3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

ゴジラによって大きく破壊された世界。更にゴジラに誘発され、モスラ、ラドン、キンギギドラなど次々と太古の怪獣たちが復活し始める。未確認生物特務機関モナークは、怪獣たちの覇権争いによって人間の世界が破壊されるのを阻止しようと奔走する。監督はマイケル・ドハティ。
ゴジラガチ勢がゴジラ映画を作るとこういう感じになるのか・・・。ある意味非常に目的意識がはっきりした、ハマる人にはハマるがかなりいびつな作品だと思う。私は嫌いではないし楽しんだけど、ストーリー構成は破綻していると言っていいだろう。ベラ・ファーミガ演じるエマ・ラッセル博士の迷走ぶりを筆頭に、人間の登場人物の行動原理が矛盾している、行き当たりばったりでストーリーの都合上無理やり後付けしたもののように見えるのだ。そのストーリーについても、物語を展開させるためのものというよりも、見せたいシーンと見せたいシーンの間をつなぐ為にのみとりあえず作ったものという印象が強い。ストーリーテリングが申し訳程度で、あくまで見せたいのは絵なのだ。
どういう絵を見せたいかというと、もちろん怪獣と怪獣が大激突をしてとっくみあい、世界を蹴散らす姿だ。引きで「激突!」シーンを見せるのはもちろん、なぜか怪獣の足元に回り込みたい欲が頻発していて、監督のフェティッシュに満ちている。作り手の興味がある所とない所の落差が極端だ。人間ドラマには本当に興味がないんだなと実感できる。
ゴジラたち怪獣のビジュアルは神話の世界感あって素晴らしい(特にモスラは美しい!蛾のくせに!)。ただ、ちょっとキャラクターを載せすぎな気がした。怪獣同士で結構コミュニケーションが取れているみたいだし、キングギドラにいたっては首同士で個性が違ってちょっとコントみたいなくだりも。そういう部分は二次創作的な味わいがあり(明らかに怪獣キャラ萌え映画なので)、見る側の好みは分かれそう。私は怪獣は人間の解釈が全く及ばない、別のロジックで行動しているものとして考えているので、こういうキャラ付けは若干煩さを感じた。そこに感情移入したくないんだよな。

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『ベン・イズ・バック』

 クリスマスイブの朝、19歳のベン(ルーカス・ヘッジズ)が急に帰宅し家族を驚かせた。ベンは薬物依存症の治療中で、施設で暮らしていたのだ。母ホリー(ジュリア・ロバーツ)と幼い弟妹は再会に喜ぶが、妹アイビー(キャスリン・ニュートン)と継父ニール(コートニー・B・バンス)は不安がる。1日だけの在宅を許すが、外出先から一家が帰宅すると、家の中が何者かに荒らされ愛犬がいなくなっていた。昔の仲間の仕業だと考えたベンは一人で彼らの元に向かい、ホリーはそのあとを追う。監督はピーター・ヘッジズ。
 息子が薬物依存症で大変という映画は最近だと『ビューティフル・ボーイ』もあったが、本作の方がストーリー展開にメリハリがありスリリング。依存症の、当人にとって、周囲にとって何が大変なのかという面も端的に垣間見える。ここまでやらないとだめなのか!と少々ショックだった。そして絶対に長期戦で、三歩進んで二歩下がるの繰り返し。これは本人はもちろん辛いが、周囲が消耗していくな・・・。
 ベンは弟妹からは素直に慕われており、彼らに対する振る舞いからもいい兄だったことがわかる。一方で、薬物依存が原因で取り返しのつかないことをしてしまったことが徐々にわかってくる。その事件によって人間関係がおおきく損なわれ、家族は深く傷ついているのだ。しかし、家族は良き兄、良き息子としてのベンの顔も知っている。いっそ良い思い出がなければもっと気持ちが楽なのだろうが、気持ちが引き裂かれていく。ホリーはベンと守る為、彼につきっきりで一緒に行動する。薬物依存症患者への対応として、絶対に一人にしないということが必要なのだろうが、いくら家族でもなかなかできない、むしろ家族だからよけいきついのではないかと思う。ベンを愛しているし信じたいけど、依存症である彼を決して信じてはダメなのだ。ホリーは彼を守りつつ他の家族も守ろうとする為、嘘をつき続ける羽目になっていく。演じるロバーツの表情には鬼気迫るものがあり、徐々に母と息子の地獄めぐりのような様相になってくる。とても母は強しなんて気軽に言えない雰囲気だった。
 一方、アイビーが何とか母を支え続けようとニールに嘘をつく様が切ない。ニールはとてもちゃんとした父親でベンにとっての「敵」ではないし、ホリーもアイビーもそれは重々わかっている。とはいえ、ベンと過ごした時間の違いによる切実さの差異が出てしまうのかなと思った。切実さという面では、子供との関わり方という一点で立場を越えてホリーに手助けするある人物が強く印象に残った。同じ立場でないとわからない類の辛さなんだろうと。

薬物依存症 (ちくま新書)
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筑摩書房
2018-09-06





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2018-11-16

『プロメア』

 突然変異により生まれた炎を操る種族、バーニッシュの出現により、各地で大火事が起き世界の半分が消失した。それから30年後、対バーニッシュ災害用の高機動救命消防隊バーニングレスキューは、攻撃的なバーニッシュの組織マッドバーニッシュから町を守っていた。新人(松山ケンイチ)とマッドバーニッシュのリーダー・リオ(早乙女太一)はぶつかり合う。。監督は今石洋之、脚本は中島かずき。制作スタジオはトリガー。
 始まっていきなりクライマックス!そしてTVシリーズならここで最終回だろー的なクライマックスがその後も波状攻撃してくる。やたらとテンションが高く緩急の急しかないような構成だ。ストーリーは極めて大味なのだが、本作の場合はそれが魅力になっているし、監督はじめスタッフもそこはよくわかっているんだろうな。バンクに決めポーズを惜しみなく多用し、かつそこにメタ的な突っ込みも入れる(とはいえテロップ芸のかっこよさはトリガーのお家芸的)。ビジュアルデザインが全般的に素晴らしかった。
 いわゆる日本的なアニメ、セル画風アニメの面白さ、持ち味はこういう所にあるという確信に満ちた作り。例えばハリウッド産アニメーションの最前線のような『スパイダーマン スパイダーバース』とはまた別の方向でのアニメーションの最前線を見た感がある。動画にしろ背景美術にしろ、非常にかっこよくて唸った。特に背景の省略の仕方がいい。登場するメカやロボットの全てが洗練されたかっこよさをもっているわけではない、あえてダサくしたり相当なバカ設定だったりするわけだが、全体的にはクールな印象になる所が面白かった。ちょっと匙加減を間違うとごちゃごちゃになりそうな所、絶妙なバランスが保たれている。正直、冒頭のバーニングレスキューが出動する20分くらいで動きの鮮やかさに満足してしまった。そのくらい密度が高い。
 最終的には気合で何とかする非常に中島かずきらしいストーリーで、大分ご都合主義ではある。が、大真面目でこれをやれるというのは、すごいヒューマニズムなのではないかと思う。人間の意志の力、善性を信じているということだから。ポジティブ、かつカラっとしている。
 なお本作、海外マーケットをかなり意識しているのかなという印象だった。舞台は多民族都市的な雰囲気で、モブキャラのデザインを見ても様々な人種がいる雰囲気が出ている。また研究所の職員がほぼ男女半々だったりと、男女比にも気をつけているように思った。メイン女性キャラに対してセクシャルな描写が少ない(露出度が高い衣装でも胸や尻を強調しない、いわゆるサービスショットを入れない)あたりも配慮されていると思う。トリガー制作の『キルラキル』では衣装デザインでちょっとひいてしまったので、このあたりの配慮は好ましかった。

『アメリカン・アニマルズ』

2004年、アメリカ・ケンタッキー州。大学生のウォーレン(エバン・ピーターズ)とスペンサー(バリー・コーガン)は代り映えのしない毎日に物足りなさを感じていた。2人は大学図書館に収蔵されている時価1200万ドルを超える鳥類図鑑を盗み出そうと計画する。秀才のエリック(ジャレッド・アブラハムソン)、実業家の父親を持ち自身も実業家として成功しているチャズ(ブレイク・ジェナー)を仲間に引き入れ、着々と計画を進める。ついに結構の日が来るが。監督はバート・レイトン。
実際に合った事件を実際の当事者に聞き取りしながら、それをプロの役者による再現劇に挿入していくというメタ構成。当事者の記憶は個々にずれがあり、そのずれもそのままドラマに織り込まれていく。ストーリーの前提にあやふやさが含まれており、見ているうちにおぼつかない気分になってくる。
更に、4人の強盗計画のゆるさずさんさ。これでよく実行しようと思ったな!という地に足のついていない様はこれまたおぼつかない。そもそも特に強い絆があるわけではないのになぜこの4人で?という疑問もぬぐえないままだ。
彼らはなぜ強盗をしたのか。切実にお金に困っているというわけではなく、むしろ平均よりも大分裕福な子もいる。親が「あの庫のことが分からなくなった」というのも納得。犯罪映画のように、盗みをすることで人生大逆転が出来るような気になっていたのだろうが、そもそも「大逆転」てどういう状況を期待していたのだろうか。見れば見るほど胡乱で、徒労感に襲われそうになる。何をやってもかっこよくはならないし自分からは逃げられないのだと、彼らは突き付けられているのだがそれに気づいているのかいないのか・・・。
ウォーレンの饒舌と衝動が周囲を巻き込んでいく、彼の物語にスペンサーらが乗せられていくという面はあるだろう。しかし、その物語に対して考えずに乗っかっていくスペンサーの姿勢の方が不穏に思えた。自分で何かをやる(手を汚す)覚悟もないまま他人の物語に乗っかっちゃって大丈夫なのかと。お話が降ってきた、という感じで、自分がそこに加担しているという意識は希薄だし、加担することが何を意味するのかということも考えていなさそう。想像力が欠落している気がするのだ。

『スノー・ロワイヤル』

 スキーリゾート地キーホーに住む除雪作業員のネルズ・コックスマン(リーアム・ニーソン)は、模範市民賞を受賞するほど真面目な男。しかし一人息子が麻薬王バイキング(トム・ベイトマン)に殺され、復讐に乗り出す。監督はハンス・ペテル・モランド。
 モランド監督による『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』のセルフリメイク作品(元作品にかなり忠実だとのこと)だそうだが、なぜこれをわざわざリメイクした・・・。面白いが、珍妙な味わいがある。率直に言って変!基本的にふざけてはいないのだが、真顔でギャグを繰り出すようなところがある。
 息子を殺されて怒りに燃える男が主人公だし、近年は「悪い奴絶対殺すマン」として定着しているニーソンが主演なので、今回もリーアム無双なのかなと思っていたら、今回はそこまで無敵ではない。人を殴れば自分の拳はすりむけ、相手に引きずりまわされたりもする程度の生身感があるし、体力にも限界がある。そもそも戦闘のプロではないから色々危なっかしい。死体の処理もかなり大雑把で、手法も「クライムノベルで知った」というくらいの素人だ(大雑把な処理でも大丈夫なくらいの極寒地帯が舞台なので、そこも面白い)。不器用でどたばたした復讐劇として、当事者は大まじめなのに時々笑ってしまう。陰惨なのにどこか長閑でユーモアがある。登場人物が死ぬたびにちゃんと「死亡」字幕が表示され、更にその人の宗教的な背景がわかるマークも付けてくれる、拘るのそこ?という新設設計も味わい深い。
 ネルズにしろバイキングにしろ下っ端のギャングたちにしろ、登場人物が全員キャラ立ちしていて、悪党でも憎々しいと同時にどこか可愛らしさがある。親に似ず理性的でかしこいバイキングの息子や、バイキングの右腕的な部下の常識人ぶりがアクセントになっている。この部下については、後半であっそうか!という設定が明らかになり、それを知っちゃうとその後の行動もまあまあしょうがないよね・・・と納得。
 本作、何より除雪車その他の「働く自動車」映画としてとても楽しいので、クライマックスを楽しみにしてほしい。除雪車、運転したくなります。

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『ついには誰もがすべてを忘れる』

フェリシア・ヤップ著、山北めぐみ訳
 ケンブリッジの川でブロンドの女性の死体が発見された。被害者の日記によると、彼女は著名な作家マーク・ヘンリー・エヴァンズの愛人。しかしエヴァンズは彼女は単なるファンの一人で日記の内容は誇大妄想だと主張する。
 一見男女関係のもつれが絡んだありきたりなミステリだが、ある設定によりひねりが加えられている。作中世界では、記憶が1日で失われるモノ、2日で失われるデュオの2種に人間が分けられている。そのためiDiary(スティーブ・ジョブズが発明したんだって・・・)に毎日日記を記録し、それがその人にとっての過去の記憶になる。SF的な設定を加えた、特殊条件下ミステリと言える。日記に書かなかったことはなかったことになってしまうし、他人によって日記を書きかえる=記憶を改ざんすることも可能だ。日記の内容は基本的に「信用できない語り」となるし、その日記に基づき考え行動する人たちの言動もまた信用できない。どこまでが本当でどこが嘘なのか?誰が誰に罠をしかけたのか?という二重三重の謎がある。こういう条件の中で容疑者たちがどのように行動するのか、警察はどのように捜査していくのか(何しろ記憶があるうちに解決しないと案件の難易度が一気に上がる)という部分も面白い。
 デュオとモノの間にある記憶格差とでもいうべき差別意識や、長期記憶があったら世界は悪化する(恨みや怒りを維持することになるから)と考えられている等、背景設定が本作のポイント。記憶があるというのは大きなアドバンテージにもなるし人を狂わせることにもなる。ただ、終盤でいきなりトンデモ度が上がるんだよな・・・。やりたくなるのはわかるんだけど、ちょっと盛り過ぎでは。

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『82年生まれ、キム・ジヨン』

チョ・ナムジュ著、斎藤真理子訳
2015年、結婚して子供も生まれ、子育て中のキム・ジヨンは、急に妙な言動を取るようになる。義母や友人等周囲の女性たちそっくりの振る舞いをするのだ。冗談だと思った夫デヒョンだが、そうではないらしいことに気づき、ジヨンを精神科につれていく。
精神科医が聞き取ったレポートという形式で、キム・ジヨンという女性が1982年に生まれてから2015年に至るまでを綴った小説。なにしろレポート形式なので小説というよりは女性のライフイベントにつきものな諸々の出来事の事例集のようなのだ。しかし、事例集に見えるということは、本作に描かれているようなことが実際によくあることとして強い説得力を持っているということだろう。キム・ジヨンは私よりも一世代若いといってもいいくらいなのだが、むしろ一世代昔の話のようだった。韓国ではそうだということなのか、国に関係なく周囲の文化や所属している集団によっての差異なのかは何とも言えないが、90年代、00年代でこれなの?と大分げんなりする。男児は女児よりも優先され、頑張って大学を出て就職しバリバリ働いても男性の方が優先的に評価される。結婚したら夫とその両親に仕え子供が産まれたら更に子供の世話も。仕事は辞めざるを得ず、かといって家事や育児が対外的に評価されるわけでもなく「無職」として扱われる。まあうんざりである。
デヒョンはジヨンに対して協力的ではあるのだが、ジヨンにとって仕事をやめるというのがどういうことなのか、家事・育児以外の世界と切り離されるのがどういうことなのか、全くぴんときていない。ジヨンのカウンセリングをする精神科医は、自身の妻もジヨンと同じような経験をしており「特に子供を持つ女性として生きるとはどんなことかを知っていた」という。しかしそれでも「知っていた」気になっているという程度で、同僚女性が同じような経緯で退職を余儀なくされても傍観している。症例として興味深く思っていても所詮他人事という本音が垣間見えてしまう。女性にとっては「あるある」でも男性にとっては視界に入ってこなかったことなのだと痛感する。女性が読めば自分だけのことではないという共感、連帯の契機になるだろうが、むしろ男性に読んでほしい作品ではないか。
ジヨンが自分よりも弟が大事にされていることを自分の中で理屈をつけて無理やり納得していく所や、仕事でいくら頑張ってもガラスの天井につきあたること、それは社会構造のせいなのに努力の足りなさのせいにされて途方に暮れていくところなど、胸が痛くなる。ジヨンが周囲の女性たちになりかわったように振る舞うのは、彼女らが不条理な仕打ちにより繋がっていることのように思える。本当はそんな連帯、ないほうがいいんだろうけど。

『ガルヴェストン』

 重い病に冒されていると告げられた死期を悟ったギャングのロイ(ベン・フォスター)。ボスに命じられある仕事に向かうが、それは彼を切り捨てる為の罠だった。ロイは組織の人間を撃ち殺し、その場にいた娼婦ロッキー(エル・ファニング)を連れて逃げる。ロッキーはまだ少女だが頼れる人もなく、体を売って生活していた。なりゆきで見ず知らずの2人の逃避行が始まる。原作はニック・ピゾラット『逃亡のガルヴェストン』、監督はメラニー・ロラン。
 メラニー・ロランは役者としてだけではなく監督としても腕がある。ちょっとごつごつしたぎこちなさはあるのだが、抑制がきいてる好作だった。原作小説の消化の仕方にセンスのよさを感じた。原作はどちらかというと古風な男性のロマンティシズムが強かったように思うが、映画はロマンティシズムの方向がちょっと変えられている。性愛の要素が薄い、もっと広義の愛が描かれているように思った。男性に仮託されたナルシズムが薄い。女性はファム・ファタールではないのだ。自分よりずっと若い相手に手を出す大人はろくなもんじゃないぞ、まともな大人はそういうことをしないんだと示しているあたりも現代的。
 冒頭、病院での行動が、ロイがどういう人間なのか、すごくわかりやすく表わしている。自分の問題、恐れと直面できない弱い面があるのだ。さすがに診断は聞けよ!って思ってしまう。元恋人に会いに行くのもけじめというよりは逃避行動に見える。元恋人の塩対応は、彼の現実認識の甘さを突き付けるようでもあって苦い。
そんなロイがロッキーの為に逃げることをやめ立ち向かおうとする。ロッキーは自分の身を守る為にあるものから逃げ出したが、自分以外のものを守るために立ち戻り対決する。ロイがトラブルを呼び込むであろう彼女を見捨てられなかったのは、彼女の対決しようという意思を見てしまったからではないかとも思った。

逃亡のガルヴェストン (ハヤカワ・ミステリ)
ニック・ピゾラット
早川書房
2011-05-09





ミステリアス・ショーケース (ハヤカワ・ミステリ)
デイヴィッド・ゴードン
早川書房
2012-03-09

『レプリカズ』

 人間の意識をコンピューターで作られた疑似脳に移し替える技術を研究している、神経科学者のウィリアム・フォスター(キアヌ・リーブス)は、交通事故で妻と3人の子供を亡くしてしまう。家族を諦められないウィリアムは、禁忌を破って家族のクローンを作り、そこに保存した意識のデータを移植しようとする。移植は成功したが、研究所は彼らに目をつけていた。監督はジェフリー・ナックマノフ。
 キアヌ・リーブスのいいところは、一応大スターなのにすっとこどっこいな映画にもいまだに平気で主演するところだと思う。本作のすっとこどっこい加減もなかなかのものだ。人格・記憶のコピーやクローンの生成などSFネタとしては手あかが付きまくっているから、見せ方には大分工夫がいると思うのだが、本作のそれはむしろ一昔前のものに見える。新作なのにやたらと懐かしい。これはもしや90年代なのでは?というくらい。記憶移植用のアンドロイドや人工脳のデザインのダサさ、今なぜこれを選んだ・・・と突っ込みたくなった。今、「機械の身体」を考えるのなら、もうちょっと違う方向性になるんじゃないかと思うんだけど・・・。
 序盤の展開がやたらとバタバタしているし、ストーリーは大雑把で、細部に目配りがされているとは言い難い。脳コピーのマッピングもクローンの生成も、そんなに手順でそんな短時間の作業で大丈夫なのかというくらいのざっくり感。ただ、全然面白くないのかというと、そうでもない。家族を亡くしたウィリアムは、先のことはろくに考えずに遺体の脳をコピーしクローン作りに踏み切ってしまう。計画らしい計画たてずにそんなことやります?!と突っ込みたくなるし、妻子が「不在」の間のアリバイ作りにあたふたする、ついでにSNS上で娘のボーイフレンドを娘になりすましてブロックする姿など、妙なおかしみがある。いざクローン作りに踏み切ってから我に返って協力者に責任を押し付けようとするあたりは結構ひどいのだが、そのひどさや考えの浅さに逆に説得力を感じてしまった。切羽詰まった人間の行動ってこういうものかもしれないなと。それにしても露呈するのが早すぎるしこらえ性がなさすぎるけど。粘れ!

アイ,ロボット [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
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2018-03-16







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『僕たちは希望という名の列車に乗った』

 1956年、東ドイツの高校生テオとクルトは、こっそりもぐりこんだ西ドイツの映画館で、ハンガリーの民衆蜂起のニュースを見る。感銘を受けた2人はクラスメイトに呼びかけ、授業中に2分間の黙祷を実行。しかしソ連の影響下におかれた東ドイツでは国家への反逆とみなされてしまう。首謀者とあげろと彼らは迫られるが。原作はディートリッヒ・ガルスカ『沈黙する教室 1956年東ドイツ 自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』、監督はラース・クラウメ。
 教育委員たちが学生から「ゲシュタポ」と揶揄され激怒するが、やっていることは似ている。力と恐怖で国民、国を画一的に支配しようとするやり方は、大体似通ってくるのか。体制側と違う考え方をすることは認められないのだ。本作中でも、学生たちの弱みを握り、脅し、彼らが疑心暗鬼に陥り仲間を裏切るよう煽っていく。若者たち、国民たちが自分の頭で考え団結することが、体制側は怖いのだとよくわかる。管理しようという姿勢が徹底していてすごく怖い。なりふりかまわずそこまでやるのかと。若者たちが何も考えず言うことをきく状況は、支配する方としてはそりゃあ楽だよな。だから個々が自分で考え行動することが、権力の肥大化を押さえる為にもとても重要なのだ。学生たちが黙祷を「皆でやろう」と多数決を取るのは、ちょっと同調圧力っぽくないか?という気もしたが・・・。 
 彼らの行動は最初はあまり深い考えに基づくようなものには見えない、その場の思いつきのようなものだ。しかし、その思いつきで自分の生き方、ひいては自分が今いる国が何をしようとしているのか、自分たちが何に加担することになりかねないのか、深く、しかも短時間で考えざるを得なくなっていく。少年少女が急激に成長していく様が鮮やかではあるのだが、こういう形で成長を強いられるのってちょっと辛い。他の場所だったらしなくていい苦労だし、理不尽すぎる。
 裏切り者になること、嘘をつくことを大人が子供に強いる国は、大分終わっているのではないだろうか。この5年後にベルリンの壁ができるわけだから、変なことを変だと言える環境がどんどんなくなっていく過程を描いた物語でもある。この先、こういう体制が何年も続くのだから本当に暗い気持ちになってしまうが、心が折れそうになっても自分達で考え屈しない若者たちの姿には希望がある。
 走るシーンが多く、どれも印象に残った。動きのテンポがいいというか、躍動感がある。ストーリーは重いが軽やかさがあるのだ。


アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 [DVD]

ブルクハルト・クラウスナー
アルバトロス
2017-07-05



『極夜の警官』

ラグナル・ヨナソン著、古田薫訳
 アイスランド最北の町シグルフィヨルズルに赴任した警官アリ=ソウル。警察署長ヘルヨウルフルの妻から連絡を受け、連絡が取れなくなったヘルヨウルフルを探していたところ、町はずれの空き家で重傷を負った彼を発見する。ヘルヨウルフルの息子によると、ドラッグ売買の捜査が関係していたらしい。更に市長やその右腕が絡んでいるのではという疑いも出てきた。
 アイスランド、しかもヘルシンキではなくちょっとしたニュースがすぐに街中に知られるような小さな社会を舞台としている所が面白い。アリ=ソウルは地道に捜査をするが、決して頭脳明晰な切れ者という感じではない。上司や同僚から見ると人づき合いが今一つ悪く面白みに欠け、妻から見ると嫉妬深くキレやすい一面を持つ。完璧ではなく、欠点も多い造形が人間くさくてなかなか良かった。しかも夫婦共にちょこっと浮気しているという生々しさ。それだけ夫婦の関係が危うくなっている、そしてアリ=ソウルはその自覚が薄いという所がポイントであり、今後のシリーズ展開の中でもどうなるのか気になる。彼はまだ成長途中で、今後警官として、パートナーとして変化していくのではないかと期待できるのだ。
 作中である人物の手記が挿入されるが、これが誰のものかわかると、事件の真相がよりやりきれなくなる。この連鎖をもっと早く止められなかったのかと。

極夜の警官 (小学館文庫)
ラグナル ヨナソン
小学館
2018-07-06





雪盲: SNOW BLIND (小学館文庫)
ラグナル ヨナソン
小学館
2017-05-09

『罪人のカルマ』

カリン・スローター著、田辺千幸訳
 若い女性の失踪事件が発生した。特別捜査官ウィル・トレントは捜査から外される。40年以上前に凶悪な連続殺人事件を起こし終身刑になったウィルの実の父親が仮釈放されたのだ。やがて発見された女性の遺体には凄惨な傷跡があった。その手口はウィルの父親のものと酷似していた。
1975年の娼婦連続失踪事件と、現代の連続失踪事件、2つの事件を交互に追っていく構成。そして75年の事件が現在にどのように繋がっているのか、彼/彼女が何者なのか、今に至るまで何を抱えてきたのかわかった瞬間、戦慄する。シリーズのクライマックスとしてとても上手い。そして次作への(少々強引かつしつこい)引きも。ウィルとアンジーの関係にはそろそろ決着をつけないとならないのではと思うのだが・・・。サラがちゃんと独立した、かつ思いやりのある大人なのでなおさらそう思う。
 現代のパートももちろんスリリング出面白いのだが、1975年パートでの若きアマンダとイヴリンの活躍には胸が熱くなる。まだ女性警官はおろか、女性が社会で活躍することが白眼視されていた時代だ。2人に対する同僚からの妨害はあまりに理不尽で腹立たしい。更にアマンダの父親の設定は結構ショッキングだ。彼女らが被害者女性達の無念を晴らそうとするのは、女性に対するいわれのない差別や憎しみと戦う、人間としての尊厳を取り戻そうとすることでもある。彼女が元々どういう性格、振る舞いの人だったのか、何が彼女を現在の人格に作り替えたのか、これまでの彼女の立ち居振る舞いを思い返すと感慨深いものがある。自分の意志で強くなった人なのだ。

罪人のカルマ (ハーパーBOOKS)
カリン スローター
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-06-16






血のペナルティ (ハーパーBOOKS)
カリン スローター
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-12-16

『RBG 最強の85歳』

 アメリカ女性最高判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグ。ジェンダーによる差別と闘い続けた彼女の生涯を追うドキュメンタリー。監督はジュリー・コーエン&ベッツィー・ウェスト。
 この人がいなかったら、男女間の不平等は今頃どうなっていたか、というくらい功績があるギンズバーグ。精神的にも肉体的にも非常にタフな人というイメージがあるし、実際に体力を維持するためのメンテナンスと努力を欠かさない様が作中でも見受けられる。私より全然ちゃんと腕立て伏せ出来てる・・・。
しかし本来は、若い頃から物静かで引っ込み思案、必ずしも外向的、尖鋭的というわけではないというから意外だった。彼女のガッツ、闘志は生真面目さ、勤勉さから生まれるもののように思える。弁護士事務所への就職を軒並み断られた(彼女の伝記映画『ビリーブ 未来への大逆転』でも描写があった)時に「なぜ女性が弁護士になれないのか理解できなかった」というのだが、真面目に考えるとそれが理にかなっていない、不条理だから理解できないというわけだろう。理屈が通らないというのは、世の中や現行の法律の方がずれていて、そこを変えていくことが時に必要なのだ。ギンズバーグが「200年前に作られた法律の「我々」に私たちは含まれていない。黒人もヒスパニックも。」と言う。その時代ごとの「理屈」はあっても、背景となる時代の価値観からは逃れられないのだ。
 法解釈や主義主張が違う人とでも、その他の部分で気が合えば親しく付き合うという所も面白い。超保守派の判事と意外と仲がいいのだ。仕事とプライベートとの切り分けがはっきりしている。このスイッチの切り替え方が仕事が長続きするコツなのかもしれないとも思った。
 夫との関係性が理想的だ。こういう人と支え合っていたからここまで来られたのかもしれない。それだけに、夫の晩年になってからの病から目をそむけていたという孫の言葉が切ない。あんなに強い人でも、そこは直視できなかったんだと。夫マーティンはギンズバーグの知性、法律家としての能力を非常に高くかっており、自分のパートナーとして自慢に思っていた様子。彼自身も法律家(税務専門の弁護士)だったが、「2番手であることを気にしない」人だったとか。妻の知性を手放しで評価できる、自分よりも高くかうというのは当時の男性としては稀な資質だろう。映像からも人柄の良さが垣間見られた。
 それにしても、アメリカの現状を思うとギンズバーグはおちおち引退できないだろうな・・・。必要とあれば保守とも妥協し、最高判事間のバランスを取るためより保守にもリベラルにも方向修正する人だそうだが、相当リベラルとして頑張らないと現状ではバランスとれなさそう・・・。

『ミスコン女王が殺された』

ジャナ・デリオン著、島村浩子訳
 南部の田舎町シンフルに身をひそめるCIA工作員のフォーチュン。厄介事を片づけ平和が訪れたと思ったのもつかの間、元ミスコン女王のパンジーが帰省し、さっそく大衝突してしまう。しかもその後、パンジーは他殺死体として発見されたのだ。容疑をかけられたフォーチュンは地元婦人会の曲者アイダ・ベルとガーティと共に真犯人捜しに乗り出す。
 前作からの作中時間、わずか1日(も経っていない)。この町トラブル起きすぎだしさすがにフォーチュンを狙う暗殺者たちが嗅ぎつけてくるのでは?と心配になってしまう。アイダ・ベルとガーティの自由奔放さも絶好調。フォーチュンを翻弄し続ける。ドタバタ感とカラっとしたユーモアが楽しい作品だ。南部におけるいわゆる「女らしさ」やつつしみとは無縁のフォーチュンは、町の中では異色だし、アイダ・ベルたちの対抗派閥の反感をかいまくる。とはいえ本作のいいところは、フォーチュンとそりの合わない人、価値観が違う人のことも貶めた描き方ではない、そういう人を否定はしていない所だと思う。色々な人がいて、面倒くさいけど面白い。クセが強くてもいいじゃない。また、前作に引き続き、世代を越えたシスターフッドが見られるのもいい。女性達がとにかく生き生きとしており、「女らしく」なんてものを蹴散らしてくれる。

ミスコン女王が殺された (創元推理文庫)
ジャナ・デリオン
東京創元社
2018-09-20





ワニの町へ来たスパイ (創元推理文庫)
ジャナ・デリオン
東京創元社
2017-12-11

『幸福なラザロ』

 イタリアの小さな村に住む青年ラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)。村の人々はデ・ルーナ侯爵夫人の小作人として昔ながらの生活を続けていた。実は小作人制度は何年も前に禁止されており、侯爵夫人は村人をだましていたのだ。侯爵夫人の息子タンクレディが起こした事件がきっかけで事実が明るみに出て、村人たちは離れ離れになっていく。監督・脚本はアリーチェ・ロルヴァケル。
 現代の寓話、神話のようだった。ラザロに起こるある出来事は超常現象的だし、村人たちが外の世界と隔絶されている様もちょっと地に足がつかない、不思議な浮遊感がある。彼らの生活はすごく実直で質素、地に足がつきまくっている感じなのだが、現代の目から見たら逆に浮世離れしているのだ。侯爵夫人の嘘がバレた後は、地に足のついている様が全く別の方向性を向いてしまうのが哀しい。
 ラザロはいわゆる聖なる愚者のような存在だが、村の中では最終的に搾取される、善人故にいいように使われる存在になってしまっている。そして村人たちは侯爵夫人に搾取される。場所や時代は変わっても搾取の連鎖はなくならないというのが辛い。村人たちは傍から見たら搾取から一度解放されるが、別の連鎖に投げ込まれまた苦しい生活が続くにすぎないのだ。
 本作が現代の寓話のようだと前述したが、単におとぎ話の背景が現代だという意味合いではなく、現代だとこういうふうになる、という部分が強調されているように思った。ラザロは善良で仙人みたいなところがあるが、呼ばれればどこにでもついていき、相手の望みをかなえようとする素直さは危うく見えるし、犬のようだ。おとぎ話の王道であればラザロの無垢さ・善良さが周囲を救う、周囲を良きものに気づかせるということになるのだろうが、そうはならない。彼の無垢さが誰かを救うことはない(一時の慰め程度にはなるが)し、彼自身を救うこともない。そもそも、ラザロの無垢さは、周囲にはそれと認識されていないように思った。無垢という概念がない、プライオリティとなりえないのが現代なのか。現代に聖者を出現させるとこういう話になっちゃうのかなと思った。
 音、特にシューシューと鳴る息の音や風の音の使い方が面白い。不吉さや人々の不満は、音で表わされるのだ。

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