3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ロッキー・ザ・ファイナル』

かつてボクシング界の頂点に立ったロッキー(シルヴェスター・スタローン)。今は引退し、小さなイタリアンレストランを経営していた。愛妻エイドリアンには先立たれ、息子とも疎遠な、平和だが孤独な暮らしだ。ある日TV番組でコンピュータによる新旧ボクサーのバーチャル戦を見た彼は、もう一度ボクシングに挑戦しようと決意する。
 私、実はロッキーシリーズは1作も見たことないんです。でも、本作はこれまでのシリーズを見ていなくても大丈夫な王道スポコンだった。しかし面白いかどうかというと微妙。ロッキーの言動がちぐはぐで説得力がないのだ。エイドリアンを忘れられずに、思い出の場所巡りに義兄を突き合わせて辟易させる一方で若いシングルマザーを口説く。どうしてボクサーに復帰しようと決意したのかもあいまいだ。エイドリアンに対する思いをふっきるため?ボクシングを愛しているから?息子に手本を示したかったから?息子が「いい年して恥ずかしくないの?!」と詰め寄った時の返事も、いま一つ的を得ていなかったように思う。ロッキーにしろ他のキャラクターにしろ、セリフの練りが甘く、陳腐なものになってしまっていた。「信じれば夢はかなう!」なんて、今更言われたくないわ。
 やはり、すでに還暦を迎えたスタローンがボクシングをやる、というのが苦しかった。普通に歩いたり走ったりしているのでも動きがもたついていて、若いボクサーとはとても互角に戦えそうにない。スタローンのセリフ回しもぎこちない。この人本当に大根だったんだな・・・と変な所でしみじみとしてしまった。やっぱり安易に続編作っちゃダメね。やっつけ仕事感満載だった。
 ところで、ボクシングの全米チャンプに、いくら試合態度に問題があるとはいえブーイングしか寄せられないという状況はあり得るのだろうか。この映画ではそうなんだけど、ちょっと強引ではないかしら。

『絶対の愛』

 恋人に自分の顔を飽きられたと思い込んだ女(ソン・ヒョナ)が、顔を整形し別人として男(ハ・ジョンウ)の前に現れる。何も知らない男は姿を消した恋人に思いを残しつつ、新しく知り合った女を愛し始める。真実を知った時に彼がとった行動は。キム・ギドク監督の新作は、きっついラブストーリーだった。
 他の女に目移りする男に嫉妬する女、そんな女を愛しつつももてあます男。珍しくはない設定だ。ドラマの舞台も現代の都会。トレンディードラマ(って死語か)に出てきそうなおしゃれなカフェにモデルハウスのようなマンション。ひとつひとつのパーツは紋切形といってもいいのだし、ショットも個々に見ると結構図式的なのだが、それらを総合して出来上がったものはやはりいつものギドク作品だった。つくづく個性の強い監督だ。本作は昔話風だった『弓』よりも、割と洗練されていた『うつせみ』に近い雰囲気。しかし一見スタイリッシュでも、その根底にはドロドロしたものがあるみたい。
 整形大国である韓国で整形が大きなファクターになっている作品を発表するということは、整形に対する批判なり何なりとも受け止められるだろうが、この作品の意図は、整形の是非を問うものではないと思う。また、外見のみ(もしくは内面のみ)で人を愛しうるのか、その人と判断するのかということを問うているわけでもないと思う(そういった側面もあるだろうが)。
 この作品の原題は『TIME』。テーマとなっているのは、愛は時間に勝てないのか、恋愛において新鮮な気持ちを常に保つことは可能かという点ではないかと思う。女は男が自分に慣れ、他の女に目をやることを強く嫌がる。が、どんな恋人同士でも、付き合いが長くなれば新鮮味はなくなるだろう。関係もユルくなってくるはずだ。しかし本作の女はユルくなることを自分に対しても相手に対しても許さない。新鮮さを保つ為に整形という劇薬を投入してくる。ただ、刺激によって得た新鮮さもいずれは劣化する。そうしたらまた新しい刺激を、ときりがない。そして度の過ぎた刺激によって男も女もボロボロになっていく。涙と鼻水と血にまみれた女はそれでも微笑む。凄味があるが、実際にはあまりお目にかかりたくない微笑みだ。
 そもそも愛に常に新鮮さを求める必要があるのか?この2人、ユルい関係になっていくほうがむしろ幸せなのでは?という疑問もわいてくる。女が求めているのが男の愛なのかどうかも怪しい。彼女にとって、男が実際に何を思っているのかということには、本当はそう重要ではないのではないように見えるのだ。
 ところで、男と女がデートする彫刻公園があるのだが、彫刻が全部不気味。実際にああいう公園があるのだろうか。アートというにはなんとなく生臭い。

『サウンドトラック』

古川日出雄
熱帯と化した近未来の東京。音楽を解さない青年トウタと、ダンスで世界を震わせる女子高生ヒツジコの兄妹が疾走する。言葉では表現できないものを表現しようとする音楽とダンスという表現を、言葉の産物である小説の中心に持ってくるなんてチャレンジャーですなー。世間的には高評価な作品だが、どうも乗れなかった。疾走感のあるスタイリッシュな文体とのことだが、ちょっとセンスが古くてむしろ泥臭いと思う。80年代後半から90年代前半ぽい感じか?女子高生を「ガール」と称するのとか、お尻がムズ痒くなってきます。勘弁してー。意図的にやっているのか、本気でこれがかっこいいと思ってやっているのか、よくわからない。頑張って文体作ってる感が出ちゃっているのが少々興ざめか。東京都内の地域が持つ性格のつかみ方は結構鋭いかも。西荻の変貌ぶりは笑うに笑えません。

『素粒子』

 作家くずれの国語教師ブルーノ(モーリッツ・ブライプトロイ)と生物学者ミヒャエル(クリスティアン・ウルメル)。2人はヒッピーの母親に捨てられた、父親違いの兄弟だ。ブルーノは性欲に悩まされる一方で妻との仲は冷え切り、とうとう妻子に逃げられる。対してミヒャエルは性的なものに極端に関心がなく、研究にだけ打ち込んでいる。そんな2人は母親の死をきっかけに再会、転機が訪れるが。
 決して完成度の高い映画というわけではないし、万人受けする映画というわけでもない。むしろ、人によっては不快に思うところもあるかもしれない。しかし何でこうも切ないのか。悲しくて悲しくてとてもやりきれません!他人事とは思えないのはやはり非モテ主人公だからでしょうか(そこかよ!)。
 ミシェル・ウエルベックによる原作小説は未読なのだが、聞いた所によると兄弟を主人公にした恋愛小説という形をとりつつ、生殖、親子問題、クローン技術等の様々な問題を提示しているそうだ。対して映画の方は、兄弟の愛とセックスという問題に焦点を絞り込んでいる。兄は性欲に振り回されて愛を見失い、弟は性欲に無関すぎて目の前の愛に気付かない。対照的な兄弟の対比がこっけいであり、同時に悲哀も感じる。特に教え子に失恋してショックを受け精神科医にまでかかるブルーノの姿は、どう考えても突っ込みどころ満載で笑えるのだが、同時にいたたまれなくなる。女の子とヤりたくてしょうがないのだが、方向が(女性が多いと噂のスピリチュアル系キャンプに参加するとか)とんちんかんなのだ。そもそも彼が求めているのは母親から与えられなかった愛であるのだが、その自覚がなくセックスで満たされなさを解決しようとしている。求めているものと実際に得ようとしているものが微妙にすれ違っているのだ。その姿が滑稽であり痛々しくもある。
 兄弟にはそれぞれ運命的な出会いがあるのだが、それぞれ皮肉な運命を辿る。ミヒャエルはある種達観していて幸せであるのかもしれないが、ブルーノが辿る運命は救いがない。愛に気付いたとたんにこれか。こういう形でしか愛を手に入れられないのか。なんともシニカルでペシミズムに満ちた作品だったと思う。映画の方が原作よりもラストに希望があるそうだが、原作はどんだけ鬱エンドなんですかそれ!
 一つ気になったのが、子供時代のブルーノ役の少年と、大人のブルーノを演じるブライプトロイが全然似ていないこと。どう見ても別人。もうちょっと何とかした方がよかったのでは。ちなみに70年代から80年代あたりが舞台らしいのだが、音楽のチョイスは大変良かったです。

『鉄人28号 白昼の残月』

 太平洋戦争から約10年、復興をとげようとしていた東京で、少年探偵・金田正太郎は父の残したロボット・鉄人28号と、数々の事件を解決していた。ある日、不発弾を狙う怪しいロボットとの戦いで苦境に陥った正太郎。そこに突然現れた青年は、鉄人を見事に操縦しロボットを駆逐する。彼の名は「ショウタロウ」、正太郎の義理の兄だと言うのだ。
 原作はいわずと知れた横山光輝。何度も映像化、リメイクされた作品だが、この映画は2004年に放送されたTVシリーズと世界観を同じくしたもの。TVシリーズとは一部パラレルになっているが時代設定などは共通だ。監督・脚本・絵コンテはTVシリーズを手がけた今川泰宏。
 ショウタロウの登場までを、講談調で一気に説明するという、思い切った導入。この調子でナレーションの嵐だったらキツいなぁと思っていたのだが、さすがに杞憂でした。ただ、「昭和」風を意識しているからか、所々で挿入されるナレーションが古めかしくて少々くどい。時代背景を重視しているのはわかるのだが、ギャグも昭和のノリなので、ちょっと気恥ずかしくて背中がムズムズとした。無理にコメディ要素を入れなくてもよかったと思うが。
 今川版鉄人の大きな特徴は、戦争の遺物としての鉄人、兵器としての鉄人という側面だろう。TVシリーズではこの問題を巡って正太郎が大いに葛藤するのだが、映画ではこれに加え、時代に取り残されてしまった者の哀しさが描かれていた。廃墟を前にした正太郎とショウタロウの会話が象徴的だった。戦後生まれの正太郎は戦争の真っただ中にいたショウタロウが抱える虚無のようなものが理解できないが、これは(まずほとんどが戦後生まれであろう)映画を見る側を代弁させているのだろう。「俺を受け入れない世界なんて壊れてしまえ」というのは、今となっては少々陳腐ではあるが。あと、その時代の価値観に沿ったとはいえ、あのラストはあまり好きではない。母親にそんなこと言われちゃ立つ瀬がないですよ。そういえば今川版鉄人は、TVシリーズも母親の存在はなんだか希薄だったなぁ。
 しかしアニメーションとしてはなかなか面白かったし、まがまがしい雰囲気も悪くない。村雨(兄)の活躍も嬉しいところだ。鉄人はやはりセル絵がいいなぁ。もうちょっと活躍してほしかった気もする。

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

 大ベストセラーとなったリリー・フランキーの自伝的小説がついに映画化。筑豊で育ち、東京の美大へ進学した「ボク」(オダギリジョー)と、女手一つで子供を育てた「オカン」(内田也哉子/樹木希林)。東京に出たボクは借金を重ねフラフラとしていた。しかしある日、オカンが癌に侵されていることがわかる。
 私は原作小説にはさほど感心しなかったのだが、この映画はよかった。恥ずかしながら泣きましたよ。監督は松岡錠司、脚本は松尾スズキという異色の組み合わせだが、オーソドックスでありつつ、陳腐さをすれすれで回避していたように思う。特に脚本の松尾スズキが健闘している。過去現在を行き来する構造なので、下手をするとごちゃごちゃしそうだが、切り替えが上手い。また、原作の少々うっとおしいモノローグを適度に割愛していたと思う。この割愛のおかげで大分(私にとっては)とっつきやすくなった。
 で、前述の通り、私は珍しく映画を見て泣いてしまったわけですが、それは親子愛に感動したから、というのとは少々違ったように思う。何に感情を揺さぶられたかというと、親に対する申し訳なさ、悔恨の念なのだ。本気で働き始める前の「ボク」は、客観的に見るとなんとも不甲斐無い奴だ。親が金持ちならともかく、女一人で生活していかなくてはならない母親に延々とたかるのはどうよ、と眉をひそめてみるものの、その不甲斐無さが自分自身とダブってしょうがないのだ(いや仕事はしてるけどさ)。実際親には心配ばかりかけていたし、ろくな大人にならなかったし、あーもう本当にごめんなさい・・・と打ちひしがれました。
 映画の中でボクがオカンを指して「ボクの為に生きてくれた人」と称するのだが、正にそれなんです。もちろん、親が子の為だけに生きていたわけはなく、思い上がりとも言える言い方ではあるのだが、自分のせいで人生損させたんじゃないかという申し訳なさがあるのだ。親に対する借りを子供は返し得ないということを痛感させられる。自分の親が年を取ってくると、より切実に痛感する。そういう意味では、見る人の年齢や親とのこれまでの関係によって、共感の仕方が大分変わってくる映画ではないかと思う。やっぱり親も自分も年取ってくると、親が死ぬということ、それに自分が耐えられるかということをリアルに考えるようになるのでは。
 いい映画ではあったが、難点もいくつか目立った。特に気になったのは、若い頃のオカンを演じる内田也哉子から、晩年のオカンを演じる樹木希林への切り替えのタイミング。ボクが大学へ進学するまでは内田なのだが、その数年後のオカンが樹木になっている。ちょっと急速に老けすぎてませんか。キャスティング自体はばっちりなので勿体無い気がする。また、10代のボク役の男の子がまだ変声期前のような声で、中学生はともかく高校生としては無理があった。主演のオダギリジョーは『ゆれる』に引き続き、好調。今回は特によかった。予告編でも使われている泣くシーンとか、何かすごい本気度を感じるのですが。キャスティングはどの役もよく合っていたのではないかと思う。特に注目したのが勝地涼。この人、男っぽく爽やかなイメージがあったのだがまさかこんなキャラクターで出るとは。しかし何に出ていても切れがいいなー。今後も注目していきたい。あと個人的には六角精児がちょろっと出ていて思わぬ拾い物をした感が。
 原作は今となっては超メジャーだが、作者のリリー・フランキーは本来サブカル系の人。監督も脚本家も、有名ではあるがいわゆるメジャーではない。そういう製作陣でメジャーど真ん中狙いの映画を作るという、ちょっと面白い布陣だったと思う。

『バッテリーⅥ』

あさのあつこ著
 ついに完結。巧と豪にも一つの決着が。なんか疲れた・・・。キャラクターが皆あまりに必死(もしくは必死にならないように必死)なので、子供がこんなに生き急ぐ話でいいのかしらと思わなくもない。人生長いのに・・・。そんな中、「マウンドって小せえもんな」という高槻の言葉が効いていた。正直言って、ここまでストーリーを長くする必要はなかったのではないか。物語として必要な要素は、3巻位までで出尽くしていたように思う。特に5、6巻は、瑞垣の話という側面が強かったし。著者の思いが強すぎる小説は時に読むのが苦痛になるわ・・・。

『1000の小説とバックベアード』

佐藤友哉著 
依頼者個人の為に小説を書く「片説化」だった「僕」は、27歳の誕生日に首になった。そして「僕」の前に、自分の為に片説を書いてほしいという女性が現れる・・・。うーん、微妙に時期を越したような・・・微妙だなぁ。「小説を書く覚悟」というのも今更な感がある。それを書けてしまうのが若さというやつなのかしら。選ばれなかった人の話の方が読みたかったなぁ。とりあえず、言葉遊びみたいなのはもうやらなくていいと思う。

『見えざる報復者』

アイリーン・ドライアー著、猪俣美江子訳
 スワットの医療隊員マギーは、立てこもり事件を起こしたホームレスを逮捕する。しかし彼は謎のメッセージを残して彼女の眼の前で変死した。不審に思ったマギーは密かに調査を開始する。どうやら何者かが、救命センターに運び込まれた犯罪者に私的制裁を加えているらしい。警察も病院も信用できなくなったマギーにも危険が迫る。主人公が追い詰められていく過程はスリリングではあるが、犯罪に無理がありすぎ。なんてハイリスクローリターンなんだ!そういうことやるんだったらもっとこう~、国家レベルでないと盛り上がらないよ!犯人のお山の大将っぷりがしょっぱい。殺し損としか思えません。

『それはまた別の話』

三谷幸喜・和田誠著
 無類の映画好き2人による対談集。各章ごとに1本の映画を取り上げて語り合っているのだが、実に面白い。和田の博識ぶりもすごいのだが、三谷の脚本家としての視点には、映画ファンとして映画を見ているだけでは気づかない面も気づかされ、なるほど!と。やっぱり「どう作っているか」に意識がいくものなのね。しかし、三谷幸喜はやっぱりちょっと変わった人だと思います。『トイ・ストーリー』の章で、おもちゃはじぶんがおもちゃであることをどの程度認識しているのかという設定にやたらとこだわる所とか、細かいんですよ(笑)。取り上げられた作品の中で、私が実際に見たことがある映画は半分足らずだったが、見たことなくても面白かった。電車内で読んでいたら乗り過ごしそうになった。

『ホリデイ』

 ロサンゼルスに住むアマンダ(キャメロン・ディアス)は失恋による傷心を癒そうと、旅行を思い立つ。同じく失恋したばかりのロンドン郊外に住むアイリス(ケイト・ウィンスレット)がネットにホームエクスジェンジ(一定期間お互いの家を取り替える)の広告を見つけ、2週間お互いの家を貸しあうことに。
 傷心抱えて見知らぬ土地へやってきたら素敵な男性(少なくともキャメロンサイドはそういう話だ)と偶然知り合って、という典型的ラブロマンスな展開だが、味付けに工夫があったという印象。なかなか楽しかった。監督は手堅い恋愛映画を撮るナンシー・メイヤーズ。今回もきっちり抑えてますよ感満載だ。この手の映画はウキウキ楽しめる人とイライラしっぱなしの人と見る人が2分されそうではあるが。私も前半のキャメロン・ディアスのテンションの高さには少々イライラさせられた。も、もうちょっと落ち着いてもいいと思うの・・・。
 この映画の目玉は、おそらくキャメロン・ディアスとジュード・ロウの美男美女カップルなのだろう。アマンダが一人で時間をもてあましていると、酔っ払ったアイリスの兄・グラハム(ジュード・ロウ)が押しかけてくる。夜中にイケメンがやってくるってどんなギャルゲ(いやギャルじゃないけど)ですかそれは!でも美しい景色にかわいいお部屋に美形なジュード・ロウ。大変目の保養にはなる。あー見た目がいいって素晴らしいよな。
 しかし物語としては、ケイト・ウィンスレット&ジャック・ブラック組のエピソードの方が格段にぐっときました。アマンダとグラハムが初対面でセックスしてしまうのに対し、アイリスとマイルズ(ジャック・ブラック)の間にはいわゆる男女の関係はなかなか生じない。そもそもマイルズには、惚れ込んでいる女優の彼女がいる。アマンダも元カレへの未練がある。しかしお互いを思いやる中で、徐々に接近していくのだ。アマンダが新しい恋をして立ち直っていくのに対し、アイリスは近所に住む元脚本家の老人(とその仲間)やマイルズとの交流、緩やかな関係の中で立ち直っていくというのが対照的で面白い。マイルズの優しさというのが、また染みるのよ。ハリウッド映画でアイリスのような、「待ち」体質の女性、いわゆる古風な女性が主役というのは、最近では珍しいように思う。アグレッシブになれない身としては妙に親近感を感じた。ケイト・ウィンスレットが演じているというのも勝因だと思う。彼女にはキャメロン・ディアスのようなスターっぽさは薄いかもしれないが、生身の女性としての存在感がある。
 ラブコメの定型ではあるのだが、それぞれ深入りを躊躇する大人の事情があるという、(わずかとは言え)ほろ苦さが効いていた。ハッピーエンドではあるが、超遠距離恋愛を果たして続けられるのかという不安要素が残る。それでも後味がいいのは、不安要素満載ではあるが、それでも一歩踏み出してみようと彼女・彼らが決断するからだろう。
 さて、私はジャック・ブラック好きなのですが、本作では映画のカラー上、ジャック・ブラック節は抑え目。きちんと役割を果たしますよ、という大人な態度が見られた。しかしちゃんと歌うし演奏するし(映画作曲家の役なので)、持ち味は出ていたと思う。レンタルビデオ店でのサントラ披露が楽しい(このシーンはサプライズゲストがいてびっくりしました)。一緒に歌いたい!私、ジュード・ロウよりもジャック・ブラックに訪問して頂きたいです。
 映画の舞台の半分がロサンゼルスなので、映画がらみのネタが多い。アマンダの職業は予告編制作者(あんなに儲かるものなのでしょうか)。職業病なのか、自分が陥った状況を脳内で予告編化する癖がある。ギャグとしてはちょっと寒かったけど・・・。また、アイリスが仲良くなる元・脚本家の老人が、彼女に「見るべき作品リスト」をくれたりする。古き良き時代のハリウッドに対する敬意(ちょっと押しつけがましくはあるが)もこめられた作品だった。ま、実際に「見るべき作品リスト」なんてもらったら、イラっとしそうですけど(笑)。

『デジャヴ』


 2006年2月28日、海軍水兵らを乗せたフェリーがニューオリンズ港で大爆発を起こした。ATF(アルコール・タバコ・火気局)捜査官ダグ(デンゼル・ワシントン)も捜査に当たり、爆破はテロによるものだったと判明する。更に現場付近で火傷を負った女性の遺体も発見される。ダグはその女性にデジャヴを感じ、彼女が捜査の糸口になるのではと考えるが。
 うーん、ネタバレにならないように感想書くのが難しい映画だ・・・。でもなるべくネタバレは避けます。もしバレてたらごめんなさい。
 この映画の一つのポイントは、「4日と6時間前の過去の映像を再現できる装置がある」という所にある。過去を見られるなら、テロの現場を再生すれば一発で犯人がわかるじゃない!と思うのだが、事件から4日と6時間が経過しないと事件当時の影像は再現できないということでもある。4日もあれば犯人はとっくにどこかに逃げてしまっているはず、というわけだ。そこで、過去の影像を事件発生前から順繰りに再現し、怪しそうな人物をチェックしようというわけ。しかしシステム上の問題で巻き戻しは出来ないし(録画は出来るらしい)指定エリア外の影像は見られない。スタッフの数も限られているから全てを観察することもできない。いかにピンポイントに問題が起きそうな場所を絞り込むか、という点が重要で、部外の人間であったダンをストーリーに引き入れる理由付け(熟練した捜査官が必要)にもなっている。超ハイテクを使っているものの、裏づけするには実際に現場に行って調査しなければならないという所で、荒唐無稽な設定とのバランスが取れていたと思う。SF部分とリアルなサスペンス部分との兼ね合いが上手くいっていたと思う。
 「過去の影像を見て犯人を推理する」という展開を膨らませただけでも、ミステリ映画として成立しそうな気がしたが、それだけではやはりハリウッド大作としては地味なのだろう。だからなのか、途中で大きな展開がある。これには正直驚いた。えー本当にやっちゃうの?!映画のジャンル変わっちゃいそうだけどいいの?!と(そしてこの「展開」シーンのデンゼル・ワシントンの恰好が妙に滑稽。だってあんな恰好であんな場所にさー。シリアスなシーンなのに・・・)。この展開以降は、ストーリーの進め方が少々力技なのでは?と思う所もあったが、同時に流れがより速くなってぐいぐい引き込まれた。体感速度が速い速い。犯人は割と早い段階で明かされるのだが、それがストーリー上それほど重要ではないという所も面白い。でも、この展開だったら「デジャヴ」は起こらない気がするんだけど。こういうのには詳しくないのでよくわからないのだが、どうなのかしら。
 監督はトニー・スコットなのだが、手馴れた職人が作った娯楽作品という感が。単純にあー面白かった!とすっきりさせてくれる所がいい。余韻残らないので本当は感想書く気にもあまりならないのだが、そこがいいところ。プロデューサーは派手映画大好きなジェリー・ブラッカイマー。今回は彼のプロデュース作としては大人し目だが、カーチェイスと爆破シーンには必要以上に気合が入っていて見ごたえあり。本当に火気が好きなのね。ちなみにこの映画、ニューオリンズに捧げられている。映画内に、タイフーン後であろうニューオリンズの情景が出てくるが、傷跡が生々しい。

『蟲師』


漆原由紀のマンガを、これが実写映画初監督となる大友克洋が監督した作品。「蟲(むし)」と呼ばれる目に見えない存在が奇妙な現象を起こしていた、100年くらい前の日本。そこにはまた、蟲を見、封じることができる「蟲師」と呼ばれる人々がいた。蟲師のギンコ(オダギリジョー)もまた、諸国を旅していた。
 私は映画のストーリーや設定の細部のつじつまは、そんなに気にしない方だ。トータルでいい雰囲気があって、ストーリーを追っていてつまずかない程度に整合性があれば、まあいいかなぁという気になる。が、本作の場合、蟲がどういう存在であるか、最初にがっちり説明してしまった方がよかったように思う。原作を読んでいる人には説明の必要はないだろうが、映画で初めてこの世界に触れる人には、蟲が妖怪なのかある種の生物なのか、いまひとつわからないのでは。終盤のギンコとトコヤミのエピソードも、少々消化不足(蟲がそのように処理できるものなのかよくわからない)という印象を受けた。私自身は、原作を読んだ限りでは、蟲はある種の動植物のような存在と解釈していたのだが、映画だと、もうちょっと精霊とか妖怪とかに近い雰囲気になっているように思う。
 原作のいくつかのエピソードを組み合わせてあるのだが、1本の映画として見るとちょっとちぐはぐで、あっちに行ったりこっちに行ったり、ごつごつした感じだ。連続ドラマをシャッフルして2時間強にしたような印象を受けた。過去現在を織り交ぜたのも、あまり効果的だったとは思えない。もうちょっとエピソードが整理されているとよかったのに・・・。体感時間が妙に長くて思わず眠くなる。
 ただ、映像そのものはかなりいい。原作の蟲の、形態がなんともはっきりしないイメージを再現しているVFXはもちろんだが、ロケ地の良さに相当助けられていると思う。日本の森林や里山の美しさを堪能できる。大友監督は、やはり映像に特化した監督なのかしら。前作『ロケットボーイ』でも、絵は魅力的だったのにトータルでは何だかな、という印象だった。今回はキャストもまずまずだっただけに、脚本さえもうちょっとしっかりしていたらと思うと惜しい。長編映画には不向きな原作だったか。TVシリーズ(アニメーション)が秀作だっただけに、色々勿体無かった。

『秒速5センチメートル』


 引越しの為、小学校卒業と同時に離れ離れになった遠野貴樹と篠原明里。中学生になった2人が再会しようとする『桜花抄』、高校生になった貴樹を、彼に片思いする女の子の視点で追う『コスモナウト』、大人になった彼らが登場する『秒速5センチメートル』の3編から成る連作アニメーション作品。自主制作アニメ『ほしのこえ』で一躍有名になった新海誠監督の新作。今回は個人製作ではないにしろ、ごく少人数の個人スタジオ的な体制の制作だったそうだ。
 新海誠といえば風景と細部のディティールの美しさである。町並み、電車、デスク周りの文具や本、そして逆光である。お前どんだけ逆光好きなんですか!というくらい全編逆光まみれである。まぶしいぜ。しかしそれ以外に何か記憶に残るものがない。美しい風景の映像にモノローグを載せただけで映画になるのかというと、ちょっと違うと思う。しかもモノローグがえらく恥ずかしい。おいおいどうしちゃったんだよ・・・と思わず白目をむきたくなりました。若人がちょっと上手いこと言ってやろうとしてスベっちゃったような恥ずかしさです。立派な大人になってから堂々とこれをやれるというのは、ある意味度胸があると思う。
 描かれる風景やマテリアルは緻密かつリアリティのある(風景はちょっと美しすぎるが)ものなのだが、キャラクターが口にする言葉に全くリアリティがないという、不思議なちぐはぐさがあった。これは監督の1作目からずっとそうなのだが、雰囲気先行で、設定のつじつまとかシナリオの出来不出来とかはあまり考慮されていないように思う。ともかく、何を思ってこれを作っちゃったのかよくわからない作品だった。
 さらに、アニメーションのキャラクターを動かすことにはあまり興味がないのではという印象を受けた。キャラクターの演技が正直下手なのはともかく、プロポーションがコロコロ変わるの(デフォルメとかではなく、単にデッサンが狂っているものと思われる)は問題では。キャラクターのデザインも、よく言えば癖がない、悪く言えば個性がない。風景やディティールを描くのが本当に好きなんだなーというのはよくわかるが、映画としては少々厳しい。これで「映画ですよ」と言ったら真っ当に映画監督や脚本家を目指している人が怒りそうだなぁ(苦笑)。映画というよりはPVのような趣が。

『フランシスコの2人の息子』


 実在の音楽デュオであり、ブラジルの国民的スターであるゼゼ・カマルゴ&ルシアーノと、その家族をモデルにした映画。ブラジルでの観客動員数は『セントラルステーション』『シティ・オブ・ゴッド』を抜き、国内の映画興行成績No1に輝いたそうだ。映画終盤に実際に開催されたたゼゼ・カマルゴ&ルシアーノのコンサートの様子が挿入されるのだが、観客の盛り上がり方がすごすぎる。何故このおっさん2人にそんなに!と思うような熱狂振り。そりゃあ映画にもなるわ。
 小作農家のフランシスコは、妻と7人の子供と暮らしている。彼は大の音楽好きで、息子をミュージシャンにするのが夢。さっそく長男ミロスマルにハーモニカとアコーディオン、次男エミヴァウにギターを買い与え、2人の腕前はめきめきと上達する。しかし地代が払えなくなり一家は都会へ出ることを決意。ミロスマルは何とか家計を助けようと、弟と一緒にバスステーションで歌い始める。
 ミロスマルとエミヴァウが成長していく過程、そして突然訪れる悲劇、ゼゼ・カマルゴ&ルシアーノ誕生までを追った、大河ドラマ的な作品。物語としてはちょっとストレートすぎて起伏に欠けるのだが、実話だって言うししょうがないかな...。ただ、子供時代のエピソードの方がよく練れているので、成長してからの話はもうちょっと割愛してもよかったのでは。父親が息子を売る為にする行動等はなかなか笑えるのだが、それ以外の所はちょっと月並みだった。退屈ではないのだが、もっと短く出来たように思う。
 息子たちの物語であると同時に、父親の物語でもある。むしろ、父親が真の主役だと言ってもいい。この父親は息子の才能を疑わず、お金のない中で何とか彼らの才能を伸ばそうと尽力する。周囲からはバカにされるのだが(大事な家畜を売ってアコーディオンを買ったりするので)、意に介さない。本当に才能があったからいいけど、モノにならなかったら目も当てられない...しかしそれでも応援するのが親の愛なのでしょうか。結果オーライとは言え何か複雑な気分になる。子供の方も、プレッシャーにならなかったのかな...。
 ちなみに最後のコンサート映像(実際のコンサートのもの)に父親も登場する。父親役の俳優がちょっとハンサムだなと思っていたのだが、実際のお父さんも結構かっこよかった。誇張じゃなかったのね(笑)。
 音楽を大事にしている映画なのだが、エンドロール後にも曲が延々と続くのにはちょっと閉口した。ブラジルでは、これが許されるくらい愛されているということなのだろうが。

ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ