3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』

 海辺の町・杜王町に母と祖父と住む高校生の東方仗助(山崎賢人)は触れることで他人のけがや壊れた物を修復する特殊能力を持っていた。彼を訪ねてきた「甥」で同じような能力を持つ空条承太郎(伊勢谷友介)によれば、その力は「スタンド」だと言う。仗助と承太郎は、杜王町で続発している変死事件はスタンドによるものではないかと気づく。原作は荒木飛呂彦の大ヒット漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の第四部。監督は三池崇史。
 漫画原作映画ブームなのかもしれないが、いくらなんでもハードル高すぎないか、誰も幸せになれなさそうな気配がぷんぷんするわ・・・と思っていたのだが、予想より全然面白かった。侮りまくって申し訳ない・・・。原作に沿った登場人物のビジュアルは実写にするとなかなか素っ頓狂だし、スタンドという漫画ならではの設定はあるのだが、映画としての見せ方は意外とスタンダードで、案外奇をてらっていない印象。なので、原作をなんとなく知っている程度なら十分楽しめるのでは(とりあえずスタンドの概念を知っていれば大丈夫)。また、CGのスタンドにしろ、衣装にしろ、あんまり安っぽくない。ちゃんと「映画」をやるぞ!という意気込みが感じられる。ただ、わざわざイタリアでロケをした意味はあまりなかった気がする。いかにも観光地という絵にかいたような街並みなので逆に嘘っぽい。なんだったら舞浜とか熱海とかのほうが説得力あったかもなぁ・・・。
 本作、原作のうち片桐のエピソードと虹村兄弟のエピソードを映画化しているのだが、エピソードの分量と内容、組み合わせ方が映画のボリュームにちょうど良かったというのも勝因かと思う。また、片桐編で仗助の家庭と家族に対する思いが表明され、虹村兄弟編がその反転になっている。仗助は言動は不良だが、家族に愛されいい環境で育っていることが言動の端々からわかる。虹村兄弟はそういう家族になる可能性を奪われてしまった人たちだ。しかしそれでも「家族」だった時間がある。兄・億泰(岡田将生)の行動は非情で利己的ではあるが、悲哀も漂うのだ。演じた岡田は、本作出演者の中では一番好演だったのではないかな。セリフの発声が案外しっかりしているので、聞き取りやすい。
 このシリーズ、問題は二章以降だろう。登場人物が結構増えるし、枝葉のエピソードも多いので、原作をどの程度アレンジしてくるか気になる。ちょっと大変そうだよね・・・。

『ダイ・ビューティフル』

 長年の夢だったミスコンで優勝したトリシャ・エチェバリア(パオロ・バレステロス)は、突然死してしまう。トリシャは生前、葬儀では毎日メイクを変えてくれと親友に頼んでいた。彼女は裕福な家庭の一人息子として生まれたが、トランスジェンダーであることを認めない父親に家を追い出され、自分らしく生きようとしてきたのだ。監督はジュン・ロブレス・ラナ。
 トリシャの人生(と葬儀)の様々な局面を行ったり来たりする、少々目まぐるしい構成。時間の流れ通りに進行する葬儀と、過去の様々な局面との行ったり来たりであれば、もう少し整理された印象になるのだろうが、葬儀のシーンも時系列通りじゃないんだよなー。記憶はそもそも秩序立っておらず芋づる式に呼び起されるものだというなら、この構成で間違いではないんだろうけど、ストーリーの見せ方としてはちょっともたついている。しかしそれが疵にならないくらい、大変面白かった。1人の人間が自分の人生を生きようとした物語として、ぐっとくる。
 トリシャの父親は彼女をあくまで「息子」として見ているので、彼女のセクシャリティには全く理解がない。彼女が死んだ際も男の体に「戻して」葬儀をしようとする為、トリシャの友人たちは猛反発する。姉は彼女にもう少し同情的だが、やはり理解はできない。また、トリシャはなぜか恋愛運が悪く、イケメンと付き合ってもすぐに浮気されたり相手が訳ありだったりする。肉親の愛とパートナーとの愛には恵まれない人生なのだ。
 しかし彼女には、それを補って有り余る友人たち、そして養女からの愛がある。子供の頃からの親友バーブ(クリスチャン・バブレス)はトリシャを励まし笑わせ、時に彼女の代わりに怒ったり闘ったりもする(ちょっとだけ登場するバーブの母親のおおらかさも素晴らしい)。手厳しく彼女にはっぱをかける“ママ”やトランスジェンダー仲間たち等、彼女の周囲には人が絶えない。恋愛は上手くいかないし血のつながった家族とは絶縁状態だが、トリシャはそれに代わるような愛し愛される人たちを獲得している。彼女は恋愛にしろ養子を迎える流れにしろ、愛することをためらわない勇気がある人なんだなとわかるのだ。それが、周囲に人を集めるのだろう。
 葬儀での日替わりメイクは見事で、確かに不謹慎かもしれないけどSNSで拡散したくなるなと笑ってしまった。有名人のそっくりメイクというコンセプトなのだが、確かにものによっては完成度高い。

キンキー・ブーツ [DVD]


ジョエル・エドガートン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2012-02-08


プルートで朝食を [DVD]
キリアン・マーフィー
ポニーキャニオン
2006-12-22

『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』

ピーター・トライアス著、中原尚哉訳
 第二次大戦で日本とドイツが勝利し、アメリカ西海岸が日本の統治下にされた「日本合衆国」。検閲局に勤める石村大尉は、特高の槻野課員の訪問を受ける。彼女は石村のかつての上司である六浦賀将軍の行方を追っていた。高名なゲーム開発者だった六浦賀は、アメリカが戦争に勝利した世界を舞台とするゲーム「USA」を密かに開発し、アメリカ人抵抗組織に協力している疑いを掛けられていた。
 表紙絵の巨大ロボと口絵のコンセプトアートにはテンションが高まるが、実はこれ、表紙絵詐欺と言ってもいい。ロボは登場するが、それがメインというわけではないのだ。ロボが活躍するシーンの描写、そしてパイロットの言動には確かに熱くなるが・・・。本作はむしろフィリップ・K・ディック『高い城の男』を引き継ぐような歴史改変SFとして、所属する国と民俗に翻弄される人々を描いており、爽快感は薄い。むしろ息苦しく、悲観的だ。実際の戦中・戦後のアメリカでは日系人が迫害されたわけだが、本作では日本「以外の」血を持つ人たちが差別される。戯画的な「皇国」や日本軍の情景は露悪的でもあるが、どこの国であれ、軍国化すると似たり寄ったりな醜悪さを見せるものなのではとも思える。そして、自由と平等をうたうアメリカ人抵抗組織にしても、どこかファナティックで決して正義の味方的な描き方はされていない。もし彼らが権力を持ったら似たりよったりな醜悪さを見せるのではないかという、距離感がある。石村の行動の底にあったものが明らかになる最後のエピソードは、そういったイデオロギーや民族、国家を超えたところにあり、だからこそやりきれないのだ。
 なお、日本的な部分はむしろ、巻末の解説でも触れられているようにB級グルメ等の描写に色濃い。なぜそこにそんなに力を入れる?と首をひねったくらい。石村がB級グルメフードに対して妙に饒舌なのもそれっぽいなぁと思ったが、これは万国共通なのかな・・・。



高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)
フィリップ・K・ディック
早川書房
1984-07-31


『本屋さんのダイアナ』

柚木麻子著
 ギャンブラーだったという父親に付けられた「大穴(ダイアナ)」という名前がコンプレックスとなっていた少女は、同級生の彩子に『赤毛のアン』に出てくる「腹心の友」の名前だと言われた。育った環境も見た目も正反対な2人は、本がきっかけで親友になる。
 2人の少女が小学生から中学生、高校生になりやがて大人になっていく過程を描く成長物語。2人とも読書が大好きで、様々な本の題名が登場するところが楽しい。生きていく中でなぜ本、ことに小説が必要なのかということが描かれており、読書好きは共感するのでは(作中作があんまりおもしろくなさそうなのが難点なのだが・・・)。この切実さは、分からない人にはずっとわからない(そしてその方が生きやすい)のかもしれないけど・・・。
 ダイアナは洗練され知的な彩子とその両親を素敵だと思い憧れるが、彩子は彩子で型破りなダイアナと母親の自由さ(と彩子には見える)に憧れる。ダイアナも彩子も実は美形で、それぞれの親にはそれぞれ違った良さと難点があることが読者には徐々にわかってくるのだが、2人にはそれは見えていない。2人はあることがきっかけで絶縁状態になってしまうが、その原因もまたお互いにお互いのある部分が見えていなかったことによるものだと思う。しかし、そうであっても友情があったことには変わりはなく、時間を経ても、よみがえるものもある。2人の仲立ちをするのがやはり本だという所がにくい。なお、ダイアナも彩子も成長するにつれ、様々な問題、トラブルに直面していく。特に彩子が直面するものが、彼女が女性だから生じる(彼女に責任があるわけではなく、女性だからいけないということでもない)ものだというのが辛い。彩子は聡明でしっかりした人のはずなのに、そういう人でも世間がこうだと思い込んでいる「女性」としての立ち居振る舞いに準じてしまうものなのかと。そういうものから自由になる手がかりとなるのもまた、友人であり本であるのだ。


赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)
ルーシー・モード・モンゴメリ
新潮社
2008-02-26



『ザ・マミー』

 
(一部訂正しました)
古代エジプトの王女アマネット(ソフィア・ブテラ)は、次期女王にするという約束を破った父王を恨み、死の神セトと契約して父王とその妃、生まれたばかりの王子を殺害。その報いとして生きたまま棺に葬られ封印された。そして2000年後、米軍兵のニック・モートン(トム・クルーズ)と考古学者ジェシー・ハルジー(アナベル・ウォーリス)は古代メソポタミアにあたる現代の中東地域で石棺を発見。輸送機でイギリスに持ち返ろうとするが、トラブルにより墜落し、石棺は行方不明になってしまう。監督はアレックス・カーツマン。
 なんだか大味なストーリーだなー、第一これは「マミー」ではないんじゃ・・・(言うほどミイラが活躍しない。そもそもミイラというよりもゾンビなのでは)と思っていたら、監督はトランスフォーマーシリーズ(『トランスフォーマー』『トランスフォーマー/リベンジ』)の脚本書いた人だったのね・・・うん、じゃあしょうがない!世間ではあまり評判芳しくない本作、確かにストーリーが直線的でキレには乏しいのだが、私はそんなに悪いとは思わなかった。全ての映画を気合入れてすごく楽しみにして見に行くわけではないので、空き時間にぷらっと見に行って何も考えずに見られる娯楽作って、それなりに価値があると思う。非難されているとしたら、本作がミイラが出てくるホラー映画ではない、あまりドキドキしない(だからぼーっと見るにはちょうどいいんだけど)という所ではないか。
 とは言え、トム・クルーズが主演していると他の部分がぐだぐだでも「トム・クルーズ映画」として立ち位置が定まるので、やはりトム・クルーズは偉い。本作ではヌードまで披露して頑張っている。近年はコミカルな顔芸も見せているトムだが、本作もコメディっぽい演出が結構多い(劇場内で殆ど笑いが起きていなかったのが痛いが・・・)。冒頭のドタバタ展開はジャッキー・チェンの映画みたいだった。演じるニックというキャラクターは、取り柄が顔だけなくそったれとして登場するので、最近のトム主演作としては珍しいパターンなのかもしれない。
しかしトム・クルーズがかすむ勢いでソフィア・ブテラが最高だった。アマネットは悪い!強い!美しい!の三拍子が揃った悪役なのでもっと見たかったなぁ。絶対後悔してなさそうなところがいい。

ミイラ再生 [DVD]
ボリス・カーロフ
ジェネオン・ユニバーサル
2012-10-24

プレスリーVSミイラ男 [DVD]
ブルース・キャンベル
クロックワークス
2007-05-25


『手を失くした少女』

 東京アニメアワードフェスティバル2017のコンペティション部門・長編アニメーショングランプリ受賞作品。監督はセバスチャン・ルドバース。グリム童話の「手なし娘」を下敷きに、デッサン、ペインティング風の線と色彩で構成されたアニメーション。
 アンスティチュ・フランセ東京での特別上映会で鑑賞したのだが、本編上映前に監督からの本作に対するコメント映像が15分ほどあった。それによると、作画は1人で行っており、製作スピードはかなり速かったそうだ。アニメーションというと、最初に絵コンテを切ってタイムシートを作ってそれに合わせて原画を描いていくものなのだろうが、本作の場合は、監督の頭の中におおまかなストーリーと映像の流れがあり、とにかくどんどん原画(監督によると“デッサン”)を描いていく。描いては修正し、また描き足して修正し、という繰り返しだったようで、ドローイングがそのままアニメーションの原画になっているようだ。絵のタッチも、完成した絵に拘らず、あえて線が途中で切れたり大まかなアウトラインのみの絵を繋げることで、今線を描いているような臨場感が生まれている。線のない部分も見る側は頭の中で補完して見ていることに気付き、この手法で通すことにしたのだとか。製作をスピードアップできる、かつ製作時の線の勢いをそのままアニメーションとして活かせる手法だと思う。躍動感があって、とても美しい。
 主人公の娘が能動的で、父親からも巡り合った王子からも離れて自力で生きようとする所は、今日的な造形でこれもよかった。彼女が王子からもらった金の義手を捨て、手が不自由なら不自由なりに生活を築いていく姿は、地に足の着いた感がある。果物にかぶりついたり、口も使って畑を耕し種を植える姿は、屋敷で王子を待つ生活よりもずっと生き生きとしている(このパートの作画が素晴らしいと思った)。また、王子が一人の人間として彼女についていくという結末も今の作品らしいなと思った。グリム童話的な血なまぐささや土着の臭いも濃いが、ラストは清々しい。なお本作の悪魔、やたらと諦めが悪くほぼストーカーである。聖なる力や奇跡によって撃退されるのではなく根負けして去るというのが、少女のタフさを際立たせる。

初版グリム童話集(2) (白水uブックス 165)
ヤーコプ・ルードヴィヒ・グリム
白水社
2007-12-12



『アリーキャット』

 元ボクサーで今は警備会社のアルバイトをしている朝秀晃(窪塚洋介)は、行方不明の野良猫・マルを探していた。保健所でマルを抱いた男を見つけ声をかけるが、その男・梅津郁巳(降谷建志)はこの猫はリリーという名前で自分が飼うんだと言い張る。猫を介してマル、リリーと呼び合うようになった2人は、元恋人からストーキングされている土屋冴子(市川由衣)のボディーガードの仕事を秀晃がしたことがきっかけで、彼女を東京まで送り届けることにする。監督は榊英雄。
 窪塚と降谷という、ある時代のアイコン的な2人の共演。私は「ある時代」ど真ん中の世代なので、感慨深くもあり懐かしくもあり。本作の雰囲気自体、90年代のVシネとか漫画とかを彷彿とさせるように思う。どこがどう、と問われると答えにくいのだが、全体の設定のふわっとしているところとか、いきなり黒社会や政界が絡んでくるところとかかな・・・。
 とは言え懐古趣味という感じは全然しないし、窪塚も降谷も現役感がしっかりある。窪塚はここ2,3年でやっぱりスター感あるなと思うことが増えたし、演技の技術も明らかに伸びている(何せスコセッシ監督作に出演したしなー)。また降谷は、ここにきてそんな直球のあざとさ見せちゃう?!可愛い感じ出しちゃう?!という意外さを見せている。こういう人懐こいわんこ系キャラがハマるとは・・・。諸々可愛すぎてやばかった(私が)。
 秀晃も郁巳も決していわゆる勝ち組、社会の強者というわけではないし、清廉潔白で正義の味方というわけでもない。郁巳は人のいいお兄ちゃんと言う感じではあるが、秀晃はボクサー時代に諸々やらかしており決して褒められたものではなかったことが、徐々にわかってくる。そんな彼らが、なけなしの勇気と意地でふんばる姿がかっこ悪くもいじらしい。冴子親子に自らの生い立ちを重ね、自分の過去を振り切るかのように無謀な策に出る秀晃と、そんな秀晃への共感からか憧れからか、一方的に彼を鼓舞する郁巳。特に郁巳の能天気さ、無邪気さは時に秀晃をイラつかせるものなのだが、周囲の人たちを和ませ、徐々に彼らの拠り所になっていったようにも思えた。
 楽しく見たが、作中の女性の処遇が暴力にさらされるものな所、女性登場人物の造形がわりと単純な所は気になった。一方的な暴力は、フィクションの中とは言えやっぱり見ていてあんまりいい気はしないので(こういう所も古さといえば古さなのか)。

沈黙-サイレンス- [DVD]
アンドリュー・ガーフィールド
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-08-02




『ハートストーン』

 アイスランドの漁村で暮らす少年ソール(バルドル・エイナルソン)とクリスティアン(ブラーイル・ヒンリクソン)。ソールは大人びた少女ベータに夢中だった。クリスティアンはソールの後押しをしつつも、彼に対する特別な思いをもてあましつつあった。監督はグズムンドゥル・アルナル・グズムンドン。
 思春期の少年少女らの、同性の友人との濃密な関係、自分のセクシャリティに対する戸惑いを描いた作品だが、何よりも強く印象に残ったのは、小さな町の息苦しさだ。ソールとクリスティアンが暮らしているのはいわゆる田舎の小さな漁村で、周囲は海と山ばかり。隣の家まで何キロ離れているんだと言うような地域だ。当然人口は少ないので、村人はほぼ全員顔見知り。更に人数が少ない子供は全員顔と名前が知られており、子供たちのたまり場になる場所も限られているので、カフェに行けば同級生がいるし、クラブにもぐりこむと母親が地元の男性と踊っている。人づきあいが苦手な人、周囲から浮いている人にとってはかなりしんどい環境だろう。誰にも会わずに一人でふらふらしたいなと思ったら、野山をふらつくくらいしかやることがない。安心して自宅にいられる環境ならいいのだろうが、ソールは姉2人と同室、クリスティアンは父親と折り合いが悪く、家にも居辛い。2人は度々、つるんで外を歩き回っているのだが、要するに行く場所がないんだなぁと。2人の仲の良さは村の子供たちからも揶揄されており、他の子供たちと顔を合せるのも面倒くさいのだ。
 小さいコミュニティの息苦しさを感じると同時に、外部からの情報が入ってきにくいことの息苦しさ、世界の狭さも強く感じる。子供達だけでなく、ソールの母親のように大人でも息苦しく感じる人がいる。本作の時代設定は現代よりも少し前、まだインターネットが普及しておらず、携帯電話も登場していない頃。子供が「外の世界」の情報を得るにはテレビや雑誌しかなく、セクシャリティに関する情報等はなかなか入手できない。自分のように悩んでいる人は他にもいるのか、どういう受け止め方をすればいいのかという判断材料が乏しいのだ。舞台となる風景は広大なのに(アイスランドの地形ってやっぱり独特だよなーと思う)のに、描かれる世界は閉塞的で風景の広さと反比例していく。ロケーションが開けているだけよけいに「ぼっち感」が強まるのだ。
 クリスティアンはソールよりもやや大人で、自分のセクシャリティにも、周囲がそれになんとなく気付いていることも自覚的だ。それに比べてソールの悩み方はまだまだ子供っぽく単純(女の子とセックスした翌朝のすがすがしく達成感漂う表情、ほんと腹立つわ・・・)。2人の気持ちの並走できない感が辛い。冒頭から破局への予感に満ちていてハラハラしっぱなしだった。2人とも、自分の心を持て余して自爆してしまいそうなのだ。

馬々と人間たち [DVD]
イングヴァル・E・シグルズソン
オデッサ・エンタテインメント
2015-06-02


ひつじ村の兄弟 [DVD]
シグルヅル・シグルヨンソン
ギャガ
2016-07-02

『ホリデー・イン』

坂木司著
元ヤンでホストの沖田大和と突然彼の前に現れた小学生の息子・進。彼の出現により宅配便会社で働くようになった大和と進の生活を描く『ワーキング・ホリデー』シリーズから、スピンオフの短編集。これまでの作品で登場した脇役たちが主役を務める。
スピンオフといっても、本編を読んだのが大分前なので誰が誰だったか記憶があやふや・・・。読んでいるうちに、そういえばこんな人いたな、こういう人だったなと思いだし始めた。著者の作品は基本的に人に対する優しさ、信頼があるので、ちょっと難ありだったり冷たい面がある人でも、その裏にはこんなものがあるんだよとどの短編でもそっと提示してくる。さらっと読める、というかさほど読み応えはないのでファンに対してのおまけ的な短編集か。とはいえ、進が大和を訪ねていった経緯の話などは、母親の対応含めちょっといい。改札からは出ないとか、ちょっとした拘りに説得力がある。

ホリデー・イン (文春文庫)
坂木 司
文藝春秋
2017-04-07





ワーキング・ホリデー (文春文庫)


『バルコニーの男 刑事マルティン・ベック』

マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー著、柳沢由実子訳
ストックホルム中央の公園で、暴行され下着を奪われた少女の死体が発見された。彼女は前年、不審な男に話しかけられたことを警察で証言していた。その2日後、別の公園でまた少女の死体が発見される。果たして連続殺人なのか?公園で多発している強盗事件と関係はあるのか?刑事マルティン・ベックらは事件に取り組むが、手がかりは乏しく捜査は行き詰っていく。
角川文庫は、マルティン・ベックシリーズを新たに全巻発行する予定なのかな?だとしたらうれしいなー。本作はシリーズ4作目。スウェーデンの元祖警察小説、警察小説の金字塔と言われるだけのことはあり、安定した面白さがある。警察の捜査に焦点を当てた作品なので、いわゆるどんでん返しミステリ的な派手さはないのだが、地道な捜査の中で点と点がつながる瞬間や、「仕事」としての捜査のしんどさや刑事たちの人間模様等、地味ながら読ませる。慢性的な人員不足で全員疲労困憊というところには、先日読んだ『フロスト始末』(これはイギリスの話だけど)を思い出した。どこの国でも警察は大変だ・・・。また犯人がやったことは到底許されることではないのだが、本作の犯人の描写を読んでいると何だか悲しくなってきた。ここに至るまでに(特に現代であれば。本作は60年代の話だから)何か軌道修正することができたんではないかと。こういう人が行き着く先って、これしかないんだろうかとやりきれなくなる。なお、殺人犯対する恐怖から市民が自警団を結成して怪しげな人物を買ってに取り締まることに、ベックは強い憤りを見せる。ここに警官としての責任感と、司法国家とはどういうことかという自覚が見えた。

バルコニーの男 刑事マルティン・ベック (角川文庫)

マイ・シューヴァル
KADOKAWA
2017-03-25


刑事マルティン・ベックロセアンナ (角川文庫)
マイ・シューヴァル
KADOKAWA/角川書店
2014-09-25

『ベンヤメンタ学院』

 召使養成学校のベンヤメンタ学院に入学したヤーコプは、服従を学ぶレッスンに励む。学園長ベンヤメンタ氏の妹で唯一の教師であるリーサに惹かれ、彼女に学園の奥へと導かれていく。原作はローベルト・ヴァルザーの小説『ヤーコプ・フォン・グンテン』。監督はブラザーズ・クエイ。「ブラザーズ・クエイの世界」Cプログラムにて鑑賞。
 クエイ兄弟と言えば人形を使ったアニメーション作品だが、本作は数少ない全編通して人間の俳優を使った長編映画。しかし、やはりクエイ兄弟はクエイ兄弟。作風は一貫している。銀板写真のような質感の映像と、閉ざされた空間。そしてフェティッシュさとセットになったエロティシズム。本作では生身の人間が出てくるが、生身であるということよりも、体のパーツに対するフェティッシュ、特に手の動き(ここは非常に厳密な演技が要求されてるんだろうなぁという気がする)によるエロティシズムが濃厚だった。生身の人間全体としてのエロティックさというものは、実はそれほど感じられない。また、召使養成学校ということで、服従が課されていることによるSM的な味わいも。ヤーコプはベンヤメンタ氏やリーサに従順だが、ベンヤメンタ氏やリーサもまた、ヤーコプに、あるいは学院そのものに服従しているようにも見える。
 ヤーコプとキリストになぞらえるようなベンヤメンタ氏の発言や、教会のミサを模したような学生たちのパフォーマンスがあったりする。しかし、ヤーコプは殉教者でも救世主でもなさそうだし、ベンヤメンタ氏もリーサも何かに帰依しているという感じではない。ベンヤメンタ氏とリーサがいる世界は、変化のない完結した閉じた世界だ。スノードームのように舞い散る雪や丸い金魚鉢は、閉じた世界の象徴だろう。2人はそこから解放されたいようでもあり、閉じた世界が壊れることを恐れているようでもある。ヤーコプが入学してきたことで、彼には全く自覚はないのだが、ベンヤメンタ氏もリーサも揺り動かされ世界は変動していく。しかしそれは、完結していた世界が壊れて元には戻らないということでもあるのだ。その壊れていく予兆がそこかしこに感じられ、見ている側も不安に駆られてくる。

ブラザーズ・クエイ短編作品集 [Blu-ray]


KADOKAWA / 角川書店
2016-08-05



『ブラインド・マッサージ』

畢飛宇著、飯塚容訳
 南京の「沙宗琪マッサージセンター」は、親友同士の沙復明と張宗琪が共同出資して開いたマッサージ店。2人の店長も他のマッサージ師たちも盲目で、店の中では盲人の社会がつくられていた。ある日、沙復明のかつての同級生・王が恋人・小孔を連れ職を求めてやってきた。王は株で失敗して開業資金を失い、小孔は恋人の存在を家族に言えず、駆け落ち同然だった。
 私は本作を原作にしたロウ・イエ監督の同名映画(とてもいい)を先に見ていたので、映画はここのアレンジを変えていたのかとか、実際はこのパートが結構長かったのか等、映画と比較しながら読んだのだが、本作自体がとてもいい小説だ。盲人の世界の描写の細やかさ、彼らの形成している「社会」のあり方は小説の方がよりくっきりと立ち上がってくる。マッサージ師たちの間での感情のベクトル、微妙なパワーバランスの危うさは、限定された人間関係の中では起こりがちなもので、温かみがあると同時に人間関係の狭さと偏狭さによる息苦しさを感じる。人間関係の厄介さ、羨望や嫉妬はどこの国であれどんな人であれ同じなのだ。映画と同様に強く印象を残したのは、王の弟の借金を巡る振る舞い。長男の難儀さがのしかかってくる。また、この騒動にけりをつける行動がとんでもないのだが、それが彼の誇りによるものだという所に、彼が今まで何を我慢して何を支えに生きてきたのかが露わになり痛切だ。一人の人間としての誇りであり、盲人としての誇りでもある。本作は、登場人物それぞれの「訳あり」な部分や狡猾さや衝動を描く一方で、それぞれの誇りにも度々言及する。人は何に依って立つのかという部分がそこから垣間見えるのだ。それにしても借金騒動の顛末、これで王は少し自由になれたのではとも思えるが、弟がけろっとしている所がまた腹立つんだよなー。どこの世界にも無自覚なクズっているよな・・・。


かつては岸 (エクス・リブリス)
ポール ユーン
白水社
2014-06-25



『パワーレンジャー』

 それぞれの事情から補習クラスに通う羽目になった高校生のジェイソン(デイカー・モンゴメリー/吹替:勝地諒)、キンバリー(ナオミ・スコット/広瀬アリス)、ビリー(RJ・サイラー/杉田智和)、同じ高校に通うが欠席がちなトリニー(ベッキー・G/水樹奈々)、ザック(ルディ・リン/鈴木達央)は偶然、同じ場所に居合わせ不思議なコインを手に入れる。しかしそのコインのせいで彼らに超人的なパワーが生まれた。不思議に思いコインを発見した場所に戻った彼らは、かつて世界を守った「パワーレンジャー」の1人ゾードン(ブライアン・クラストン/古田新太)と、機械生命体アルファ5(ビル・ヘイダー/山里亮太)に出会う。ゾードンがかつて戦った悪の戦士リタ・レバルサ(エリザベス・バンクス/沢城みゆき)を阻止する為、ジェイソンらが新たなパワーレンジャーに選ばれたと言うのだ。監督はディーン・イズラライト。
 日本のスーパー戦隊シリーズをアメリカ向けにローカライズしたテレビドラマを、映画としてリブートした作品。当然日本では東映が配給しているのだが、洋画の前に東映のロゴが表示されるのって何か新鮮だわ・・・。作品自体はとてもお金がかかってブラッシュアップされたやや年長向けの戦隊ものといった感じなのだが、今回吹替え版で見たので、自分が馴染のある「戦隊もの」感をより味わえたように思う。ジェイソン役の勝地はアニメ吹替えの実績があるので特に心配はしていなかったが、キンバリー役の広瀬が達者とはいかないまでもなかなか頑張っていて、好感が持てた。本業声優の皆さんに関しては当然全く心配ないので、吹替え版も結構お勧めできる。特に沢城みゆきの沢城みゆき感はあーこれこれ!って感じで素晴らしかった。安心感ばっちり。
 パワーレジャーとなる5人の少年少女それぞれが、家庭や自分自身の問題を抱えていたり、学校に馴染めなかったりという背景が設定されている。自閉症やセイクシャルマイノリティという設定も盛り込まれているあたりは現代的だ。5人が何事もなく学校に通っていたら、同級生であっても特に仲良くはならない「別ジャンル」の人同士(ジェイソンとキンバリーはアメフトの花形選手とチアリーダーだから接点あるだろうけど)というあたりは、特撮版『ブレックファスト・クラブ』とも言える。全然「別ジャンル」の相手であっても協力し合えるし話してみたら面白いかもしれないし仲良くなれるかもしれないよ、という示唆はティーン向け映画として真っ当。5人の造形はなかなか良く、通り一遍から若干ずらした感じなので、むしろTVシリーズをこのキャラクターで見てみたくなった。映画だと、やはり5人の背景までちゃんと見せるのは時間的に難しいんだろうな。映画だから当然全員それなりのルックスではあるが、いわゆる美男美女、スタイル抜群という感じではない所も良かった。年齢相応な雰囲気が出ていて、女の子たちも、意外と寸胴だったりする。
 5人がパワーレンジャーに変身するのが大分後半で、しかも1度のみというあたりも、彼ら個人のドラマを見せようという意図だろう。変身や巨大メカというガジェットはあるものの、ベースは思春期の少年少女たちの青春ドラマだ。そこが間口の広さでもあるが、大人が見るには若干物足りないかなという気もする。戦隊もののお約束的カットや音楽の特徴もちゃんと踏まえているが、それに興ざめする人もいるだろうしなぁ。

POWER RANGERS MYSTIC FORCE DVD-BOX 1
櫻井孝宏
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2017-05-10

ブレックファスト・クラブ [DVD]
エミリオ・エステヴェス
ジェネオン・ユニバーサル
2012-04-13



『銀魂』

 宇宙から襲来した“天人”によって開国を迫られた日本。天人の台頭と廃刀令により、侍は衰退していった。侍の心を捨てずにいる坂田銀時(小栗旬)は、剣術道場の長男・志村新八(菅田将暉)、銭湯種族・夜兎族の神楽(橋本環奈)と万屋を営んでいた。原作はアニメ化もされた空知英秋の同名漫画。監督は福田雄一。
 原作はもちろん週刊少年ジャンプ連載の大ヒット漫画で、TVアニメ化も劇場用アニメ化もされた。映画としてどうやるか、というよりも『銀魂』としてどうやるか、という方向に割り切って面白さを追求していると思う。なので、原作を知らないで見に来た人にはあまり通じないだろう。映画としてはエピソード配分のバランスも悪いし、キャラクター数が多いので事前知識がないと正直厳しい。しかし、原作漫画ないしはアニメを知っている人にとっては、あーちゃんと銀魂だ!これだよこれ!と安心できるし楽しめると思う。ギャグのバカバカしさとメタ構造の緩い取り入れ方は、原作風味でもあり、福田監督の手癖でもあり、相性は良かったと思う。ムロツヨシ演じる平賀源外のパートはそれが如実だった。源外役にムロツヨシって若すぎない?と思ったけど、いてくれると安心なんだろうな(笑)
 特にアニメのフォーマットやテンポやキャラクターのセリフ回しはかなり意識しているのではないかと思う。まさか実写映画でもアバン芸が見られるとは思わなかった。雑なフェイク主題歌もいい。人気漫画の実写映画化がここの所相次いでいるが、その中では(スベっても許されると言う特殊なポジションとは言え)かなり成功しているのではないだろうか。キャラクターの再現度も意外と高い。菅田がキラキラオーラを封印して地味眼鏡になりきっているのには驚いたし、新撰組の3人のクオリティも高い。特に沖田(吉沢亮)の沖田感がすごかった。
 また、俳優の力で原作とはキャラクターの作中比重が変わって見えることもあるんだなと実感した。本作はギャグ一辺倒のカブト狩り編(というほど大した話じゃないよな・・・)とシリアス度の高い紅桜編という2つのエピソードを組み合わせている。紅桜編に登場する刀鍛冶の村田鉄矢(安田顕)は、原作でもアニメでも私にとってはそんなに印象に残らなかったのだが、今回は存在感があった。新井浩文演じる岡田似蔵も同様。2人とも熱演で、方向性は違うが上手くやれなかった人、一番になれなかった人の悲哀みたいなものがより濃くなったのではないか。あっこういうキャラクター、こういう話だったんだと再発見した気分。
 なお、福田監督は胸か尻か脚かで言ったら脚派なんじゃないかなー。脚と言えばこの人ということで来島また子役の菜々緒が美脚を披露しているし、菜々緒の足と橋本環菜の絡みというわけわからないアクションシーンもある。しかし、高杉晋助役の堂本剛が結構な脚の露出加減(高杉の衣装は着流しなので、アクションをやるとかなりはだけるんですね)だし、あっそういう角度で撮るんだ・・・的なよくわからない力の入れ方だったように思う。


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杉田智和
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2013-06-26

『甘き人生』

 1969年、イタリアのトリノ。9歳のマッシモは母親が大好きだったが、ある日突然、母親(バルバラ・ロンキ)がいなくなってしまう。司祭から母親は天国に行ったのだと告げられるが、マッシモはそれを信じられない。1990年代、新聞記者になりローマで暮らすマッシモ(バレリオ・マスタンドレア)はまだ母親の死について受け入れられず、父親(グイド・カプリーノ)との溝も深くなっていた。原作はマッシモ・グラメッリーニの自伝的小説。監督はマルコ・ベロッキオ。
 まだ幼いマッシモに対して父親は、母親の死をとっさに隠してしまう。後日司祭が母親が亡くなったと説明するものの、父親が最初に「お母さんは出かけた」というような説明をしてしまったことが、マッシモの中でずっと尾を引いている。子供に死、特にマッシモの母親のような死に方をどのように伝えればいいのかというのは、イタリア(カソリック国であるイタリアでは、マッシモの母親の死は更に説明しづらいだろう)のみならずどの文化圏でも悩ましいことだなとしみじみ思った。父親の説明は明らかにまずいのだが、彼も動転しているし子供にこういうことをどう話せばいいのかわからないのだ。父親はその後30年にわたって息子に本当のことを言うことができないのだが、いくらなんでもちょっと無責任だろう。この父親は大変不器用で、マッシモに対する愛情はあるのだろうが、お互いに理解しがたい存在だったように見えた。唯一一緒に盛り上がったのはサッカー観戦だが、それもマッシモの過熱により頓挫してしまう。
 母の死を受け入れることに対する躓きが、中年になってもマッシモを縛っている。幼少時代の様子を見ればわかるように、マッシモは母親との結びつきがとても強い子供だった。母親との一体感が強すぎる為に、母親の死が受け入れられなかったとも言える。一歩引いて他人として見てみれば、彼女の死の真相はおおよそ見当がつくものだ。真相があいまいにされ続けてきたことで、母親は自分とは別の人間であるということも、またあいまいになっていたのではないだろうか。母親の死の真相がわかってようやく、母親であっても他人であり、何を考えているのかなど本当にはわからない、ということが受け入れられたのではないか。母親が不可解な存在であることと、母親に愛されていたことは、両立するのだ。
 1970年代から90年代のイタリアの文化的な背景が垣間見えるところが面白い。特に、音楽映画的な側面もあり、当時の流行音楽が盛りだくさん。少年時代のマッシモの友人宅はヴィスコンティの映画に出てきそうな邸宅なのだが、友人が部屋で大音量で聞いているのがDeep Purpleというミスマッチ感が愉快。どの時代でもロック小僧はエアギターやるのか・・・。

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