3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ジェイン・オースティンの読書会』

カレン・ジョイ・ファウラー著、矢倉尚子訳
 5人の女性と1人の男性が読書会を開く。各章ごとに読書会で取り上げるオースティン作品と話本筋の展開がリンクしているらしいのだが、オースティン作品を知らなくても十分楽しい。それぞれのキャラクターの背景の明かし方が上手い。「私たち」という誰とも取れない一人称が、6人の間を漂う(若干辛辣な)目として機能しているのだ。ただ、だからどうなのよという感も。男女(というか主に女)の姦しいおしゃべりだったら、別にオースティンもってこなくてもいいのでは。読書家の鼻もちならない部分(「~を読んでいないなんて信じられない!」とかね)がちょこちょこ描写されているのだが、これは人の振り見て我が振り直せってことでしょうか。

『スマイリーと仲間たち』

ジョン・ル・カレ著、村上博基訳
 現役を退いたスマイリーが、宿敵カーラとの最後の対決に挑む。ライバルでありながら(いやだからこそか)お互いの鏡像のように似通っている2人。弱点まで似通っていたとは笑えない。スマイリー自身の視点による文章はそれほど多くはなく、いろいろな人から見たスマイリーの姿を通してストーリーが進む。スパイ小説ではあるが、スリルやサスペンスよりも、体制や組織に翻弄される人間の悲しさ、そして翻弄されつつもその中で必死で子供を守ろうとする親の姿が心に残る。しかしサーカスの皆さんはスマイリー大好きね。

『食うものは食われる夜』

蜂飼耳著
 詩集です。動物的な衝動みたいなものを感じさせる。その一方で、自分の中の動物的なものに対するいらだちみたいなものも感じる。ユーモラスな所と、泥臭い所があって力強い。

『沼地のある森を抜けて』

 梨木香歩著
 叔母が急死し、マンションとぬか床を譲り受けた久美。しかしぬか床からは不思議な「人」たちが現れてくる。人間の世界とぬか床のバクテリアの世界(なのだろう)が同じ空間に共存していて、同じように物語として語られる。人間とバクテリアが共に生きているというのは当然のことなのだが、こういう形で語られると何だか不思議だ。面白かった。マンガ『もやしもん』と合わせて読んではいかがか。ただ、この作家の小説は鈍い人間を許容しない所があって、そこにはあまり好感は持てない。ちょっと息苦しいのだ。結局「生殖しとけ」という話だった気もする。なんだかな。

『寝ても覚めても本の虫』

 児玉清著
俳優、司会者である著者による書評エッセイ集。翻訳ミステリ好きだったとは初めて知った。しかも新刊を待ち切れずとうとう原著に手を出してしまうほどだったとは。本書で取り上げられている作品も、ほとんどが翻訳ミステリ。しかし如何せん文章に面白みがない。真面目な方なんだなあというのはわかるのですが。また、著者の本の好みが、サスペンス寄りのメジャーど真ん中で、私の好みと全くかみ合わなかったもので、読みたいと思う本が出てこなかったのが残念。

『ロッキー・ザ・ファイナル』

かつてボクシング界の頂点に立ったロッキー(シルヴェスター・スタローン)。今は引退し、小さなイタリアンレストランを経営していた。愛妻エイドリアンには先立たれ、息子とも疎遠な、平和だが孤独な暮らしだ。ある日TV番組でコンピュータによる新旧ボクサーのバーチャル戦を見た彼は、もう一度ボクシングに挑戦しようと決意する。
 私、実はロッキーシリーズは1作も見たことないんです。でも、本作はこれまでのシリーズを見ていなくても大丈夫な王道スポコンだった。しかし面白いかどうかというと微妙。ロッキーの言動がちぐはぐで説得力がないのだ。エイドリアンを忘れられずに、思い出の場所巡りに義兄を突き合わせて辟易させる一方で若いシングルマザーを口説く。どうしてボクサーに復帰しようと決意したのかもあいまいだ。エイドリアンに対する思いをふっきるため?ボクシングを愛しているから?息子に手本を示したかったから?息子が「いい年して恥ずかしくないの?!」と詰め寄った時の返事も、いま一つ的を得ていなかったように思う。ロッキーにしろ他のキャラクターにしろ、セリフの練りが甘く、陳腐なものになってしまっていた。「信じれば夢はかなう!」なんて、今更言われたくないわ。
 やはり、すでに還暦を迎えたスタローンがボクシングをやる、というのが苦しかった。普通に歩いたり走ったりしているのでも動きがもたついていて、若いボクサーとはとても互角に戦えそうにない。スタローンのセリフ回しもぎこちない。この人本当に大根だったんだな・・・と変な所でしみじみとしてしまった。やっぱり安易に続編作っちゃダメね。やっつけ仕事感満載だった。
 ところで、ボクシングの全米チャンプに、いくら試合態度に問題があるとはいえブーイングしか寄せられないという状況はあり得るのだろうか。この映画ではそうなんだけど、ちょっと強引ではないかしら。

『絶対の愛』

 恋人に自分の顔を飽きられたと思い込んだ女(ソン・ヒョナ)が、顔を整形し別人として男(ハ・ジョンウ)の前に現れる。何も知らない男は姿を消した恋人に思いを残しつつ、新しく知り合った女を愛し始める。真実を知った時に彼がとった行動は。キム・ギドク監督の新作は、きっついラブストーリーだった。
 他の女に目移りする男に嫉妬する女、そんな女を愛しつつももてあます男。珍しくはない設定だ。ドラマの舞台も現代の都会。トレンディードラマ(って死語か)に出てきそうなおしゃれなカフェにモデルハウスのようなマンション。ひとつひとつのパーツは紋切形といってもいいのだし、ショットも個々に見ると結構図式的なのだが、それらを総合して出来上がったものはやはりいつものギドク作品だった。つくづく個性の強い監督だ。本作は昔話風だった『弓』よりも、割と洗練されていた『うつせみ』に近い雰囲気。しかし一見スタイリッシュでも、その根底にはドロドロしたものがあるみたい。
 整形大国である韓国で整形が大きなファクターになっている作品を発表するということは、整形に対する批判なり何なりとも受け止められるだろうが、この作品の意図は、整形の是非を問うものではないと思う。また、外見のみ(もしくは内面のみ)で人を愛しうるのか、その人と判断するのかということを問うているわけでもないと思う(そういった側面もあるだろうが)。
 この作品の原題は『TIME』。テーマとなっているのは、愛は時間に勝てないのか、恋愛において新鮮な気持ちを常に保つことは可能かという点ではないかと思う。女は男が自分に慣れ、他の女に目をやることを強く嫌がる。が、どんな恋人同士でも、付き合いが長くなれば新鮮味はなくなるだろう。関係もユルくなってくるはずだ。しかし本作の女はユルくなることを自分に対しても相手に対しても許さない。新鮮さを保つ為に整形という劇薬を投入してくる。ただ、刺激によって得た新鮮さもいずれは劣化する。そうしたらまた新しい刺激を、ときりがない。そして度の過ぎた刺激によって男も女もボロボロになっていく。涙と鼻水と血にまみれた女はそれでも微笑む。凄味があるが、実際にはあまりお目にかかりたくない微笑みだ。
 そもそも愛に常に新鮮さを求める必要があるのか?この2人、ユルい関係になっていくほうがむしろ幸せなのでは?という疑問もわいてくる。女が求めているのが男の愛なのかどうかも怪しい。彼女にとって、男が実際に何を思っているのかということには、本当はそう重要ではないのではないように見えるのだ。
 ところで、男と女がデートする彫刻公園があるのだが、彫刻が全部不気味。実際にああいう公園があるのだろうか。アートというにはなんとなく生臭い。

『サウンドトラック』

古川日出雄
熱帯と化した近未来の東京。音楽を解さない青年トウタと、ダンスで世界を震わせる女子高生ヒツジコの兄妹が疾走する。言葉では表現できないものを表現しようとする音楽とダンスという表現を、言葉の産物である小説の中心に持ってくるなんてチャレンジャーですなー。世間的には高評価な作品だが、どうも乗れなかった。疾走感のあるスタイリッシュな文体とのことだが、ちょっとセンスが古くてむしろ泥臭いと思う。80年代後半から90年代前半ぽい感じか?女子高生を「ガール」と称するのとか、お尻がムズ痒くなってきます。勘弁してー。意図的にやっているのか、本気でこれがかっこいいと思ってやっているのか、よくわからない。頑張って文体作ってる感が出ちゃっているのが少々興ざめか。東京都内の地域が持つ性格のつかみ方は結構鋭いかも。西荻の変貌ぶりは笑うに笑えません。

『素粒子』

 作家くずれの国語教師ブルーノ(モーリッツ・ブライプトロイ)と生物学者ミヒャエル(クリスティアン・ウルメル)。2人はヒッピーの母親に捨てられた、父親違いの兄弟だ。ブルーノは性欲に悩まされる一方で妻との仲は冷え切り、とうとう妻子に逃げられる。対してミヒャエルは性的なものに極端に関心がなく、研究にだけ打ち込んでいる。そんな2人は母親の死をきっかけに再会、転機が訪れるが。
 決して完成度の高い映画というわけではないし、万人受けする映画というわけでもない。むしろ、人によっては不快に思うところもあるかもしれない。しかし何でこうも切ないのか。悲しくて悲しくてとてもやりきれません!他人事とは思えないのはやはり非モテ主人公だからでしょうか(そこかよ!)。
 ミシェル・ウエルベックによる原作小説は未読なのだが、聞いた所によると兄弟を主人公にした恋愛小説という形をとりつつ、生殖、親子問題、クローン技術等の様々な問題を提示しているそうだ。対して映画の方は、兄弟の愛とセックスという問題に焦点を絞り込んでいる。兄は性欲に振り回されて愛を見失い、弟は性欲に無関すぎて目の前の愛に気付かない。対照的な兄弟の対比がこっけいであり、同時に悲哀も感じる。特に教え子に失恋してショックを受け精神科医にまでかかるブルーノの姿は、どう考えても突っ込みどころ満載で笑えるのだが、同時にいたたまれなくなる。女の子とヤりたくてしょうがないのだが、方向が(女性が多いと噂のスピリチュアル系キャンプに参加するとか)とんちんかんなのだ。そもそも彼が求めているのは母親から与えられなかった愛であるのだが、その自覚がなくセックスで満たされなさを解決しようとしている。求めているものと実際に得ようとしているものが微妙にすれ違っているのだ。その姿が滑稽であり痛々しくもある。
 兄弟にはそれぞれ運命的な出会いがあるのだが、それぞれ皮肉な運命を辿る。ミヒャエルはある種達観していて幸せであるのかもしれないが、ブルーノが辿る運命は救いがない。愛に気付いたとたんにこれか。こういう形でしか愛を手に入れられないのか。なんともシニカルでペシミズムに満ちた作品だったと思う。映画の方が原作よりもラストに希望があるそうだが、原作はどんだけ鬱エンドなんですかそれ!
 一つ気になったのが、子供時代のブルーノ役の少年と、大人のブルーノを演じるブライプトロイが全然似ていないこと。どう見ても別人。もうちょっと何とかした方がよかったのでは。ちなみに70年代から80年代あたりが舞台らしいのだが、音楽のチョイスは大変良かったです。

『鉄人28号 白昼の残月』

 太平洋戦争から約10年、復興をとげようとしていた東京で、少年探偵・金田正太郎は父の残したロボット・鉄人28号と、数々の事件を解決していた。ある日、不発弾を狙う怪しいロボットとの戦いで苦境に陥った正太郎。そこに突然現れた青年は、鉄人を見事に操縦しロボットを駆逐する。彼の名は「ショウタロウ」、正太郎の義理の兄だと言うのだ。
 原作はいわずと知れた横山光輝。何度も映像化、リメイクされた作品だが、この映画は2004年に放送されたTVシリーズと世界観を同じくしたもの。TVシリーズとは一部パラレルになっているが時代設定などは共通だ。監督・脚本・絵コンテはTVシリーズを手がけた今川泰宏。
 ショウタロウの登場までを、講談調で一気に説明するという、思い切った導入。この調子でナレーションの嵐だったらキツいなぁと思っていたのだが、さすがに杞憂でした。ただ、「昭和」風を意識しているからか、所々で挿入されるナレーションが古めかしくて少々くどい。時代背景を重視しているのはわかるのだが、ギャグも昭和のノリなので、ちょっと気恥ずかしくて背中がムズムズとした。無理にコメディ要素を入れなくてもよかったと思うが。
 今川版鉄人の大きな特徴は、戦争の遺物としての鉄人、兵器としての鉄人という側面だろう。TVシリーズではこの問題を巡って正太郎が大いに葛藤するのだが、映画ではこれに加え、時代に取り残されてしまった者の哀しさが描かれていた。廃墟を前にした正太郎とショウタロウの会話が象徴的だった。戦後生まれの正太郎は戦争の真っただ中にいたショウタロウが抱える虚無のようなものが理解できないが、これは(まずほとんどが戦後生まれであろう)映画を見る側を代弁させているのだろう。「俺を受け入れない世界なんて壊れてしまえ」というのは、今となっては少々陳腐ではあるが。あと、その時代の価値観に沿ったとはいえ、あのラストはあまり好きではない。母親にそんなこと言われちゃ立つ瀬がないですよ。そういえば今川版鉄人は、TVシリーズも母親の存在はなんだか希薄だったなぁ。
 しかしアニメーションとしてはなかなか面白かったし、まがまがしい雰囲気も悪くない。村雨(兄)の活躍も嬉しいところだ。鉄人はやはりセル絵がいいなぁ。もうちょっと活躍してほしかった気もする。

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

 大ベストセラーとなったリリー・フランキーの自伝的小説がついに映画化。筑豊で育ち、東京の美大へ進学した「ボク」(オダギリジョー)と、女手一つで子供を育てた「オカン」(内田也哉子/樹木希林)。東京に出たボクは借金を重ねフラフラとしていた。しかしある日、オカンが癌に侵されていることがわかる。
 私は原作小説にはさほど感心しなかったのだが、この映画はよかった。恥ずかしながら泣きましたよ。監督は松岡錠司、脚本は松尾スズキという異色の組み合わせだが、オーソドックスでありつつ、陳腐さをすれすれで回避していたように思う。特に脚本の松尾スズキが健闘している。過去現在を行き来する構造なので、下手をするとごちゃごちゃしそうだが、切り替えが上手い。また、原作の少々うっとおしいモノローグを適度に割愛していたと思う。この割愛のおかげで大分(私にとっては)とっつきやすくなった。
 で、前述の通り、私は珍しく映画を見て泣いてしまったわけですが、それは親子愛に感動したから、というのとは少々違ったように思う。何に感情を揺さぶられたかというと、親に対する申し訳なさ、悔恨の念なのだ。本気で働き始める前の「ボク」は、客観的に見るとなんとも不甲斐無い奴だ。親が金持ちならともかく、女一人で生活していかなくてはならない母親に延々とたかるのはどうよ、と眉をひそめてみるものの、その不甲斐無さが自分自身とダブってしょうがないのだ(いや仕事はしてるけどさ)。実際親には心配ばかりかけていたし、ろくな大人にならなかったし、あーもう本当にごめんなさい・・・と打ちひしがれました。
 映画の中でボクがオカンを指して「ボクの為に生きてくれた人」と称するのだが、正にそれなんです。もちろん、親が子の為だけに生きていたわけはなく、思い上がりとも言える言い方ではあるのだが、自分のせいで人生損させたんじゃないかという申し訳なさがあるのだ。親に対する借りを子供は返し得ないということを痛感させられる。自分の親が年を取ってくると、より切実に痛感する。そういう意味では、見る人の年齢や親とのこれまでの関係によって、共感の仕方が大分変わってくる映画ではないかと思う。やっぱり親も自分も年取ってくると、親が死ぬということ、それに自分が耐えられるかということをリアルに考えるようになるのでは。
 いい映画ではあったが、難点もいくつか目立った。特に気になったのは、若い頃のオカンを演じる内田也哉子から、晩年のオカンを演じる樹木希林への切り替えのタイミング。ボクが大学へ進学するまでは内田なのだが、その数年後のオカンが樹木になっている。ちょっと急速に老けすぎてませんか。キャスティング自体はばっちりなので勿体無い気がする。また、10代のボク役の男の子がまだ変声期前のような声で、中学生はともかく高校生としては無理があった。主演のオダギリジョーは『ゆれる』に引き続き、好調。今回は特によかった。予告編でも使われている泣くシーンとか、何かすごい本気度を感じるのですが。キャスティングはどの役もよく合っていたのではないかと思う。特に注目したのが勝地涼。この人、男っぽく爽やかなイメージがあったのだがまさかこんなキャラクターで出るとは。しかし何に出ていても切れがいいなー。今後も注目していきたい。あと個人的には六角精児がちょろっと出ていて思わぬ拾い物をした感が。
 原作は今となっては超メジャーだが、作者のリリー・フランキーは本来サブカル系の人。監督も脚本家も、有名ではあるがいわゆるメジャーではない。そういう製作陣でメジャーど真ん中狙いの映画を作るという、ちょっと面白い布陣だったと思う。

『バッテリーⅥ』

あさのあつこ著
 ついに完結。巧と豪にも一つの決着が。なんか疲れた・・・。キャラクターが皆あまりに必死(もしくは必死にならないように必死)なので、子供がこんなに生き急ぐ話でいいのかしらと思わなくもない。人生長いのに・・・。そんな中、「マウンドって小せえもんな」という高槻の言葉が効いていた。正直言って、ここまでストーリーを長くする必要はなかったのではないか。物語として必要な要素は、3巻位までで出尽くしていたように思う。特に5、6巻は、瑞垣の話という側面が強かったし。著者の思いが強すぎる小説は時に読むのが苦痛になるわ・・・。

『1000の小説とバックベアード』

佐藤友哉著 
依頼者個人の為に小説を書く「片説化」だった「僕」は、27歳の誕生日に首になった。そして「僕」の前に、自分の為に片説を書いてほしいという女性が現れる・・・。うーん、微妙に時期を越したような・・・微妙だなぁ。「小説を書く覚悟」というのも今更な感がある。それを書けてしまうのが若さというやつなのかしら。選ばれなかった人の話の方が読みたかったなぁ。とりあえず、言葉遊びみたいなのはもうやらなくていいと思う。

『見えざる報復者』

アイリーン・ドライアー著、猪俣美江子訳
 スワットの医療隊員マギーは、立てこもり事件を起こしたホームレスを逮捕する。しかし彼は謎のメッセージを残して彼女の眼の前で変死した。不審に思ったマギーは密かに調査を開始する。どうやら何者かが、救命センターに運び込まれた犯罪者に私的制裁を加えているらしい。警察も病院も信用できなくなったマギーにも危険が迫る。主人公が追い詰められていく過程はスリリングではあるが、犯罪に無理がありすぎ。なんてハイリスクローリターンなんだ!そういうことやるんだったらもっとこう~、国家レベルでないと盛り上がらないよ!犯人のお山の大将っぷりがしょっぱい。殺し損としか思えません。

『それはまた別の話』

三谷幸喜・和田誠著
 無類の映画好き2人による対談集。各章ごとに1本の映画を取り上げて語り合っているのだが、実に面白い。和田の博識ぶりもすごいのだが、三谷の脚本家としての視点には、映画ファンとして映画を見ているだけでは気づかない面も気づかされ、なるほど!と。やっぱり「どう作っているか」に意識がいくものなのね。しかし、三谷幸喜はやっぱりちょっと変わった人だと思います。『トイ・ストーリー』の章で、おもちゃはじぶんがおもちゃであることをどの程度認識しているのかという設定にやたらとこだわる所とか、細かいんですよ(笑)。取り上げられた作品の中で、私が実際に見たことがある映画は半分足らずだったが、見たことなくても面白かった。電車内で読んでいたら乗り過ごしそうになった。
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