3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『デス・プルーフinグラインドハウス』

 クウェンティン・タランティーノ監督待望の新作。しかし今回も趣味に走りすぎであります!本作では、60~70年代にアメリカで隆盛を極めた低予算インディーズ映画「グラインドハウス」の雰囲気を再現しようと試みており、ご丁寧にフィルムには傷加工をし色合いも古臭く、フェイク予告編までセットになっている。ちなみに、グラインドハウスは数本立てなのが通常だったそうで(現代日本で言ったらテレ東・昼間の映画枠と木曜洋画劇場を続けて見る感じだろうか)、本作もロバート・ロドリゲス監督作品『プラネット・テラー』とセットになっている。一部劇場ではセット上映された(つまり本来の姿で上映された)のだが、私には都合3時間強に耐える程の愛はないの・・・ごめんタランティーノ。
 女の子たちが元カースタントマンの殺人鬼(カート・ラッセル)に追われるというアクション&サスペンス映画であるはずなのだが、肝心のカーチェイスにたどり着くまでが長い!カーチェイスが始まると俄然ワクワクして、カースタントのアナログ加減も滅法面白いもんで、これができるなら早くやらんかい!って思った。で、それまで代わりに何をしているかというと、女の子たちが延々とダベるわけです。タランティーノ映画の登場人物達は男女関係なくよくダラダラとおしゃべりをするが、本作では特にそれが顕著だった。タランティーノは女性のおしゃべりには脈絡が無い(そして延々と続く)ということをよくわかってんなー。会話の内容は結構えがつないし、そもそも殆ど意味を成していない。でもその意味なさがガールズトークっぽくてよかった。会話がとりとめもないんだけど、意外に飽きないのね。タランティーノがガールズムービーを撮ると本作になるのかもしれない。女の子たちが、皆ほどよく下品でどちらかというとダサいのもかわいかった。
 さて、この映画の殺人鬼はけっこうひどいことをやる(まあ殺人鬼だから)し、それに対して起死回生をはかる女の子たちがやることも結構ひどい。お子さんには見せられない殴打に次ぐ殴打なのだが、見ているうちに爽快になってくるのはなんでなんだろう。暴力苦手なのに、鉄パイプ持ってボコる気満々になってきちゃうよ。エンターテイメントとしての暴力てのはどういうことなんだろうなーとつらつら考えたりもした(『キルビル』の時も思ったのですが。タランティーノの映画の暴力描写はちゃんと痛そうなのに笑っちゃうんだよね)。
 ところで、この映画には女の子がいっぱい出てくるが、タランティーノはおっぱいではなくお尻と脚の人だということがよくわかった。意味なくチアガールの恰好している(一応、撮影中のモデルという設定なんですが)子がいるのには笑った。脚だけ延々と撮ったり、下からの舐めるようなショットが結構あったり、まごうことなくお尻&脚映画。これでロドリゲス監督の『プラネット・テラー』がおっぱい映画だったらバランスがとれていていいんじゃないかと思う(けど、ロドリゲスもおっぱいの人じゃないと思うんだよな・・・)。
 

『酔いどれ詩人になるまえに』

 チャールズ・ブコウスキーの自伝的小説『勝手に生きろ!』を、『キッチン・ストーリー』のベント・ハーメル監督が映画化。ブコウスキー(アメリカ人)原作なのにアメリカ・スウェーデン合作映画というのは何だか不思議だ。ブコウスキー(映画内ではチナスキー)役はマット・ディロン。ブコウスキーの小説を読むと、この人酒とタバコと女ばっかりでろくでもない人なんじゃないかと思うし、実際そういう人だったらしいが、それでも作品には(全てに対してではないにしろ)ぐっとくるし、作品内のブコウスキーのキャラクターもどこか憎めない。
 映画はブコウスキーの作家修行時代、と言えば聞こえはいいが、投稿作品はどの出版社でも採用されず、生活費を得る為の職も長続きせず、昼間から酒を飲んでフラフラしているという、社会的にはろくでなし決定な時代にスポットをあてている。でも、彼を心底「駄目な奴」と思えないのは、彼が他のこと(仕事や女性関係)にはいい加減極まりないが、書くことだけは絶対やめず、何度も何度も原稿をポストに投函し続けているからだ。書くことに対してだけは筋が通っているというか、誠実であり続けようとする姿勢が垣間見られるのだ。言葉を綴ることが自分の生き方であるという確信はブレない。ブコウスキーは多作な作家で作品の質もまちまちだが、元々何であれ書かずにいられないタイプの人だったんじゃないだろうか。もちろん、ブコウスキーが後に作家として評価されたからそう思うという側面は強いのだが、これが無名の作家志望者の話だったとしても、己の才能に見切りを付けられないイタい奴だとは思いながらもちょっと胸打たれる、少なくとも憎めないなぁとは思うんじゃないだろうか。いや、今だったらニートとして一くくりにされるのかもしれんけど。
 マット・ディロンがブコウスキーってどうなんだろうと思ったが、これが意外にいい。あまり人としてちゃんとしていない(笑)雰囲気が良く出ていたと思う。歩き方に特徴があったが、ブコウスキー本人がああいう歩き方をする人だったのかしら。ナチスキーが女に対して意外と優しい(というか躊躇した感じがある)、と同時にすごく突き放した所があるのも、ほどほどのルックスのディロンが演じると妙に説得力がある。また、ナチスキーの彼女役のリリ・テイラーも、すごくよかった。下着姿見ているともの悲しくなるところとかねー、疲れた空気感が出ていて。
 あと、音楽のチョイスも、ほどほどに寂れた感じがしてよかった。サントラ買ってもいいと思う。

『厨房で会いましょう』

 主人公は天才料理人、ヒロインはその料理に見せられた人妻。料理が絡む関係ではあるが、実の所、料理そのものはさほど大きなウェイトは占めていない。そもそもコーラとチョコレートのソースなんて実現可能なの?
 エデン(シャルロット・ロシュ)はグレゴア(ヨーゼフ・オステンドルフ)の料理が食べたくて彼に近づく(そして最後まで彼の料理を絶賛する)が、いくら料理が美味しくても、虫の好かない奴の所へ毎週のようには通わないだろう。料理はあくまでとっかかりであり、彼女は彼の人柄に好感を持った。彼と一緒にいるのが楽しかったからこそ、彼に会い続けたし、彼女と夫の関係が好転したのも、美食の賜物と言うよりも、グレゴアと会うことで、変な言い方だが夫との関係の煮詰まり度が下がったからではないかと思う(他に友達いなさそうだったし)。
 一方、グレゴアにとって料理は一人で高みを目指すものだった。しかしいわゆる高級食材を使った美食というだけではなく、食べる人のことを考えて作るというのも料理の一つの要素だと気付いていく。どんなに美味しい料理を作れても、食べる人の姿が見えないと空しい。それが彼の最後の選択に繋がるわけだが、このオチはよかったんじゃないかしらと思う。彼が一人で作っていた料理より、こっちの方が食べてみたいと思った。
 さて、グレゴアとエデンにとって不幸だったのは、彼女の彼に対する好意と、彼の彼女に対する好意の種類が違ったことだ。彼は彼女に恋していたが、彼女は彼に友情を求めた。男性からしてみたら好意に付け込むひどい女ということになるのかもしれない。確かに、エデンはグレゴアの感情や周囲の目に対して無頓着すぎるし、2人を襲うトラブルも、彼女のうかつな行動が引き起こした側面が大きいだろう。しかし、異性に友情を求めるのは(たとえ相手が自分に恋愛感情を持っていたとしても)そんなにいかんことなのか、と釈然としないところもある。少なくとも、夫にぎゃんぎゃん責められる筋合いはないと思うのだが・・・。そのね、恋愛とか夫婦関係以外の関係もほしいわけです。そのへんわかってよーという気もする。また、夫がもっと妻子のことを考えて行動していれば、エデンとグレゴアの関係が深まることもなかったんじゃないかと思う。
 そうそう、エデンの夫がグレゴアに嫉妬する様は大変見苦しい。女の嫉妬は怖いかもしれんが男の嫉妬の方がみっともないかもしれない。相手に突出した才能があるからまた拍車がかかっちゃってるあたりも、こいつ器が小さいなぁと。相手がグレゴア以外の一般人だったら、確実に訴えられてるよ。まあこの場合、訴えられたほうがダメージ少なかったかもしれんが・・・
 予告編ではほのぼのした、ハートウォーミングな雰囲気だったが、むしろ苦い作品だった。あと、妙なユーモアがあって、深刻になりすぎないところはよかったと思う。エデンの夫もその友達も下衆な奴ですが、描き方におかしみがある。

『ぐるりのこと』

梨木香歩著
 自分の周囲のことだから「ぐるりのこと」。タイトルのチョイスがいい。著者の作品を読むと、小説であれエッセイであれ、この人はこんなに繊細で明敏なのに、同時に妙に鈍感なところがあって不思議だと毎度思う。今回もそう思った。ぐるりとゆっくり見渡していきたいと考えているわりには妙に思い込みが強かったり(基本的に一途な人なのかしらと思う)、自分のナイーブさと自分への厳しさに縛られているようなところがあって、アンバランスだ。そこが面白いといえば面白いが、読む側も著者の思考に就き合わせられるわけなので、振り回されて疲れる。ちなみに、イギリスのセブンシスターズという場所を散歩したときのエッセイが収録されているが、セブンシスターズはいいですよー。昔行ったことがあるのだが、また行きたくなってしまった。

『チェシャ・ムーン 探訪記者クィン』

ロバート・フェリーニョ著、深井裕美子訳
 探訪記者って何かと思っていたら、トップ屋とかゴシップ系特ダネ記者のようなものらしい。主人公である記者・クィンは基本マッチョなキャラなんだが、暗い過去やら家族関係やらの設定を加えすぎているように思う。設定の一つ一つが濃い味で、お互いに効果を消しあってしまっている。対して、新進気鋭のカメラマンや熟年売れっ子司会者など、女性キャラクターは皆生き生きとしている。キャラ立ては上手いが、正直言ってストーリーは少々弱い。ショウビズ界が舞台だからか、微妙に雰囲気がチャラいのがおかしかった。ちょっと、昔のトレンディドラマみたいな感じがした。

『トランシルヴァニア』

 トニー・ガドリフ監督作品のヒロインは、総じて気が強く性格が悪いと思うのは私だけか。それが気に障ると同時に魅力的でもある。全然上品じゃないんだけどね(笑)。私は本来、感情のテンションが高い映画は苦手なはずなのだが、ガドリフ監督の作品は、女性も男性も喜怒哀楽が激しく、特に女性が情熱的であるにもかかわらず、何故か惹かれる。音楽がいい、というのも一因か。
 ふいに姿を消したロマのミュージシャンである恋人ミランを追い、トランシルヴァニアまでやってきたジンガリナ(アーシア・アルジェント)。お腹にはミランの子がいるのだ。しかしミランにはすげなくあしらわれ、ショックを受けたジンガリナは友人の言葉も聞かず飛び出した。フラフラの彼女を助けたのは、ロマ相手の商売もしているらしい旅の男・チャンガロ(ビロル・ユーネル<私、この人の顔がなんか好きなんです)だった。
 なし崩し的ロードムービーとでも言うべき、不思議な作品だった。チャンガロは元々旅する男だが、ジンガリナと行き会ってからは彼女に引っ張られるように移動し続ける。しかもジンガリナが結構性格悪い(笑)。「こいつよくわかんねーしめんどくせー」と思いつつ、その性格の悪さを許容してしまう男と彼をいつのまにか翻弄する女という組み合わせが愉快だった。
 私はロードムービーが好きなのだが、この映画も移動中の場面がなかなかいい。予告編でも使われていた、自転車で走るジンガリナの脇をチャンガロが笑いながら車で走るところ。このシーン、通りがかりの老人が車に同乗しているのだが、「ロマの女が自転車に乗っている所を初めて見た」と驚くところがおかしかった。ロマの女性は自転車乗らないの?そうそう、老人が良く出てくる作品だったが、皆とても味のある顔をしている。多分、プロの俳優ではなくて素人なんだと思うのだが、存在が濃い。ジンガリナのお産に駆けつけるおばあちゃん達とか、強烈です。ジンガリナが「魔女!」と怖がるだけのことはある。
 ジンガリナは最初、自分を棄てた男を諦められずに追って縋るようなキャラクターなのだが、教会でまじないを受け、ロマの女の恰好をしてから急に強くなる。監督の前作『愛より強い旅』でも、ヒロインが自分のルーツに立ち返ることで回復していく、というパターンだった。それはちょっと単純すぎるんじゃないかと思ったのだが、ガドリフ監督にとって自己のルーツを確認するというのは、それほどに重要なことなのだろう。また、本作の方がファンタジックな部分があり、服装によってキャラクターが変化していくというのもすんなり受け入れられたと思う。

『明るい瞳』

 
 田舎町で兄夫婦と同居しているファニー(ナタリー・ブトゥフ)は情緒不安定で、周囲からは変わり者扱いされている。兄嫁の浮気現場を目撃したファニーは怒りを爆発させ、家を追い出されてしまう。監督はジェローム・ボネル。
 あらすじ書いてみるとファニーが可愛そうな子みたいだけど、本人に悪意はないにしろ、こんな人身近にいたら厄介そうだなぁという人ではあるので、むしろ兄の苦労にしみじみとしてしまった。ファニー自身も、兄に迷惑かけているというのが分かっている(でも迷惑かけてしまう)というのがまたしみじみとさせる。このへんの、ヒロインを単にかわいそうな子にしないところのバランスがよかったと思う。兄は小学校教師と言う地域社会との繋がりの強い職なだけに、こりゃー気苦労も多いわ、と同情してしまうのだ。
 予告編を見た限りでは、なんだかメルヘンぽいのかなと思っていたのだが、その印象は半分当たって半分外れだった。ファニーは自分を受け入れてくれる人とめぐり合う。ファニーは他人とのコミュニケーションがうまく取れない人だが、巡り合った彼とは、言葉は全く通じない(フランス語とドイツ語だから)のになんだか通い合うものがあるのだ。彼と巡り合ったところで物語が終了したら、本当にメルヘンと言っていいところだ。でも監督はそうはしなかった。着地点は意外にほろ苦い。彼と一緒にいれば幸せかもしれないが、そこは一種のユートピア、夢の国であって、生身の人間である彼女が暮らすべき場所ではない。自分が生活する「この世」に帰らなければならないのだ。しかし、彼女が「この世」で生きていくことを選択したことに、ささやかな希望が見えてくる。
 森の中の空き地や小道の感じがとてもよくて、山へ行きたくなってしまった。あんな森の中を散歩したい。自然が人を癒すというのはあまりに紋切形だし、素朴すぎるきらいはあるとは思うが、やっぱり山とか海とか、たまに行くといいもんですよ。

『神様がくれた指』

佐藤多佳子著
 出所したてのスリとギャンブル狂の占い師がひょんなことから行き会う。文章はちょっと野暮ったいものの、読みやすく引き込まれる。小説の基礎体力が高いとでもいいますか、ストーリーの組み立てにしろ、状況説明しろ、わかりやすいのだ。相変わらず手堅いなぁ。ただ、主人公2人共が、新しい一歩を踏み出したようであっても自分の業からは逃れられない、結局変われないんじゃないかという気配がし、どうもホロ苦い。あと、重要なキャラクターとして女性2人が登場するのだが、この2人がどっちも私の得意ではないタイプで辟易した。「愛をください」オーラを出している人にはイライラしますよ!特にスリの幼馴染の女性。こういうタイプが一番しぶとくて美味しい所を持っていくんだよなー、でも男はこういうタイプにコロっと落ちちゃうんだよなー、お前ら皆騙されてるから!と思った。いや私怨とか、そんなことないですよ!本当に!

『不確定世界の探偵物語』

鏡明著
なんで「不確定世界」なのかというと、一人の大富豪が持つタイムマシーン「ワンダーマシン」が、富豪が理想とする世界を作るべく過去に干渉することで、現在がちょっとづつ変化してしまうからです。目の前の人がいきなり別人になったり、風景が変貌したりする。そんな世界の中では、過去を辿り証拠を積み重ねる探偵はナンセンスな存在とも言える。主人公の探偵の名が「ギブスン」であるのをはじめ、過去のSF作品へのオマージュに満ちている。SF小説ではあるが、ワンダーマシンの特性がミステリの特殊ルールとしても効果的なので、SFにはあまり馴染みのない私でも楽しめた。80年代の作品がようやく文庫化されたものだそうで、文章はさすがに古さが否めない(昔のTVドラマのテイストを感じるのは私だけか)が、プロットがいい。探偵がへなちょこで頭もあまりよくない(というか悪すぎる)ので、これは何かの伏線?!と思ってわくわくしていたら普通にヘタレなだけだった。えー。

『アズールとアスマール』

 双子のように育てられた、白い肌と青い目に金髪のアズールと、浅黒い肌に黒髪黒目の乳母の息子アスマール。しかしアズールは町の家庭教師に預けられることになり、乳母とアスマールは海のむこうの母国へ追放された。成長したアズールは乳母から聞かされた「妖精の国」である海のむこうの国へ旅立つ。しかしその国では、青い目は悪魔の印とされていたのだ。監督は『キリクと魔女』のミシェル・オスロ。
 アズールが白人、アスマールがイスラム系(らしい)という設定からも一目瞭然だが、異文化コミュニケーションが作品のテーマの根底にある。外国からの出稼ぎ労働者や移民が多いフランスでは、国内での文化摩擦は深刻な問題となっている。自分と違う文化圏の人とどう付き合っていくかというのは、観念的ではなくアクチュアルな問題(もちろんどこの国でもそうなのだが、日本とは切迫感が違うだろう)なのだ。
 アズールは最初こそ「こんな国いやだ!」と異国に拒否感を示すものの、好奇心旺盛に異国のことを知ろうとしていく。海の向こうは不思議の国だった・・・というよりも、不思議の国に見えるのはその国のことを知らないからで、知ってしまえば別に不思議でもなんでもないわけだ。最初に流れ着くのが貧民街、たどり着くのが富豪となった乳母の家(貿易で一山当てたという設定がすごい)というのも、不思議の国ではなく貧富の差のある普通の国ですよというところを見せていて、気配りが行き届いている感じ。
 異国に流れ着いたアズールと対照的なのが、何年もこの国に住んでいるというもの語彙の男クラプー。彼もまたアズールと同じように、ジンの妖精を追い求めてこの国にやってきて、失望した。彼はこの国に不平不満ばかり言うが、ポロリと「それでもこの国が好きだ、この街で暮らしていかなくてはならない」と漏らす。移民の心情を代弁しているかのような言葉で、ぐっときた。そして自分たちを追放したアズールの国をずっとうらんでいたアスマールも、最後に心情を漏らすのだ。
 おとぎばなしらしくハッピーエンドではあるものの、彼らの行く先には一抹の不安もある。個人レベルでは理解し合っていてもそれが国とか民族レベルになっていくとどうなんだろう、また理解し合っていたつもりでも、全く違う文化で育った2人がずっと一緒にやっていけるのかと。しかしそれでも、やらないよりはやったほうがいいんじゃないのという、捨て身のポジティブさみたいなものも垣間見られたと思う。ちなみにこのラスト、地域的な文化だけじゃなくて、一部階層も飛び越えている気がする。これでカップリング成立したらすごいぞー。あと、エルフの精が自分では何もせずにイケメン(資産あり)ゲットしているあたりは大変うらやましい(あれ?)。ルックスと経済力の前には文化の違いも吹き飛ぶのでしょうか。それはそれで大変わかりやすいが。

『有栖川有栖の鉄道ミステリ・ライブラリー』

有栖川有栖編
 鉄道ミステリと言っても、いわゆる時刻表ものなどではなく、鉄道が出てくるミステリーっぽい作品、という割と間口の広いくくりになっている。SF+幻想小説風味なフィリップ・K・ディック「地図にない町」や西岸良平のマンガ「江ノ電沿線殺人事件」といった幅広いセレクトが楽しい。気楽に楽しめるところがいい。寝る前に1編読むとちょうどいい感じだ。ちなみに私のお勧めは、ある意味バカミスなオースチン・フリーマン「青いスパンコール」。この死に方、浮かばれなさそうだわ・・・

『シッコ』

 『ボーリング・フォー・コロンバイン』『華氏911』が大ヒットした、ドキュメンタリー作家マイケル・ムーアの新作。今回の題材はアメリカの医療保険制度だ。アメリカは欧米諸国の中では唯一国民皆保険制度がない。保険料を払えない人は医療保険を受けられないのだ。しかし、今回ムーアがスポットを当てるのは貧困ゆえに医療保険を受けられず苦しむ人たちではなく、医療保険に加入していたが保険を受けられずにいる人たちだ。
 アメリカが抱える医療保険問題は多少聞いたことはあったものの、ここまで深刻だとは恥ずかしながら知らなかった。驚くことに、この映画で取り上げられるケースの当事者達は決して赤貧というわけではなく、一定水準の生活(中の下~中くらい)はしている、下手するとそこそこいい生活をしているということだ。これでもダメなのかよ!と憤り通り越してあっけにとられてしまう。保険会社ぼろ儲けだよ!アメリカの中流層よりもイギリスの下層の方が健康状態がいいってのには笑ったけど、笑い事じゃない。
 演出としてはオーソドックスながら効果的なのが、カナダ、イギリス、フランスの国民皆保険制度の紹介だ。わざとらしいといえばわざとらしいのだが、なんでこんなに違うの?!とショックを与える効果は絶大。地続きのカナダへは、わざわざカナダ人と偽装結婚して医療を受けに行くアメリカ人もいるくらいだ。医者不足や診察待ち時間の長さ、医療現場での外国人労働者への依存など決して問題がないわけではないイギリスでも、「国民皆保険がなくなったら革命が起きる」と断言されるし(低所得者には病院への交通費が支給されるというのにはたまげた)、ましてフランスでは在仏アメリカ人が罪悪感を感じるレベルの福祉の充実ぶりだ。安心して病気になれない経済大国って何よ、という気持ちになってくる。欧米諸国を紹介した後、アメリカの仮想敵国であったキューバにたどり着くというのがまた皮肉だ。キューバが医療大国というのは初めて知ったのだが、対外的(いや国内もか)には赤字大国なのに医療保険は充実しているのだ。あと、ヨーロッパ、特にイギリスでは「(富を)もっているものがもっていないものを援助する」という意識が結構強いみたいですね。これは貴族社会の名残なのかしら。
 ムーア監督の映画は構図としては非常に分かりやすく、問題を提起、敵を定めて証言を集め追及、というスタイルだ。主義主張にしても全くややこしいことはなく、素朴な疑問に基づく身近なものだ。そもそも知っている人は知っているような題材だ。しかしムーアは自分が取り上げる問題に最初から興味がありそうな層は、映画の客層としては想定していないのだろう。彼の作品を簡略化しすぎ、物語化しすぎという批判はあるかもしれないが、その問題を知らない人に何かを訴える方法としての映画という意味で考えれば、彼のやり方は非常に上手いし首尾一貫している。この「わかりやすさ」(そして面白い)はムーアの最大の強みではないだろうか。わかりやすいというのは、簡略化しているというよりも、論旨の組み立て方、その論旨を見せる為の素材の選び方・並べ方が上手いということなんだなぁと、構成力の高さを再認識した。『ボーリング~』での売り物だったアポなしインタビューこそ今回はないが、この人別に突撃取材しなくても面白いわ!と。
 さて医療保険制度とは別に非常に印象に残ったのが、アメリカの社会主義嫌い。正直、未だにここまで根強い恐怖があるとは思っていなかったので、大変興味深かった。国が保険制度を決めるのは社会主義的、という論旨には首を傾げてしまう。国民の健康を守るのは国の勤めの一つなんじゃないの?だって(映画の中にも出てくるが)初等教育や図書館は無料でも社会主義的とは言われないのに・・・。ちょっと病的な域に入ってるんじゃないかという印象を受けた。

『遠くの空に消えた』

 森と草原に囲まれたとある村に、空港建設の話が持ち上がっていた。村の住民たちは建設に大反対する中、やり手の建設会社社員(三浦友和)が派遣されてきた。一方、建設社員の息子(神木隆之助)は酪農家の息子(ささの友間)と仲良くなる。ある日2人の少年は、UFOを待っているという不思議な少女(大後寿々花)と出会う。
 物語の舞台はちょっと昔の日本が舞台らしいが、いつと特定されているわけではない。高度経済成長期のいつかという雰囲気だ。舞台となる場所もなんとなく田舎(ロシア語の看板があったり、酒場にロシア語を話す女性がいたりするので、北海道をモデルにしているのかもしれない。ちなみにロケ地は主に北海道)という程度。ちょっと昔の日本に似たアナザーワールド、という雰囲気が強い。匿名性だけではなく、村人たちのちょっとヨーロッパの田舎風な服装や、東欧の民族音楽ぽい村の楽隊の音楽、なんとなしにファンシーな家々や酒場の内装も、アナザーワールドぽさを強めている。
 どこか日本離れしたファンタジックな風景は見ていて楽しいのだが、ちょっとやりすぎかなとも思った。牧歌的メルヘンな部分と、空港建設とか、はたまた建設に同意したら村八分とかいう生々しい部分との乖離がはげしくて、世界観をどっち寄りにすればいいのか迷ってしまう。日常をもっと地に足がついた感じにした方が、終盤の「奇跡」が引き立ったと思うんだけど。牧歌的な部分も終盤も悪くないだけに勿体無いのよ。
 もっとも、映像的には魅力的なところがいっぱいあった。「この絵が撮りたい!」という監督の思いがほとばしっている。クライマックスの、少年達が夜の草原を疾走するシーンにはぐっときた。絵を取りたい気持ちが先走りすぎて映画がアンバランスになっている気がしなくもないのだが。
 パッケージングとしては、お子さんの他にも若い女性が好みそうな雰囲気ではあるが、実際の所、これは男の子映画ですね。冒頭でいきなり立ちションシーンがあるし、「う●こち●ち●」系の小学生男子が喜びそうなネタが案外満載だった。まさか夢精ネタまであるとは・・・。しかもクライマックスのある計画に村中の子供が参加するのだが、よく見ると男の子ばかり。そしてその計画は一人の女の子(普通に学校にいたら確実に「イタい子」扱いで女子からはハブられるであろうところも男子のドリームっぽい)の為のものだ。女子の出る幕ございません。行定勲監督の「男子」な部分が全開になった作品なのだろう。
 主演の神木くんは当然のごとくかわいい(細い!)のだが、中性的な美少年っぷりが堪能できるのは年齢的に本作が最後だろう。そういう意味では貴重な1本。そして、共演のささの友間が予想外によかった。走りっぷりがいい!

『モードの方程式』

中野香織著
 ファッションアイテムやスタイルにまつわるコラム集。おしゃれな人じゃなくても楽しめます。しかしモードって本当に変化が早い!2,3年前のネタだともう古いなーと思ってしまう。連載当時はいいのだろうが、書籍化するのが悩ましいジャンルだなぁ。もっとも、このコラム集はオーソドックスなアイテムが成立するまでの歴史や、流行の背景となった社会状況などを取り上げているので、風化はしにくいのではないかと。へー、ほー、と感心するネタも多々あった。こういうマメ知識を知っておくと、洋服見る目がまた変わってきそう。

『月と菓子パン』

石田千著
 酒場とお惣菜がよく出てくるエッセイ集。食べ物が地味でおいしそうー。仕事して、家事して、ご飯食べて、散歩してという日常の事柄を綴っているが、言葉数が多すぎず、感情も控えめな所に好感が持てる。自分がどう思ったこう思ったということはそれほど書いていないのに、著者の姿がくっきりと立ち上がっている。しかし町の話も食べ物の話も、どこか古風なところがあり、現代の日本というよりも一昔前の日本のような雰囲気。昭和な香りがどこからか漂ってくる。著者が下町住まいということもあるのだろうか。
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