしぱし叩く動作がむかつく!あれやられると本当にイラっとするんだよなー!)には無神経さ・思いやりのなさ(というか的外れさ)がもろに出ている。また結婚式やホームパーティーでのこれみよがしなはしゃぎっぷりと、それに白けつつ表面上は同調する友人たちの姿は、正に地獄絵図。絶対にこの場に交じりたくないと思わせる見事な演出だった。
 キャスティングが手堅く、妻夫木のクズ演技は最早鉄板。見事だった。また、柴田理恵や伊集院光など、本業が役者でない人の使い方が上手く、いいアクセントになっている。特に柴田理恵は柴田理恵史上最高にかっこいい柴田理恵だった。そして松たか子の面白そうなら何でもやりますよというスタンスに感銘を受けた。だってキャリア的には全然やらなくていい仕事だもんなこれ・・・。



 

『刑事マルティン・ベック』

 日本・スウェーデン外交関係樹立150周年「シュウェーデン映画への招待」にて鑑賞。ストックホルムの病院に入院中だった警部が、騎兵銃の銃剣でめった刺しにされ殺されるという事件が起きた。主任警視マルティン・ベック(カール=グスタヴ・リンドステット)率いるストックホルム警察殺人課の刑事たちは捜査を開始する。被害者には悪評があり、不適切な捜査や行動に対する訴状が幾通も出てきた。ベックたちは怨恨による犯行とみて捜査を続けるが。原作はマイ・シューヴァル&パール・ヴァールーの人気警察小説シリーズ7作目『唾棄すべき男』。監督・脚本はボー・ヴィーデルベリ。1976年の作品。
 70年代の雰囲気が濃厚で、ざらついた渋い刑事ドラマ。前半は地道な捜査が続くのだが、後半で急に派手な見せ場が出てくるし、クライマックスでは群衆にヘリコプターや消防車まで動員した一大ロケが見られる。刑事もの好きにはお勧めしたい。ベックにしろその部下たちにしろ、いわゆる二枚目ではないが、皆味のあるいい顔つきで個性豊か。“キャラ”として完成された個性豊かさではなく、こういう人いそうだなという、人間の雑味が感じられる造形だ。
 ベックが最初「つまらない奴」と称する刑事が、確かに地味だが地道な書類チェックを厭わず着眼点も鋭い(が、それをことさら言い立てない)優秀さを垣間見せる、その優秀さをベックもわかっているというあたりがいい。また、色男風(美形ではないがモテそう)がいたり、一匹狼風なとんがった奴がいたりと、群像劇的な良さがある。ベックが決して愉快な人物というわけではないあたりもいい。妻とは家庭内別居っぽい(ベックは居間のソファーで寝ている)し、ハンサムでもスタイルがいいわけでもない。しかし存在感がある。演じるリンドステットは元々コメディ俳優だそうだが、本作では非常に真面目な演技を見せておりはまり役ではないかと思う。
 シリアスで時間との勝負という要素も出てくるサスペンス展開なのだが、ちょこちょこユーモラスな部分もある。これが狙ったユーモラスさなのか、思わぬところでそうなってしまったのかよくわからない所も面白い。終盤のベックの状況は大変深刻なんだけど、その扱われ方がどこか吹き出してしまいそうなもの。また、対象監視中におばあちゃんがやたらと話しかけてきてお茶やらクッキー(北欧土産でよく見かけるやつだった・・・やっぱり定番なのか)やら出してくるのとかは、明らかに狙っていると思うが。

刑事マルティン・ベック 笑う警官 (角川文庫)
マイ・シューヴァル
角川書店
2013-09-25


刑事マルティン・べック [DVD]
カルル・グスタフ・リンドステット
オルスタックソフト販売
2011-04-28


『Merry Christmas!ロンドンに奇跡を起こした男』

 1843年のロンドン。小説家チャールズ・ディケンズ(ダン・スティーブンス)は『オリバー・トゥイスト』がヒットし人気作家として有名だったが、スランプに悩み家計も赤字が続いていた。クリスマスの小説を書くことを思いつき構想を練る彼の前に、スクルージ(クリストファー・プラマー)をはじめ作品の登場人物たちが次々現れる。しかし執筆を進めるうち、子供の頃のトラウマと父親ジョン(ジョナサン・プライス)との確執に苦しむようになる。監督はバハラット・ナルルーリ。
 クリスマスシーズンにぴったりでとても楽しかった。とは言え、自費出版なのに支払の当てはなく、締切は刻一刻と迫っていくという作家の苦しみを描いた作品でもある。基本コメディで筆が全く進まないディケンズの「無の顔」にも、アイディアを思いつくと周囲が見えなくなる様にも笑ってしまうのだが。彼の前に現れる『クリスマス・キャロル』の登場人物たちが好き勝手に話し動き回るのは、文字通り「登場人物が動きだす」ということで楽しい。ディケンズの身近な家族や町で見かけた人たちが登場人物造形のヒントになるということが映像の流れでわかってくる。スクルージをはじめ、確かにぴったり!という風貌なのでこれもまた楽しかった。
 執筆中のディケンズは突然訪問してきた父ジョンに悩まされる。ジョンは気のいい人物だが金に無頓着でしょっちゅう息子にたかる。更に、ディケンズは父親が破産し収監された(破産者専用の監獄があったんですね・・・)せいで幼い頃から靴墨工場で働かざるを得ず、非常に苦しい体験をした為父親を恨んでいる。執筆の過程で当時の記憶がフラッシュバックのようによみがえり、父親へのわだかまりや子供時代のトラウマに向き合わざるを得なくなっていくのだ。このあたりは完全にフィクションだろうと思うが、創作が自分の記憶に棘刺すものと向き合い続けることであるという部分は、すごく「作家映画」ぽいんじゃないかと思う。また、過去が垣間見えることで、現在のディケンズの言動の数々がどういう思考回路・体験から生まれてきたものかわかってくる。家計は赤字なのに物乞いへの献金を欠かさない、貧乏人は救貧院に入ればいい、(死んで)数が減ればなおいいという富裕層の発言に猛反発するのは、自分の体験からくるものだということが見えてくるのだ。(少なくとも本作中の)ディケンズは、貧困は自己責任だとは言わないだろう。
 クリスマスシーズンにぴったりで、ディケンズの作品をまた読んでみようかなと思わせてくれる映画だった。公開規模が小さめなのが勿体ない。

クリスマス・キャロル (岩波少年文庫)
チャールズ ディケンズ
岩波書店
2001-12-18


オリヴァー・ツイスト (新潮文庫)
チャールズ ディケンズ
新潮社
2017-04-28


『兄弟の血 熊と踊れⅡ(上、下)』

アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ著、ヘレンハルメ美穂&鵜田良江訳
 連続銀行強盗で逮捕、収監されたレオは殺人の罪を負うサムと出会う。彼はレオを逮捕したヨン・ブロンクス警部の兄だった。ヨンへの憎しみ、そして「兄」であるという共通項で繋がった2人は、「存在しないものを奪う」強奪事件を計画し、出所と同時に実行へと踏み出す。レオの動きはヨン・ブロンクス警部の知るところとなるが、そこにはレオの仕掛けた罠があった。
 ノンフィクションだった前作『熊と踊れ』の続編だが、本作は完全なるフィクション。「存在しないものを奪う」というプラン、そしてその中のある仕掛けの派手さはなるほどフィクションぽい。しかし「絆」に対するレオの執着と情念は前作から引き継がれているものだ。レオの家族への拘りは、最早妄執に見えてくる。弟たちの心は父からもレオからも、彼らの稼業からも離れつつあることが彼にはわからない。その傾向は子供の頃からあったが、レオは自分が見たいものしか見ないのだ。犯罪者としては非常に冷静で明晰なのに自分と兄弟のことについては目が開かれていないというのが、ちょっと怖い所でもあるし痛ましい所でもある。弟たちの心は彼から離れつつあるのに・・・。
 兄弟に対して目が開かれていないという点では、実はヨンも同様だと言える。冷静な刑事だったヨンが情念に駆られてどんどん逸脱していく様はこれまたちょっと怖い。レオもヨンもあったはずの何かを取り戻そうとしているのだが、それは本当にあったものなのか?あったつもりになっているだけではないのか?と思わずにいられない。それこそ「存在しないもの」だったのではと。そして情念に飲み込まれていく彼らと相対する、新登場人物の刑事エリサの怜悧さが光っていた。

兄弟の血―熊と踊れII 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アンデシュ ルースルンド
早川書房
2018-09-19


兄弟の血―熊と踊れII 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アンデシュ ルースルンド
早川書房
2018-09-19


『くるみ割り人形と秘密の王国』

 母親を亡くした少女クララ(マッケンジー・フォイ)は家族と共に、名付け親であるドロッセルマイヤー(モーガン・フリーマン)のクリスマスパーティーに招かれる。プレゼント探しをするうち、クララは不思議な世界に迷い込む。その王国は「花の国」、「雪の国」、「お菓子の国」、そして「第4の国」から成り各国を摂政が治めていた。クララはプリンセスと呼ばれ戸惑うが、王国内の紛争に巻き込まれていく。チャイコフスキーのバレエが有名な「くるみ割り人形」が原作で、チャイコフスキーの組曲も当然使われている。監督はラッセ・ハルストレム&ジョー・ジョンストン。
 ロンドンでのクララの家や洋服も、ドロッセルマイヤーの屋敷も、王国の情景も美しく可愛らしいのだが、それしかない。ファンタジーとしての世界のふくらみや奥行、厚みみたいなものが全く感じられなかった。『くるみ割り人形』の楽しさって、作中に出てくる国を順番に旅していく、それぞれの国の風景や文化を楽しむという側面にもあると思うのだが、本作では王国の王宮と第4の国との行き来が殆どで、他の国の情景は申し訳程度にしか(本当に1シーンくらいしかなかったと思う)出てこない。せっかく複数の国があるんだからどんな風土なのか見て見たかったのに・・・。ガジェットが色々と華やかだし凝ってはいるのだが、装置の為の装置という印象が強くて、物語世界に溶け込んでいない印象を受けた。ぜんまい出せばいいってものじゃないんだぞ!また、大がかりな装置も色々出てくるのだが、どういう仕組みで動いているのか、何の為の装置か、見ていても今一つイメージが沸いてこない(序盤でクララが修理するドロッセルマイヤーの白鳥の玩具とか、その修理の仕方でいいの?って思うし)。作り手がそういう設定は考えずに漫然と動かしているように思った。
 くるみ割り人形の存在感が薄い、というか指摘されないと彼がくるみ割り人形だと気付かない。クララではなく弟がクリスマスプレゼントにもらったということになっておりそもそも玩具の状態でもあまり出てこないし、これ題名「くるみ割り人形」を付けなくてもよかったのでは?中心になるのはクララとお菓子の国の摂政であるシュガー・プラム(キーラ・ナイトレイ)だ。シュガー・プラムは母を亡くしたクララの分身とも言えるが、ここがもうちょっと響いてくればなと残念。母親を亡くしているというシチュエーションをあまり上手く処理できていないように思った。
 なお、アクション要素もあるのだが見せ方が概ねもたついており、監督はこういうの不得手なのかなと思った。ブリキの兵隊との戦いのリズムの悪さにいらついてしまった。


『恐怖の報酬』

 121分のオリジナル完全版で鑑賞。南米、ヴォルベニール。反政府ゲリラによってジャングルの中の油田が爆破され、大火災が起きた。油田会社はニトログリセリンによって爆破・鎮火させようとするが、ニトログリセリンの保管場所と火災現場は300キロの距離があり、ちょっとした刺激で爆発してしまうニトログリセリンの運搬は非常に難しいと思われた。会社側は一万ドルの報酬を提示し、名乗りを上げた4人の男にニトログリセリン運搬を依頼する。監督はウィリアム・フリードキン。1977年の作品。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督作品(1953)のリメイク。
 前知識が全くと言っていいほどなく、1978年に公開された当時には大幅にカットされていた(当時公開されていたのは92分版だそう)ということも初めて知った。多分、運搬に関わるまでに4人が何をしていたかという冒頭30分くらいの部分が丸ごとカットされていたのではないかと思うが、この部分が大変面白かった。全く違う国、違う町で4つの事件が起き、4人の男がその町を去ったことが順番に提示されるのだ。メキシコでターゲットを消した殺し屋ニーロ(フランシスコ・ラバル)は何事もなかったようにその場を去る。エルサレムで爆破テロを遂行した若者たちは軍の特殊部隊に追い詰められ、カッセム(アミドゥ)のみが逃げのびる。パリに暮らす投資家マンゾン(ブルーノ・クレメル)は証券取引所から不正取引を追及さる。ビジネスパートナーである義弟に、富豪の父親に金を出してもらうよう交渉しろと詰め寄るが、交渉は決裂、義弟は自殺し、マンゾンはその場から逃げ出す。ニュージャージー州で強盗により大金を手に入れたマフィアの一味だが、交通事故で4人中3人が瀕死の状態に。生き残ったスキャロン(ロイ・シャイダー)は事故現場から逃げるが、更に被害者の兄が対抗組織のボスだということが発覚。追手から逃れる為にスキャロンは国外へ高飛びしようとする。
 4人それぞれのパートが、それぞれ別の映画の導入部分であるようにスリリングで引きが強い。この時点では4人の接点はないので、一体どういう話なのか、4人がどう絡んでくるのかとわくわくしてくる。むしろ南米で大集合したことに、若干拍子抜けというか虚を突かれたというか。そこから南米に行きます?って感じの人もいるし(マンゾンは油田で働きそうにないもんな!)。私はどちらかというと、冒頭の乾いたハードボイルドサスペンス的なタッチに惹かれたので、ホラー味が増していく(作っている側としてはホラーと思っていないだろうけど)後半には戸惑った。
 とは言え、後半も緊張感が途切れず、本気で怖い。橋のシーンは噂には聞いていたが、トラック側も先導する人の側もどう見ても落ちそうだし全く安心できない!ストーリー上安心できないのはもちろんなのだが、これ撮影する側・される側共に大丈夫だったのだろうかと心配になってしまう(実際、相当過酷だったらしいが)。橋はセットとして作ったのだろうが、よく作ったよな。山道をトラックが走るシーンも、運転席のアップと車輪部分(車両の足元)のアップを交互に配置し、とにかく車幅がぎりぎりだということが強調される。良く考えると、こんな道ならヘリで運んだ方がいくらかましだったのでは(序盤で「揺れるから無理」と否定されるのだが、明らかにトラックの方が揺れてるだろう・・・)?と突っ込みたくなるが。
 過酷な道程を見せようとすればするほど、なぜだか幻想的で情念が濃くなっていくところが不思議だ。トラックが進んでいくジャングルや山道、そして吊り橋自体が化け物めいた存在感を放ってくる。終盤で迷い込むカッパドキアのギョレメのような不思議な風景は、南米のジャングルの中とは思えない。本当はかなり早い段階でニトログリセリンが爆発し、全員死んでしまった後の夢のようなものなのではという気もしてきた。


L.A.大捜査線/狼たちの街 [Blu-ray]
ウィリアム・L・ピーターセン
キングレコード
2018-07-04





『真夜中の太陽』

ジョー・ネスボ著、鈴木恵訳
 少数民族サーミ人が住む、ノルウェーの北部。極北のこの地を大金と銃を持った1人の男が訪れた。ウルフと名乗る男は素性を隠し身をひそめるが、教会の堂守をしているサーミ人の女性レアとその幼い息子と心を通わせていく。しかしレアには漁業に出たまま戻らない夫がおり、ウルフへの追手も迫っていた。
 著者の『この雪と血を』と地続きの作品で、共通の登場人物もいるし作品の雰囲気も似ている。とは言え独立した作品なので、続けて読む必要は特にないだろう。本作の主人公ウルフ(自称)は金の為に殺し屋になろうとするが、果たせずに北の地へ逃げる。人が逃げるのってやっぱり北方がしっくりくるのだろうか(自分が逃亡者だとしても北に逃げそうだな)。独自のコミュニティを形成しているサーミ人たちの暮らしぶりと、非常に厳しそうな自然環境の描写が相まって、世界の果て感が強い。現地に住んでいる人たちにそんなこと言ったら怒られるんだろうけど・・・。蚊の多さと強靭さの描写にはぞっとするのだが、それでも自然描写には魅力があった。
 ウルフはすごくタフなわけでも頭が切れるわけでもなく、銃の扱いにも不慣れという所が新鮮。殺し屋と言う柄ではないのだがやむにやまれず後戻りできない道を進んでしまった。レアにもまた、やむにやまれぬ事情がある。彼女を縛るのは男尊女卑の文化で、こんな聡明で強い女性がそんな目に遭うなんて!と憤懣やるかたない。そんな2人が非常にささやかな所から想いを通わせあう様子はいっそ微笑ましいくらいで、殺伐とした背景とのギャップがあるのだが、状況が寒々しいからこそささやかなものが美しく見える。
 なお、本作の時代設定はいつぐらいなのかな?ビートルズやストーンズの話題が出てくるところから60年代か70年代だと思っていたのだが、だとすると「まじで」という台詞はおかしいんじゃないかな(当時は「まじで」って言葉使わなかったんじゃない?)。

真夜中の太陽 (ハヤカワ・ミステリ)
ジョー ネスボ
早川書房
2018-08-07


その雪と血を (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー・ネスボ
早川書房
2018-11-20




『「女性活躍」に翻弄される人びと』

奥田祥子著
 管理職への昇進を拒む葛藤、やりがいと低賃金とのせめぎ合い、認められない家庭での働き。それらは女性たちを圧迫するだけでなく、男性に対するプレッシャーにもつながっていく。リサーチ対象を長年にわたって定点観測的に取材し、時代ごとの価値観が大きく変化していく中での個々人の生き辛さ、苦しさは何に根差すのか迫っていく等身大のルポルタージュ。
 著者が男性たちに取材した『男という名の絶望 病としての夫・父・息子』と同じようなインタビュースタイルのルポだが、少々構えたところがあった『男と~』に比べ、取材相手が女性だからか相手との距離感がやや近く、より細かい部分までニュアンスを拾えている感じがする。結構な年数を掛けて取材相手の変化を追うことが出来ているというのも大きい。時間の流れによって、女性の働きにくさ、生き辛さの背景にあるものが見えてくるのだ。面白いのだが、読んでいてかなり辛かった。当事者の努力だけではどうにもならない部分がある。
 女性が活躍できる社会に、と言うのは簡単だが、そもそも何をもって活躍とするのか。果たしてどういう状態を指し、誰にとっての活躍なのか。当人が望む活躍ではなく、その時々の世間が推奨する活躍に過ぎないのではないか。活躍のミスマッチが起きているのだ。本来、人によって活躍したいフィールドは違うだろうし特に活躍したくないならそれはそれで構わないはずだ。更に、仕事にしろ家事にしろ育児にしろ、どれか一つに注力したら他のパートに割くリソースは当然減るわけだが、なぜか全部フル稼働状態が要求され、しかもそのフル稼働状態をサポートするための社会的な仕組みは非常に手薄。女性たち(ひいては男性たち)の苦しさの根っこは社会構造のあり方、「世間」の価値観に根差すもので、個々の問題としてだけは解決できなさそう。もうちょっと楽に生きられればなとつくづく思う。


『ヘレディタリー 継承』

 2人の子供を持つアニー・グラハム(トニ・コレット)は老齢の母エレンを亡くした。母に対して複雑な感情を持ちその死を悲しむことが出来ないアニーだが、葬儀はつつがなく終わった。しかしグラハム家に奇妙な出来事が起こり始める。徐々に家族の関係は悪化していくが。監督はアリ・アスター。
 前評でとにかく怖いと聞いていたのだが、ホラーが苦手な私でも大丈夫な程度ではあった。ただ、これはホラーとしての怖さが予想ほどではなかったということであって、別の怖さがしっかりとある。怖さというよりも嫌さという方が近いかもしれない。ミヒャエル・ハネケ監督の諸作に近いものを感じた。ハネケ監督作と『普通の人々』(ロバート・レッドフォード監督)をドッキングしてホラーのフォーマットに押し込んだみたいな、実に嫌、かつ完成度の高い作品だと思う。
 アニーは子供たちを愛してはいるが、その愛を何かが邪魔しがちだ。長男ピーター(アレックス・ウルフ)に対しては自分の母に男児の出産を強要されたという恨みがあり、関係はぎこちない。パニックになった時に「産みたくなかった」と漏らしてしまい、更に関係は悪化する。またチャーリーにはもう少しストレートに愛情を示しているが、彼女を「母(エレン)に差し出した」ことに罪悪感がある。エレンはアニーに対して支配的で、孫の養育にやたらと拘っていた。アニーは自分やピーターへの干渉を避ける為、チャーリーの養育にはエレンを関わらせたのだ。
 アニーと家族との関係の邪魔をしているのがエレンであり、アニーはその存在を愛しつつも恐れている。同時に、アニーは自分が母=エレンのようになったらどうしようという恐怖に苛まれている。エレンの一族には精神を病んだ人が複数おり、エレンもまた晩年は双極性障害を患っていたのだ。自分も自分の親のようになったら、自分が苦しめられたように自分の子供を苦しめるようになったらどうしようという恐怖は、さほど珍しくなくその辺の家庭にあるものではないかと思う。
 一方、ピーターにとっては自分は母親に愛されていないのではないか、憎まれているのではないかという思いが拭えずにいる。過去のとある事件が双方にとってトラウマになっている(そりゃあトラウマになるな!というものなのだが)のだ。子供にとって自分の親に愛されないというのは相当な恐怖ではないかと思う。父親スティーブ(ガブリエル・バーン)は2人の間をとりなそうとするが、あまり上手くいかない。これもまた、さほど珍しくなくその辺の家庭にありそうな状況なのだ(なお明示はされないのだが、ピーターはスティーブの実子ではなくアニーと別の男性の間の子なのかな?という気もする
)。
 オカルト的な、人知の範疇外の怖さは後半に募ってくるが、前半の普通と言えば普通の家庭内の不調和、家族と言えど圧倒的な他人であるという状況の不穏さがただならぬ気迫で迫ってくる。超常的なものが相手だと、人間じゃないならまあ仕方ないな!という諦めがつくのだが、同じ地平にいるのに薄気味悪いというのが何とも言えず嫌なのだ。
 アニーはドールハウス作家なのだが、ドールハウスの拡大がそのままグラハム家の情景にスライドしていく冒頭からして怖い。グラハム一家は何者かにとってコントロールされる駒、おもちゃに過ぎないように見える。アニーはドールハウスで自分史を再現しようとしており、その再現度はちょっとやりすぎなくらいなのだが、箱庭療法的にやらずにはいられないのだろう。

ハッピーエンド [Blu-ray]
イザベル・ユペール
KADOKAWA / 角川書店
2018-08-03


普通の人々 [DVD]
ドナルド・サザーランド
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2010-11-26


『セルジオ&セルゲイ 宇宙からハロー!』

 東西冷戦時代が終わろうとしている1991年。キューバで暮らす大学教授のセルジオ(トマス・カオ)は、無線が趣味。アメリカ人の無線仲間ピーター(ロン・パールマン)が送ってくれた新しい無線機をさっそく試していると、宇宙ステーションに滞在中のソ連人宇宙飛行士セルゲイ(ヘクター・ノア)からの無線を受信する。2人は交信を続け心を通わせていくが、ソ連崩壊に伴い国内が混乱状態になった為、セルゲイは帰還無期限延長を言い渡されてしまう。セルジオはセルゲイを何とか救おうと奇策を思いつく。監督はエルネスト・ダラナス・セラーノ。
 邦題は能天気なサブタイトルが余計なのだが、心温まる好作だった。キューバとロシアの歌謡曲(なのか?)が多用されているのも楽しい。コメディ寄りの軽めの作風ではあるが、時代背景や当時のキューバの情勢、各国の歴史問題が反映されており陰影がある。
 セルジオもセルゲイも、そしてピーターも、自分の意思や思想とは関係なく、国家の都合に翻弄されていく。セルゲイなんて国の混乱で宇宙から帰れず、妻子は食料がなくて困窮しているし自分の命の危険にまでさらされていくのだ。情勢不安定なキューバではセルジオの教員の給与では食って行けず(はっきりわからなかったのだが未払いみたい・・・)、セルジオの母親は葉巻工場で働き始めるし、セルジオ自身も不承不承ながらラム酒の密造を始める。セルジオの隣人は亡命者用ボートに使う資材の調達で稼いでいる。キューバもソ連も国家としては破綻しており未来は不透明、しかし市井の人々は今を生きていくしかないという状況だ。セルジオとセルゲイが心を通わせる背景には、置かれた環境への共感があったとも思える。
 一方、アメリカ人のピーターはマルクスも共産主義もとんでもない、ソ連に肩入れするセルジオには同意しかねると言う。単なる共産主義嫌いというわけではなく、彼の場合は出自がポーランドでソ連に迫害されてきたという事情があるのだ。それでも、主義主張や国を越えて、お互いへの思いやりを示す彼らのやりとりは優しい。分かりあえない部分はわかりあえないまま、それでも相手の命を助けようと尽力するのだ。彼ら、特にセルジオとピーターを繋ぐのは無線愛好家という「同好の士」としての連帯感だろう。同じ趣味の人と気が合うと、とにかくうれしいものなのだ。
 セルジオ役のトマス・カオがとにかく「いい人」感を漂わせており、とても良かった。セルジオはそんなに強い人ではないし立ち回りも下手と言っていいくらいなのだが、真面目さと人柄の良さがある。カオ以外の人が演じたらこんなにいい感じにはならなかったんじゃないかな。

ゼロ・グラビティ [Blu-ray]
サンドラ・ブロック
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2014-12-03


『ブルックリンの少女』

ギョーム・ミュッソ著、吉田恒雄訳
小説家のラファエルは、恋人アンナとの結婚を控えていた。過去をひた隠しにするアンナに詰めよると、彼女は衝撃的な写真を提示し、「私がやったこと」だと言う。動揺するラファエルを置いて彼女は立ち去るが、そのまま失踪してしまう。ラファエルは元刑事マルクの助けを借りて彼女の行方を追うが、かつて起きた連続誘拐事件や不審な事故が浮上する。アンナは一体何者なのか。
章が進むごとに「えっそうなの?」とサプライズが訪れる、二転三転どころか転転転が連続する構成。こういうケレンというか、妙な派手さがフランスのミステリっぽいなぁと思う。恋人の過去という発端から、大分遠い所まで話が展開していくのだ。終盤でチート的キャラクターを出してくるのは都合が良すぎる気がするが、どんどんラファエルらの手に余る展開になっていく所は面白い。真相が非常に辛い話だし、彼ら彼女らの未来が元通りに修復されるのかというと、かなり怪しいと思う。少なくともラファエルとアンナの関係においては、ラファエルが彼女の過去を問い詰めた時点で致命的に変わってしまったのではないか。

ブルックリンの少女 (集英社文庫)
ギヨーム ミュッソ
集英社
2018-06-21


あなた、そこにいてくれますか (潮文庫)
ギヨーム・ミュッソ
潮出版社
2017-10-05


『ポリスストーリー/REBORNE』

 2007年、香港。国際捜査官のリン(ジャッキー・チェン)は重病で入院中の娘に会えないまま、証人警護作戦に駆り出される。対象は遺伝子工学者で、犯罪組織に狙われていた。早急に作戦を開始するものの、襲撃されたリンは瀕死状態になってしまう。そして2020年、シドニー。大学生のナンシー(オーヤン・ナナ)はひどい悪夢に悩まされ、魔女と呼ばれる呪い師に助けを求めるほどだった。魔女から有名な催眠術師を紹介されたナンシーは、彼の公演会場を訪ねるが、謎の組織が彼女をつけ狙う。監督・脚本はレオ・チャン。
 ストーリー展開も設定も非常にユルく、一見SFぽいのだがSF要素が瀕死状態。遺伝子工学ってそういうことだっけ?とか、その情報どこから手に入れたの?その要塞なに?とか突っ込み所満載。基本設定がとにかく雑なのだ。悪の組織が非常に分かりやすく悪の組織っぽい恰好をしており、日曜朝の特撮タイムを連想してしまった。今時これやります?!というちょっと古びた要素だらけなのだ。2018年の作品とは思えない。
 しかし珍作ではあるかもしれないが、つまらないわけではない。ジャッキーはやっぱりスターなんだなと思える。年齢が年齢だから全盛期のようなアクションは当然できないわけだが、今のジャッキーがやるとしたらどういう「面白いアクション」が出来るのか、失われたスピードや飛距離を補う為にどうするのか、ずっと考え続けているんだろうなと思う。脇の甘い映画でも、ジャッキーの奮闘を見ていると何となく納得できてしまうのだ。
 アクションのスピードとキレは、リンの部下スー役のエリカ・シアホウが見せてくれる。軽やか、華やかでくるくる回る姿も楽しい。また、ナンシーにちょっかいをかける青年リスン(ショウ・ルオ)がコミカルさを添える。彼の的確すぎる先回りには何かすごい伏線があるのでは?!と思っていたら案外普通だったけど。
 エンドロールはちゃんとNG集。これを見ていると、珍作だと思ってみていたのに、何かいい映画を見たような気分になるのが不思議だ。

ポリス・ストーリー 3 <完全日本語吹替版> [Blu-ray]
ジャッキー・チェン
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2015-04-28


香港国際警察 NEW POLICE STORY [DVD]
ジャッキー・チェン
ジェネオン・ユニバーサル
2012-06-20




『炎の色(上、下)』

ピエール・ルメートル著、平岡敦訳
 1927年。パリの資産家ペリクール家の長女・マドレーヌは、銀行家の父を亡くし、莫大な遺産を相続する。彼女は経営や資産運用のことは教えられておらず、幼い一人息子ポールが関心の全てだった。事故に遭ったポールの看病に全力を注ぐマドレーヌだが、彼女の富を狙う人々がいた。地位も資産も失った彼女は、ある復讐を決意する。
 『天国でまた会おう』に続く三部作第二部。前作は第一次世界大戦からその後にかかる話だったが、本作は第一次大戦と第二次大戦の間、ヨーロッパにファシズムが影を落としていく時期だ。時代ものとして、ピカレスクロマンとしてとても面白かった。前半は歴史もの+経済小説みたいで今一つ興が乗らなかったのだが、マドレーヌが覚醒する後半はどんどん先を読みたくなった。主要な登場人物全員、最初に登場した時とはどんどん変化し別人みたいなのだ。守られることをやめたマーガレットも、体制に一矢報いるある歌姫も力強くタフさを増していく。歴史の流れに翻弄される人々、それを利用する人々の姿がドラマティック。歴史の流れの組みこみ方が上手く、歴史小説を背景にピカレスクロマンが展開される感じ。この三部作はピカレスクであることが強く意識されていると思う。
 デュマやユーゴーみたいな引きの強さとドラマの盛り方だなと思っていたら、献辞にデュマの名前が出てきてなるほどなと。そういう面ではフランスの文芸小説の王道を狙っていると言える。

炎の色 (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
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2018-11-20


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『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』

 アメリカからイギリスに帰国したニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)は、アメリカ合衆国魔法議会が幽閉していた悪しき魔法使いグリンデルバルド(ジョニー・デップ)が逃げ出したことを知る。グリンデルバルドがクリーデンス(エズラ・ミラー)に接触しようとしていると知ったイギリスの魔法議会はクリーデンスをいち早く捕獲・抹殺しようとする。ホグワーツの校長アルバス・ダンブルドア(ジュード・ロウ)はクリーデンスを助けろとニュートに命じる。ニュートはパリへ向かうが、ティナ(キャサリン・ウォーターストン)もまた闇払い師としてパリに出向いていた。監督はデビッド・イェーツ。
 ハリー・ポッターシリーズの原作者J・K・ローリング自ら脚本を手掛けているが、ハリー・ポッター初期と比べると、ストーリー作り、世界観作りの腕を格段に上げたんだなと納得。魔法同士の整合性が取れている!最初のうちは思いつきに思いつきを重ねるような印象があったが、流石にそれはもうない。私は映画シリーズや原作シリーズのファンというわけではないのだが、奥行のある世界を作れるようになったことはすごくよくわかった。時代設定をここに持ってきたというのも上手い(が、この先考えるとちょっと辛いよね・・・)。グリンデルバルドの演説が何を意味するのか、より明らかだろう。
 魔法動物たちの造形が相変わらずかわいいし、前作よりも見せ方が洗練されてきているように思った。序盤で出てくるシーホース的な生き物にしろ、サーカスの動物たちにしろ、近づきたい!触ってみたい!という気分にさせられる。私は今回2Dで見たのだが、3Dだとより触りたくなるかもしれない。
 魔法動物たちはとてもかわいく楽しいのだが、前作からのファンにとってはちょっと辛いストーリー展開かもしれない。彼にしろ彼女にしろ、選ぶ道とそこに至るまでの経緯が見ていていたたまれない。愛されたい・理解されたいと切実に欲している人は付け込まれやすい。そしてそこに付け込む奴の性質の悪さ!許せないやり方だよな。
ニュートと兄の関係がハグのシーンに如実に現れていてちょっと面白かった。ニュートの動きが、ちゃんと「ハグ(というかおそらく身体的な接触全般)が苦手な人」のものだった。動きが硬い。

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 [DVD]
エディ・レッドメイン
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2018-10-03



『あなたの顔』

 第19回東京フィルメックスで鑑賞。本年度のヴェネチア映画祭ワールドプレミアを飾った作品。12人の人々の顔が、それぞれが生きてきた時間を現していく。監督はツァイ・ミンリャン。坂本龍一が音楽を手掛けた。
 人の顔を長回しで取り続けるのは、撮る側も撮られる側も見る側も結構な気力がいると思う。ツァイ・ミンリャン監督は『郊遊 ピクニック』でもえらい長回しで主演俳優リー・カンションの顔を撮影していたが、被写体はもちろん、見ている観客の側ももう間が持たないというか、段々居心地の悪さを感じてくる。それを見越したうえでの長回しではあるのだろうが、この執念はどこから生まれてい来るのかと不思議だ。
 本作では(おそらく)市井の人たち、中高年の男女12人の顔をアップで撮影し続けている。被写体の全身像が全く出てこない。カメラを向け続けられて1人目の女性は思わず笑ってしまうのだが、何も話さないままの人も、居眠りしそうな人もいる。はたまた、舌の運動を始める人もいて、リアクションが結構人それぞれだ。ずっとカメラを向けているというのは、ある種の暴力的な行為でもある。撮る側、撮られる側、お互いにある程度の信頼関係がないと(映画を見る側としても)耐えられないのではないか。本作ではその信頼関係があるんだろうなと思う。作品そのものと言うよりも、これを撮影できる関係・環境にどのように持っていったのかなという過程に興味が出てきた。
 カメラを向けられた人たちは、自分の人生について時に流暢に、時にとつとつと語る。いかにもエネルギッシュな女性が2人(別々に)登場するのだが、2人ともいかに若い頃から寝る間も惜しんで働いたかという話をしており、世の中の人はこんなに働くのか・・・とちょっと辛い気持ちに。男性たちが意外と仕事の話をしていない(そういう話が出てもカットしたのかもしれないけど)のと対称的だった。
 なお、ラストの長回しはある空間のみを延々と撮る。場所の記憶を刻み込むようで、監督の『楽日』をちょっと思い出した。


ツァイ・ミンリャン監督作品 楽日 [DVD]
リー・カンション
竹書房
2007-02-23



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