3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』

 (本作、構造上ネタバレせずに感想を書くのがすごく難しそうだが、なるべくネタバレなしで書いてみます。)
 仮面ライダージオウこと常盤ソウゴ(奥野壮)の世界で、仲間たちが次々と記憶を失うという異変が起きた。ソウゴは仮面ライダービルドこと桐生戦兎(犬飼貴丈)と協力して原因を探るが、2人の前にスーパータイムジャッカー・ティード(大東駿介)が現れる。ティードはシンゴという少年を追っていた。監督は山口恭平。
 歴史改変SFとしてはどうなんだとか、この人結局何をやりたかったんだろうとか、ストーリー上の強引さは相当ある、そもそも歴代平成ライダーが全員登場するという大前提が強引だ。しかし、なぜ全ライダーが来る必要があるのか、誰の為に来るのか、という部分がすごく力強く打ち出されて、コアなファンと言うわけではない私でも胸を打たれるものがあった。ファンなら思わず泣くのでは。登場するライダー全員は知らなくても、1人でも同じ時代を生きたと思えるライダーがいる人には刺さってくると思う。平成最後に贈られてきた、製作側から歴代視聴者への渾身のプレゼントだ。
 仮面ライダーというジャンルのみならず、特撮にしろ漫画にしろアニメにしろ小説にしろ映画にしろ、全てのフィクションを愛する人ならこの気持ちわかるんじゃないかな、というものが全編に満ちていた。この世界で仮面ライダーはもちろんフィクションなわけだが、同時にファンが覚えている限り生きていて、それぞれの人生に並走している。たとえ忘れてもどこかで生きている。作中のある台詞に涙したファンは多いのでは。
 スーツアクターによるアクションがかなり豪華(何しろ人数が多い!)で見応えがある。歴代ライダーそれぞれの特徴も分かりやすい演出だった。この頃は肉弾戦中心だったんだなとか、この時期はギミックが増えたんだなとか、キックの方向性の変化とか、色々楽しいのだ。また、バイクアクションが結構ガチなのも嬉しかった。すごくいいショットがある!


『ザ・マンガホニャララ 21世紀の漫画論』

ブルボン小林著
 小学館漫画賞の選考委員や手塚治虫文化賞選考委員も務めた著者による、週刊文春への連載5年分をまとめた漫画評論集。連載終了と共に、シリーズ作から版元を変えて刊行された。
 相変わらず装丁がいい。ちゃんと漫画にからめてあり、かつポップで趣味が良い。著者はもちろん漫画に造詣が深く、幅広い作品を読みこなせるわけだが、いわゆる「通」ぶらないところがいい。堅すぎず柔らかすぎず、安易すぎずマニアックすぎずという、漫画評論が見落としがちな中庸なエリアの作品をカバーしようという意欲が感じられた。いかにも漫画通が好みそうな作品も多いが、漫画通が見落としそうな作品に対する評の方が俄然面白い。評論したくなる作品と、読者にとって面白い作品とはちょっと違う。もうちょっと広く読まれてもいいはずなのに諸々の事情で知名度が低い作品がに対する、著者の嗅覚は信頼できると思う。『オーイ!とんぼ』(作・かわさき健、画・古川優)どんどん面白そうに見えてくるんだけど・・・。こういう作品を見落とさない所が、漫画家からも支持される所以では。




『アリー スター誕生』

 ホテルで働きながらバーで歌い、歌手を夢見るアリー(レディー・ガガ)。ある日、彼女の歌を聴いたロックスターのジャクソン・メイン(ブラッドリー・クーパー)は、アリーの才能を確信し自分のステージに上げる。ショービジネスの世界に飛び込み、ジャクソンと共にスターへの階段を駆け上っていくアリーだが、ジャクソンは有名になっていく彼女に嫉妬するようになる。監督はブラッドリー・クーパー。
 1937年の『スタア誕生』から、何度もリメイクされてきたストーリーなので、ストーリーとしては手垢が付きまくっているし新鮮さも乏しい。にも関わらずちゃんと面白いし音楽も良かった。クーパーは監督・主演に製作にも参加。こんなに多才な人だったとは。歌も上手いし、もう何でも出来るな!しかし、彼が演じる男性は、どの作品でも女性(とは限らないが)に対してDVやモラハラやパワハラをはたらくというイメージが強く、今回もいつガガが殴られるのかとハラハラしてしまった。結果、殴られはしないけれどもモラハラっぽさはあるので、やはり安定のクーパー。本人も、自分がこういう傾向の男性を演じる頻度が高いし上手く演じるという自信があるのだと思う。今回は自分で監督をしているわけだし、明らかに確信犯だろう。
 ジャクソンはアリーの才能を見出し、彼女がスターダムに駆け上がる手助けをする。しかしひとたびアリーが有名になってしまうと、彼の「手助け」は少々差し出がましいものに見えてくる。見ていて、ちょっと嫌だなと思うシチュエーションが増えてくるのだ。初めての本格的なレコーディングで緊張しまくるアリーを見たジャクソンは、一緒にブースに入ってあれこれアドバイスするのだが、アリーのことを一番理解しているのは俺だぜというマウント感が漂う。スタッフやマネージャーはいい気はしないだろうし、アリーが自分で何とかしようとするのを妨げているとも言える。メイクもドレスもばしっと決めた彼女に元の君に戻ったら云々言うという無神経さにもイラっとした。「元の君」とやらをそもそも知っているのかと言いたくなるし、変化していくからこそスターとして輝いていくわけだろう。
 ジャクソンはなぜかアリーの顔をよく触るのだが、これも何となく落ち着かない。特にひやっとしたのは、酔ったジャクソンがアリーの顔にパイをなすりつけるシーン。酔ってふざけているように見えるが、彼女に対する影響力を誇示しているようで、どうも嫌な感じがした。
 ジャクソンはアリーを愛してはいるし、アリーもジャクソンを愛しているのだろうが、その愛はアリーがスターとして歩むことの妨げになってしまう。2人の心が一番通い合っていたのは、素人のアリーが初めてジャクソンのステージに上がり、初めて2人で歌った瞬間だろう。自分の音楽を、自分を理解する人が隣にいるという喜びと、自分自身が歌によって解放されていく喜びに満ちている。その後は、2人の愛は噛み合わなくなっていくのだ。とは言え、ジャクソンが転落していくのはアリーのせいというわけではないだろう。彼は自身の歌で「古いやり方はもうやめよう」と歌うのに、アリーに対しては古いやり方=出会った頃のやり方を変えようとしない。自身のことに関しても、変わらないままだ。彼の兄が言うように、彼に起こることは「ジャックのせい」でしかない。

スター誕生 [Blu-ray]
バーブラ・ストライサンド
ワーナー・ホーム・ビデオ
2013-03-13


スタア誕生 [DVD]
ジュディ・ガーランド
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2015-12-16


『マイ・サンシャイン』

 1992年、ロサンゼルス・サウスセントラル。ミリー(ハル・ベリー)は色々な事情で家族と暮らせない子供たちを預かり育てる、里親をしていた。怒りっぽい隣人のオビー(ダニエル・クレイグ)は子供たちの騒々しさに文句をつけつつも、子供たちが困っていると捨て置けずにいる。ある日、黒人少女が万引き犯と間違われ射殺された事件、拘束された黒人男性が警官から集団暴行を受けた事件で、不当判決が下される。裁判の行方を見守ってきた市民たちが暴動を起こし、その怒りはあっという間に広がっていく。ミリーと子供たちもそのうねりに巻き込まれていく。監督はデニズ・ガムゼ・エルギュベン。
 ロサンゼルス暴動を背景としているが、暴動そのものというよりも、たまたまその時期、その場所に居合わせてしまったロスの住民たちの姿を描く。ミリーにしろ“長男”的なジェシー(ラマー・ジョンソン)にしろ、裁判の行方をTVニュースや中継で追い続けるくらいには関心を持っているし、裁判の結果に「ありえない!」と憤慨する。ただ積極的に暴動に参加しようとはしない。当時、ミリーと似たようなスタンスだった人も大勢いただろう。ジェシーも本来暴動に関わったり面白がったりするような性格ではないが、友人や思いを寄せる少女の手前、何となく行動を共にしてしまい、ある悲劇に直面する。暴動がいい・悪いという問題ではなく、その中ではこういうことが起きやすくなるしそれはどうにも出来ないのだろうという所がやるせない。ジェシーは法律が不当なことを正すはずと考えており、それは至ってまともなことなのだが、そのまともさが通用しない世界であることを目の当たりにせざるを得ないということが、また辛いのだ。彼がこの先世界を信頼できるのかどうか、とても心配になる。
 ミリーとオビーは一見共通項がなさそうだが、ある出来事で2人の心がすごく近づいて見える所がいい。シリアスな状況なのにどこかコミカルな味わいがある。2人を近付けるきっかけも、その後の進展も子供たちの存在によるものだ。オビーは大抵何かしら怒ったり怒鳴ったりしているのだが、子供への対応が意外とちゃんとしている。外に子供がいたら保護して何か食べさせようとするし、一緒に踊るし、暴力描写のある映像は見せないように配慮する。子供はケアしなければならない、という意識がミリーと共通しているのだ。弱いものを無視できない所が垣間見え、ミリーが惹かれていくのも何となくわかる。ダニエル・クレイグと子供たちとのコントラストがまた意外と良い。
 また、子供がきっかけになるものの、子供との関係とはまた別の部分でミリーにとってのオビーの存在が大きくなるというのも良かった。母親としての面と恋に浮き立つ面との両方があり、どちらかがどちらかを圧迫するものではないのだ。

裸足の季節 [Blu-ray]
ギュネシ・シェンソイ
ポニーキャニオン
2016-12-21

デトロイト (通常版) [Blu-ray]
マーク・ボール
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2018-07-04




『ゴッズ・オウン・カントリー』

 ヨークシャーで老いた祖母(ジェマ・ジョーンズ)や病身の父(イアン・ハート)に代わり、牧場を切り盛りし牛と羊を育てているジョニー(ジョシュ・オコナー)。父親は気難しく、ジョニーは深酒と行きずりのセックスで日々をやり過ごしていた。ある日、羊の出産シーズンを手伝う為に雇われた、ルーマニア移民の季節労働者ゲオルグ(アレック・セカレアヌ)がやってきた。最初は反発するが、ジョニーとゲオルグは急速に距離を縮めていく。監督はフランシス・リー。
 ゲイであるジョニーにとって、保守的な田舎町であろう故郷は決して自由な土地というわけではないだろう。とは言え、彼は牧場の仕事を「クソだ」といいつつも心底嫌ってはいないように見える。車で街に出たら行きずりのセックス相手くらいは見つかるみたいなので、ゲオルグの故郷の状況とはおそらく大分違うのだろう。今までのセオリーだったらこれは故郷を出ていく話になりそうだが、そうはならないところに時代が(多少なりとも)変わってきたんだなと実感した。旅立つ話は、それはそれで素敵だけど、自分(達)にはこの土地があると思えるのも素敵だし希望がある。祖母も父も、ショックは受けるがセクシャリティを理由に彼を糾弾したり追い出したりはしない。デリカシーがあるのだ(この点は、田舎か都会かというよりも、個人レベルの差異のような気がするが)。『ブロークバック・マウンテン』からここまで来たか・・・。セクシャリティに対する情報量が全然違うもんな。選択肢は確実に増えているのだと思いたい。
 冒頭、ジョニーが嘔吐しているシーンで、トイレの便座にカバーがかかっていたり、バスルーム内がこぎれいだったりと、彼が生活面ではきちんとケアされて育ってきたのだろうことが垣間見える。祖母が家の中をちゃんと切り盛りしているのだ。その年齢で服の用意までしてもらってるなんてちょっと甘えすぎ!という気はしたが、いわゆる荒れた家庭環境で育ったというわけではないんだなとさらっとわからせる見せ方だった。それでも現状のジョニーは大分荒んでいるように見える。彼の荒み方は父親との関係の険悪さ、自分をセクシャリティ込みで理解してくれる身近な人がいない孤独から来るものだろう。
 その荒んだ部分がゲオルグによってやわらげられていく様に、なんだかぐっときた。最初の接触は緊張感が漂い過ぎていて、セックスなのか殴り合いなのか、どちらに転ぶのかわかりかねるようなピリピリ感がある。しかしその後、ジョニーがゲオルグに急に甘える様や身の委ね方には、それまで見せなかったリラックス感がある。ちゃんと思い思われている感じが出ているのだ。ゲオルグの相手に対する配慮の仕方とか、生活をちゃんとしようという姿勢(食卓に花を飾るとか料理をするとか)も、気持ちを和らげさせるものだろうし、ジョニーにとっては救いのようだったろうなと。
 ジョニーの振る舞いは無骨だが根の繊細さが垣間見えるもの。鳥の声の使い方が彼の中の繊細な部分を表しているように思えた。籠の中の鳥(ジョニーは多分鳥好きで飼っているんだと思う)の鳴き声だったものが、どこか外界でさえずる鳥の鳴き声に変わる。

ブロークバック・マウンテン [Blu-ray]
ヒース・レジャー
ジェネオン・ユニバーサル
2013-09-25


『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』

 タンゴ界に革命を起こし、20世紀を代表する作曲家の1人、またバンドネオン奏者として知られるアストル・ピアソラ。残された演奏映像、そして彼の伝記を書いた亡き娘ディアナによるインタビュー音声やホームビデオの映像から彼の人生を辿るドキュメンタリー。案内役は存命している息子のダニエル・ピアソラ。監督はダニエル・ローゼンフェルド。
 生前のピアソラの映像をこんなにまとめて見たのは初めてかもしれない。演奏姿はもちろん、プライベートの姿もなかなかかっこよかった。プライベートと思われるホームビデオ的なものがかなり残っており、元妻や子供たちの姿も記録されている。演奏している時やインタビューの時はちょっとアクが強くて気難しそう。また、結構乗せられやすく、流行りものに弱かったのかなという印象もあり、いい感じの俗っぽさがある。また、家族の前ではふざけてお茶目な姿を見せている。しかし息子のダニエルが21歳の時、ピアソラは突然家を出てしまう。ホームビデオの印象からは、家族を愛していることは愛していたんじゃないかと思うけど、家族は非常にショックを受け、元妻は鬱になってしまったそうだ。ダニエルは後に父親と共演する機会もあったが、ずっとわだかまりは残ったままだった様子。
 本作がどこか痛ましいのは、このダニエルの父親に対する割り切れなさが色濃く出てしまっているからではないか。冒頭、ピアソラの回顧展をダニエルが内覧するシーンから始まるのだが、表情が微妙。娘・ピアソラとディアナとの関係は、インタビューに応じるくらいには回復していたみたいだから、取り残された気分もしたのかもしれない。ピアソラはディアナについて「男だったらバンドネオンを教えたかった」(何で娘だとダメなんだよ、というツッコミは入れたくなった。アルゼンチン音楽業界ってそんなに保守的なの?)とコメントしており、結構評価していたのだろう。それを聞いちゃうと息子としては辛いんじゃないだろうか。ピアソラとしては息子も娘も彼なりに愛していたんだろうけど、子供側としては全然足りていなかったんじゃないかという気がした。
 ピアソラ自身は、献身的な父親に支えられ、強い信頼関係があったようだ。そういった関係を自分の息子とは築けなかったというのは(多分ピアソラ本人に原因があるんだろうけど・・・)皮肉だ。父息子の関係の影が二重に見えているから、余計に微妙な気分になる。

レジーナ劇場のアストル・ピアソラ 1970
アストル・ピアソラ五重奏団
BMGメディアジャパン
1998-10-14


ピアソラ:ブエノスアイレスの四季
新イタリア合奏団
マイスター・ミュージック
2017-08-25


『予期せぬ瞬間 医療の不完全さは乗り越えられるか』

アトゥール・ガワンデ著、古屋美登里・小田嶋由美子訳、石黒達昌監修
 吐き気やめまい、身体の腫れや肥満。身近でありふれたように思える病でも、医療にはミスが付きまとう。医療ミスは根絶できるのか?患者が医療に求めるものとは何なのか?果たして良い医療とは?医者である著者が、研修医時代に著した医療エッセイのデビュー作。
 著者が研修医時代に体験したエピソードをまとめたものなので、著者の医師としてのスキルはまだ発展途上。未経験の処置に挑戦せざるをえなくて心臓バクバクでも患者の前では平気な顔をしていなくてはならない!というシチュエーションが頻繁に出てきて、すごくシリアスな状況なのにちょっと笑ってしまう。また文章は真面目だがどこかとぼけた感じがする。体験談ではあるが客観性が高く、その場のテンションや情緒に呑まれていない。これは著者の人柄なのだろうか、それとも職業柄なのだろうか(多分両方なんだろうけど)。
 著者が綴る事例の中には、患者の症状だけではなく、医者側の問題もある。不適切な処置を頻発するようになったにも関わらず、営業を止めることができない医者の話がとても面白かった。元々熱心で腕もいい医師がなぜ「悪い医者」になったのかという所は、医師に限ったことではないだろう。過労により客観性が失われていくというのが怖い。周囲がある程度強制介入しなければだめなんだろうな。
 医療技術の発達が目覚ましいとはいえ、診断の難しさや医療ミスは常に起こりうる。医師が人間である以上、ミスは避けられないのだ。では高度なAIや医療機器が人間に代わって全ての医療行為を行うようになればいいのかというと(実際、医師の診断よりAIがデータから診断した結果の方が打率が高いという統計は出ている)、そういうわけではなさそうだ。患者は(技術的に適切な処置がされるのは大前提として)何をもって良い医療だと見なすのかという問題がある。著者はそれを「思いやり」と表現するが、そのあいまいなものを体現できるのは、今の所人間だけだろう。

予期せぬ瞬間
アトゥール・ガワンデ
みすず書房
2017-09-09


死すべき定め――死にゆく人に何ができるか
アトゥール・ガワンデ
みすず書房
2016-06-25


『彼が愛したケーキ職人』

 ベルリンに住むケーキ職人トーマス(ティム・カルクオワ)は、イスラエルから出張でやってくる常連客オーレン(ロイ・ミラー)と恋人関係になる、しかしオーレンには妻子がいた。ある日、エルサレムに帰ったオーレンからの連絡が途切れる。彼は交通事故で亡くなっていたのだ。エルサレムに残されたオーレンの妻アナト(サラ・アドラー)は休業していたカフェを再開する。何も知らない彼女の前に、トーマスが客として現れる。監督はオフィル・ラウル・ブレイツァ。
 一歩間違うと愛憎泥沼劇になりそうなところ、抑制が効いた静かな作品に仕上がっている。この抑制と静かさは、トーマスのキャラクターによるところも大きいと思う。彼は口数は少なく、感情をあまり露わにしない。オーレンを失った辛さ・寂しさにも一人でじっと耐える。見ているうちに情の深い人で彼の中にはどうしようもない感情が渦巻いているんだなとわかってはくるが、あまり表面化しないのだ。それだけに、何も知らないアナトからオーレンの衣服を渡された時や、プールのロッカーに残された水着を手にした時の表情がより痛切だ。
 トーマスとオーレンの関係もまた「表面化しない」ものだったのだろう。傍から見るとオーレンのやり方はちょっとずるいと思うし、トーマスの扱われ方がいかにも「別宅」的で少々ひっかかった。オーレンにとって、アナトとトーマスとはどういう存在だったのか。どういう決着を付けるつもりだったのか、はたまただらだらと現状維持するつもりだったのか。オーレンの存在は本作における謎だ。
おそらくアナトもトーマスも謎の答えを知りたかったのだろう。2人の親密さは、お互いの中に残されたオーレンの片鱗を拾い集める作業のようでもあった。2人ともいい人だから余計に切ない。
 トーマスは料理のプロだから当然なんだけど、料理するシーン、食べるシーンが印象に残る。ユダヤ教上の料理・食事の戒律も垣間見えるが(トーマスがオーブンで焼いたものはNGとか)、同じユダヤ教徒でも食の戒律に対するスタンスはそれぞれな所も興味深い。アナトは「食べることが楽しくなくなる方がよくない」というスタンスで、これだけで何かいい人だなって思ってしまう。アナトの義兄が届けた「母の作ったパン」をなんとなしに口にしたトーマスの表情が変わっていくところがすごくよかった。絶対おいしかったんだな。

院内カフェ (朝日文庫)
中島たい子
朝日新聞出版
2018-09-07


台北カフェ・ストーリー [DVD]
グイ・ルンメイ
ビデオメーカー
2013-09-19




『おとなの恋は、まわり道』

 絶縁した家族の結婚式に出ることになったフランク(キアヌ・リーヴス)と、自分を捨てた元婚約者の結婚式に出ることになったリンジー(ウィノナ・ライダー)。空港でたまたま出会い険悪なムードになった2人は、実は同じ結婚式に向かっていたのだ。ホテルは隣室、食事は同席と常に隣同士を強要された2人はうんざりしつつも、なぜか会話を続けていく。監督はビクター・レビン。
 キアヌとウィノナがこういう軽いラブコメ、しかももう若くはない(とされている)男女のラブコメで共演するようになったのかと思うと、もう感無量というか何というか・・・。はるばる来たな!という気持ちでいっぱい。ほぼ2人芝居みたいなもので、この2人の魅力を十二分に味わえる。ウィノナのしゃべくりは想定内だったけど、愚痴りまくり吠えるキアヌが意外といい。最近はアクション映画ばっかり出てるしそもそも台詞の少ない役が多いけど、コメディもいけるんだよねということを思い出した(そもそも『ビルとテッド』に主演していた人だもんな・・・)。2人のやりとりが殆どなので、随所で「ショートコント、〇〇」と音声を入れたくなった(飛行機内のシーンとか、カメラも正面固定だし正に「ショートコント、小袋」って感じ)。本当に2人で組んでショートコント集やってほしい。
 一定年齢になると生活や主義主張が確立されすぎて、なかなか新しい他人とのすり合わせが億劫だし自分を曲げてまで誰かと一緒にいたいかと問われると微妙なところもある。とは言え、フランクもリンジーも不機嫌で偏屈だが、全く人間嫌いというわけではないし、誰かと一緒にいるなんてまっぴらというわけではない。一緒にいると不愉快だけど時々楽しい、腹は立つけどすごく馬の合う部分があるという微妙な2人の関係が楽しかった。ある時点でいきなりギアチェンジして責めてくるリンジーと、なかなかギアがかかわないフランクの対比もおかしい。キアヌの「一緒に寝るのもやぶさかではない」みたいな顔が何とも言えなかった。
 リゾートウェディングあるある映画なのだが、リゾートウェディングに対する悪意しか感じない。招かれる方は(親しい間柄であっても)迷惑と言えば迷惑なんだよな・・・。よっぽどゴージャスでない限り、リゾートウェディングはしょぼくなりがちという罠がある。ホテルのグレードの微妙さが生々しくて泣けてきた。式を挙げる側は当然、気合いれてやるわけだけど、大富豪でもないかぎりは何かショボく見えちゃうんだよね・・・。

ドラキュラ [AmazonDVDコレクション]
ゲイリー・オールドマン
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2016-09-21




スキャナー・ダークリー [Blu-ray]
キアヌ・リーブス
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21


『六つの航跡(上、下)』

ムア・ラファティ著、茂木健訳
2500人の冷凍睡眠者と人格データを乗せ、地球から遥か遠い星を目指す恒星移民船。目覚めているのは船を管理運行する乗組員6名のみだった。その途中でその6人全員が死亡。クローン再生手続きがされていた為に6人全員が新しい体でよみがえったものの、彼らは地球出発から25年分の記憶を消去されており、船のAIもハッキングされデータには損傷があった。クローン再生機も破壊され、今度死んだら復活はできない。果たして誰が何の為に殺人事件を起こしたのか?
クローン技術が発展し、人間個体の死の重要さがきわめて軽くなった世界が舞台。記憶等のパーソナルデータは常に蓄積され、死んでもクローン躯体にデータを乗せて復活するのが当然なのだ。ちゃんと「殺人」をするには、クローン再生できない環境にしないとならない。この世界設定が殺人事件の謎としっかり噛み合っており、SFとしても本格ミステリとしてもとても面白かった。この設定だからこういう解になる、という筋の通り方。
 登場人物6人それぞれに後ろ暗い秘密があるが、彼らの造形は善人でも悪人でもなく、表情豊か。人間関係、お金、信仰等、抗いがたい要因によってここまで来てしまったのだ。彼らに対して向けられるのは絶対的な力の理論(状況としては非常に悪意に満ちているのに、犯人にはおそらく悪意すらない)なのだが、それでも抗うことを最後までやめない。会話文の翻訳の軽快さが良かった。AIがどんどん「個人」としての特性を強めるのだが、これがラストでまたぐっとくる。

六つの航跡〈上〉 (創元SF文庫)
ムア・ラファティ
東京創元社
2018-10-11


六つの航跡〈下〉 (創元SF文庫)
ムア・ラファティ
東京創元社
2018-10-11





『円卓』

西加奈子著
 小学校3年生の「こっこ」こと琴子は、三つ子の姉、両親、祖父母という大家族。家族は優しく理解があり、学校の同級生たちとも仲良くやっている。しかしこっこは不満だ。彼女が憧れているのは孤独と理解“されなさ”。こっこは自由帳に発見や思いつきを書き綴っていく。
 西加奈子って小説上手かったんだな!初めて分かった気がする(笑)!小学3年生の子供の視点と言葉の操り方が非常に上手い。こっこには世界はどのように見えているのか、更にその見え方を俯瞰するような視点も平行して維持する。こっこの同級生の朴くんは在日韓国人で、ぽっさんは吃音がある。彼女にとって、それは「かっこいい」部分なのだが、当人にしてみたらいじられたら嫌な部分かもしれない。自分の価値観と相手の価値観や気持ちの相違が、こっこにはまだぴんとこないのだ。聡明なぽっさんが彼女をたしなめつつ彼女の良さは認めている所が微笑ましい。ぽっさんとの話し合いや、ぽっさんの尊敬を得ているこっこの祖父らとのやり取りの中で、こっこは自分の言葉を獲得していく。
 大阪弁による台詞の数々は何となく『じゃりん子チエ』(はるき悦巳)あたりを思い出すが、同級生の多種多様なカラフルさは現代的。また、三つ子の姉らのあっけらかんとした自由さも魅力があった。

円卓 (文春文庫)
西 加奈子
文藝春秋
2013-10-10


『スタンフォードの自分を変える教室』

ケリー・マクゴニガル著、神崎朗子訳
 心理学、神経医学から経済学、行動心理学など様々な側面から、人間の意思の働き方はどのような仕組になっているのか、それを用いて自分の行動をコントロールするにはどのようにすればいいのか解説する。
 スタンフォード大学での講義をまとめたものなので語り口調はとっつきやすい。我慢ができる/できない脳の働きの仕組みや、なぜ意思(目標)と反した行動を撮ってしまうのかなど、欲求を巡る矛盾をわかりやすく解説している。ちょっとした運動(散歩や軽い体操程度でいい)で自己コントロールをしやすくなるとか、「ご褒美効果」が足を引っ張る場合など、日々の業務をこなす上では役立ちそう。意思決断と倫理的な判断を取り違えがちだという指摘、不道徳は伝染しやすい(周囲がルール違反をしていたら自分もまあいいかとなる)という部分は気を付けたい。
 ただ、こういう授業があるということは、アメリカでは意思の強さ、自己コントロールスキルが非常に高く評価されており、一人前の大人ならできて当然、という流れがあるということだろう。これはこれで生き辛い国なのでは。依存症大国としての側面と表裏一体というところにうすら寒さを感じる(意思の弱い自分はダメな奴だ、という罪悪感から更に依存が深まるという魔のループが・・・)。また、意志力の引き合いに出される事例にダイエットが多いことも気になった。医療行為としてならともかく、単に太っているということが人格に問題あるような特徴と同一視されていないだろうか。本来、意志力と体型って別の問題だしどんな体型でも自分に肯定的であることが大事なんじゃないの?

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)
ケリー・マクゴニガル
大和書房
2015-10-10



『暁に祈れ』

 ボクサーのビリー・ムーア(ジョー・コール)はタで暮らしていたが、警察から家宅捜査を受け逮捕されてしまう。試合のプレッシャーに耐えられず麻薬に手を出し、中毒患者になっていたのだ。収監された刑務所ではレイプや殺人が日常的に横行しており、「生き地獄」と呼ばれていた。周囲の言葉すらわからず神経を消耗していく中、彼の拠り所になったのは所内のムエタイ・クラブだった。監督・脚本はジャン=ステファーヌ・ソヴェール。
 実話(ボクサー、ビリー・ムーアの自伝。ムーア本人もちょっとだけ出演している)が原作だそうだが、タイの刑務所内の環境が色々過酷すぎる。大部屋で数十人が雑魚寝しており、前述の通り傷害、レイプ、殺人は日常茶飯事で刑務官もろくに注意しない。自殺者の遺体を淡々と処理するのがいかにも「日常」ぽくて怖かった。対人関係も怖いのだが、衛生状態がものすごく悪そうで、これ伝染病とか大丈夫なのかな・・・と心配になってくる。
 ただでさえ過酷な環境に加え、ビリーはタイ語が全然わからず、周囲とまともにコミュニケーションが取れない。言葉によるコミュニケーションは情報伝達であると同時にセキュリティなんだということを痛感する。周囲が何を話しているのかわからない、なにが起こっているのかわからないというのは、すごく怖いし神経をすり減らすのだ。周囲にしてみても、異民族でタイ語を話せないビリーのことは信用できない(と明言する囚人もいる)わけだ。タイ語のセリフには字幕がほぼつかない(監督の意図だそうだ)ので、ビリーの不安が映画を見ている側にも伝わってくる。ムエタイ・クラブに入ってから、ビリーはようやく表情の動きを見せるようになる。これはムエタイという打ち込めるものが出来たと同時に、ボクサーである彼が身体という共通言語を使えるようになったからだろう。仲間に溶け込んでいく彼の姿は、刑務所というどん詰まりの場所ではあるのに、どこか明るいものを感じさせる。もちろん何かが解決されるわけではないのだが、どこかしらに光がさしている気がするのだ。

ドラゴンxマッハ! [Blu-ray]
トニー・ジャー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-06-07


 

『バルバラ セーヌの黒いバラ』

 シャンソン界の伝説的歌手バルバラを演じることになった女優ブリジット(ジャンヌ・バリバールは、彼女になりきろうと歌声や動作などを完璧に真似して取り込もうとしていた。監督のイヴ・サンド(マチュー・アマルリック)はバルバラに関する資料を集め、彼女を知る人たちへの取材を重ねていく。そして撮影がスタートした。監督・脚本(フィリップ・ディ・フォルコと共作)はマチュー・アマルリック。
 実在したシャンソン歌手バルバラの当時の映像も使いつつ、バルバラの伝記映画の「中」と「外」(撮影現場)を見せていく。いわゆるストレートな伝記映画ではない。有名なシャンソンが多数使われており、バリバールによる歌声も見事な音楽映画としての楽しさがある。そして何より、映画(を作る事・出演すること)の映画として素晴らしかった。作中映画の中のシーンと撮影現場のスタッフや俳優たちのシーンはかっちり切り分けられているわけではなく、シームレスに移動していく。これはバルバラを演じるブリジットなのか、バルバラ本人の過去の姿なのか、見せ方は曖昧なのだ。このシームレスな移動を自由闊達にこなしていくように見える、バリバールの演技が素晴らしかった。今年一番の女優映画を見た気がする。私は元々バリバールが好きで彼女のアルバム(音楽活動もしている人なので)も持っているくらいなんだけど、本作の彼女は最高。ブリジットの衣装もバルバラの衣装も素敵だった。
 映画内映画という入れ子構造の作品だが、監督のアマルリックが俳優としても出演しているという点で、また入れ子感、メタ映画感が強まる。結構複雑かつ奇妙な構成をこなしている作品なので、アマルリックは監督してかなり腕を上げたなと再認識した。俳優としても、ブリジットを見つめるイヴの表情が毎度素晴らしい。今そこに撮るべきものがある、美しいものを見ているのだという憧れが滲む。イヴがブリジットを見るまなざしであり、監督アマルリックが女優バリバールを見るまなざしが重層的に表れていると言えるだろう。バリバールは歌手活動を行っているので、ここでもまた重層的になっている(バルバラも映画に出演したことがある)。
 ブリジットとバルバラは映画撮影が進むうちにどんどん入り混じっていくように見える。が、当然のことながら2人は別の存在だ。序盤、ブリジットは「散歩をしたいから」と迎えの車から降りる。後の作中映画の中で、バルバラは「(ツアー先で)観光も散歩もしたくない」と言う。感じ方が逆なのだ。バルバラは母親と不仲だったようだが、ブリジットと母親役の女優が、撮影が終わると仲良さそうに話し合っているシーンもあり、シームレスではあるのだが、「内」「外」は意識させる部分が随所にある。

さすらいの女神(ディーバ)たち [DVD]
マチュー・アマルリック
紀伊國屋書店
2012-05-26


黒いワシ~バルバラ・ベスト
バルバラ
ユニバーサル ミュージック
2017-10-25


『斬、』

 開国するかどうかで大きく揺れる江戸時代末期の日本。農村で田畑の仕事を手伝う侍・都築杢之進(池松壮亮)の前に、江戸に向かう侍・澤村二郎左衛門(塚本晋也)が現れる。都築の剣術の腕を見込み、自分の組に参入し、泰平を守る為に京都の動乱に参加しないかと言うのだ。同じころ、村に無頼者(中村達也)たちが流れ着き、ある事件が起きる。監督・脚本は塚本晋也。
 登場人物が喋りはじめた時点で、これはいわゆる時代劇をやろうとしているわけではないんだなと気づく。台詞はほぼ現代語で、時代考証はさほど気にしていないように見える(各種考証のクレジットはエンドロールにあるが)。私はこういう部分はあまり気にならないが、時代劇というジャンルにあまり馴染みも思い入れもないからだろう。時代考証の正確さにキモのある作品ではないのだが、気になる人は気になるかもしれない。
 都築は剣術に秀でているが、人を切ったことはなく、むしろ暴力は忌避する性格だ。無頼者たちに対しても、会話を試み何となく距離を詰めていき暴力に訴えることはない。彼が振るうのは概ね木刀だ。しかし刀を振るうこと、刀という存在そのものに惹き付けられてやまない、それによって性的な興奮も得ていることが示唆される。そんな自分を持て余している様子もうかがえるのだ。
 そんな都築に、澤村は刀を使うよう誘いをかける。彼は刀を振るうこと、必要ならば人を切ることに全く迷いがない。刀を使う意思がはっきりしすぎていて、ちょっとサイコパス的に見えてくる。都築に対する執着、彼を何とか引き込もうとする情熱にも段々筋が通らなくなってきて、なかなか薄気味悪い。演じる塚本がなまじ上手い(正直、主演の池松よりも役者としての格上感がある。監督・脚本・撮影・編集が出来て出演も出来るってすごいよな・・・)。
 澤村とは反対に都築を地に足の着いた生活に引きとめようとする存在が、村の娘ゆう(蒼井優)だ。彼女は都築が江戸に行き暴力に身を投じる可能性を案ずる(彼に好意を寄せており一緒にいたいからではあるが)。同じ理由で自分の弟が侍に憧れるのも嫌がるのだ。彼女にとって刀は武器であり暴力の道具であって、魅了されるものではない。しかしそんな彼女も、ある事件の後には自身の力=暴力を行使せず相手に屈する都築をなじる。彼女の慟哭が都築をさらに追い詰めるのだ。
 殺陣のシーンはもちろんあるのだが、その撮影の仕方がちょっと面白いなと思った。木刀同士での稽古シーンは普通に(手持ちカメラなのでかなり揺れるがアクションがまあまあわかる程度に)撮っているのだが、真剣同士の斬り合いのシーンになると、かなり様相が変わる。殺陣そのものをちゃんと見せようというよりも、刀に乗った意識の動きを演出しようとするような印象を受けた。主体が刀にある感覚なのだ。人間の意識と肉体の存在感が薄れていくような感じがする。都築が至る境地はここなのかもしれないと思うと、ラストの音の使い方等も腑に落ちる。


野火 [Blu-ray]
塚本晋也
松竹
2016-05-12




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