3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『バン・マリーへの手紙』

堀江敏幸著
 日常のこと、文学のこと、そして翻訳のことなど幅広く触れた随筆集。物事を白黒に分けない、物事と物事の間に漂うAともBともつかないものを捉えようとする著者の嗜好は、ともすると優柔不断とも言われるかもしれないが、その慎重さ、中庸であろうとする姿勢にはむしろほっとする。ゴールへ一直線で向かうのよりも、ゴールの周囲をぐるぐるらせん状に回ってちょっとづつ近づくようなやりかたの方が、得るものが多い時もあるのでは。「飛ばないで飛ぶために」という章の中で、著者が学生に言った、また著者自身が昔先生に言われたという「きみの場合、それらは本にカウントしません」という言葉の意味にも、ちょっとそんなところがある。ゆっくりかみしめるように味わいたい一冊だった。文体がいい。

『ブリッジ』

 サンフランシスコの名所であるゴールデンゲートブリッジは、投身自殺の名所としても有名だ。1937年の建設以来、約1300人が自殺したといわれる。カメラを1年間据えこの橋を1年間撮影、更に自殺者遺族へのインタビューを行ったドキュメンタリー。監督は『アンジェラの灰』『救命士』などのプロデューサーだったエリック・スティール。
 戦場の報道写真などを見ていても思うのだが、カメラマンは対象を撮影するべきか助けるべきなのかという葛藤はないのだろうか。いや当然あるのだろうと思うが、倫理的な問題とどうやって折り合いを付けているのだろうか。本作も「撮影しているヒマがあったら助けるべき」と上映を拒否する映画館もあったそうだ。もっとも、撮影現場にスタッフがいた場合は、自殺(未遂)者を見たら通報していたそうですが。
 それにしても思った以上に自殺者が多い。撮影していた1年間で24人が自殺したそうだ。美しい橋を眺めていると、下の方でぼちゃっと水しぶきが上がる。えっ誰か飛び込んだ?と気付けばいいが、下手したら気付かないかも。自殺の映像を見ていることよりも、気付かないくらいさりげない、普通のこととして自殺が行われていることの方になにやらひやりとした。また、興味深かったのが、すぐ間近に自殺しようとしている人がいても、橋の上の通行人たちは案外気付かない・声を掛けないということ。欄干のりこえて景色を見ている観光客のすぐ足元にいるような自殺(未遂)者もいるのだが、実際こんなシチュエーションだったら却って気付かないかもしれない。また、自殺しようとしていた女性を助けた男性が「カメラ越し(この男性は橋の上から写真撮影をしていた)だと現実感がなくて、女性が自殺しようとしていると言う実感がなかった。投身する瞬間を待っていたのかも」という話は、冷たいようではあるが妙に説得力があった。基本的に、もう今にも身を投げそうというのでもない限り、声かけたりしないもんだなぁと。
 自殺者が何故自殺したのかというのは、死んだ本人にしかわからない。遺族はそのわからなさに深く傷つくのだと思う。同時に、分らなさゆえに、自殺した者へ悲しみより先に怒りが向かうのかもしれない。インタビューに応じた遺族からは、明言はしないまでも、自殺した人に対する苛立ちみたいなものが感じられた。また、自殺したいという相手を積極的には止めない、止められないという姿勢をとる人がいることも興味深かった。
 意欲的な題材ではあるが、いまひとつ物足りない。お行儀のいいドキュメンタリーに納まっちゃったなぁという感は否めない。遺族が抱えているものにもう一歩切り込んでほしかった。インタビュアーの力不足か。
 ちなみに、橋から身を投げたものの助かった青年(躁鬱がひどくなって自殺未遂)とその父親が出てくるのだが、父親との関係が良くないんだろうなぁという雰囲気がじわじわにじみ出ていて、余計なお世話ではあるがこの青年の将来が心配です。父親が、なんというか杓子定規な感じの人(話すことも教科書通りな感じ)なのだが、この人が変わらないと息子の症状も改善されないんじゃないかなーという気がした。

『事件屋稼業 チャンドラー短編全集2』

レイモンド・チャンドラー著、稲葉明雄訳
マーロウは出てこない中編「ネヴァダ・ガス」が特によかった。ギャンブラーである主人公デルーズの、穏やかだが一種冷淡で、事件のさ中にいるのだが常に傍観者のような姿勢が、彼の愛人との対比もあって妙にやるせない。ラストは昔のハリウッド映画のようでぐっときた。そして何と言っても面白かったのが、小説ではなく過去の推理小説や名探偵シリーズにケンカを売りまくっている随筆「簡単な殺人法」。ばっさばっさと切りまくる辛辣さが笑えるのだが、著者が目指していた小説の方向性がよくわかる。また、訳者後書き内に出てくる著者の手紙(ファンからのマーロウに関する質問に答えたもの)の文面もさらっとイヤミでおかしい。結構皮肉屋だったのね。ブランドやスタイルにこれみよがしにこだわるのは厭だったみたい。所で、作品内にしばしば“ホテル探偵”なる職業が出てくるのだが、ホテル付きの探偵というのは当時はポピュラーだったのか?それとも用心棒的なもの?

『不完全なふたり』

 結婚して15年になるマリー(ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)とニコラ(ブリュノ・トデスキーニ)は、友人の結婚式の為パリを訪れる。2人の仲は冷え切っており、離婚も時間の問題だった。監督は諏訪敦彦。日本人監督がフランス人キャストを使い、フランスで撮影した映画ということになる。
 諏訪監督は脚本を書かず、俳優と話し合いながら撮影を進めるというスタイルをとっているそうだが(オムニバス映画『パリ・ジュテーム』に参加した際には脚本を書いたそうだが、かえって難しかったとか)、俳優の技術の高さ、監督と俳優との間の信頼関係がないと、なかなか怖くて出来ない手法だと思う。それがちゃんと映画として成立していているのだから、これは凄いのではないかと思う。監督はもちろん、俳優の技量・役柄に対する理解度が問われるだろうが、テデスキもトデスキーニも名演だった。この2人は映画学校の同期生だったそうで、お互いに付き合いが長いということもプラスに働いたのかもしれない。
 ただ、こういう手法で撮影されてしまうと、映画における脚本とか演出とかって何なんだろうなぁとも考えさせられる。この映画、撮り始めるまでのディスカッションは相当綿密なのだろうが、撮り始めてからはほぼ撮りっぱなしな状態なのではないだろうか。撮影自体も、フォーカスが合っていないところもある、ラフさを感じさせるものだ。しかし、トータルで見ると全部びしっと決まっている。映画って不思議だわ。
 10数年連れ添った夫婦の生態が非常にリアルだった。私は実体験ないが、たぶんこんなふうになるだろうなぁという生々しさを感じたし、一緒に見に行った母曰く「なんとまあ」だそうだ。よくぞここまで(というかよくここまでやるよというか)、と感心させられるとのこと。非常に目のいい監督なのだろう。男女で不機嫌さの表出の形や、怒り方が違う所も実に上手い。女性は怒りやイラつきをバッと口にするが、男性は逆に黙り込む。で、黙り込む男性に対して女性が更に怒るという、「あーあるある」と深く頷きたくなるシチュエーションが上手い。またニコラが友人との会食の席で「別れるんだ」と漏らしてしまい、マリーがピリピリする等、男女での感じ方の違いの見せ方が上手い。もっともこの件、一番気の毒なのは同席した友人夫婦だと思うけど・・・いきなりそんなネタ振られたら困るよなぁ。気まずいことこの上ない。
 お互いにイラついていると同時に微妙に気を引こうとしているところとか、もういい加減別れるんじゃないかというところまできた男女のすれ違いが、色々と生々しく見ていていたたまれない。しかしだからこそ、最後の余韻が深く印象に残る。まあ、夫婦というのはこうしたものかもしれないなぁと思うのだ。

『傷だらけの男たち』

 ベテラン刑事のヘイ(トニー・レオン)と探偵のポン(金城武)は元は警察の上司と部下。恋人が自殺したことにショックを受け酒びたりになったポンは警察を辞めたのだ。一方ヘイは富豪チャンの娘スクツァンと結婚し、平穏な生活を送っていた。しかしチャウが惨殺される。容疑者は見つかったものの、不審に思うスクツァンはポンに調査を依頼する。監督は『インファイナルアフェア』のアンドリュー・ラウ。ちなみに本作も『インファイナル~』に引き続き、デレオナルド・ディカプリオ主演でハリウッドでのリメイクが決まっているとか。
 意外な真相へと至る筋は面白いのに、見せ方やストーリーの組み立て方で大分損をしているように思う。エピソードの並べ方が唐突なのだ。客に対する真相からの目くらましというより、単に構成が下手なように見えてしまった。特に過去のシーンが挿入されるタイミングや見せ方は、どうかなぁと思った。この人は悪いことしたんですよ!と最初にある程度明かしてしまうので、サプライズが減ってしまうのだ。またポンが殺人現場で犯人の動きを頭に描くシーンも、犯人の顔がしっかり見えてしまっているのは問題。この時点で、ポンは真犯人が誰だか知らないはずだ。
 また、ポンの恋人の悲劇についても、ポンが酒びたりになったというくらいであまり必要性を感じなかった(ポンが酒びたりである必要性もあまりない)。現在の事件のインパクトが強いので、過去のエピソードの印象が薄くなってしまったということもあるだろう。サービス精神旺盛に色々と盛りだくさんにしているのだが、やりすぎな感が。。これは私の好みの問題なのだが、気分が乗ってきたところでスっと次の展開に移るので、最後までいまひとつ波に乗り切れなかった。盛り上がるタイミングを逃したわ・・・。
 カメラがめまぐるしく動き、スローモーションも多様しており、絵的には結構派手だ。しかし目にうるさく、ゴチャゴチャした印象を受けた。かっこよくしようと思って却ってダサくなっちゃったなーという感じ。筋がそれなりに複雑(というか整理しきれなかったというか・・・)だから、映像は逆にストイックでもよかったと思う。あと、音楽はいまいち。冒頭で流れる「silent nighit」のアレンジ(というかボーカル)のダサさに脱力した。演歌かよ。アンドリュー・ラウと金城武の2ショットはかっこいいのになー。色々もったいない映画だった。

『赤い風 チャンドラー短編全集1』

レイモンド・チャンドラー著、稲葉明雄訳
フィリップ・マーロウの原型とも言えるキャラクター(名前は当初はマロリーだったのね)が登場する「脅迫者は射たない」を含む中短編集。ハードボイルドというよりはアクション小説のようなものもあるのだが、序文を読むと、著者自身、この時期の作品には満足していない様子がうかがえて興味深い。正直、読むのがかったるい(頭に入ってこない)ところが多々あった。まだ作品としてこなれきっていない感じ。また、これは著者の作風だと思うが、キャラクターの特徴や相互関係、事件の流れをさらっと書くので印象に残らず、フックが弱いという所もあるかも。ただ、これは意図的に押さえてあるのだと思うが。盛り上げすぎるのは嫌いそうだ。

『退職刑事Ⅰ』

都筑道夫著
 元刑事の老人が、現役刑事の息子からさまざまな事件の話を聞き、真相を推理する。国内アームチェアディテクティブミステリの代表作。こういう話はワンパターンで型がかちっと決まっているのが却って楽しいのだが、シリーズ初期の作品だからか、何となく試行錯誤しているように思った。作品の出来にもバラつきがあるが、個人的に面白かったのは「理想的犯人像」。一番本格ミステリぽいと思う。

『充たされざる者』

カズオ・イシグロ著、古賀林幸訳
 ヨーロッパの小さな町に公演にやってきたピアニスト・ライダー。しかしスケジュールははっきりしないまま、町の人たちは一方的に彼に頼みごとをしていく。町は危機に瀕しているらしいが、その危機が何なのかも全くわからない。Aさんの話かと思ったらいつのまにかA´さんの話になり、更にA´´さんの話になっているらしいという、立っている地平がどんどんスライドしていくような眩暈を感じた。カフカの作品に似ていると評されているが、主人公の置かれている立場がわからない、主人公の言葉が周囲に通じないあたりは確かに似た雰囲気があるかもしれない。町の人たちのやたらと長い自分語りと自己弁護は『日の名残り』を思わせるし、酩酊感は『わたしたちが孤児だったころ』に近い。著者の作品におけるモチーフは一貫していると思う。特に人間の自己欺瞞、身勝手さに対する視線は辛辣だ。町人たちがライダーを一方的に救世主として祭り上げようとする様は、一種宗教的でもあり、新しい神探しを思わせる。しかし当のライダーは自分が置かれている立場がさっぱりわからず、自分が何者なのかもだんだん危うくなってくるという所がシニカルだ。

『囚人のジレンマ』

リチャード・パワーズ著、柴田元幸・前山佳朱彦訳
 「なぞなぞ」好きのエドワード・ホブソンと妻、4人の子供達が父親の病気に翻弄される1970年代のエピソードと、1939年にニューヨークの万国博覧会に夢中になるエディ少年のエピソードが平行して進行する。『舞踏会に向かう三人の農夫』は膨大なペダントリィに彩られた近現代史だったが、本作もそれに似た構造だった。相変わらずフィクション・ノンフィクション入り混じった構成が見事なのだが、現代史(についての)小説であると同時、いやそれ以上に、(訳者解説で触れられているように)優れた家族小説でもある。父親も子供達もユニークではあるが、そのユニークさ故に目前の問題から逃避し、ことの本質を見間違う。父親は子供達に常に「なぞなぞ」を投げかけ、率直な言葉は回避される。この父親の頭いいけどアホな感じが実に面白く、かつイライラさせられる。なんでそうややこしいことするかなー!彼がやっているのは過去の自分を隠蔽し再構築することだ(彼の元職が歴史教師であるというのは象徴的だ)。しかしそれは、家族から自分の姿を隠してしまうことでもある。そして家族は、自分たちの記憶によってもう一度父親の姿を再構築するのだ。最後、一個人と歴史とかふっとクロスする瞬間にはぐっときた。大変読み応えのある、面白い小説。しかしこの父親は本当に腹立たしかったですが(笑)!それでも関わりを切れない、やっかいかつ愛しい存在としての家族の描き方が実にうまい。多分今年読んだ本のベスト入りするだろう。

『アヒルと鴨のコインロッカー』

 仙台の大学に進学し一人暮らしを始めた椎名(濱田岳)は、アパートの隣人・河崎(瑛太)に「本屋を襲撃しよう」と誘われる。同じくアパート住民のブータン人の為、『広辞苑』を強奪するというのだ。なりゆきで手を貸してしまう椎名。河崎は椎名に、ブータン人と彼の恋人との物語を語る。
 原作は伊坂幸太郎の同名小説。監督はなぜかホラー映画の仕事が多かった中村義広。原作にあくまで忠実に作った映画という印象を受けた(印象、としたのは原作の細部をもう忘れているからです)。なので、原作のキーとなっていた現在と過去を行き来する構成は概ね上手くいっている。また、原作には、どうやって映像化するのかしらというあるトリックが仕掛けられていたが、その点に関しては結構思い切って処理していた。ある意味ずるいが、こうするしかなかっただろうなぁ。
 かなり切ない物語ではあるのだが、個人的にはそこにあまり浸ることができない。原作を読んだ時にも思ったのだが、琴美の言動がうかつすぎるのだ。そこでよけいなこと言わなければいいのに!さっさと警察に届ければいいのに!やりかたが愚直すぎる。それじゃあそういう結果になるわなぁ・・・と思ってしまうのだ。
 ただ、琴美に限らず、登場人物は善人であれ悪人であれ、どこかしら愚かだ(善人に関して言えば、皆愚直だ)。琴美は「神様に見ないフリしてもらおうよ」と、ある人が神と仰ぐボブ・ディランのCDを戸棚に隠す。自分たちが愚かなのは分かっている、でも今は見逃してくれないか、という祈りにも似たものが漂う。まあ、そういうところが気恥ずかしくもあるんですが。
 椎名と河崎が駅で別れるシーンがいい。椎名は「彼らの物語に途中参加してきた」といわれる蚊帳の外の存在、一歩置いていかれている存在に見えていたが、実際にいつも置いていかれるのは河崎なのだ。これは切なかった。
 ボブ・ディランの「風に吹かれて」がやたらと流れる映画なのだが、文字に書かれているのではなく実際に音楽として聞いてみると、別にこの曲である必要はないかなぁ。曲の題名や歌詞等、文字の持つイメージが勝っていたのかもしれない。
 河崎役の瑛太が良かった。後半の迷演技?もかわいい。意外に美声なので、吹替え等の仕事もやってみてほしい。あと、ある役で松田龍平が出演しているのだが、この人はやっぱり妙な色気があると思う。
 

『帰りたくない!神楽坂坂下書店フーテン日記』

茶木則雄著
 今は無きミステリ専門書店「深夜プラス1」の店長だった著者のエッセイ。書店員であり書評家であるから当然本の話も出てくるのだが、それ以上に強烈なのがギャンブル話。というか「常にギャンブルで失敗している」という所しか記憶に残りませんでした。そんな、幼い息子から金を巻き上げて注ぎ込まんでもと思うが、よくやるなぁ。私はギャンブルには全く魅力を感じない質なので、このいかんともしがたい感じがあまりピンとこない。端から見ていると愉快だが、奥さんは大変だろう。エッセイ内でも奥さんに散々いじめられているが、全く同情する気にはなれないのだった。あんたが悪い(笑)!

『ボルベール <帰郷>』

 ペドロ・アルモドバル監督の新作。『オールアバウトマイマザー』『トークトゥハー』に続く、女性映画三部作の3作目となるそうだ。主演女優6人がカンヌで最優秀主演女優賞を受賞したことでも話題を呼んだ。
 空港で掃除や洗濯をして働くライムンダ(ペネロペ・クルス)は、失業したばかりの夫と15歳の娘パウラと暮らしている。ある日帰宅すると、パウラの様子がおかしい。何とキッチンには夫の死体が。父親にレイプされそうになったパウラが勢いあまって殺してしまったのだ。2人は死体を閉店したレストランの冷凍庫に隠して、何とか隠蔽を図る。一方、ライムンダの元には叔母が死んだという知らせが入っていた。葬儀のために帰郷したライムンダの姉ソーレは、火事で死んだ自分たちの母親の亡霊が、叔母の家に出たという噂を耳にする。
 墓参りのシーンから始まり、キッチンに死体が現れたと思ったら、何と死者が蘇ってくる。生者と死者とが入り混じりあい、めまぐるしく賑やかだ。死の気配が濃厚であるのに、3部作の中では最も生気に満ちていると思う。死とのコントラストによって、生がより鮮やかに見えるのだ。と同時に、生にも死にも大した違いはないような気になってくる。エネルギーに満ちたカオス状態のようだ。
 もっとも、この映画における「生者」には、男性は含まれないようだ。ライムンダの夫は早々に死体となってしまうし、閉店したレストランのオーナーもちょこっと出てくるだけ。ライムンダがケータリングすることになった映画撮影クルーの中には男性も多いが、ライムンダらと急接近する気配は見られない。あくまで女たち、母と娘の世界なのだ。女たちの結束が固く、男性客にとってはとっつきにくい映画かもしれない。
 予告編や宣伝からは、なにやら「感動作」と言った触れ込みだが、いわゆる泣ける感動作とはちょっと違うと思う。映画の中で明かされる「秘密」もヘビーだ。そしてその秘密に関わった人たちは、それなりの重荷を負わされている。しかしヘビーだが下手に深刻ぶったり涙にくれたりしないのが、アルモドバル監督が描く女たちのキュートなところ。また、母と娘が和解する話というより、ここから和解していけるのかもしれない、という気配を感じさせるに留めたところが良かった。
 それにしても、華やかなのに陰影が濃く、ラストにも死の香りが漂い不穏でもある。この余韻が不思議だ。エンドロールも美しい。色の組み合わせがユニークで、見た目にも鮮やかな映画だった。

『ラッキー・ユー』

 ラスベガスに暮らすポーカー専門のギャンブラー・ハック(エリック・バナ)は、実力はあるもののここぞという所でツキがなく、度々質屋のお世話になる生活をおくっていた。女性とは遊びでしか付き合わなかった彼は、売出し中の歌手ビリー(ドリュー・バリモア)と出会い、いつになく惹かれていく。2003年ポーカー世界選手権に出場することになったハックだが、同じテーブルには父親であるポーカーの名手L・C・チーバーの姿があった。
 殆ど宣伝されていない地味な作品だが(何と予告編を一度も見たことが無い!)、これがなかなかの良作だった。確かにキャッチーな要素には欠けるけど、もうちょっと宣伝してくださいよ配給会社さん!監督は『イン・ハー・シューズ』のカーティス・ハンソン。挿入歌のセレクト(ビリーの母親がカントリー好きだったという設定なので、ちょっと懐かしめの曲が多い)がよかったので、サントラもお勧め。
 さて、年齢的には大人になったものの人生は全く順風満帆とはいかないし自分がしっかりした、ちゃんとした大人になったとも思えない、ということはないだろうか。私いつもそうなんですが。ハンソン監督はこういった、大人のままならなさ、そのままならなさと直面して悪戦苦闘する人たちを描くのが上手いと思う。前作『イン・ハー・シューズ』では、そういった誰もが抱えるままならなさを清々しく描いてたが、本作はそれに比べると多少のんびりしているしユルい。
 主人公であるハックが、ポーカー以外に関しては、まあどちらかというとダメ男だという点もあるだろう。自宅は借金の抵当にとられ、友人にも金を借りまくり(多分返してない)、ポーカー大会の出場金にも事欠く。あろうことか、知り合ったばかりのビリーの小切手を勝手に持ち出してしまうのだ。普通に窃盗である。当然ビリーは激怒する。
 ハックの抱える問題は、他人から見たら大したことはないかもしれない。しかしその大したことない問題にこそ、人は振り回され一喜一憂するのかもしれない。だからこそ、金策に右往左往し、父親へのコンプレックスを拭えないハックに共感するのだろう。ゲームの最後でハックが下した判断は、ギャンブラー魂のない私には正しかったのかどうかはわからない。ただ、彼が父親を愛していたこと、父親にはヒーローでいてほしかった自分を受け入れたのは確かだと思うのだ。
 主演のエリック・バナは、最近渋い役ばかりだったが、本作では珍しく(笑)若々しい。また、売り出し中の歌手がドリュー・バリモアというのは年齢的にちときついのではないかという気がしなくもないが、ドリューを起用した監督は正しい。彼女以外の女優が演じたら、こういった真っ正直で真っ直ぐなキャラクターがうそ臭くなってしまったかもしれない。ドリューの人徳により立ち上がってくるキャラクターだったと思う。

『ゾディアック』

 1969年のアメリカ独立記念日。ドライブ中のカップルがカリフォルニア州で射殺された。その後犯人と名乗る男から警察に電話があり、他の犯行もほのめかす。更に新聞社には暗号文が届けられ、それを紙面に載せないとまた人を殺すと言う。「ゾディアック」と呼ばれるようになった犯人の行動はエスカレートし、生放送のTV番組に出演までする。焦る警察だが、捜査は遅々として進まない。
 アメリカで実際にあった未解決殺人事件が題材になっている。監督は『セブン』のデヴィッド・フィンチャー。しかし公開当時センセーショナルである意味派手だった『セブン』や、オーソドックスな娯楽サスペンスだった『パニックルーム』に比べると、本作はかなり地味だ。物語はあくまで淡々とすすむ。題材となった事件はあくまで未解決なので、容疑者は示唆されるものの、あまりスポットは当てられない。中心となるのは右往左往する捜査陣と新聞記者だ。物証に乏しく捜査は進まず、全員いらだってくる。何年にもわたる捜査に疲れ果て、リタイアする者も出てくる。そして捜査を続ける者は、「まだやってるなんてちょっとおかしいんじゃないの」という目で見られるようになってくる。実際、担当刑事とスクープを狙う記者、そして記者の同僚であるイラストレーターは事件捜査に熱心というよりも事件に取り付かれたといった様子になって、生活も破たんしていく。特に記者は捜査に過剰にのめり込み、記者としての信用を失ってしまう。
 連続殺人犯が怖いというよりも、連続殺人事件が日常を侵食し、次第に取り付かれていく様が怖かった。いわゆるサスペンス映画とはちょっと雰囲気が違うと思う。恐ろしい存在に対してドキドキするのではなく、まともな人達がある時点で、ふっと違和感を見せる瞬間にひやりとした。不穏な群像劇といった雰囲気だ。当時の時代のにおいみたいなものも感じられて面白い。
 地味ーに上映時間が3時間近い作品なので、ともすれば途中で寝てしまうのではと心配だったのだが、意外に眠くならなかった。さすがフィンチャー監督というべきか。それでも3時間は長すぎるけど。また、当時の捜査は結構のんびりとしていて、あんまり逼迫感がない。携帯電話もパソコンもない時代だもんなー。

『パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド』

 行方不明のジャック・スパロウ(シジョニー・デップ)を探すウィル(オーランド・ブルーム)、エリザベス(キーラ・ナイトレイ)、バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)一行。一方東インド会社のベケット卿はデイヴィー・ジョーンズの心臓を手にいれ、彼の船だったフライング・ダッチマン号と乗組員を手ごまとしていた。東インド会社に対抗するため9人の伝説の海賊が召集されるが。
 とうとうシリーズ完結。2作目「デッドマンズチェスト」は壮大なコントのようなノリの作品だったが、本作ではコント度はやや下がっている。もっとも、デップの演技は相変わらずコントっぽく、むしろコントとしては絶好調。ジャックの脳内に「良いジャック」と「悪いジャック」が現れて言い合いしたり、ジャックが大量発生したりと、ちょっとやりすぎなんじゃないかと思うくらいノリがいい。演じるデップも非常に楽しそうだ。
 ただ、映画としては豪華なのに薄味。それぞれのキャラクターの背景や相互関係がシリーズ進むにつれて増えたきた結果、いろいろ詰め込みすぎで消化しきれなくなっているという印象を受けた。呪いやら目的やら何やら、もっと絞り込んだ方がよかったんじゃないか。また、いろいろ詰め込んだ結果、ストーリー展開が非常に駆け足で目まぐるしかった。一つ一つの要素を楽しむヒマがない。お客さんがおなかいっぱいになるようにがんばったのに、全体的には薄味なのでちょっともったいない。今回せっかく新キャラとして登場したチョウ・ユンファも使い捨て状態。これだったら出演しなくてもよかったんじゃ・・・。上映時間3時間というのもきつかった。3時間息もつけないくらい面白いならいいのだが、残念ながら夢中になれるほどには密度が濃くない。せめて2時間に収めてほしかった。例によってエンドロール後にサービスがあるのだが、長いエンドロールが終了するまで待つのが苦痛だった。
 そういえばこのシリーズ、どのキャラも結構わがままというか、自分のことばっかり考えていたなー。特に本作では、バルボッサがちゃんとした大人に見えるくらい、ジャック・ウィル・エリザベスの3人がやりたい放題。特にジャックの子供っぽさが際立った。そんなジャックも最後の最後である決断に至る。もしかしてこの3部作、ジャックのモラトリアム卒業話だったの?・・・と思ったけど卒業していないですねこれは。
 
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