3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『イコライザー2』

 日中はタクシー運転手として働いているロバート・マッコール(デンゼル・ワシントン)は元CIAのエージェント。悪人を19秒で抹殺していく「イコライザー」としての裏の顔を持つ。ある日、CIA時代の元上官で親友のスーザン・プラマー(メリッサ・レオ)が何者かに殺される。マッコールは独自に捜査を始め、スーザンが追っていた任務の真相に迫るが、自身も何者かに襲われる。監督はアントワン・フークア。
 前作との直接的なつながりはないので、いきなり本作を見ても問題ないと思う。コンパクトにまとまっていた前作よりもマッコールが関わる事件のエリアは広がり、彼の行動範囲も広がる。前作でのクライマックスはクローズドな空間だったが、今回はオープンな空間で「外気」の存在感も強烈。彼の過去に関わる人物が複数登場し、マッコールと他者の関わりが増えることで、マッコール個人の世界も外に向かって開かれているように思う。その為、前作のような匿名性の高いヒーローとしての側面は薄れる。
 マッコールは自分に悪人を罰すること、正しいことをすることを課しているのだが、その正しさは彼の主観によるものだ。そういう意味では自分たちの都合で他人を殺す敵と同じ、というと言い過ぎだが何が違うのかという気もしてくる。マッコールは常に弱い者、不運なものの味方であり、無敵の仕置き人で、他の登場人物よりも上位で世界を俯瞰できる神のような存在(何しろ万能すぎる)なので、匿名性が高いキャラクターである方が納得がいく(彼の行動の倫理的根拠にもやもやしない)と思う。本作では一人の人間としてのマッコールという方向にキャラクターの見せ方の舵を切っているので、そこに違和感を感じる人もいるかもしれないが、これはこれで悪くはない。マッコールの正義は自分の中で完結しすぎている為に少々クレイジーに見えるのだが、彼の頑なさや正しいことをしなければならないという強迫観念めいて見えるものの根っこにあるものが垣間見える。
 マッコールの妻に関する記憶が語られるが、彼女についてだけではなく、死者を思い返すシーンがどれも良い(洋服にまつわるエピソードが2回あるがどちらもぐっときた)。マッコールの人生において彼女らがどのような存在だったのかよくわかる。また、マッコールが運転するタクシーの乗客たちの描写がどれも印象に残った。彼/彼女らのその後の人生はどんなだろうと気になる。特に「乗車した場所に戻って」と告げる男性のその後が知りたくなった。

イコライザー [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
デンゼル・ワシントン
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2015-12-25


必殺仕事人2018 DVD
東山紀之
PONY CANNYON Inc(JDS) = DVD =
2018-06-20


『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』

 ニューヨークの富豪、グッゲンハイム家に生まれたペギー・グッゲンハイムは、伝統を重んじる社交界から逃れるため、20代でパリに単身渡、シュルレアリスムや抽象絵画と出会う。自由な芸術の世界で羽を伸ばしたペギーは、芸術家たちを支援し、画商としてギャラリーを開設。世界的な現代美術のコレクターとして、著名なパトロネスとして成長していく。彼女の肉声を含む、様々なインタビューから構成されたドキュメンタリー。
 新たに発見された本人へのインタビューと関係各所へのインタビュー、当時の映像等からペギーの人生を辿っていくという、オーソドックスな作りのドキュメンタリー。ペギーが支援していた芸術家たちがビッグネーム揃いで圧巻だ。ピカソ、ダリ、ブランクーシ、ポロック、ジャコメッティ、そして彼女と結婚もしたエルンスト。芸術家たちの映像も多数使われており、この人もこの人もこの人もか!と唸る。なぜかロバート・デ・ニーロも出演しているので注目だ。
 ペギーはグッゲンハイム一族としてはさほど裕福ではなかったそうだが、それでも世間一般からしたら富豪だ。そして、その富の使い方を間違わなかった。ペギーがパリに渡った当時、シュルレアリスムはまだ価値を認められていなかった。そこにいち早く着目し、その後も美術史の最先端で芸術界をリードし続けた。彼女の眼力と作品を扱う商才はずば抜けていたのだろう。そこに経済力がプラスされて、歴史に残るコレクターとなり、その集大成がベネチアのグッゲンハイム美術館なわけだ。芸術、特に新しい芸術には良きパトロンが必須だと痛感させてくれる作品だった。
 ちょっと驚いたのは、ペギーは元々美術に興味があったわけではないということだ。パリの芸術家たちの自由な世界と肌が合い、その中に親しむうちに素養が蓄積されていったということらしい。ペギーは10代の頃から当時の女性としては大分風変りだったそうだ。当時の上流階級の女性にとって身を立てる道と言ったら、社交界の花になり他の名家の子息と結婚するくらいしかなかっただろう。そんな習わしに対する反発から書店で働いていたというから、当時としては相当型破りだ(グッゲンハイム家レベルの名家の娘が町で働いていたら恥さらし呼ばわりされるだろう)。
 いわゆる美人ではないが非常に魅力のある人だったそうで、芸術家たちとのスキャンダルが絶えなかったし、本人も特にそれを隠そうとはしていなかった。後に自伝で寝た相手をほぼ全員実名公開してしまったそうで、大変バッシングを受けたが、本人あまり気にしていなかったというのも面白かった。他人がどう見るかより自分がどうしたいのかだ、と行動する一方、コレクターとしての自分に対する評価には敏感だった。承認欲求が強く、パトロネス、コレクターとしての活動はそれを埋める為のものだったのではと話す関係者もいた。もし彼女が現代に生きていたら、美術分野にはいかなかったのではないかとも思う。商才のある人だったそうなので、ビジネスの世界でぶいぶい言わせていたかもしれない。当時は女性、特に上流階級の女性がビジネスの場で活躍する機会はあまりなかっただろう。そう思うと、彼女のコレクションは後世にとっては大きな遺産だが、ちょっと複雑な気分にもなる。
 諸々について気にする所と気にしない所のちぐはぐさが面白い人だったのではないか。自宅で振舞われるランチがとにかく不味いというのには笑ってしまった。ケチだと言う人もいたが、食に対する興味が極端に低かったらしい(あれだけのコレクションを作ってケチということは有り得ないだろう)。

ペギー―現代美術に恋した“気まぐれ令嬢”
ジャクリーン・ボグラド ウェルド
文藝春秋
1991-01




『パーフェクトワールド 君といる奇跡』

 インテリアデザイン会社に就職した川奈つぐみ(杉咲花)は、取引先との飲み会で高校時代の先輩で初恋相手の鮎川樹(岩田剛典)と再会する。建築士として働く樹は、交通事故で脊髄損傷し、車椅子で生活するようになっていた。つぐみは樹と仕事をするうちに再び彼への想いが強まり、側で支えたいと思う様になる。樹もまっすぐなつぐみに惹かれていくが、自分は彼女の重荷にしかならないのではと悩む。監督は芝山健次。
 杉咲も岩田も悪くはないのだが、杉咲のルックスがかなり幼い(正直、オフィスカジュアルよりも高校の制服の方が様になっていた)ので、2ショットがどうかすると犯罪っぽく見えてしまう・・・。誰のせいでもないが、見ていてちょっときまり悪くて困った。子供っぽかった女の子が段々とタフさを見せていくという意外性みたいなものがでていればいいのだが、つぐみの成長は描いているものの、そこまでには至らなかったように思う。
 基本的にいい人、まともな人しか出てこないので、不快感はない。2人の障害となる人物としてつぐみの両親(特に父親)が挙げられるだろうが、父親は自分が理不尽なことを言っているという自覚はあるし、その上で娘には少しでもハードルの低い人生を送ってほしいという切実さは伝わるので、不快ということはなかったし、悪者にもしていない。樹の母親が「誰かに迷惑をかけても子供には幸せになってほしい」と吐露する言葉と対になって、親の視点として提示されているのは良かった。
 状況、心情の殆どをつぐみのセリフとモノローグで説明してくれる親切設計で、それ言わないとだめ?と思う所は多々ある。決して流暢な作りの映画というわけではないのだが、真面目に作っており、車椅子で生活することについてきちんとリサーチをしているのはよくわかる。
 車椅子で生活する人の動作、具体的にどういう困難さがあるのかという部分、また周囲からどんなことを言われがちなのか、それについて当人はどう感じるのか、ちゃんと見せようとしていると思う。また、当人の親や恋人等親しい人たちの心情や、障害によって関係がどのように変わりうるのかという所も言及しており、見せ方が一方通行にならないような配慮が見られた。母親に「実家に帰ってきた方がいいんじゃない?」「仕事は地元でもできるでしょ」と言われるのは、親心故とわかっていても結構きついんじゃないかなと思わされた。
 つぐみが最後に口にする「夢の中の先輩は~」というセリフ、樹が前に口にした自分の夢の話と対になっているが、2人が「そういうもの」として自分たちのあり方を受け入れたことがわかり、ちょっといいと思う。


AIKI [DVD]
加藤晴彦
バップ
2003-06-25


『コーヒーが冷めないうちに』

 喫茶店フニクリフニクラには、不思議な噂があった。ある席に座ると望んだ時間に戻れるというのだ。その不思議な現象は、店員の時田数(有村架純)がいれたコーヒーにより起こる。しかしいくつかのルールがあり、それを守らないと元の時間に戻れないのだ。店には様々な事情を抱えた人たちが訪れる。原作は川口俊和の同名小説。監督は塚原あや子。
 116分の作品だが、構成は映画よりも連続ドラマ向き。連作短編集的な構造で、30分×4回くらいの気軽に見られるTVドラマだとちょうどいい感じの話だった。個々の客の事情を順番にフォーカスしつつ、数が長年抱えるわだかまりにフォーカスしていくという構成なのだが、映画としては長すぎでメリハリに欠ける。ビジュアルもTVドラマっぽく平坦な印象で映画としては安っぽい(特に店内セットがテーマパーク内の飲食店みたい)。また結構いい役者が出ているのになぜか全員普段より下手に見え、よっぽど製作期間が短かったのかと思ってしまう。TVドラマとして見たら、多分そんなに悪い印象にならないので、メディアを間違ったなぁとしか・・・。
 特に気になったのは、導入部分の不恰好さだ。タイムスリップの「ルール」については本編中でも説明されるので、冒頭でわざわざ字幕にする必要はなかったのでは。また1つ目のエピソードが、それ過去に戻らないと言えないこと?って感じ(作中でも突っ込まれるくらいだし)でちょっと嫌になってしまった。タイムスリップする客を演じた波瑠が丸損した感じなっちゃっている。ただ、ドラマは徐々に持ち直す。特に松重豊と薬師丸ひろ子が演じるエピソードは時間が積み重なることの豊かさと残酷さ両方を見せており悪くない。



『検察側の罪人』

 金貸しをしていた夫婦が殺され、東京地検刑事部の検事・最上(木村拓哉)と新人検事の沖野(二宮和也)が事件を手掛けることになった。既に時効となった少女殺人事件の容疑者だった松倉(酒向芳)に疑いがかかるが決め手がない。沖のは徐々に、最上が松倉を真犯人に仕立てようとしているのではと疑い始める。原作は雫井脩介の同名小説。監督は原田眞人。
 映画のビジュアルや演出も、役者の演技も妙にくどい。二宮はしばしば見せる句点の置き方が不思議なせりふ回しが強化されており、木村はやたらと演技がかっている。最上に協力する闇ブローカー諏訪部(松重豊)は立ち居振る舞いが漫画みたいなデフォルメ度だし、容疑者・松倉は色々と奇矯すぎる。前景にいる登場人物はくっきりすぎるほど濃く、くどく、背景の登場人物は色が薄くナチュラルという描き分けがされているように思った。あえてのくどさなのだろうが、少々上滑りしているように思った。最上の新人研修教官としての立ち居振る舞いや、友人と同じ誕生日の有名人の名前を挙げていくシーンは、やり過ぎ感極まって、見ていて笑いそうになる。まあそのくどさも本作の持ち味だろう。
 本作、前半は割と普通のミステリ映画だと思うのだが、後半、最上が独自に動き始めるにつれて、どんどん奇妙なねじれを見せていく。後半の最上の行動は穴だらけでミステリ要素はどんどん薄まる。更に、最上の祖父は太平洋戦争中のインパール作戦の生き残りで、諏訪部はその手記に興味を持っている設定なのだが、このインパール作戦の記憶が他の部分とそぐわず浮いている。おそらく原作にはなかった要素だと思う。最上の親友・丹野(平岳大)が巻き込まれたスキャンダルの背後にあるもの、そして最上自身もその最中にいる組織、システムの病巣と根を同じくするものとして取り入れられているのだろうが、無理矢理感が強い。監督の熱意はわかるが、この作品でそれをやる必要があったのかは疑問。そしてラストショットがダサすぎて震えた。叫ぶやつ、もうやめませんか・・・。

検察側の罪人 上 (文春文庫)
雫井 脩介
文藝春秋
2017-02-10


検察側の証人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-05-14


『ジョイランド』

スティーブン・キング著、土屋晃訳
 1973年の夏休み。大学生の「ぼく」はガールフレンドとの距離を縮められないことに悩みながらも、遊園地「ジョイランド」でアルバイトを始めた。頼れる先輩や友人もでき、多忙ながらも楽しく充実した毎日だったが、下宿の女将から聞いた過去の殺人事件の話が気にかかっていた。4年前、遊園地内の幽霊屋敷で喉を裂かれて殺された女の子がいたという。友人に頼んで調べた所、似たような事件がいくつも起きていたことがわかる。
 キング作品には苦手意識があったのだが、本作は面白かった!ホラー要素が薄く(幽霊は出てくるが人を怖がらせる為ではない)どちらかというとミステリ小説としての側面の方が強い。犯人特定への道筋も一応理論的なもの(とは言えミステリとしては大味で、なぜそれまでだれも気付かなかった?!って気はするのだが・・・)。何よりジョイランドの情景や仕事内容の描写が生き生きとしており、青春物語としての瑞々しさがある。遊園地の支配人や占い師、下宿の女将など、サブキャラクターの造形がしっかりとしているのも魅力だった。ただ、「ぼく」が初恋相手のガールフレンドとの関係をずっと引きずっているのには辟易とした。「ぼく」は彼女とセックスできないことに焦れ、彼女の心が離れていくことに深く傷つく。でも彼女の方からしたら、「ぼく」は大分鬱陶しいのでは・・・。そして得られなかったセックスに対する埋め合わせみたいな展開が後半にあるが、それもちょっとなー。ちょっと夢見させすぎではないですかと・・・。

ジョイランド (文春文庫)
スティーヴン キング
文藝春秋
2016-07-08


女と男の観覧車 [Blu-ray]
ケイト・ウィンスレット
バップ
2018-12-19


『劇場版 夏目友人帳 うつせみに結ぶ』

幼い頃から、他の人の目には見えない妖を見ることができた夏目貴志(神谷浩史)は、亡き祖母レイコが妖怪たちから名前を集めた「友人帳」を受け継ぎ、名前を返してほしいとやってくる妖怪にはその名を返していた。強い妖力の持ち主だったレイコは、妖怪と勝負をして負かした相手に契約書を書かせていたのだ。ある日夏目は10代の頃の祖母を知る津村容莉枝(島本須美)とその息子・椋雄(高良健吾)と知り合う。2人が住む町で妖怪の気配を感じた夏目は、自称用心棒の妖怪・ニャンコ先生(井上和彦)と調べに向かう。緑川ゆきの同名漫画をアニメ化したTVシリーズ作品の、オリジナル劇場版。総監督はTVシリーズ監督を務めた大森貴弘、監督は伊藤秀樹。
104分の劇場用作品だが、中身はいたって通常営業。妙な気負いや派手なイベントはなく、このシリーズらしい地味ながら丁寧なストーリーテリングと美術を見せている。シリーズのファンの期待はまず裏切らないのではと思う。下手に特別なことをやろうとせずに、きちんとウェルメイドに仕上げている。
本シリーズ、季節感の演出に毎回味わいがあってとても良い。舞台は田園風景広がる結構な田舎(モデルは熊本らしい)だが、本作では盛夏~秋の気配が感じられる頃までを描く。緑の濃さの変化や日差しの強さが、だんだん秋らしくなる様が気持ち良かった。随所で挿入される虫や鳥のショットもアクセントになっていて良い。
さすらい続け人の記憶に留まれない妖怪の寂しさが、人間の世界では異端視され一か所に留まれなかったレイコが感じていたかもしれない寂しさと呼応する。それは、かつての夏目が感じており、めぐりあわせによっては今も感じ続けることになったかもしれないものだ。本シリーズ、心温まるエピソードであってもいつもどこか寂しい。人間と妖怪は交流することはあっても、本質的に別の時間、別の理論で生きているのだと折に触れて感じさせるからだ。とは言え、常に何も残らないというわけではない。ささやかながら、異質なものと、あるいは異質なものとして生きることの希望が込められているように思う。


夏目友人帳 Blu-ray Disc BOX
神谷浩史
アニプレックス
2011-06-22


『パパはわるものチャンピオン』

 10年前は人気レスラーとして絶頂期にあった大村孝志(棚橋弘至)は、怪我の影響で第一線に戻れず、現在は悪役覆面レスラー・ゴキブリマスクとしてリングに上がっていた。息子の祥太(寺田心)は父親の仕事を知らず、「大きくなったら教える」と両親から伝えられていた。しかしひょんなことから、ゴキブリマスクが孝志だと知ってしまう。祥太は恥ずかしさから、クラスメイトに父親は人気レスラーだと嘘をつくが。原作は板橋雅弘・吉田尚令の絵本。監督は藤村亨平。
 私はプロレス門外漢なのだが、奇をてらわず実直に作られた作品で、ベタはベタなのだが思いのほか楽しめた。作中のプロレスラーは本職のレスラーの人たちが演じているので、プロレス場面は(素人目には)説得力がある。棚橋アイドル映画とも言えるのだが、孝志の妻・詩織役の木村佳乃を始めとする脇役の手堅さ、寺田心の子役としての鉄板演技も作品を支えている。棚橋も意外と好演。演技が上手いというわけではないが、やはり見られる職業の人、スターとして第一線で活躍してきた人はカメラの前でのハマり方が違うのだろう。様になっている。また、ゴキブリマスクの相方であるギンバエマスクこと寄田を演じた田口隆祐は、俳優業でもいけるのでは?という存在感があった。
 本作の良い所は、孝志の「わるもの」=ヒールという職業を否定しないところだろう。ヒールがいてこそのプロレスで、ヒールにはヒールの矜持がある。だからこそ、マスクを取った弘志に対して寄田は怒る。寄田は根っからのヒールで自分の仕事にプライドを持っているのだ。孝志がヒーローに転向して復活すればめでたしめでたし、というわけではないと断言している所がよかった。
 

お父さんのバックドロップ [DVD]
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アミューズソフトエンタテインメント
2005-04-22



『運命は踊る』

 テルアビブに暮らすミハエル(リオル・アシュケナージ)とダフナ(サラ・アドラー)夫婦の元に、息子ヨナタン(ヨナタン・シライ)が戦死したと言う知らせが入る。ショックでダフネは寝込み、ミハエルは軍の煮え切らない対応に苛立つ。しかし戦死は誤報だったと判明。激怒したミハエルは息子をすぐに呼び戻せと軍に要求する。一方、ヨナタンは前哨基地の検問所で、何も起こらない単調な日々を送っていたが。監督はサミュエル・マオス。
 原題はFoxtrot。作中で言及されるように「同じ場所に戻ってくる」ダンスのステップだ。人間は生きている限り踊り続けるしかないしステップを踏み続けてもどこにも行けないという、大分皮肉な題名。人生で何が起きるかはわからず、起きたことには抗いようがない。翻弄されるだけだ。
 とは言え、これは言うまでもないことなので、「運命のいたずら」をこんなに持って回った見せ方をする必要はあったのかは疑問。ミハエルたちが陥ってしまう事態は決して自分のせいではなく、かといって何か・誰かのせいとも断言できないあやふやかつ理不尽なもの。でも、人生で起きる殆どのことってそういうものでは?という気がしてくる。
 理不尽な戦死の知らせとその撤回、何もなさすぎから一転してシュールに見えるヨナタンの日常のパートは、スタイル先行というか作為が鼻につくと言うか、正直ちょっと飽きてしまった。ただ、後半のミハエルとダフネのパートは印象に残った。何かが起きた後、既に取り返しがつかなくなった後でないと、その時の感情、幸福に気付かないことが往々にしてある。気付く為に支払うものが大きすぎる!とは言え、過去を振り返ることでミハエルとダフネがもう一度向き合えたようにも思う。娘は「2人は一緒にいる方が似合う」と言う。そう上手くはいかないだろうけど、何かの糸口は見える気がするのだ。


レバノン [DVD]
ヨアフ・ドナ
ビデオメーカー
2011-01-07


『散り椿』

 藩の不正を訴えた為に妻と共に藩を追われた瓜生新兵衛(岡田准一)。病に倒れた妻・篠(麻生久美子)は、死ぬ前に新兵衛にある願いを託す。その願いとは、新兵衛の旧友で、彼が追放された原因にも関わる榊原采女(西島秀俊)を助けてほしいというものだった。采女はかつて篠との縁談があったが、家柄の違いを理由に母親が猛反対し破談になったのだ。妻の願いをかなえるために藩へ戻った新兵衛は、過去の事件の真相に関する情報を得ていく。原作は葉室麟、監督は木村大作。
 非常にオーソドックスなメロドラマ時代劇という印象。男性2人と死んだ女性による三角関係だが、死者には勝てない、何を言ってもかなわないのだ。篠が他の登場人物と比べるとアイコン的すぎるというか、絵に描いたような幸薄く美しい妻という感じで浮いている。これは演技プランや演出のミスではなく、男性たちの記憶の中で彼女が純化されすぎ、幻想の女みたいになっているということではないだろうか。本当の彼女はどういう人だったのか、最後まで見えてこない。あくまで新兵衛の記憶の中の彼女、采女の記憶の中の彼女なのだ。
 新兵衛は篠に対して負い目があるのだが、冒頭のやりとりではお互いに非常に大事にしあっている夫婦という印象を受けるので、客観的にはそんなに負い目を感じる必要はなかったように思える。とは言え当事者としてはそうは思えないのだろう。篠の願いのみならず、新兵衛は自主的に死者による枷をどんどんしょい込んでいるように見える。こういう人は「生きろ」と言われてもそれはそれでしんどいのだろう。「生きろ」という言葉自体が呪いになってしまうという業のようなものが、話のベースにあるように思う。
 話の進め方自体は割と無骨というか平坦なのだが、随所で映される山や林等、風景が美しい。これで結構間が持つ。更に、殺陣が始まると画面が一気に凄みを増す。岡田准一はなんだかすごいことになっているなと唸った。正直アクション以外の演技はやや単調なのだが、殺陣での動きの速さ、動と静の切り替えのブレの少なさ等、メリハリの付け方が素晴らしい。新兵衛の剣術の姿勢は腰の位置がかなり低く、采女の姿勢と比べるとちょっと奇異にも見えるのだが、剣豪としての動きに説得力があった。これは、監督も撮影するのが楽しかっただろうなぁ。エンドロール、岡田が「殺陣」としてクレジットされているのにも唸った。どこへ行きたいんだ・・・。
 出演者はベテラン勢が安定しており、危なげがない。ただ、「時代劇演技」の出力に少々個別差があったように思う。「形」としての固め方がまちまちな感じ。その中で、若手の池松壮亮が少々浮いて見えてしまったのは残念。単品で見ると好演だが、周囲とそぐわないと言うか。

散り椿 (角川文庫)
葉室 麟
KADOKAWA/角川書店
2014-12-25


花よりもなほ 通常版 [DVD]
岡田准一
バンダイビジュアル
2006-11-24


『クレイジー・リッチ!』

 若くして経済学の教授となり、ニューヨークで働くレイチェル(コンスタンス・ウー)。恋人ニック(ヘンリー・ゴールディング)が親友の結婚式に出席するのに伴われ、初めて彼の故郷であるシンガポールにやってきた。初めてニックの家族に会うのでレイチェルは緊張していたが、彼はシンガポールの不動産王である名家の一人息子だと明かされる。ニックの母エレノア(ミシェル・ヨー)を始め親族、そして独身の富豪であるニックを狙う社交界の女性達から、レイチェルは敵視されてしまう。監督はジョン・M・チュウ。
 レイチェルは母親が中国からアメリカに移住してきた中国系移民2世。一方、ニックとその一族は何代も前に中国からシンガポールに移住して土地を切り開き財を成した華僑一族。同じ移民ではあるが、エレノアたちにしてみるとレイチェルは大幅に「格下」なのだ。また、同じ中国系移民ではあるが、レイチェルは友人に「バナナ(皮は黄色いが中身は白い)」と言われるようにアイデンティティはアメリカ人で、中国語もさほど出来ない。中国の伝統を受け継いできたエレノアたちにとってはそこもまた気に入らないところだ。嫁姑合戦というよりも、異文化間の不調和なのだ。レイチェルは聡明でやりがいのある仕事をしている、自立した人物だが、そういった特質はエレノアたちの文化圏では必ずしもプラスではない。
 とは言え、レイチェルは持ち前のガッツで事態を打開していこうとする。彼女がちゃんと話し合う人、自分の生き方を弁えている人であるという所が清々しい。エレノアも単に怖い姑ではなく、彼女には彼女の責任と苦悩があってこその行動だとわかる。女性達のキャラクターがしっかり立ち上がっていた。一方、彼女らに比べるとニックはちょっと頼りない。ラストにも不満が残った。この先どうなるのかというところが濁されているが、2人が「どうする」のかが見たかった。「俺たちの闘いはこれからだ!」エンドっぽく見えてしまった。
 本作、アメリカでは大ヒットしたそうだが、アジア系移民が多数いるアメリカで作られ、上映したからこそわかる面白さなのではないかと思う。日本で見ると、そういった背景が抜け落ちてしまうのではないか。正直、ストーリー単体は古今東西よくある話で、そんなに独自性があるわけではないので、映画が置かれた状況を知らないと何でそんなにヒットしたの?と不思議に思うのでは。

ミート・ザ・ペアレンツ [DVD]
ロバート・デ・ニーロ
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2012-08-10





『失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントのほうⅡ』

マルセル・プルースト著、高遠弘美訳
 ヴィルパリジ夫人のサロンに招かれた「私」は社交界の人々がドレフュス事件や芸術、文学の話に花を咲かせるのを目の当たりにする。そして憧れのゲルマント公爵夫人と言葉を交わす機会を得る。一方、祖母の容態は次第に悪化し、「私」も母も懸命に介護するが、最後の時は近づいていた。
 光文社古典新訳文庫版もついに6冊目!超大作の本著だが、一気に読もうと思わなければ、結構読めるものだ。もちろん新しい訳は読みやすい、分かりやすいので読書が進むという面もある。今回は当時のパリの社交界の様子、サロンの雰囲気の描写がとても面白い。当時ドレフュス事件が話題になっており、本著の中でもサロンの客それぞれの立場・見解が披露される。上流階級におけるユダヤ人差別が結構あからさまで、現代の感覚で読むとちょっと退く所も。でも人間、人を貶める話題で盛り上がりがちだというのは100年経っても変わらないんだな・・・。またサロン主催者同士の張り合いや、「逆におしゃれ」を狙った逆張りのやりすぎで結局何をしたいのかよくわからなかったり、決して品が良いとは言えない面もある。様々な知識や美学が飛び交うが、野次馬根性や妬みや欲も飛び交っており、現代だったら人が集うサロンというよりもSNSでのやりとりに近い雰囲気。マウントの取り合いがなかなかイタイタしい。俗っぽさの描写のさじ加減が「私」はサロンに集う人たちに興奮するが、こんなものかという失望もあったように思えた。
 一方、祖母の衰えや容態が悪化していく様の描写は非常に生生しく、痛ましい。だんだん記憶が飛んだり混乱したりするようになり、「私」が誰だかもわからなくなってくる様子は胸に刺さる。あれはきついんだよなぁ・・・。著者にとっても渾身のパートなのではないかと思う。「私」にとって非常に大きい存在だった祖母が失われ、「私」の中で一つの時代が終わるパートなのだ。老いて意識が混濁していく当人の苦しみと、残される家族の苦しみとが克明に描かれている。祖母がいよいよ、という時にタイミングの悪い見舞客が来てうんざりする件など、ちょっと笑ってしまうのだがリアルだ。

失われた時を求めて6 (光文社古典新訳文庫)
マルセル プルースト
光文社
2018-07-11


『クワイエット・プレイス』

 音に反応して人間を襲う存在によって、人類は滅亡の危機に瀕していた。エヴリン(エミリー・ブラント)とリー(ジョン・クラシンスキー)夫婦、娘のリーガン(ミリセント・シモンズ)と息子のマーカス(ノア・ジュプ)は音を立ててはいけないというルールを徹底し、森に囲まれた農園でひっそりと生き延びていた。リーガンに聴覚障害がある為に元々手話でコミュニケーションを取っていたのだ。しかし彼らにも危機が迫る。監督はジョン・クラシンスキー。
 「音を立ててはいけない」というワンアイディアを膨らませたスリラーだが、勢いがありとても面白かった。冷静に考えるとどのくらいの音量ならアウトなのか、敵の聴覚はどのくらいの精度なのかという設定が結構曖昧なのだが、勢いよく話を転がしていくので見ている間はそれほど気にならない。伏線の提示が非常に分かりやすく、話を転がす為の設定がやや鼻につく(裸足でいるところとか)のだが、あざというというよりも不器用故に伏線の敷き方が目立ってしまうという感じだった。「音を立ててはいけない」という一点突破で、下手に話を広げすぎなかったところも勝因だろう。
 音を立てたら死ぬという状況下で子供を産もうというのが本作の設定で一番どうかしている所だと思うのだが、サスペンスの舞台装置としてはスリリングだしこの先どうするの?!という予想のつかなさもある。これに限らずラストに至るまで、全ての設定をスリラーの装置として機能させようという作品に想えた。そこが鼻につくと言えば鼻につくかもしれないが、手堅いし上手い。
 両親が子供にかける思い、子供の親兄弟に対する思いが深くしっかりと描かれているので、設定が単なる装置で終わらず、登場人物たちのキャラクターが浮かび上がっている。リーとリーガンのすれ違いは、聴こえる/聴こえないという立場の違いが生んだものでもあるが、過去のある事件に対する双方の後悔のすれ違いが生んだものでもある。親は子供にはとにかく生き延びてほしい、安全でいてほしくて色々やるわけだが、子供にはそのへんがいまひとつ伝わらないのだ。リーガン役のシモンズは『ワンダーストラック』(トッド・ヘインズ監督)でも好演だったが、今回も良い。親子の描き方がしっかりとしているので、安っぽいドラマには見えなかった。
 なお、撮影がなぜかとても良くて、秋の光が美しい。森の情景がいい!光の加減でちゃんと季節がわかる。

ブラインドネス [Blu-ray]
ジュリアン・ムーア
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2013-01-30


ドント・ブリーズ [AmazonDVDコレクション]
ジェーン・レヴィ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-10-04


『かごの中の瞳』

 夫ジェームズ(ジェイソン・クラーク)と共に、彼の赴任先であるバンコクで暮らすジーナ(ブレイク・ライブラリー)は、子供の頃に遭った交通事故で失明していたが、ジェームズが献身的に支え、幸せな生活を送っていた。運よく角膜移植に成功して視力を取戻し夫と共に喜ぶが、「想像していたのと違う」世界に違和感も感じていた。一人ではできなかったことに次々と挑戦するジーナだが、ジェームズは徐々に嫉妬を感じ始める。監督はマーク・フォスター。
 ジーナが視覚を失っている時の世界の感じ方、快感の捉え方の感覚を、ビジュアルとして表現している部分が面白かった。視覚以外で感じている人の世界を視覚で表すというのは矛盾しているような気もするが、こういう感じ方、という雰囲気は出ており何となく納得はいく(ジーナは後天的に視力を失っており、最初から見えなかったわけではないというのも大きいが)。
 ジェームズとジーナの仲が円満で、ジェームズが彼女を細やかに気遣っていることが、序盤でよくわかる。しかしジーナが視力を取り戻したあたりから、じわじわと不穏さが漂ってくる。ジーナは今までできなかったメイクやドレスアップをして外出するようになるが、ジェームズは彼女が他の男の目を引きつけるのでは、自分から目移りするのではと疑心暗鬼に駆られるようになる。自分の庇護が必要な存在だから、自分が影響力を持てる存在だから彼は彼女を愛していたのか?独立した存在としては見ていなかったのか?と2人の関係の前提が揺らいでいくのだ。セックスの時にジーナがイニシアチブを取ろうとするのにも、彼女の姉夫婦の家での滞在でも、自分が主導権を取れないことを、ジェームズは不安がり嫌がる。では彼女の何を愛していたのだろう。
 喜ばしいはずの変化が、2人の関係を揺るがし変化させていく。視力の回復という特殊な設定ではあるが、似たような食い違いや疑心暗鬼は、夫婦ならずともよくあることなのでは。2人だけで完結した世界のままだったら平穏だったのかもしれないが、いつまでもそのままではいられないだろう。ジーナとジェームズの関係も、仮にジーナの視力が戻らないままだったとしても、遅かれ早かれ破綻していったのではないかとも思う。

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レントラックジャパン
2003-10-24


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エイミー・アダムス
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2016-07-02




『愛しのアイリーン』

 42歳実家在住、田舎のパチンコ店勤め、独身で恋愛経験なしの宍戸岩男(安田顕)は、ある日姿を消し、父親の葬式の日に帰宅した。彼はフィリピン人の妻アイリーン(ナッツ・シトイ)を連れてきたのだ。岩男を溺愛してきた母ツル(木野花)は大反対し、喪服姿でアイリーンにライフルを向ける。原作は新井英樹の同名漫画。監督・脚本は吉田恵輔。
 とにもかくにもツル役の木野花が強烈で一気に引き込まれる。もはや飛び道具で、木野を見ているだけでも面白い。主演の安田もでろっとした眼差しや重たい存在感が見ている側の神経を逆なでする。ここ数年での安田の確変振りには目が離せないのだが、本作で一つの路線を極めたなという感がある。
 原作が描かれてからそこそこ経年しているので、いい加減古びて見えるのではないかなと思ったが、描かれる問題が全く古びていないことにげんなりした。女性かつフィリピン人であるアイリーンに対する侮りと差別。女性はセックスありきの存在で、拒むと逆恨みされる様。また男性にかけられる結婚・家庭作りのプレッシャーと「いい嫁」の強要。そして金とセックス。日本の村の地獄がだだ漏れだ。村と言っても、具体的な地域というよりも、日本(だけじゃないだろうけど)社会の根底に流れる村的なメンタリティと言った方が正しいのかもしれない。そこそこ都会が舞台になったとしても、何らかのコミュニティに所属している以上、似たようなことが起きそうだなと思った。様々なものを突き抜けたラストですら、古典的な日本の村!ツルが体現するような強力すぎ、いきすぎな母性は、時代も場所も関係ないだろうし。岩男をどこまでも追ってくる、本人はそれをよかれと思っている所が、愛ゆえとわかっているからこそ怖い。
 アイリーンにちょっかいをかけるヤクザ塩崎(伊勢谷友介)の行動が印象に残った。彼はフィリピン人であった母親を金で買って食い物にした日本の男、日本の社会を恨んでいる、にもかかわらず、自分も恨んでいる相手と同じようなことをやっている。自分が恨む日本の社会、男性主体のシステムに取り込まれてしまっているのだ。そのアンビバレンツに葛藤はないのだろうか。アイリーンが突っ込みかけるが強制終了されてしまうので、その先が見てみたかった。
 それにしても、岩男の結婚したい=いつでもセックスできる相手が欲しいという渇望が強すぎて大分辟易とする。本作で岩男と関わる女性たちは、実母であるツルを除き皆セックスの対象としてしかとらえられていない。アイリーンとの間に愛らしきものが漂う瞬間はあるのだが、かき消されてしまう。アイリーンが日本語を学ぼうとするのと対象的に、岩男はアイリーンの母語も英語も学ぼうとはせず、一個人としてのアイリーンのことを知ろうとはしない。岩男の態度がもう少し違ったものだったら、愛らしきものが愛になる様を見ることが出来たのかもしれない。

愛しのアイリーン[新装版] 上
新井 英樹
太田出版
2010-12-15


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2016-11-02


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