3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ノーカントリー』

 ピュリッツァー賞受賞作家であるコーマック・マッカシーの『血と暴力の国』を、『ファーゴ』『オー!ブラザー』のコーエン兄弟が映画化。第80回(2008年)アカデミー賞の作品賞、監督賞、助演男優賞を受賞。受賞も納得の傑作だと思う。シークエンスの一つ一つが冷ややかでぞわぞわした。エンドロールで流れる音楽も不穏でいい。
 メキシコ国境近くで、数体の死体と大量のヘロイン、そして現金200万ドルを発見したモス(ジョシュ・ブローリン)は、現金をネコババ。その金を奪回する為に殺し屋シガー(ハビエル・バルデム)が追う。モスの危機を察した老保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)も彼を探すが。
 原作小説と監督の作風がマッチしており、小説の映画化としてはかなり成功した部類ではないかと思う。マッカシーの小説は目線がひいている文体だと思うのだが、その距離感がコーエン兄弟の冷めたタッチと相性がよかったのでは。個人的には、『ブラッド・シンプル ザ・スリラー』『ファーゴ』のような、冷たいコーエン兄弟の作風をまた見ることが出来て嬉しい限り。大変私好みな映画だった。ただ、映画に共感や強くエモーショナルなものを求める人にはさっぱり面白くないだろうが。
 さて、あらすじだけ書くとサスペンス映画のようだが(予告編もサスペンス映画としての側面を強調していたが)、これはいわゆるサスペンス映画とはちょっと言えない。エンターテイメントとしてのハラハラドキドキは殆どない。ストーリーの流れはむしろ緩慢だとさえ言える。しかし退屈なのかというとそんなことはない。サスペンス映画のようにドキドキ感が盛り上がるのではないが、全編通して一定の緊張感が張り詰めているという感じなのだ。
 殺し屋シガーはやたらめったら強く、ほぼ無敵だ。情け容赦なく標的を追っていく。しかしそのシガーでさえ、運・不運からは逃れられない。シガーは対峙する相手にしばしばコインの裏表を当てさせる賭けをする。彼は運が人間の人生を決めると信じており、自分も運に従っている。怪物のように見えるシガーではあるが、彼もまた運に翻弄される人間である。本作において最も怪物的で傍若無人なのは「時の運」という、いかんともし難いものなのだ。ベルの独白やラストの会話で明らかになるように、アメリカという国が持ち続ける暴力性についての物語ではあるのだが、それと同時に、人間には変えようのないレベルの暴力(運とか天災とか)が支配する物語であったように思う。
 舞台がアメリカ西部であることも、この作品の性質を決定付けている。この点に関しては小説よりも映画の方が効果が際立っていた。風景が暴力的にがらんとしているのだ。人間が立ち入る隙がないというか、人の生き死にとは全く関係なく続いているような突き放した感じがする。

『THE FEAST/ザ・フィースト』

 荒野にぽつんと建っている古ぼけたバーで、常連客達がくだを巻いている。そこへ突如血まみれの男が飛び込んできた。「何かがやってくる!バーを封鎖しろ!」。しかし彼はあっさりと何者かに殺され、続いて彼の妻が飛び込んでくるのだった。
 監督はジョン・ギャラガー。マット・デイモンとベン・アフレックが設立した映画制作会社がプロデュースする、新人発掘番組「プロジェクト・グリーンライト」から生まれた作品だそうだ。ホラー映画の「お約束」を全て裏切るという触れ込みで、日本版予告編も力作だった。登場するキャラクターのプロフィールを予めテロップで説明してしまう(これは予告編のみの仕様かと思っていたら、本編でもそのままでびっくりした)など、ユニークな試みもされている。低予算故のモンスターの造形のチープさを、「動きが早すぎてよく見えないんだよ」という設定にして無理矢理カバーしているあたり、可愛らしくもある。なるほどこうきたか、という面白さは確かにあった。
 しかし実の所、王道を回避しようとしすぎて、却って先が読める展開になってしまったように思う。また、ホラー映画の面白さは、「くるぞくるぞくるぞキターっ!!」というタメと爆発の繰り返しによる所がかなり大きいのかも(ホラー映画あまり見ないから断言できないのだが)と再認識することになった。王道は理由あっての王道だったのだ。本作ではお約束展開を回避すると同時に、極力死亡フラグを読ませないという試みがされているのだが、フラグなしだと見ている側も「あれっ死んだ?」くらいの認識になっちゃって、いまひとつ盛り上がらないのだ。これは、映像ががちゃがちゃしすぎ(カメラがクロースで動きすぎ)という撮影・編集上の難点もあるだろうが、通常のホラー映画の場合、フラグが立つことによって「さあ惨劇が起きるぞ!」と見る側が心の準備をし自主的に盛り上がるという作業がされていたのかもしれないなぁと思った。
 ともあれ、ホラーにもモンスターにも全く思いいれのない私には、前評判で期待していただけに、拍子抜けする作品だった。
 もっとも、モンスターとの戦いは置いておいて、密室状態の中での人間同士のギスギスした感じとか、あっさり他人を犠牲にして生き残りを図る現金さとかは魅力的(とは違うか・・・)ではある。結構笑える(爆笑は無理だけどニヤっとはできる)所もあるしね。「ドンキーコングかよ!」と突っ込みたくなる作戦には参った。勿体無かったのは、前述したキャラクター紹介のテロップがあまり伏線になっていないところ。属性がバージョンアップ(笑)されるという展開はあったものの、せっかく余命が記載してあるんだからそこをもっといじってほしかった。

『ぽっぺん』

石田千著
 ぽっぺんはびいどろのこと。著者のエッセイは文体もそうなのだが、取り上げられている物、ことに食べ物に懐かしさがある。特に野菜を煮炊きしたものの素朴な美味しさがじわーっと伝わってきて、あ、今夜は豆でも煮るか・・・と思ってしまう。食べ物をおいしそうに書ける人は、文才のある人だと思いますね(笑)。イメージがフッと飛んで、何のことを書いているのかふいにわからなくなる所があるのが面白い。

『ナンバー9ドリーム』

デイヴィッド・ミッチェル著、高吉一郎訳
 村上春樹とジョン・レノンへのオマージュだそうだが、作風はむしろ古川日出男(『サウンドトラック』の頃の)あたりを思わせる。やたらと饒舌でつんのめりそうにスピーディ、そして夢の中でまた夢を見るような境界の曖昧さ。20才の三宅詠爾は、まだ見ぬ父と会う為に上京する。しかし父との和解よりも、むしろ父なるものへの諦め、対して母親に対する許容がやってくるところが現代的であり、日本人青年を主人公にした作品ならではかもしれない。話がまとまりそうになるとすぐに突き崩すという構造が繰り返され、いわゆる青年の成長ものにありそうなカタルシスが得られないのも現代ならではか。

『本泥棒』

マークース・ズーサック著、入江真佐子訳
 第二次大戦中のドイツ。死神が語る「本泥棒」の少女リーゼルの物語。時代背景、そして死神が語り手ということで、初っ端から不吉な空気に満ちているし、ある程度結末の見当もつく(いやそれ以前に死神が先回りして登場人物の末路を語っちゃったりするんだが)。故に面白いことは面白いが読み進むのに気が重い作品でもあった。リーゼルは文字を覚え本を読むことによりどころを覚える。それが「本を盗む」ことに結びついていくのがユニークだ。ただ、書物に魅力に取り付かれることと、書物を盗むこととがうまく結びついておらず、「本泥棒」という言葉のイメージが先行しているのではないかという印象を受けた。むしろ、文字を覚え本を読むという行為を介した養父やユダヤ人青年との交流、それによってリーゼルも相手も支えられているという所が印象に残る。リーゼルの養父母の造形は特に良い。狂気に満ちていく世界の中で、最後まで普通の人としてまっとうであろうとする姿が、物語の良心となっている。

『つぐない』

 政府高官の娘セシーリア(キーラ・ナイトレイ)とその使用人の息子ロビー(ジェイムズ・マカヴォイ)は幼馴染だが、お互い愛し合っていることに気付く。しかしセシーリアの妹ブライオニー(シーアシャ・ローナン)の嘘により、2人は引き裂かれてしまう。戦場の最前線であるフランスへ送り出されたロビーをセシーリアは待ち続けるが。
 イアン・マキューアンの小説『贖罪』を、『プライドと偏見』のジョー・ライト監督が映画化。時代物が得意な監督らしく、1930年代の雰囲気はよく出ているのではないかと思う。ただ、原作の救いのなさ、マキューアンお得意のいやーな感じには今一歩及ばなかったか(原作に忠実な映画ではあるのだが)。良くも悪くもアクのない作風の監督なのでは。いや、原作ものの場合あまりアクがない方がいいのかな・・・。『プライドと偏見』を見た時は、この監督は少女マンガ的センスがある(そして前作ではそれがプラスに働いていた)と思ったのだが、今回はあまりマッチしていなかった。ストーリーのオチを考えると、この少女マンガ的センスは決してマイナス要因ではないはずなんだけどなー。
 いまひとつ薄味になってしまった要因の一つは、成長後のブライオニーに割いたパートが、セシーリアやロビーのパートと比べるとちょっと少ないという点ではないかと思う。この作品の大きなファクターである(と思う)、ブライオニーのエゴのあり方を充分に見せることが出来なかったのではないだろうか。うっかりすると、セシーリアとロビーを軸にした、普通のメロドラマとして見てしまいそうだ。もちろんメロドラマとして見ても一向に構わないのだが、そのメロドラマに実はこんな意図が!という構図の逆転が作品のキモであるのだが、そのインパクトが少々弱かったように思う。「つぐない」という題名の皮肉さが際立つ話のはずなのだが、そこに今一歩至っていない感じ。
 撮影、美術は素晴らしい。1930年代イギリスのファッションやインテリアに興味のある人には、そこそこ見応えがあるのではないだろうか。また、海岸での長回しは、戦争の「狂ったカーニバル」とでも言うべき側面を象徴的に見せていて(ちょっときれいすぎるきらいはあるが)印象に残る。俳優が総じて好演している。特にキーラ・ナイトレイの美女っぷりが際立っていた。この人はレトロなファッションと、ちょっと気の強そうな台詞回しが実によく似合う。また、少女時代のブライオニーを演じたローナンの、不思議な顔立ち(いわゆる美少女とは違うのだが変な魅力がある)も印象深かった。

『ジェリーフィッシュ』

 バンドじゃないよ映画だよ・・・という前振りはわかりにくすぎるか・・・。イスラエル映画だが、ローカル色はあまり出しておらず、「ヨーロッパのどこか」と言っても通じそうな雰囲気。監督はエドガー・ケレットと脚本も担当しているシーラ・ゲフェン。2007年のカンヌ国際映画祭で、新人監督賞にあたるカメラドールを受賞している。
 イスラエルの港湾都市テルアビブ。結婚式場のウェイトレス・バティアは浮き輪を手放さない迷子の少女を預かることになる。一方、新婚カップルのケレンとマイケルは、ある事情からぱっとしないホテルに缶詰状態。また、フィリピンから出稼ぎにきているヘルパーのジョイは、気難しい老婦人マルカの世話をすること。
 3つのエピソードが海、船といった水のイメージで繋げられている。全てのエピソードがきちんとリンクするタイプの群像劇ではないのだが、そこまできちんと詰めないところが、却ってこの作品の作風には合っていたのではないかと思う。ふわふわゆらゆらして、どこか頼りないが、おかしみもある。青と緑を基調とした色彩バランスが美しいのも魅力だった。
 さて、ユーモラスでファンタジックな作品ではあるが、人生の苦さもはらんでいる。出てくる人たちが皆どこか危なっかしいというのも一因なのだが、もう一つ気になったところがある。この映画には2組の親子が出てくるが、どちらも親が子に投げかけるべき行為が、他人に向けられているのだ。親子間で成立し得なかった関係を他人との間で補填しているように見える。そしてそれを子供が目撃してしまうというのがいたたまれない。物語のお約束としては親子関係が回復してめでたしめでたし、となるはずなのだが、それは望めない。マルカとジョイのエピソードは心が温まるものではあるのだが、その向こう側にはマルカの娘のなんとも言えない表情がある。誰かが笑っている一方で誰かが泣いているのだ。このへんのバランスが、本作をうわつきすぎないものにしていると思う。
 ところで、ウェイトレスのバティアは大変どんくさい女の子という設定なのだが、その要領の悪さや身だしなみの不器用さが生々しくて、なんだか見ていていたたまれなかった。己のことを言われているようだ!あと、新婚夫婦の妻がすごくきれいかつキュート。イスラエルの女性は皆むっちりとした体型なのでしょうか。

『ダージリン急行』

 (ストーリーのラストに触れています)父親の事故死をきっかけに、なぜかインドを列車旅行することになった、フランシス(オーウェン・ウィルソン)、ピーター(エイドリアン・ブロディ)、ジャック(ジェイソン・シュワルツマン)の3兄弟。仲がいいとはお世辞にも言えない3人の「心の旅」は続く。
 ウェス・アンダーソン監督の新作。この人の映画のテーマは常に家族であり、大人になりきれない人々のうろうろ加減である。本策も同様。『ロイヤルテネンバウムズ』『ライフ・アクアティック』とフォーマットは同じなのだが、今回は舞台が何故かインド、そして実際に電車を使ったロケをしていることで、作品世界に広がりが出ているように思う。ただ、ロードムービーとしての醍醐味はあまりない。風景にあまり代わり映えがしないからだろうか。
 前2作でも、家族間の地味にいやらしい小競り合いの描写が妙に上手かったが、本作でも兄弟間のみみっちい足の引っ張り合いがおかしい。このあたりは相変わらずのアンダーソン節だった。兄弟のいる人ならあのイライラ感は身にしみて分かるのではないだろうか。
 さて、兄弟がやたらと父の遺品にやたらこだわるし、家を出ていった母親への複雑な思いも捨てられない。そんな彼らの親離れ(父親の形見のスーツケースを投げ捨てていくのが象徴的)がお約束的に映画のテーマとなっているし、実際成長が示唆されるのだが、だとすると一つ問題が残る。彼らは旅を続けてしまうのだ。親から離れはしたけれど、大人としての責任を負うのは嫌というわけだろうか。生まれたばかりの子供や関係が曖昧なままの恋人は放置かよ!それはちょっと虫の良すぎる話ではないかしら。「旅はこれで終わり」とした方が潔かったと思う。
 さて予告編でも登場人物も「スピリチュアルジャーニー」と言っているのだが、多分監督は本気でそう思っているわけではない。むしろスピリチュアルにはあんまり興味ないんじゃないかと思う。「スピリチュアルとか言いつつヴィトンのトランク山積みで旅してるんだぜ?」というギャグですよね?これは。むしろマテリアルの方を信じている人じゃないかと。でなかったらディティールにあんなにこだわらないと思う。
 なお、本編の前に短編映画『ホテル・シュバリエ』が上映される。三男ジャックとその恋人(ナタリー・ポートマン)が登場するのだが、なかなか雰囲気のある一品。むしろ本編よりも締りがあるなぁ(笑)。ポートマンがヌードを披露していることでも話題になっているみたいだが。

『バンテージ・ポイント』

 テロ対策を目的とした首脳会議に出席する為、アメリカ大統領(ウィリアム・ハート)がスペイン・サラマンカを訪問した。ところが演説中に大統領は狙撃され、聴衆を巻き込んだ爆発が起きる。大統領警護にあたっていたバーンズ(デニス・クエイド)を始め、8人の事件目撃者の視点で事件を描く。
 いわゆる「藪の中」形式だが、本作の場合「真実はいつもひとつ!」なミステリーなので、どんでん返しを含めすっきりと楽しめる。8人の視点から事件が描かれるが、群像劇ではなく、Aさんの視点からのパートが終わるとキュルキュルとフィルムが巻き戻り、さて同じ時刻のBさんは、というように最初からやり直す構成になっている。ちょっと気の効いた(もしくは編集に自信のある)監督だったら群像劇方式にしそうだけど、そこをあえてやらなかったのは本作の場合正解だったのでは。あの人が見ていたアレはそういうことだったのね!と徐々に情報が増えていきパズルが組みあがるという、ミステリ的な面白さがあった。エピソードの並べ方も的確だったと思う。
 監督のピート・トラヴィスは日本では本作がデビュー作になるのか?変に大作ぶらないところに好感を持った。身の丈に合った映画作りというか、良く出来たB級映画という面持ち。
 さて、目撃者となる8人が、皆あるジレンマ、矛盾を抱えている所が面白いなと思った。シークレット・サービスのバーンズは死ななすぎ(笑)なのだが、負傷したトラウマから脱却できず精神的に不安定だ。アメリカ人観光客(ウォレスト・ウィテカー)は妻子とやり直したい、いやもう無理なのではと迷っている。また、アメリカ大統領であっても、あくまで政治機関の一部であって自分の一存では行動できない。そして肝心のテロリストでさえ、あるためらいが命取りになる。お前あれだけ死傷者出しておいて今更何を!といいたくなる矛盾がいっそおかしい。でも人間てそんなもんかなー

『俺たちの明日』

 ギス(キム・ビョンソク)とジョンテ(ユ・アイン)は兄弟のように育った幼馴染。ギスはフラフラと頼りないジョンテの保護者的な存在だった。ジョンテは洗車係の仕事もやめ、風俗店で働くようになるが。監督はノ・ドンソク。これが長編2作目になるそうだ。
 社会の底辺であえぐ若者たち、彼らが希望を持って生きていくことの困難さを描きたかったのかもしれないが、妙にロマンチックなところがあって、経済的な苦しさ、夢のなさが生々しくない。また、説明が下手なのかもしれないが、ギスがどんな仕事をしているのか、ジョンデが何で銃を手に入れることに拘るのか(自分に欠落してしまった男性性の象徴として、だとあまりにそのままでしらけるし、そもそも男性性が欠落していると感じさせるようになったエピソードが無茶)。ジョンテの母と風俗店を仕切るヤクザとの因縁も、エピソードの出し方が唐突すぎるように思う。もうちょっと伏線を小出しにすればいいのに・・・。ネタのつなげ方に問題があるという印象を受けた。また、ナレーションが入るときはジョンテの一人称なのに、映画自体の視点はギス寄りなのかジョンテ寄りなのか曖昧で、ストーリーの軸がふらついているように思った。
 ギスは真面目な好青年だが、真面目ゆえ幼馴染や兄弟の苦労も背負い込んでしまう。自分の夢は保留せざるを得ない。刹那的に生きるジョンテとは対照的だ。このあたりの鬱屈をもっと掘り下げてあれば、憂鬱な青春映画としてそれなりに見られたのではないかと思うが。ただ、若手俳優がそれなりにかわいいので、アイドル映画としては悪くないのかもしれない。ギスとジョンテの絡みも妙に多いしなー。

『ペネロピ』

 「女の子はブタ鼻になる」という呪いをかけられたウィルハーン家に生まれたペネロピ(クリスティーナ・リッチ)。両親は彼女を世間の目から守る為、一歩も家の外に出さずに育て、「仲間が愛を誓えば呪いは解ける」という言い伝えを信じて両家の子息とのお見合いを繰り返していた。しかし皆、ペネロピの顔を見ると逃げ出してしまう。
 典型的な「お姫様が王子様に愛されて幸せになる」お話かと思いきや、一ひねりしている。自分を肯定することが自由になることという視点が現代的。シンデレラの時代は終わったのね・・・。また、王子様役のマックス(ジェームズ・マカヴォイ)にしても、課された課題がペネロピを幸せにすることではなく、まず自分の身を立てることだというのも、王子様の役割は終わったのかと思わせるところ。
 しかしそういう価値観を提示しておきながらも、最終的にはカップル成立=ハッピーエンド(当座のものであり将来のことは分からないとしてはあるが)という図式を崩さないのは片手落ちではないかと思う。その先を示してくれる映画が見たいのに~。異性のパートナー獲得以外のハッピーエンドを、説得力をもって描くのはまだ難しいのだろうか。世間の限界を見てしまった感があり、軽くがっかりです。ともあれ、楽しく幸せな気持ちになる映画ではある。特に女性にはお勧め。基本的に悪人が一人も出てこない(嫌な奴にさえも最後にフォローが入るという優しさ)ので、穏やかな気分で楽しめる。
 主演のクリスティーナ・リッチは、ブタ鼻をつけてもなおキュート。こんなブタ鼻娘なら逃げ出す必要ないじゃない、と思ってしまうのだが。また、ジェームズ・マカヴォイ(ナルニア国物語でタムナスさん役だった人)がまさかの二枚目さでびっくりした。ええ~っ!なんですかこのスウィートっぷりは!正直リッチよりもマカヴォイのキュートさに目が釘付けだった。小柄なところが同じく小柄なリッチとバランスが取れていてるのもよかった。キャラクターとして美味しい造形だったのは、ペネロピのスクープ写真を狙う記者レモン。彼がペネロピの実の姿を知った時の判断は泣かせる。彼がフリークスであるという設定がここで生きてくるのだ。ラスト、そっとカメラを下ろす姿にもぐっときた。
 衣装やセットなど、全般的に大変可愛らしくファンタジック。女の子は絶対こういうの好きだろうなーというディティールに満ち溢れている。ただ、ファンタジー度を上げる為に時代設定をぼかしたのが裏目に出ていた。レトロなカメラが使われている一方で、ICレコーダが使われているというのはちょっと変なのでは。

『いのちの食べかた』

 私たちが日々口にする食物は、どのように生産・加工されていくのか。ナレーションを一切排して、映像のみでその過程を見せるドキュメンタリー。地味な作品ながらロングラン上映を続けている。スルーしようかと思っていたけど、機会があったのでやっぱり見てみることにした。
 結論から言うと、確かに面白い。ともするとものすごく単調かつ地味になりがちな内容だが、絵として面白くすることで見る側を飽きさせない。シンメトリーな構図がやたらと多いのも、画面のデザイン的な面白さを重視しているからだろう。カメラも固定されているシーンが多く、横にスライド移動するくらい。
 この映画で映し出される食物の大量生産っぷりは凄まじい。まーよくもこう大規模にと感心してしまうようなシステマティックで効率化された製造。現代、世界の人口を支えるに足る食糧を作りだすには、その是非はどうあれこうしていくほかないのだということをつくづく感じた。映画題名は「いのちのたべかた」なのだが、家畜にしろ野菜にしろ、あまりにつつがなく育てられ収穫され捌かれていくので、生き物というよりも一つのマテリアルにしか見えてこない。特に牛や豚の機械による解体は、鮮やか過ぎて思わず感嘆の声をあげそうになった。ぎゅっと入れてすっと裂いてどばーっと中身を掻きだす。わースムーズ・・・。魚だと個体が小さいからもっとスムーズ。いやー見惚れちゃうね。そんなわけなので、おそらく映画の趣旨であろう「いのち」の認識にはむしろ至らないのではないだろうか。
 もうひとつ、この映画を見て食について真剣に考えるかというとそうでもないんじゃないかなと思った要因は、皮肉なことにこの映画の絵としての面白さにある。前述したとおり、見惚れちゃうような面白さがあるのだが、なまじ絵になってしまうだけに「わー面白い」以上の感想が出てこないのだ。絵として完成されていて、ウェットなもの、あいまいなものが入り込む余地がない。やっぱり「食べ物」だよなぁと思ってしまうのだ。

『接吻』

 (内容に若干触れています。そして長い。)
 最後にタイトルが出るあたりが渋い。『UNloved』の万田邦敏監督作品だが、脚本は妻である万田珠美との共同。ものすごく面白かったです。今年公開の邦画の中ではおそらくベスト級。新作待ち続けていた甲斐があったよー。必見です。
 28才のOL京子(小池栄子)は、無差別殺人犯・坂口(豊川悦司)が逮捕される様子をTVで見ていた。坂口の微笑みに何かを感じた京子は、裁判を傍聴し差し入れを持ち込み、彼とコンタクトを図ろうとする。坂口の弁護士である長谷川(仲村トオル)は彼女を心配するが。
 主演の小池にしろ仲村にしろ、文節をはっきりとくぎった、やや棒読みともとれる台詞回しなので、ともすると演技が下手ととられるかもしれないが、演技をしていないかのような自然な演技のみが、上手い演技とは限らないだろう。万田監督は『UNloved』でも役者に似たような台詞回しをさせていたので、意図的にやらせているはずだ(クラシカルな映画ともいえるかもしれない。はっきりと「これは映画ですよ」というメッセージが発せられているというか)。映画は絵と音声(言葉)で構成されるが、万田監督は言葉寄りの人なのだと思う。言葉によって明晰に説明し、曖昧さを排そうとしているようだ。映像にしても、思わせぶりなところがあまりなく、状況を順序だてて説明していくことに集中しているように思う。絵としても言葉としてもわかりやすく整理されているのだが、それが却って京子の行動のわけのわからなさを際立てるのだ。
 情や曖昧さを排して構成していくことで、最終的に何かよくわからないどろっとしたものが生じてくるという、矛盾した現象が起きていて非常に面白い。恋愛映画というカテゴリーになるのだろうが、情のぶつけあいというよりも、それぞれがよりどころにする思想というか、ロジックのぶつけ合いに近い。これも『UNloved』でも同様だったように思う。
 京子は坂口の中に自分と会い通じるものを見出す。そして坂口も京子を受け入れていく(かのように見える)。しかし皮肉なことに、それが契機となり、坂口は「京子が考えるところの坂口」から変化していくのだ。京子は社会に対立する存在、社会に参加できない孤立した存在としての坂口に自分を投影し、共に世の中と戦う同士として愛するのだが、京子と接することで感情を動かされた坂口はむしろ社会、世の中に近づいていってしまう。孤高の人ではなく、罪におののく一般人となってしまうのだ。一般的には感動的なシーンである弁護士・長谷川の会見での言葉が、京子にとっては絶望に他ならないという皮肉。そもそも、孤独であるということによって坂口と通ずるものがあると考えていた京子だが、坂口とのかかわりによって彼女自身孤独ではなくなってしまう。彼女が推し進めようとするものと、それによって彼女(と坂口)が蒙る変化が矛盾しているのだ。矛盾をなくそうとすると、彼女が最後に選択するような手段をとる他なくなってしまう。
 さて、本作は「感情移入、共感は難しい」と言われているようだが、そうだろうか。確かに京子の愛は強烈でさほどシンパシーは感じないものだったが、彼女が世の中に対して抱いている「絶対許さない」という感情、そしてそれに誰かを巻き込んでやろうとする感情はわかるような気がするのだ。世界に上手く参加できないというか、どうやっても一人になってしまっていつも自分ばかりが損をしているのではないかという(ある意味被害妄想的なのだが)意識には妙にシンパシーを感じるのだった。『UNloved』でもやはり女性は社会の底辺に位置していたのだが、それに対して不満や怒りは抱いておらず、むしろ彼女に思いを寄せる男性が勝手に憤るという構造だったのとは対照的で興味深い。
 各所で既に話題になっているが、小池栄子の鬼気迫る存在感がすばらしい。こんなに女優としてのポテンシャルのある人だったのかとびっくりした。表情はさほど変わらず、笑顔は表面だけ貼り付けたものみたいなのだが、そこが怖い。マイナスオーラがばんばん出ているところがすごく良くて引きつけられた。


『散文売りの少女』

ダニエル・ペナック著、平岡敦訳
 出版社に勤める「天然スケープゴート」マロセーヌは、妹の婚約者が殺される事件に巻き込まれる。同時に、自社が抱えているベストセラー覆面作家の身代わりになることに。いきなり殺人事件が起こるのでこれはミステリ?と思って読んでいたのだが、奇人変人(死体も)がぞろぞろ出てくるドタバタコメディと言った方がいい。そしてなんとタイトルの「散文売りの少女」は本編とあまり関係がありません!少女と書物の組み合わせを期待した読者はがっかりすることだろう。確かに読書家ならぐっときてしまいそうないいエピソードなんですが、なくても話は成立するエピソードでもあるのね(笑)。何故タイトルにもってきたのか全くもって謎です。なお、マロセーヌのシスコンっぷりは堂に入っている。「お、お兄ちゃんは認めないぞそんな結婚!」というベタなシチュエーションが見られます。

『夕子ちゃんの近道』

長嶋有著
 アンティークショップの2階に間借りする「僕」と、店長、大屋さんと双子の孫娘、近所に住む瑞枝さんの交流。著者らしく温度は低めで淡々としているが、今までの作品の中ではもしかして一番人の優しさがあるかもしれない。ただ、親密さから生じる優しさではなく、他人だからこその距離を置いた優しさなのだが。また、最後まで人の繋がりが途切れないのも著者の作品にしては珍しい。こういう薄らとした温かみの方が、親密な関係よりも助けになる時期は確かにある。ちなみに夕子ちゃんはオタ(コスプレっ子)なのだが、皆それに触れないようにしているのが妙にリアルで笑った。
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