3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『待っている チャンドラー短編全集3』

レイモンド・チャンドラー著、稲葉明雄訳
 チャンドラー作品の主人公はよく気絶するなー。視界が暗転して目覚めたら章が変わっているという展開が多すぎます!さて本作ではわりと謎解き、ミステリ度の高い作品が多かったと思う。中でも異色なのが奇想小説ぽい「ビンゴ教授の嗅ぎ薬」。いやこれはむしろ、訳者あとがきにあるようにアンチミステリか?しかし嗅ぎ薬って現存するのでしょうか・・・。あと「真珠は困りもの」は、男同志のちょっと奇妙な友情と、アイケルバーガーなる男の好漢ぶりが印象に残った。

『暗闇のスキャナー』

フィリップ・K・ディック著、山形浩生訳
 出所不明の麻薬「物質D」が蔓延するアメリカ。覆面捜査官アークターはジャンキーのグループに潜入していたが、自身も麻薬に侵されていく。ディックはSFの人というイメージがあったが、本作はあまりSFぽくない。アークターは捜査官としての自分とジャンキーの自分という2つの現実を生きているが、だんだん2つが乖離し、自分がどっち側にいるのかわからなくなっていく。人間の精神が崩壊していく過程の描き方はドライで突き放しているが、痛々しい。全然救いのない話ではあるが、最後の数行には泣けてきた。作者あとがきがこれまた痛切。ちなみに昨年、本作を映画化したリチャード・リンクレイター監督の『スキャナー・ダークリー』(ロトスコープを使用したアニメーションということでも話題になった)が公開された。私は映画を見た時は原作未読だったのだが、今回読んでみて思った以上に原作に忠実に作られていたことに驚いた。よくやったなー。

『頭のうちどころが悪かった熊の話』

安東まきえ著
「いったいなににこだわっていたのだろう」。現代版イソップ物語のような、さまざまな動物たちが登場する童話集。世界のこと、自分の内面のことについて考え始める若い人には、考えるとっかかりとしていいかもしれない。が、思春期をとうに過ぎた大人には物足りない。でも、そんなに考えすぎない方がいいかもよ、とこっそり耳打ちしてくれるような所は悪くなかった。

『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』

 高校生の清深(佐津川愛美)の両親が交通事故死した。その知らせを受け、東京で女優を目指していた姉・澄伽(佐藤江梨子)が実家に戻ってくる。母の連れ子で血の繋がらない兄・宍道(永瀬正敏)とその妻・待子(永作博美)と暮らしていた清深の生活は、澄伽に引っ掻き回されていく。
 澄伽は美人でスタイル抜群だが、わがままでやりたい放題、目的の為には手段は選ばない。しかし演技の才能は皆無だ。でも本人は自分には才能があると思い込んでいて、チャンスが巡ってこないのは他の奴らに見る目がないからだ!と愚痴を垂れる。客観的な視点が潔いくらいにないし、新進気鋭の映画監督に自分を売り込む手紙に「監督の作品はまだ見たことがありませんが」と平気で書いちゃう無神経さ。でも自分にがないがしろにされるのは耐えられない。「オレがオレが」な人で、他人がどう思っているかは眼中にないのだ。彼女は女優になることにとりつかれているように見えるが、そうではないだろう。本気で女優になりたい人なら映画なり舞台なりをもっとちゃんと見て勉強するだろう。彼女はあくまで自分を見て欲しい、注目されてちやほやされたいのであって、自分の表現を見て欲しいわけではないのだと思う。兄に無理を強いるのも妹を虐げるのも、「私をかまえ!」というジェスチャーなのだ(女優になりたいというのは、華やかで注目される職業について女優の他に具体的なイメージがなかったんじゃないかと。世界せまそうだもんなー)。
 対して本当に「とりつかれている」のは妹・清深の方だ。彼女は姉の無茶っぷりを題材にホラーマンガを描くが、それがバレて家族は村の笑いものになる。しかし姉に苛められようが家庭が崩壊しようが、彼女はマンガを描かずにはいられない。本当に才能がありこの物語の主役であるのは、一見姉の影のように見える清深なのだ。華やかな姉と地味な妹との愛憎劇である以上に、見られるもの対見るもののぎりぎりのバトルでもあった。澄伽が清深に最後に放つ一言は、見られるものとしての意地なのかもしれない。しかし彼女はこういう方法でしか見られるものにはなれないのだ。しかも自分が意図したのではない見られ方でしかない。
 映画の原作は芥川賞候補にもなった本谷有希子の戯曲。本谷は女優から劇作家に転身したそうだが、だから見る者、見られる者双方のあり方と滑稽さが毒をもって描かれるのかもしれない。澄伽みたいな自称女優の卵な困った人、多分身近にもいたんだろうなぁ。見られることには自意識過剰なのに、実際どう見られているのかということに関しては無意識過剰。加えて兄嫁・待子の自意識の薄さが姉妹とは対照的だった。演じる永作の演技が鬼気迫る気持ち悪さだったということもあるが。


『ピアノの森』

 父親が著名なピアニストで、自分もピアニストを目指している小学5年生の雨宮修平(神木隆之助)は、田舎の祖母の家に引っ越してきた。しかし転校早々ガキ大将に目を付けられて、肝試しに森の中にあるというピアノを弾いて来いと命令される。そんな修平に同級生の一ノ瀬海(上戸彩)は、森のピアノを弾きに行こうと声を掛けてきた。そのピアノは何故か海だけが弾きこなせるのだ。
 製作は、最近では『パプリカ』がヒットしたマッドハウス。監督はテレビシリーズ『花田少年史』が高く評価された小島真幸。それほど期待していなかった作品だったのだが、予想外に良かった。作画は地味ではあるが手堅いし、何と言っても演奏と音楽アドバイザーで参加しているウラディーミル・アシュケナージのピアノが素晴らしい。クライマックスで海の弾く、モーツァルトのピアノソナタ第8番イ短調はアシュケナージの演奏によるものだが、かっこいい!楽譜からは相当離れていると思うのだが、すごくファンタジックでいいです。キャラ立ってるなー。
 強く印象に残ったのが、海が音楽室で作曲家の肖像画を指差し、その作曲家の曲を音楽教師の阿宇野(宮迫博之)に演奏させるシーンだ。世界にはたくさんの音楽家がいて、たくさんの曲がある、どの曲にもそれを作曲した作曲家がいるということを、自己流の演奏しか知らなかった海が「知る」ことの喜びに満ちている。この映画はもちろん音楽映画ではあるのだが、知ること、学ぶことの面白さ(面白いと分かるまでが苦しいということも含め)はジャンルを超えたものだと思う。
 対して、修平にとってはピアノは苦行のようなもので楽しいものではなかった。修平サイドの物語は「努力型天才が天然型天才と交流することで忘れていた音楽の喜びを再び手にする」というのは一種王道のものではあるが、同時に、自分の才能の限界も思い知ることになる。これもまた王道ではある。しかし、その限界とどう折り合いを付けていくか、楽譜通りでパーフェクトな演奏ではなく、自分だけの演奏をどうやって手に入れていくのかという地点に至るのがいい(もっとも、この映画はその入り口のところだけを描いているのだが)。音楽は天才だけのものではない、天才でない人たちにもその人独自の音楽があるはずなのだ。そういう希望を残した爽やかな後味だった。
 もっと嫉妬等のドロドロした感情を強めて描かれてもおかしくはない物語だが、修平のキャラクターが素直であること、比較的理性的であることで、きれいにまとまったと思う。きれいすぎるという人もいるかもしれないが、半分ファンタジーのような物語なのでこれでいいのでは。
 ところで、かつて名ピアニストだったが事故により引退、現在はしがない音楽教師な阿宇野。一応シブい色男キャラのはずなのだが、声のキャスティングが宮迫@雨上がり決死隊なので驚いた。エンドロール見るまで気付かなかったよ!しかし気付いてしまったせいで、記憶の中の阿宇野が単なるセクハラオヤジに見えてきてしまってしょうがありません。どうしてくれる。あと、危惧していた上戸も案外上手かったです。キャラががっちり固まっている役だったのがよかったのか。そして上戸に「ちんこ」と連呼させた監督はつわものだと思った。


『レッスン!』

 ひょんなことから落ちこぼれ高校生たちに社交ダンスを教えることになったダンス教師ピエール・デュレイン(アントニオ・バンデラス)。生徒たちは「社交ダンスなんてダサい」と全然やる気がなかったが、徐々にその魅力に目覚め始める。
 新任教師が落ちこぼれ生徒を更正させるという王道ストーリーで、意外性はないのだが楽しい学園映画だった。正直言って、ストーリーはちょっと大雑把でご都合主義な所がある。ピエールが校長に社交ダンスを教えたいと申し出るのが唐突だし、生徒たちが不良とされる割には素直にレッスンに応じちゃうのもご愛嬌。そもそもそんなに短期間でダンスが上達するのか?という突っ込み所があるが、それをいちいち指摘するのは野暮というものだろう。学園ドラマの「お約束」と思えば気にならない。映画の中心である社交ダンスシーンが楽しいこと、映像と音楽のテンポがしっかり合っていて(タイトルロールのカットの繋ぎ方がいい!監督のリズ・フリードランダーはミュージックビデオ出身でこれが長編初監督だそうだ。なるほど。)気持ちがいいことで十分楽しめた。最後のダンスフロアジャックはちょっとやりすぎかしらと思ったが、やっぱり楽しい。また、月並みな映画だったら単なる敵役になりそうなブロンド美人ダンサーが言い放つ「私はプロよ」という言葉も、彼女には彼女の矜持があることを示していて、目配りがうれしかった。それぞれのキャラクターが生き生きしていた。
 ピエールは校長や他の教師に、生徒たちが学校で学ぶのは生活の為だ、社交ダンスで生活ができるわけではないと反発される。ピエールはそういった反発に対して、いやそういうことじゃないんだ!と憤慨する。確かに社交ダンスで生活できる人はごくわずかだろう。しかし生徒たちが学んだのはダンスだけではなく、パートナーへの礼儀や思いやり、他人への信頼も得られたはずだ。ピエールは生徒に「人の善意を信じろ」と言う。生徒はそんなもの信じられるかと言うが、やはりどこかで他人を信じたいと思っているから、彼の尽力に応えるようになったのだろう。人生において生活の術はもちろん必要だが、人間それだけで生きているわけではない。善意を信じなくても生きてはいけるだろうが、そういう生は苦しいのではないだろうか。実は、この映画は実話が元になっている。ピエールは実在のダンス教師で、アメリカの高校では実際に社交ダンスをカリキュラムに取り入れているところもあるそうだ。一見実益のなさそうなものの中にもちゃんと得るものがあり、それが人生を豊かにするのかもしれない。
 舞台となるのは生徒は黒人とヒスパニックが殆どを占める公立高校。経済的にはあまり恵まれていない生徒が多く、校長が「そのバッグ盗まれないように隠しといて!」と言うくらい盗難等のトラブルが多いらしい。校長室には校長が就任してから(喧嘩などのトラブルで)死亡したの写真の写真がかけてあったり(校長はこれを見て自分の仕事を肝に銘じるのだ)する。人種差別は少なくなったとは言え、やっぱり人種別に住み分け、階層分けされているというのがアメリカの現実なのだろうか。そんな中で社交ダンスというのはかなり突飛な発想ではあるかな。あと社交ダンスってやっぱりアメリカでも高校生にとっては「ダサい」ものなのね。

『選挙』

 2005年秋の川崎市議会議員選挙。自民党公認として宮前区から出馬することになった山内和彦(40歳。妻帯者。元切手コイン商。鉄道旅行好き)。しかし彼は秘書経験もなく川崎市に遅延・血縁も全く無い。落下傘候補としてたまたま白羽の矢を立てられたのだ(東大卒だったかららしい)。政治の素人が果たして当選にこぎつけることが出来るのか?
 政治の世界というと何となくキナ臭い気がするし、生活していく以上必ず関わっているのではあるけれど、あまりお近づきになりたくないなぁという漠然と倦厭していたのだが、ベルリン国際映画祭をはじめ、各所で非常に評判の良いドキュメンタリーだったので見に行ってみた。そしたら面白かった!いやー面白いですね政治の世界は(笑)。しかしやはりキナ臭いのね・・・。
 字幕、ナレーション一切無し(撮影者が被写体に質問することはあるが、ごくわずか)の「観察映画」なのだが、これが非常に面白い。取材対象の面白さはもちろんあるのだが、それ以上に想田和弘監督の「ここが面白いぞ」という場面選択のチョイスがいいのだと思う。選挙運動のシーンだけではなく、ぎゅうぎゅうづめになった満員電車や、小学生の登下校、ダルそうに整列する幼稚園児など、見慣れているけど客観的に見ると笑える風景を随所に挿入している。そういう意味では、かなり外部から見た日本という要素が強いかなと思う。
 逆に、日本人が見ると、確かにおかしくて笑えるのだが、素直には笑えない気まずさというか、ちょっと口の端がひきつるような居心地の悪さがある。特に選挙の内幕は、日本の地域社会の土着のものがどろーっと流れ出てきたような感じで、笑えると同時にうわぁ・・・とげんなりする。映画の主人公たる山内さんは政治家としての経験はなく、気ままな性格。しかし(自民党公認として出馬したからかもしれないけど)政治の世界は保守的で上下関係に厳しい体育会系。山内さんは怒られてばかりだし、一緒に選挙活動を手伝う彼の奥さんも、「仕事は(奥さんは勤め人)辞めた方が」といわれてとうとうキレてしまう(ちなみに政治の世界では「妻」とは言わずに「家内」というのが一般的なんだそうです)。思っていた以上にコンサバな世界なので、正直びっくりした。名前ばかりを連呼する街頭演説(しかも殆どの人が立ち止まって聞いたりはしない)や駅前での「いっていらっしゃいませ」連呼など、改めて見ると(いや改めて見なくても)相当笑える。でもそれが現状なのだ。
 普通にやっている選挙がこんなにユカイで笑える、が笑う対象は笑っている私たちの生活に密着したものなのだ。そう思うと、やっぱり素直には笑えない。

『そしてデブノーの森へ』

 覆面作家のダニエル(ダニエル・オートゥイユ)はカプリ島へ向かう船上で、美しい女性ミラ(アナ・ムグラリス)と出会い心奪われる。しかし彼女は義理の息子の結婚相手だった。ミラとの不倫をやめられないダニエルだが、何者かが2人の関係を知り、彼のある秘密をかぎつけた。
 富も社会的な地位も手にした男がファム・ファタールと出会ったことで転落していくというありがちなメロドラマかと思わせるが、ダニエルが抱えるある秘密が関わってくるので、ミステリ的でもある。ただ、中年男に美女が近づいてきて・・・というとこれは絶対裏に何かあるだろーと勘ぐってしまうので、謎が明かされても「やっぱりねー」と驚きが薄れてしまった。謎の出し方があまり上手くないせいかもしれないが。
 何より、ダニエルが本気でミラとの情事を隠そうとしているとは思えないほど行動がうかつなので、そんな今更騒いでも・・・という冷めた気分になってしまう。だってプールで彼女をガン見したり彼女の携帯に履歴残しまくったりしてたら勘ぐられますって。ガラス張りの窓辺とか妻息子と同じ屋根の下とかでセックスしてりゃーバレますって。本気で知られたくないならそれなりの対策をとれ!と渇を入れたくなります。本来悲劇になるはずなのに、ダニエルのうっかりさんっぷりゆえ悲劇に見えなくなってくる。そもそも、復讐者もこんなに頑張る必要なかったんじゃないかしら・・・。
 さて、ダニエルは不倫という秘密、あともっと大きな秘密を抱えているわけだが、人間秘密を抱え続けることには耐えられなくなってくるのかもしれないとふと思った。やっぱり、言いたくなっちゃったりするんじゃないかしら。だからダニエルも最後にある決断に至ったのだと思うのだが・・・どうなのかなぁ。
 そういえば、ダニエル・オートゥイユは最近こんな役柄ばっかりだなー。ファム・ファタールの役どころを演じるアナ・ムグラリスはシャネルのモデルだった人だが、当然美人でスタイル抜群。惜しげもなくヌードを披露しているところが見所といえば見所か。

『ダイ・ハード4.0』

 まさかのシリーズ4作目。3作目から12年もたつのになぜ今?!続編にありがちな駄作か(いや私はダイハードの2も3も大味さが結構好きですけど)と思っていたんですが、ごめんなさい!面白かった!伏線の巧みさは1作目には及ばないまでも、十分おなかいっぱいになりました。監督は『アンダーワールド』のレン・ワイズマン。当然シリーズ初参加だ。しかし『ダイ・ハード』から18年かよー。そりゃあウィリスの髪もなくなるさ・・・。
 もっとも、「ダイ・ハード」が当初持っていた持ち味とはだいぶ趣が変わってきている。1作目では舞台となる空間がビル内に限定されていたが、今回はとうとう州を越えてしまう。マクレーンの無敵度も大幅にUP。もう死にそうにない。また、奥さんとはとうとう離婚してしまったので夫婦の絆を再確認ということも最早ない。
 しかし、そういう「ダイ・ハード」としての枠にこだわりすぎないところが勝因だったのではないかと思う。脚本の良さでは多分1作目には及ばない、じゃあ別のところで勝負しよう!ということで本作に詰め込まれているのはアクション。最初のアパート爆破に始まり、カーチェイスに発電所での肉弾戦に果ては空中戦(?)と、息をつかせぬスピードで派手なアクションシーンが相次ぐ。うわもうバカなんじゃないの!というくらいのてんこもり。3で面白いと思った移動手段や経路も、本作ではさっくり割愛されていて、全くのアクション一点に見どころを絞っている。その思いきりの良さが、映画の間口を広げてもいると思う。なんといっても1から3まで全く知らなくても、アクション映画好きならとりあえず楽しめる(はず)。国のシステムネットワークを奪うという敵の能力がちょっと全能すぎる(これはいくらなんでも無理だろうというところもあったし)が、敵はでかい方が燃えるってものです。
 じゃあこの映画は別に「ダイ・ハード」シリーズでなくても(単発のアクション映画としてでも)よかったんじゃないかとも思えるが、やはりこれは「ダイ・ハード」なのだ。熱烈なファンでもない私が言うのもなんだが、ちゃんと「ダイ・ハード」っぽいんじゃないだろうか。愚痴るがへこたれず、自分にできることは「代わってくれる人がいないから」やる、そして弱い者を見捨てないというマクレーンのキャラクターが維持されている限り「ダイ・ハード」は「ダイ・ハード」なのかもしれない。正しいヒーローが映画の中にいなくなって久しいが、でもまだマクレーンがいるから大丈夫!と思えるのだ。加えて言うなら、マクレーンの娘のじゃじゃ馬っぷりがまたいい。「今日はマクレーンなの」なんて泣かせるじゃないですか。微妙に美人じゃないところがミソ。

 

『バン・マリーへの手紙』

堀江敏幸著
 日常のこと、文学のこと、そして翻訳のことなど幅広く触れた随筆集。物事を白黒に分けない、物事と物事の間に漂うAともBともつかないものを捉えようとする著者の嗜好は、ともすると優柔不断とも言われるかもしれないが、その慎重さ、中庸であろうとする姿勢にはむしろほっとする。ゴールへ一直線で向かうのよりも、ゴールの周囲をぐるぐるらせん状に回ってちょっとづつ近づくようなやりかたの方が、得るものが多い時もあるのでは。「飛ばないで飛ぶために」という章の中で、著者が学生に言った、また著者自身が昔先生に言われたという「きみの場合、それらは本にカウントしません」という言葉の意味にも、ちょっとそんなところがある。ゆっくりかみしめるように味わいたい一冊だった。文体がいい。

『ブリッジ』

 サンフランシスコの名所であるゴールデンゲートブリッジは、投身自殺の名所としても有名だ。1937年の建設以来、約1300人が自殺したといわれる。カメラを1年間据えこの橋を1年間撮影、更に自殺者遺族へのインタビューを行ったドキュメンタリー。監督は『アンジェラの灰』『救命士』などのプロデューサーだったエリック・スティール。
 戦場の報道写真などを見ていても思うのだが、カメラマンは対象を撮影するべきか助けるべきなのかという葛藤はないのだろうか。いや当然あるのだろうと思うが、倫理的な問題とどうやって折り合いを付けているのだろうか。本作も「撮影しているヒマがあったら助けるべき」と上映を拒否する映画館もあったそうだ。もっとも、撮影現場にスタッフがいた場合は、自殺(未遂)者を見たら通報していたそうですが。
 それにしても思った以上に自殺者が多い。撮影していた1年間で24人が自殺したそうだ。美しい橋を眺めていると、下の方でぼちゃっと水しぶきが上がる。えっ誰か飛び込んだ?と気付けばいいが、下手したら気付かないかも。自殺の映像を見ていることよりも、気付かないくらいさりげない、普通のこととして自殺が行われていることの方になにやらひやりとした。また、興味深かったのが、すぐ間近に自殺しようとしている人がいても、橋の上の通行人たちは案外気付かない・声を掛けないということ。欄干のりこえて景色を見ている観光客のすぐ足元にいるような自殺(未遂)者もいるのだが、実際こんなシチュエーションだったら却って気付かないかもしれない。また、自殺しようとしていた女性を助けた男性が「カメラ越し(この男性は橋の上から写真撮影をしていた)だと現実感がなくて、女性が自殺しようとしていると言う実感がなかった。投身する瞬間を待っていたのかも」という話は、冷たいようではあるが妙に説得力があった。基本的に、もう今にも身を投げそうというのでもない限り、声かけたりしないもんだなぁと。
 自殺者が何故自殺したのかというのは、死んだ本人にしかわからない。遺族はそのわからなさに深く傷つくのだと思う。同時に、分らなさゆえに、自殺した者へ悲しみより先に怒りが向かうのかもしれない。インタビューに応じた遺族からは、明言はしないまでも、自殺した人に対する苛立ちみたいなものが感じられた。また、自殺したいという相手を積極的には止めない、止められないという姿勢をとる人がいることも興味深かった。
 意欲的な題材ではあるが、いまひとつ物足りない。お行儀のいいドキュメンタリーに納まっちゃったなぁという感は否めない。遺族が抱えているものにもう一歩切り込んでほしかった。インタビュアーの力不足か。
 ちなみに、橋から身を投げたものの助かった青年(躁鬱がひどくなって自殺未遂)とその父親が出てくるのだが、父親との関係が良くないんだろうなぁという雰囲気がじわじわにじみ出ていて、余計なお世話ではあるがこの青年の将来が心配です。父親が、なんというか杓子定規な感じの人(話すことも教科書通りな感じ)なのだが、この人が変わらないと息子の症状も改善されないんじゃないかなーという気がした。

『事件屋稼業 チャンドラー短編全集2』

レイモンド・チャンドラー著、稲葉明雄訳
マーロウは出てこない中編「ネヴァダ・ガス」が特によかった。ギャンブラーである主人公デルーズの、穏やかだが一種冷淡で、事件のさ中にいるのだが常に傍観者のような姿勢が、彼の愛人との対比もあって妙にやるせない。ラストは昔のハリウッド映画のようでぐっときた。そして何と言っても面白かったのが、小説ではなく過去の推理小説や名探偵シリーズにケンカを売りまくっている随筆「簡単な殺人法」。ばっさばっさと切りまくる辛辣さが笑えるのだが、著者が目指していた小説の方向性がよくわかる。また、訳者後書き内に出てくる著者の手紙(ファンからのマーロウに関する質問に答えたもの)の文面もさらっとイヤミでおかしい。結構皮肉屋だったのね。ブランドやスタイルにこれみよがしにこだわるのは厭だったみたい。所で、作品内にしばしば“ホテル探偵”なる職業が出てくるのだが、ホテル付きの探偵というのは当時はポピュラーだったのか?それとも用心棒的なもの?

『不完全なふたり』

 結婚して15年になるマリー(ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)とニコラ(ブリュノ・トデスキーニ)は、友人の結婚式の為パリを訪れる。2人の仲は冷え切っており、離婚も時間の問題だった。監督は諏訪敦彦。日本人監督がフランス人キャストを使い、フランスで撮影した映画ということになる。
 諏訪監督は脚本を書かず、俳優と話し合いながら撮影を進めるというスタイルをとっているそうだが(オムニバス映画『パリ・ジュテーム』に参加した際には脚本を書いたそうだが、かえって難しかったとか)、俳優の技術の高さ、監督と俳優との間の信頼関係がないと、なかなか怖くて出来ない手法だと思う。それがちゃんと映画として成立していているのだから、これは凄いのではないかと思う。監督はもちろん、俳優の技量・役柄に対する理解度が問われるだろうが、テデスキもトデスキーニも名演だった。この2人は映画学校の同期生だったそうで、お互いに付き合いが長いということもプラスに働いたのかもしれない。
 ただ、こういう手法で撮影されてしまうと、映画における脚本とか演出とかって何なんだろうなぁとも考えさせられる。この映画、撮り始めるまでのディスカッションは相当綿密なのだろうが、撮り始めてからはほぼ撮りっぱなしな状態なのではないだろうか。撮影自体も、フォーカスが合っていないところもある、ラフさを感じさせるものだ。しかし、トータルで見ると全部びしっと決まっている。映画って不思議だわ。
 10数年連れ添った夫婦の生態が非常にリアルだった。私は実体験ないが、たぶんこんなふうになるだろうなぁという生々しさを感じたし、一緒に見に行った母曰く「なんとまあ」だそうだ。よくぞここまで(というかよくここまでやるよというか)、と感心させられるとのこと。非常に目のいい監督なのだろう。男女で不機嫌さの表出の形や、怒り方が違う所も実に上手い。女性は怒りやイラつきをバッと口にするが、男性は逆に黙り込む。で、黙り込む男性に対して女性が更に怒るという、「あーあるある」と深く頷きたくなるシチュエーションが上手い。またニコラが友人との会食の席で「別れるんだ」と漏らしてしまい、マリーがピリピリする等、男女での感じ方の違いの見せ方が上手い。もっともこの件、一番気の毒なのは同席した友人夫婦だと思うけど・・・いきなりそんなネタ振られたら困るよなぁ。気まずいことこの上ない。
 お互いにイラついていると同時に微妙に気を引こうとしているところとか、もういい加減別れるんじゃないかというところまできた男女のすれ違いが、色々と生々しく見ていていたたまれない。しかしだからこそ、最後の余韻が深く印象に残る。まあ、夫婦というのはこうしたものかもしれないなぁと思うのだ。

『傷だらけの男たち』

 ベテラン刑事のヘイ(トニー・レオン)と探偵のポン(金城武)は元は警察の上司と部下。恋人が自殺したことにショックを受け酒びたりになったポンは警察を辞めたのだ。一方ヘイは富豪チャンの娘スクツァンと結婚し、平穏な生活を送っていた。しかしチャウが惨殺される。容疑者は見つかったものの、不審に思うスクツァンはポンに調査を依頼する。監督は『インファイナルアフェア』のアンドリュー・ラウ。ちなみに本作も『インファイナル~』に引き続き、デレオナルド・ディカプリオ主演でハリウッドでのリメイクが決まっているとか。
 意外な真相へと至る筋は面白いのに、見せ方やストーリーの組み立て方で大分損をしているように思う。エピソードの並べ方が唐突なのだ。客に対する真相からの目くらましというより、単に構成が下手なように見えてしまった。特に過去のシーンが挿入されるタイミングや見せ方は、どうかなぁと思った。この人は悪いことしたんですよ!と最初にある程度明かしてしまうので、サプライズが減ってしまうのだ。またポンが殺人現場で犯人の動きを頭に描くシーンも、犯人の顔がしっかり見えてしまっているのは問題。この時点で、ポンは真犯人が誰だか知らないはずだ。
 また、ポンの恋人の悲劇についても、ポンが酒びたりになったというくらいであまり必要性を感じなかった(ポンが酒びたりである必要性もあまりない)。現在の事件のインパクトが強いので、過去のエピソードの印象が薄くなってしまったということもあるだろう。サービス精神旺盛に色々と盛りだくさんにしているのだが、やりすぎな感が。。これは私の好みの問題なのだが、気分が乗ってきたところでスっと次の展開に移るので、最後までいまひとつ波に乗り切れなかった。盛り上がるタイミングを逃したわ・・・。
 カメラがめまぐるしく動き、スローモーションも多様しており、絵的には結構派手だ。しかし目にうるさく、ゴチャゴチャした印象を受けた。かっこよくしようと思って却ってダサくなっちゃったなーという感じ。筋がそれなりに複雑(というか整理しきれなかったというか・・・)だから、映像は逆にストイックでもよかったと思う。あと、音楽はいまいち。冒頭で流れる「silent nighit」のアレンジ(というかボーカル)のダサさに脱力した。演歌かよ。アンドリュー・ラウと金城武の2ショットはかっこいいのになー。色々もったいない映画だった。

『赤い風 チャンドラー短編全集1』

レイモンド・チャンドラー著、稲葉明雄訳
フィリップ・マーロウの原型とも言えるキャラクター(名前は当初はマロリーだったのね)が登場する「脅迫者は射たない」を含む中短編集。ハードボイルドというよりはアクション小説のようなものもあるのだが、序文を読むと、著者自身、この時期の作品には満足していない様子がうかがえて興味深い。正直、読むのがかったるい(頭に入ってこない)ところが多々あった。まだ作品としてこなれきっていない感じ。また、これは著者の作風だと思うが、キャラクターの特徴や相互関係、事件の流れをさらっと書くので印象に残らず、フックが弱いという所もあるかも。ただ、これは意図的に押さえてあるのだと思うが。盛り上げすぎるのは嫌いそうだ。
ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ