3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『プレステージ』


19世紀ロンドン。手品師のアンジャー(ヒュー・ジャックマン)とボーデン(クリスチャン・ベール)は共に修行に励む仲間だった。しかしアンジャーの妻で手品の助手をしているジュリアが、水中脱出手品に失敗、溺死する。ボーデンがロープをきつく結んだのが原因だと信じるアンジャーは、ボーデンを強く憎み、お互いに嫌がらせを繰り返すようになる。やがてアンジャーは演出の上手さでスターになる。一方ボーデンは画期的な「瞬間移動」を披露する。アンジャーはこれに激しく嫉妬するが。
 アンジャーとボーデンはライバルである所に加えて、アンジャーの奥さんが事故死したという事情もあって、仲は大変によろしくない。会えば火花が飛び散る険悪っぷりである。更にお互いの才能に対する嫉妬が話をややこしくしているのだ。お互いなんでそこまで、というくらいにやりあう。ガキの喧嘩みたいでおかしいのだが、お互いに結構な実害を被っているだけに笑えない。しかしもし、この2人のうちどちらかがこれほどまでに手品にのめり込んでいなかったら、事態はもっと簡単だったかもしれないし、アンジャーだって奥さんの事故を水に流す、とまではいかなくても延々とボーデンを憎むことはなかったかもしれない。2人が同じものに取り付かれ、同じくらい才能があったということによる悲劇と言えなくもない。
 2人が使った「プレステージ(偉業)」は、とっぴょうしもないので(原作はバカミスすれすれだもんなぁ・・・)拍子抜けする人もいるかもしれないが、男2人の確執ドラマとして面白かった。冒頭のシルクハットとラストにちらっとみえたある物が、ビジュアル面のインパクトとしても伏線としても効果的。影像面のトリックはもちろんだが、意外とシナリオ上のトリックもきちんと生きている。ボーデンの奥さんの言動の使い方も、なるほどと。トリッキーな映画『メメント』で一躍有名になったクリストファー・ノーラン監督が、同じく大変トリッキーなクリストファー・プリーストの小説『奇術師』を映画化しただけのことはある。あの長々としてややこしい小説をどうやって映画に、と思っていたが、これがなかなかよく出来ていた。原作の複雑な伏線をばっさりカットして、伏線もシンプルなもの(といっても一般的なエンターテイメント映画の中では複雑な方だと思う)のみ残してあった。このくらいすっきりしていると、カタルシスがあっていいなぁ。原作はあっちこっちこんぐらかっている上に、主人公2人がねちねち憎み合っているので大変疲れるのだ。
 ヒュー.ジャックマンもクリスチャン・ベールも熱演している。特にベールは中学生男子並の子供っぽい嫉妬や憎憎しい表情が似合う。いや似合っても嬉しくないだろうけど。あとヒロインのスカーレット・ヨハンソンは、ビッチ!な役が似合うなあ。
 

『大日本人』

 さえない中年男・大佐藤(松本人志)をカメラが追う。どうも大佐藤を追うドキュメンタリーを撮影しているらしい。大佐藤は実は、防衛庁から不定期に依頼される仕事をしているのだが、世間からの評判は散々なのだ。
 松本人志初監督作品。映画上映時間は2時間ほどだったが、目の前に虚無が広がるという経験を始めて味わっちゃったよ。ある意味すごい。つまらない映画というのは拷問なんだなぁと久々に実感した。私は松本人志の作る笑いが好きだし、「ごっつ」も「ガキ」も好きだ。が、この映画はいただけない。
 大佐藤の微妙に自己弁護を図る言葉の座りの悪さや、妙なかっこつけに漂うもの悲しさとわびしさ、カメラマン(姿は現れず言葉のみ)のいかにもテレビっぽいいやらしさは、松本人志ならではの味わいかもしれないが、これだと「ごっつ」のコント見てるのとあまり変わらない。映画だからこそというスケール感がないのだ。この内容だったら、それこそTVでコント番組1つ作って、その中で15分位づつ連続コントとして毎週放送した方がまだしも面白かったんじゃないのと思ってしまう。
 特に終盤のやっつけ仕事感はすごかった。何故ここで本当にコントが。ウルトラマン的ヒーローが実在したら結構迷惑だとか、日米関係を皮肉ってみましたとか解釈しようと思えば出来るが、その匂わせ方があからさま(だから多分匂いもネタなんでしょう)なことに加え、コントとしてあまりにつまらないので解釈する意欲もわかない。映画の終わらせ方を見失ってしまったのではないか。やはり松本に長編は無理だった(というか映画は無理だった)のか。全く見ていていたたまれないです。
 客が唯一ウケていたのは、大佐藤と板尾創路演じる怪獣とのやりとり。でもそれって、本当に「ごっつ」のコントそのものじゃないか。それをスクリーンで見せられてもなぁ。CGを駆使する必要は感じなかった。あれだったらきぐるみで十分。

『夜をゆく飛行機』

角田光代著
 4姉妹のいる、ごく普通の酒屋の一家。二女が家族をモデルにした小説でデビューした日から、一家に問題が頻出。ごく普通の一家、と書いてはみたものの、普通の家族って何だろう。どんな円満な家庭でも多かれ少なかれ問題は起こるし、逆にはたから見たら問題だらけなのに当の家族は全く自覚がなくごく平穏(に見える)な日々をおくっている家庭もある。本作に出てくる家族は、問題があることに気づいてはいるが、それぞれがそれを見ない振りをしている。二女が小説に書いたような普通の家族であり続けようとしているかのようだ。それを歯がゆく思う現実的な四女も、自分の恋と進路とで手一杯だ。壊れそうで壊れない、つながっていないようでつながっている家族の曖昧さがすくい上げられている。やはり家族を描くのが上手い作家だと思う。父親の弱さとか二女の脆さ、四女の不器用さなど、痛々しい。

『此処彼処』

川上弘美著
 いろいろな場所にまつわるエッセイ集。著者は今まで、土地の具体名は作品内には出さないようにしていたそうだが、今回初めて出してみたとか。しかし実在する場所にまつわる話ではあるのに、著者が描くと、実在の場所から宙に20㎝くらい浮いたような雰囲気になる。これが芸風というやつか。空き時間にちょこちょこ読んでほっとできるエッセイだった。ちなみに著者は銀座(北端はプランタン、南端は博品館、西端は電通ビル、東端は松屋)エリアが怖いそうだが、この感覚はちょっとわかるなー。私は怖いというほどではないけど、どうもあのあたりは落ち着かないのよね。相性が悪いのか。

『14歳』

 14歳の頃に学校で事件を起こして以来、精神科に通っている中学校教師・深津(並木愛枝)。ある日生徒の一原を家庭訪問した彼女は、中学校の同級生だった杉野(廣末哲万)に出くわす。廣末は一原家の向かいに住む少年・大樹にピアノを教えるアルバイトをしていたのだ。やがて深津はあることがきっかけで生徒からの「いじめ」にあうようになり、一方杉野も大樹への苛立ちを隠せない。
 夫婦の抜き差しならない関係を生々しく描いた『ある朝スウプは』が強烈な印象を残した、廣末哲万と高橋泉によるユニット「群青いろ」の新作映画ということで、見るのが楽しみでもあり気が重くもあり(『ある朝スウプは』は怖かった...)という、複雑な心境で見に行った。本作は『ある朝~』ほどではないものの、やはり緊張感に満ちていて息苦しい。今回は廣末が主演・監督、高橋が脚本を担当したそうだ。
 「14歳」というタイトルではあるものの、14歳の少年少女に対する視線はむしろ突き放したものだ。どちらかというと「14歳のことなんてわかんねーよ」と悩む大人達の方に、作る側の感情移入がされていたように思う。ただ、大人登場人物のキャラクターが少し誇張されすぎていたのではないか。深津に対する臨床心理士の分析は紋切り型(まあそんなものなのかもしれませんが)なのが気になったし、深津の先輩教師(香川照之)の奇行も極端で、保護者からクレームが出ていないのが不思議だ。また、一番普通の(安定した)人である杉野も、感情に乏しいというか、シニカルすぎるのではないかと思った。このキャラクターだと、最後の大樹に対する言葉が唐突すぎるように感じられる。シニカルさ、無表情さをもうちょっと小出しにしてもよかったんじゃないかと。
 ちょっとひっかかったのが、深津と杉野の「杉野君も14歳だったじゃない」「もう(14歳の頃を)思い出せないのかな」というセリフだ。この2つのセリフは連続して出てくるわけではないのだが、どちらも「大人になって自分が14歳の時の気持ちを忘れてしまったから、14歳の子供の気持ちがわからない」という文脈で使われている。2人は14歳の時に大人にされて深く傷ついた行為を、期せずして14歳の子供対してとってしまうのだ。でもその行為をする・しないということと、14歳の時のことを忘れてしまったというのは、あまり関係がないのではないか。2人がした行為は、14歳の時のことを覚えていなくても、多少の想像力と自制心があれば回避できた(ようするに相手が大人だろうが子供だろうが関係ない)ことだ。明らかに「おいおいそれはまずいだろう!」と突っ込みいれたくなるようなことだから。「子供の気持ちがわからなくて」という所を強調したかったのだろうが、大人だから失敗したのではなく、ちゃんとした大人じゃないから失敗したように見えてしまうのだ。これはストーリー作り(失敗があからさまなことも含め)上のミスだと思う。
 なかなかいいなと思ったところと、ちょといただけないなというところ(上記のような)との落差が激しく、作っている側も、14歳というテーマを掴みあぐねている感じがした。ただ、女子中学生・一原の造形は結構上手いと思った。自分より若干立場が下な友人を振り回す(要するにいじめる。いじめられる方も他に友達いないからしがみつかざるを得ない)様は見ていてとても腹立たしいと同時にイタい。しかし一原も自分がいじめている友人と同様、他に友達がいなさそうだ。放課後、自習の続きをしている友人を待っているんだけど、「待ってる間ヒマじゃん」と不満を言う。...だったら帰ればいいのに。他にやることないの?

『川に死体のある風景』

e-NOVELS編
 歌野晶午、黒田研二、大倉崇裕、佳多山大地、綾辻行人、有栖川有栖ら6人のミステリ作家が、「川に死体がある」ミステリを書き下ろした短編集。いろいろな川が登場するが、コロンビアを舞台とした佳多山の作品が一番変り種(ミステリとしてはわりとオーソドックスですが)か。ただ、どれも小粒な感は否めない。特に歌野、黒田の作品はトリックに難ありかも。それはさておき、江神さん(有栖川作品)とものすっごい久しぶりに再会した。10数年ぶりか?今年本当に長編出るんですか?

『メグレ罠を張る』

ジョルジュ・シムノン著、峯岸久訳
 パリの特定エリアで起きた、女性ばかりを狙った連続殺人事件。メグレ警視は犯人を追いつめる為罠を張る・・・ってタイトルそのままだわ。張り込みシーンから物語が始まるので、ちょっと実況中継ぽい。メグレシリーズは久しぶりに読んだが、ちょっとぶっきらぼうというか、ストイックな作風だと思う。メグレ自身があまり感情を外に出すキャラクターではないし、ストーリー展開でもサービスは控えめで地味。ところで、犯人の精神分析にはさすがに時代(1965年)を感じた。今では無理だろうこれは。まあ、こういうギャップも昔の作品を読むときの面白みではあるが。

『双生児』

クリストファー・プリースト著、古沢嘉通訳
 ノンフィクション作家のスチュワート・グラットンは、第二次世界大戦中に活躍したというJ.L.ソウヤーなる人物のことを調べていた。空軍大尉として爆撃機に乗りながら良心的兵役拒否者。そんなことがあり得るのか?「信用できない語り手」を使った小説は多々あるが、本作はその極北とでもいった感じ。双子の兄弟が語るストーリー、そして同一人物(と思われる)が語るストーリであっても、何かが少しずつずれ、奇妙に歪んでいくのが気持ち悪い。しかしそのずれが細かすぎて、大森望の解説がなかったら半分も理解できなかったよ!すごく手が込んでいて、今年の「このミス」では間違いなく上位にランクインされるだろう。しかし、正直言ってここまでやる必要があるのか、ここまでやらないと面白い小説にならないのかというと疑問だ。読者が気付かないような細かい伏線はすごいといえばすごいのだが、言われないと気づかない伏線てあまり意味がないんじゃないのとも思う。ちょっとひとりよがりな気がする。

『アークエンジェル・プロトコル』

ライダ・モアハウス著、金子司訳
 2076年、ある事件によりニューヨーク市警を辞めた女探偵ディードリの元に、ハンサムな依頼人が現れた。彼は本当に「天使」なのか?政界の陰謀に探偵が巻き込まれるというハードボイルドだが、世界観は個人が常時ネット接続(リンク)しているという、オーソドックスなSFのもの。加えてキリスト教が圧倒的な力を持つ世界という設定でもあり、宗教に対する皮肉にも満ちている(女性は短髪NG、ジーンズNGなんですよ!やってられっか!)。それなのに、結局「天使」に「救世主」というキリスト教的な世界観が最後まで基盤になっていてつまんないわー。せっかくなんだからそこを突破してくれないと。設定が先行して、ストーリーについていけなかった所があった。ディードリの心情がコロコロ変わるのにも、ちょっとついていけなかった。

『毛皮のエロス ダイアン・アーバス幻想のポートレート』


 裕福な毛皮商人の家に生まれたダイアン(ニコール・キッドマン)は、写真家のアラン・アーバス(タイ・バーレル)と結婚し、彼のアシスタントをしていた。2人の娘に恵まれよき妻・よき母でいようと努力していたが、息苦しさを感じていた。ある日、アパートの上階に覆面をした奇妙な男・ライオネル(ロバート・ダウニーJr.)が越してきた。彼に強く惹かれたダイアンは、カメラを手に訪問する。
 20世紀を代表する実在の女性写真家、ダイアン・アーバスを主人公としているが、いわゆる伝記映画というわけではない。彼女の作品や、彼女にまつわるエピソードからイメージを膨らませたフィクションだ。主演のニコール・キッドマンは相変わらず美しい。もう40代のはずなのに、時々少女のように見えるのがすごい(撮り方もいいのだろうが)。衣裳がどんどん変化していくのも楽しかった。
 ウサギや扇、鍵などあからさまに「不思議の国のアリス」を思わせるモチーフが多用されているし、ライオネルの造形やダイアンとの関係は「美女と野獣」のようだ。実在の人物が主人公ではあるものの、一種のファンタジーとしての側面が強い。ダイアンはウサギ穴を落っこちるのではなくて、螺旋階段を上って不思議の国へ足を踏み入れる。アリスを野獣がエスコートして不思議の国巡りをするといった感じか。しかしこのアリスは、ウサギ穴から出て行くことはないのだが。
 その一方で、「日常に不満を持つ奥様がミステリアスな男とのアバンチュールではっちゃける」という、ハーレクイン的な印象も否めない。後半、かなりセクシャルな描写が増えるせいでもあるのだが、ちょっと安っぽくなってしまったのが残念。ダイアンの写真自体が、セクシャリティを扱ったものである以上必要なことではあるのだが、もうちょっとメロドラマ度を下げたほうがよかったように思う。これだと、わりと普通のラブストーリーみたいで、なぜダイアンが写真家として開花したのか、フリークスたちを被写体とするようになったのかという過程がぼやけてしまった。
 もっとも、ダイアンは日常に飽きているのではなく、もともと両親、夫、子供たちとの生活に対して違和感を持ち続けている。それでもブルジョア家庭の妻・母としてうまく立ち回ろうとするが、どうしても不自然になってしまう。彼女にとってはライオネルの生きる世界の方がより生き生きとした、リアリティを感じられる世界なのだ。しかし、そんなダイアンは大変だと思うが、その家族も大変だ。特にダイアンを愛している夫アランにしてみれば、妻が妙な男と付き合い始め、夜な夜な遊び歩き、自宅にも奇妙な輩がおしかけてくる(これはダイアンが無神経すぎだ)。理解できるものならしたいが、妻のことがわからない、妻がどんどん遠のいていく。ダイアンの孤独より、アランの孤独の方が悲しく共感を呼ぶのではないかと思う。

『監督・ばんざい!』

  ギャング映画はもう撮らないと宣言してしまった映画監督・キタノは、新作のアイデアがわかずに悩んでいた。ヒットしそうなジャンルに次々手を出してみるものの、全て失敗に終わる。こすっからい母娘を主人公とした映画をやっと撮り始めてみるが。
 北野武監督の新作映画となる。前半は、「映画内映画」とでも言うべき、既存ジャンル映画のパロディが続く。小津安二郎風ホームドラマ、風忍者が活躍する時代劇、記憶喪失の男を主人公にした純愛映画、昭和30年代を舞台とした懐古趣味映画、古典的なホラー映画、巨大隕石が地球に激突するSF等、次々にどこかで見たような映画が現れる。これはそこそこ面白かった。特に昭和30年代ものは、「●丁目の夕日」を狙ったらリアルすぎて殺伐とした映画になったという、実際にありそうなオチがおかしい(この部分は映画の絵としても結構よくできているのでよけいに)。そりゃあ、育った場所によって大分違うよね・・・
 しかしけったいな母娘(岸本加世子・鈴木杏)と妙な思想集団が出てくる後半はまずい。わざと古典的なギャグを投入してはいるのだろうが、全く笑えない。あんなにきちんとコケる集団、ものすごい久しぶりに見た・・・。笑えないことを笑えるような構造になっていればいいのだが、単にスベっているように見えるので、寒々しいことこの上ない。映画としてどうこうというより、ギャグが笑えないというのが一番きつかった。客がいたたまれなくなる映画を作ろうという意図だったら大成功なんでしょうが。CGやコラージュも取ってつけたようで、なんだかしっくりこなかった。
 北野監督は、もう映画を撮る意欲がないのではないかと思う。しょうがなくて無理矢理撮ったんですよとでもいうような、やっつけ仕事臭さに満ちている。本人、どれだけ本気でこれが面白いと思ってるのかなー。そういえば武演じる「キタノ」も「吉祥寺」も、終始やる気のなさそうな、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。最後に医師が告げる「壊れています」とは自己批判か。でも壊れている自覚があるなら無理に撮らなくてもと思ってしまうのだ。ちなみにキャストは無駄に豪華。皆、ちゃんと演技してえらいなー(棒読み)。そんな中、井出らっきょが妙に生き生きしていたのが印象に残った。

『しゃべれどもしゃべれども』

 いまいち芽の出ない二つ目の落語家、今昔亭三つ葉(国分太一)。なりゆきで小学生の村林(森永悠希)、無愛想な美人・十河(香里奈)、元野球選手の湯河原(松重豊)に落語を教えることになる。しかし全員、一向に上達しないのだった。監督は『愛を乞う人』の平山秀幸。
 登場人物は皆真面目で、物事に真っ向から向かっていく。象徴的だったのが、冒頭、カルチャースクールでの十河の言葉だ。三つ葉の師匠である小三文(伊藤四郎)は、カルチャースクールで「話し方教室」を開く。十河もその教室に参加していたのだが、小三文が話し始めて数分で教室を出て行ってしまうのだ。不審に思った三つ葉は十河を問いただすが、彼女は「本気で話してないじゃない」と怒るのだ。確かにカルチャースクールでの小三文の話は本気中の本気、というわけではなかったかもしれない。しかし本気で話せばカルチャースクールの生徒が面白がるかといえば、そうでもないだろう。
 真っ向から取り組むのが常にベストとは限らない。その場その場に応じた本気というものがあるのだ。十河も、野球解説が下手な湯河原も、自分の言葉に対して誠実であろうとする。きちんと話そうとするのだ。しかしきちんとしようとすればするほど、言葉は自分自身から遠のいていく。湯河原はプライベートでは口が悪く、下手な選手はけちょんけちょんにけなす。「そのままで解説やればいいのに」と言われるくらい、反感は買うかもしれないが面白い。しかしいざ解説本番となると、言葉を選びすぎて試合のスピードに間に合わない。逆に三つ葉は言葉が早すぎ・多すぎで失敗する。「聞いて欲しくてしゃべっているんです」「わかってねぇなぁ」という師弟のやりとりが心に残る。
 じゃあどうすれば噺が上手くなるのか、どうすれば上手に喋れるようになるのかという答えは、実はこの映画の中では出ない。そもそも何故落語なのかという点も曖昧だ。彼らはそれぞれ一歩踏み出すものの、問題は残ったままだ。しかし、この人たちは大丈夫なんじゃないかなと感じられる。人生いろいろあるけど何とかなるよとでもいうような。
 ロケ地は浅草等の下町エリアなのだが(原作では武蔵野方面だった)、これがいい味を出している。やっぱり川のある風景は絵になると思う。そういえば、水上バスや電車等、移動シーンの多い映画だったなぁ。三つ葉が水上バスの上で噺を練習するシーンがなかなかよかった。ストーリーの詰めが甘いところがあるのだが、風景がいいからまあ許しちゃうよという気分になる。
 私は、実は原作小説にはそれほど感心しなかったのだが、映画は良かった。役者の力による所が大きかったと思う。三つ葉は結構怒りっぽく、一言多いキャラクターであまり好感持っていなかったのだが、国分太一が演じるとあまり嫌味にならない。国分には「役者」というイメージを持っていなかったのだが、キャラクターの良い部分を出してくれたんじゃないかと思う。

『帝王の殻』

神林長介著
 個人の分身とでも言うべきパーソナル人工脳「PAB」が普及している火星。火星を支配する大企業・秋沙脳研の社長が死んだ。新たな“帝王”となるのは誰なのか。自分の頭の中で考える代わりに、もうひとりの自分ともいえるPABに話しかける世界。対話により新たな気づきを得ることもあるが、結局どこまでいっても自分の中でだけ展開されている対話にすぎないという危うさもある。著者の作品の多くは「何をもって魂となすか」というテーマを孕んでいるように思うが、本作も同様だ。どこまでが自分なのか、本来の自分など本当にあるのか、自分の分身と対話することでさらにわからなくなってしまうという皮肉。17年前の作品だが、古びていない。父息子の確執という、古典的なモチーフが使われているせいもあるか。

『輝ける女たち』

 
ニースの老舗キャバレー「青いオウム」のオーナー、ガブリエル(クロード・ブラッスール)が急逝した。彼の息子のような存在であった手品師のニッキー(ジェラール・ランバン)と、その離婚した妻、そして子供達が久々に顔を合わせる。ガブリエルの遺言で、店はニッキーの息子である異母兄妹、ニノ(ミヒャエル・コーエン)とマリアンヌ(ジェラルディン・ベラス)に譲られることに。
 タイトルには「女たち」と付いているが、必ずしも女たちの物語というわけではない。むしろ物語の中心にいるのはニッキー、そして死んでしまったガブリエルだ。何も知らなかったニッキーは一貫して何も知らず、周囲に翻弄されるばかりだ。しかし当人は結構ちゃっかりとしていて、キャバレーの歌姫レア(エマニュエル・ベアール)を口説こうとやっきになっている。他の登場人物も、ガブリエルの秘密やニノの実母アリス(カトリーヌ・ドヌーブ)の登場により引っ掻き回されるものの、何だかんだ言って自分のやりたいようにやっているあたりが、フランス人的なのかもしれない。皆、悪びれないところがいい。ちょっとした会話や辛辣な言葉に、くすりと笑ってしまうシーンがたくさんあった。ニッキーの元嫁アリスと元カノ・シモーヌ(ミュウミュウ)が結託するあたりは、おかしいのだがちょっと怖い。したたかな女2人の前では、ヘタレ男には勝ち目がなさそうだもんね・・・。元嫁がカトリーヌ・ド・ヌーブだってのが迫力ありすぎて更に怖い。
 人間年をとっても、自分は誰かに愛されている・愛されていたのか、不安でしょうがなくなるものなのかもしれない。「この人は本当はあの人を好きだったのでは?」「あの人とこの人の過去に何かあったのでは?」「ていうか自分て愛されてなかったの?」と推測ばかりがどんどん先走っていく様は滑稽ではあるのだが、あー、あるよねこういうことって・・・と苦い気持ちにもなる。しかし、それをいつまでも気に病んでいてもしょうがない。何かをふっきって、一歩踏み出していく登場人物達の姿が清々しいのだ。人生、いくつになっても何が転機になるかわからない、嫌いな人を嫌いなままとは限らないという、ちょっと希望の持てる映画。ガブリエルとニッキーの最後のやりとりは泣ける。父と息子の物語でもあったのだ。やはり「輝ける女たち」ではミスマッチ。
 それにしてもドヌーブの貫録はすごい。この人、年をとってきてからビッチな女の役が似合うようになったな(笑)。こんな人敵に回したら、勝てる気がしません。ミュウミュウの一見おばさんぽいキュートさと対照的だった。また、エマニュエル・ベーアルが案外歌が上手い。吹き替えかと思っていた。女優達だけでなく、レトロなキャバレーの内装等、セットも楽しい。美術や衣裳のセンスが良かった。着ている洋服で、その人がどんな人かちゃんとわかる。特にマリアンヌが来ていた黒のケープがすごくかわいかった。ほしい!

『ベジタブルハイツ物語』

藤野千夜著
 部屋に野菜の名前のついたアパートの入居者と、その大家一家の日々。といってもお互いにあまり交わらないのだが。「こんな人なんだろう」と思っている他人についてもイメージが、実際は全く違ったり、家族や友人同士でもお互いに知らない・見せない面がある。そのおかしさと、すこしばかりの怖さが垣間見られる。人間関係上のだらしなさみたいなものを掬いあげるのが上手い作家だと思う。ベースにユーモアがあるのがいい。
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