3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ハルさん』

藤野恵美著
 妻・瑠璃子さんに先立たれ、生活力皆無の人形作家ハルさんと、一人娘ふうちゃんの日々。ハルさんはふうちゃんが持ち込む謎に頭を悩ます。いわゆる「日常の謎」ものの連作だが、ミステリとしてはとてもライトで他愛ないといってもいい。ただ、いやみがないので読みやすかった。著者は児童文学作家だそうだ。本作も小学校高学年~中学生くらいをターゲットに入れているように思う。娘が大人になるまでの物語でもあるのだが、むしろ父親が父親として成長していく物語としての側面の方が強い。最初から、娘の方が人間できているような(笑)。

『クローバーフィールド/HAKAISHA』

 人がまるで虫のようだ!というムスカ様マインドに溢れたパニック映画。NYに何かでかいものがやってきて街をばんばん壊して人がどかどか死ぬ。
 災害現場に残されたビデオテープ、という設定で作られた映画なので、画面は家庭用ハンディカム風にブレまくる。「酔った」という感想も多く目にした(私は全然大丈夫だった。酔うほどのブレではないと思う)。しかし、素人くさい映像を演出しながらも、主要登場人物が何をやっているのか、「何か」は一体どういうものなのか、見せるべきところはちゃんと見せている。時々アングルが決まりすぎていて、それどう見てもプロの仕事だよ!と突っ込みたくなるのはご愛嬌。この手の「擬似ハンディカム映画」としてはかなり良くできているのではないかと思う。
 ただ、「えっこれだけ?」という物足りなさも否めない。かなり早い段階から話題作・大作として宣伝されていたので肩透かしをくってしまったというところもあるかもしれない。映画の面持ちが、大作というよりも良くできたB級といった感じなのだ。それなりの費用がかかっているだろうし、続編の予定もあるとの話だが、いまひとつ地味。本作を見て続きを見たくなるかというと、微妙だ。「何か」を最初からばばーんと見せるか、もしくは最後の最後までほとんど見せないかのどちらかだったら、もっと衝撃があったのではないかと思う。
 もっとも、このいまいち感は、私が怪獣映画にもパニック映画にもそれほど関心がないからだろう。エンドロールの音楽に如実に現れているが、明らかにゴジラを意識しているのだ。その方面に造形が深い人が見れば、色々と発見があって面白いのかもしれない。
 金持ちも貧乏人も、老若男女ばんばん死亡していくというある意味人類皆平等な映画だが、主人公カップルのラブストーリーは不要だったと思う。ビデオに残っていた数日前の映像と災害時の映像を織り交ぜるところなど、ちょっと作為を出しすぎたんじゃないかと。それをやると、実録風にした意味が薄れてしまう。ロマンス部分だけ普通のハリウッド映画なのだ。人間に対して冷淡に徹した方が、この作品の持ち味が出たんじゃないかと思う。
 

『実録連合赤軍 あさま山荘への道程』

 1972年、あさま山荘事件へいたるまでの連合赤軍のメンバーを追った若松孝二監督の力作。多分、今年の映画雑誌各誌の日本映画年間ベスト10には、軒並み上位ノミネートされるだろう。公開当初からすごいすごいという話は聞いていたが、確かにすごい。3時間を越える超大作だが、密度が濃く、実際の上映時間ほどの長さを感じなかった。
 本作が盛り上がってくるのは、中盤、山岳ベースでの山ごもりが始まってからなのだが、一種の集団密室劇のような怖さがあった。ご存知のとおり「自己批判」「総括」の名を借りたリンチが行われるのだが、彼らが特殊だったから起きた事件ではなく、密閉状態に10数人適当に突っ込んどいたらこうなるんじゃない?的な嫌な普遍性を感じた。山岳ベース内の感じが何かに似ていると思って見ていたのだが、はたと思い当たった。小学校の学級会だ。下校する前に今日1日の反省会をやって「~君がなんたらしたのがいけなかったとおもいまーす!」って言う、あれ。委員長(森)と副委員長(永田)が筆頭になって調子こいてる生徒をいじめるわけです。
 それは冗談としても、彼らの言動がやたらと幼いのは気になった。確かにむずかしい単語をいっぱい使っているが、無理して使っている感じなのだ。特に森の言葉の上滑り感は、見ていていたたまれなくなった。言葉に実態がないというか、自分の言葉でしゃべっている感じがしないのだ。おそらく遺書なのであろう、映画の最後に出てくる書簡まで一貫して空疎だった。本当にこんな感じだったとすれば、何故周囲が付いてきたのか謎である。何か、カリスマみたいなものがあったのだろうか。若松監督は「森にも永田にも特にカリスマはない」と確信的に描いているように思うが。普通の、ちょっと頭いいくらいの若者たちがとんでもないことをしたという点が怖ろしく、また、この事件が今日性を持つ点でもあるのだろう。多分今後もこういった形の事件は起こるのではないかと思わせるのだ。
 リンチ映像は生々しくどシリアスではあるのだが、それと同時に一歩間違えばコメディのようでもあった。前述した通り、メンバーの言動が未成熟すぎるのが最大の要因だろう。「水筒忘れたことを自己批判しろ!」というくだりには吹きそうになった。本作を見ている間、私の並びの席に座っていた若いカップルが頻繁に笑いをかみ殺していたのだが、無理はない。客観的に見るとおかしいが、当人たちはいたって真面目というのが、おかしいと同時に怖ろしいのだ。
 それにしても永田の造形が、シリアスなドラマ的にもコメディ的にも大変面白かった。女性メンバーへの攻撃は女性としてのコンプレックス故というのが定説になっているようだが(私、あまり詳しくないんですが)、その辺は本作でも踏襲されている。踏襲されすぎていて笑いそうになった。女性メンバーの不用意な言動を見聞きしたときの顔が「キラーン」と効果音加えたくなるような見事な顔なのだ。加えて、妙な委員長気質・仕切り屋系優等生気質が発露されている知ったような口ぶりは、「あーいたいたこういう小学生女子!」と大変イタい気持ちにさせてくれる。
 もう1人スポットのあたる女性として遠藤がいるが、彼女は何で連合赤軍に参加しているのか不思議なくらい普通の女性として描かれている。活動を続けていたのは重信(彼女だけ扱いが別格で、人間のしょうもない側面が見えないのは釈然としない)への友情と憧れからだったように見える。そして、このへんが上手いなぁと思ったのだが、ルックスがすごくいいというわけではなく中の上がいいところなのだ。この人もどちらかというと、同性に対してコンプレックスを抱える側の女性ではないかと思えるのだ。
 

『電気グルーヴの続・メロン牧場 花嫁は死神 (上下)』

電気グルーヴ著
 電気グルーヴが掲載紙を転々としつつ続けていた(なぜか活動休止中も続けていた)ロッキング・オン・ジャパン編集者との対談集。8年ぶりに続編が出た。しかしなんで買っちゃってるんだ私・・・そしてなんで1作目も手元にあるんだ私・・・。音楽とはほとんど関係なく、くだらなさと下品さはアーティスト本の範疇を軽く凌駕する。ネタ(特に下系)の豊富さがはんぱないのだが、その中でも瀧の「小室哲哉・KEIKO夫妻の披露宴に行った話」は後半の瀧の妄想内展開も含めて白眉だ。あと、よっぱらったときのエピソードが色々ひどすぎる(笑)。ところで卓球が、「ライブでメモ取ってるやつの気が知れない」という趣旨の発言をしているのだが、確かにあれは不思議だ。あとでブログとかにセットリストとか感想とか上げるんだろうけど、メモってる時間がもったいないと思う。そこは踊っとかんと!

『8月の路上に捨てる』

伊藤たかみ著
うーん、これで芥川賞取れちゃうのか・・・。悪くはないけど良くもないという一番コメントしづらいパターンではないだろうか。自販機ルートドライバーの水城さんと組んで働くバイトの敦。敦は元は脚本化志望だったが、妻に支えられる生活にだんだん飽きてうっとおしくなってくる、しかし妻の方が敦がまだ脚本家を目指していると信じて尽くす女化している、同時に自分に対しても焦りを感じてとんちんかんな勉強等を始めているというあたりは、結構生々しい。が、妻とのドロドロ(というより妻の中のドロドロ)をもっと読みたかった。

『ぺこぺこ映画日記 1993-2002』

中野翠著
 タイトル通り、著者の映画鑑賞日記。自分の好きな映画をけなされると腹が立つ、わかっちゃいるけど、自分が見たおもしろくない映画はついけなしてしまうのごめんなさいね、という意味での「ぺこぺこ」。著者はすごく好みがはっきりとしていて、けなすときは結構辛辣にけなす。ノリがよくて楽しい。しかし、好みがはっきりしているが故なのか、なんでこの作品に対してこういう解釈になるの?と首をかしげたくなるところも。好きな作品と、よくできた作品と、面白い作品とは必ずしも一致しないと思うのだが。そこを一緒くたにしている感があってもどかしかった。それにしても、「この作品てこんな前に公開されたんだっけ?!」とびっくりした所が多々あった。時の流れは早いのう・・・

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』

 ウォン・カーウァイ監督が初めてハリウッド俳優を起用し、アメリカを舞台とした作品。エリザベス(ノラ・ジョーンズ)は別れた恋人のことが忘れられず、気を紛らわせるため毎晩カフェでブルーベリーパイを食べ、カフェのオーナー・ジェレミー(ジュード・ロウ)とおしゃべりに興じていた。だがある日突然、エリザベスはニューヨークを離れて旅に出る。
 カーウァイ監督は、相変わらずストーリーの構成はあまり気にしていないっぽい。とりあえずいくつかエピソードを作って並べておけばいいか、くらいの認識なのではないだろうか。いわゆるいい脚本を作ることにはあまり興味のない人なんだなとつくづく思った。カーウァイ監督が関心を持ち、得意であるのは、一瞬の感情や空気、記憶の名残みたいな、はなかいものを再現することなのだと思う。見ているうちに、ストーリー展開を追ってもしょうがないなーという気分になってくるのだ。シークエンス同士のつながりは唐突なのだが、カフェ(というよりダイナーな感じ)でケーキをぱくつくジョーンズとロウの実にキュートな姿や、曰くありな美女であるレイチェル・ワイズの立ち居振る舞い、美少女ギャンブラー役のナタリー・ポートマンの溌剌とした美貌など、ビジュアル面は大変充実している。人物以外でも、特に室内のシーンは程よく雑多な感じがして居心地良さげだった。反対に屋外、特に田舎のだだっぴろい風景はさほど魅力がない。エリザベスが各地を転々とするロードムービーっぽさを出したかったのかもしれないが、移動していることの面白みがあまり出せていなかったように思う。移動中のシーンが少ないからか、はたまたどこの田舎町も似ているからかわからないが。
 構成のユルさが俳優によって助けられているという側面もかなりあると思った。むしろ、このレベルのスターを起用しておけば、このラインまでは好き勝手やってもなんとかなるだろうという計算がされているようにも思う(笑)。女優業は初挑戦のノラ・ジョーンズ(本業は歌手)を主演に抜擢したのには驚いたが、垢抜けきらない女の子としてのかわいらしさがあって、はまっていたと思う。ただ、彼女と相対する女優がニュアンス系美女のレイチェル・ワイズ(すごくよかったです!セクシー!)と、360度完璧な美女ナタリー・ポートマンなので、ちょっとかわいそうな気もした。まあ、いわゆる美女っぽさは求められていなかったってことなんでしょうね。そして男優としてはジュード・ロウがメインに置かれている。多分カーウェイは、ロウを起用できた時点でこの映画(興行的に)なんとかなる!と思ったのではないだろうか。こんなチャーミングなカフェオーナーがいたら通うに決まってんだろ!いや本当にかわいいのよ。
 なお、サウンドトラックが良い。オリジナルスコアはライ・クーダー、挿入曲の選曲はノラ・ジョーンズによるそうだ。

『パラノイド・パーク』

 16歳のアレックス(ゲイブ・ネヴァンス)は、郊外の住宅地に住む普通の高校生。父親は別居中、母親と13歳の弟との3人暮らしだ。ある日友人に誘われてスケボー少年のメッカ「パラノイドパーク」を訪れたアレックスは、ふとしたことで鉄道警備員を死なせてしまう。
 ガス・ヴァン・サント監督の新作。前作『ラストデイズ』は個人的にはいまひとつだったのだが、今回は監督が最も得意とするであろう、10代の少年少女をとらえた作品で、(『エレファント』には及ばないまでも)悪くなかった。映画のラストを投げっぱなしだ、無責任だと考える人もいるだろうが(実際、えっそうきちゃうの?!と私も思ったし)、「他人の心の中はわからない、10代の子供の心の中などもってのほか」という監督のスタンスが一貫しているとも言えるだろう。少年少女のすぐそばまで近づき寄り添うが、彼らのことをわかるよとは言わないところが、むしろ良心的なのではないかと思う。ストーリーの落とし所をはっきりしてほしかったという気持ちもあるが、これはこれでありかと。
 それにしても10代て面倒くさい時期ですよねー。自意識過剰で自分のことも他人のこともよくわからなくて。私は10代に戻りたくはないし、リアル10代を見ていて羨ましいとも思わない。が、ガス・ヴァン・サントの映画を見ていると、10代の頃にしか見られないうつくしさというのが確かにあるんだろうな、と思える。だから10代なんていやだいやだといいつつ、彼の映画を見に行ってしまうのだ。もっとも、実際に10代だった頃にサント作品を見てぐっときただろうかというと微妙だ。10代が遥か彼方に遠ざかったからこそ、安心して見られるのではないだろうか。
 撮影がウォン・カーウァイとのコンビで有名なクリストファー・ドイルなのだが、もしかしてカーウァイ映画みたいになっちゃうのだろうかと思っていたら、ちゃんといつものヴァン・サント映画のカラーになっていた。ドイルは個性の強いカメラマンだという印象があったが、監督のカラーにちゃんと合わせていたんですね。映像は美しい。アレックスの内面に近い映像とやや客観視した映像との切り替えが、意外にきっちりしている。
 それにしてもガス・ヴァン・サントは、若い男の子を魅力的に撮るのが実に上手い。もうねー、出てくる男の子が皆かわいいんですよ。ルックス的には美形じゃない、普通の子が大半なのだが、かわいいオーラが出ている。スケボー少年達が教室から次々に出てきて廊下を歩くシーンなど、ギャング映画のパロディのようでニタニタしてしまった。対して、女の子に対しては男の子に対するほど繊細なアプローチをしていないように思う。いわゆるセクシー系美少女(例によってチアリーディング部)が出てくるのだが、「早く処女喪失したくてやきもきしており、彼氏であるアレックスはうんざり気味」という設定など、微妙に悪意を感じる(笑)。また、アレックスと仲のいい文系女子は若干扱いがいいが、顔にニキビの残る、ルックス的にはあまりぱっとしない子だ。クラスのアイドル的美少女に対してよっぽど含むものがあるのかと疑ってしまいます。

『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』

 ヘンリー・ダーガー(映画内では関係者の記憶に基づきダージャーと発音)は、18歳の頃からひっそりと「非現実の王国で」という世界最長小説と、数百枚に及ぶ挿絵を残した人。生きている間は全く世に出ず、彼が死んでからアパートの大家が作品を発見、作品世界が知られることになった。日本でも昨年個展が開催され、注目を集めている。そのダーガーの生涯と作品に迫ったドキュメンタリー。
 ダーガーの生涯を追うといっても、材料となる情報は極端に少ない。晩年に至るまで人付き合いが殆どなかった為、大家や近所の住民も彼の生い立ちや人となりについては殆ど知らない。彼は自伝を書き残しているのだが、あくまで自己申告なので、どこまで信用していいものかわからない。そういう状況でダーガーがどういう人だったのかという点に突っ込んでいくのは、ちょっと苦しいのではないかと思う。彼のことも彼の作品も知らない人への入門編としてはいいかもしれないが、既に知っている人にとっては物足りないだろう。
 本作の目玉は、彼の作品をアニメーション化していることだ。楽しみにしていたのだが、実際に見てみると確かによく出来ていて違和感はない。しかしおおすごい!素敵!というインパクトはいまひとつ。「わー技術の進歩ってすごいね・・・」と感心することは感心するが、絵が動いていることに対する感動はあまりなかった。止め絵だからこそ美しかったのかもしれない。ただ、雲の動きとか雨が降っている様子とか、いわゆるキャラクター以外の部分は結構魅力的だった。なんというか、ずるーっと動く感じがよかった。
 何にせよ材料不足の感は否めない。ダーガーの実像にもっと切り込めるだけの材料があれば、ともったいないようにも思う。

『コントロール』

 1980年5月18日に、23年の短い生涯を終えたジョイ・ディヴィジョンのフロントマン、イアン・カーティスの半生を描いた作品。イアン役はサム・ライリー。好演だった。何か雰囲気がある俳優だ。カーティスの妻デボラにサマンサ・モートン。監督はミュージシャンのフォトグラフを数多く手がけてきた写真家アントン・コービン。
 ジョイ・ディヴィジョンが登場する映画と言えば、マイケル・ウィンターボトム『24Hour Party people』が思い浮かぶ。これは、『コントロール』にもちょっと登場するインディーズ・レーベル「ファクトリー」創設者トニー・ウィルソンを主人公に、'70~'80年代のUK音楽シーンを描いたものだった(ちなみにフトニー・ウィルソンは『コントロール』の共同プロデューサーで、本作が彼の遺作となる)。
 ジョイ・ディヴィジョンが当時どういうポジションにいたのかは『24h~』の方が(露出時間が短いにも関わらず)よくわかるし、イアンの天才としての一面と死の唐突さも、『24h~』の方が掴んでいたのではないかと思う。『コントロール』では、彼の普通の青年としての一面をクローズアップしているのだ。親しみはわくかもしれないが、妻と愛人の板ばさみになってのオタオタぶりなどはむしろ月並みすぎるといった感じ(自殺の一因としては、女性関係よりもてんかん発作への不安の方が強かったのではないかと思った)。スターとして扱われることや曲作り、パフォーマンスによるプレッシャーは、後半、独白として説明されてしまうのみなので、「ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティス」の映画を期待すると当てが外れるかもしれない。作劇がつたないのも、月並み感が拭えない一因か。高校生の頃、ボランティアで訪問したお年寄りの家を漁って薬の収集(もちろんドラッグとして使う為)していたエピソードと、てんかん発作を起こして薬が手放せなくなるエピソードとを対応させたり、職安勤め(なんとイアンは職安職員だったんですね。これはびっくりした)している頃にてんかん持ちの女性を世話するエピソードと、自分がてんかん発作を起こしてからその女性に電話したら既に亡くなっていたエピソードが対になっていたりと、少々図式化しすぎなように思った。
 イアンの、特に女性関係に関して頭の悪い面ばかりが強調されてしまうので、ファンにとってはどうなんだろうなーという気がしなくもない。ただ、妻とも愛人とも別れられない、「ダメ男」だが「悪い男」ではないというところが、妙にリアルだと思った。すごく未成熟な状態で結婚し子供ができてしまったのも、彼にとっては不幸だったのかもしれない。妻と愛人の間で、もっと「いやいやまあまあ・・・」的にのらりくらりと上手いことやれる人もいるだろう。彼の場合、そういった適当にあしらって当座をしのぐというスキルを身につけないまま、周囲の状況がどんどん進んじゃったのかもしれないと思わせるものがあった。なおサントラは言うまでもなくかっこいいです。

『悲しみが乾くまで』

 夫を突然亡くしたオードリー(ハル・ベリー)は、葬儀で夫の親友・ジュリー(ベネチオ・デルトロ)と会う。かつては弁護士だったが麻薬に溺れたジュリーをオードリーは好きではなかったが、夫はジュリーとは子供の頃と変わらぬ友情を保っていたのだ。オードリーはジュリーに同居を持ちかける。
 監督はスサンネ・ビア。これが初のハリウッド映画(そして英語の映画)となる。前作『アフターウェディング』には、良く出来ているがちょっと図式化しすぎでは?と思ったのだが、本作は製作担当であるサム・メンデスの匙加減によるものなのか、もうちょっと柔らかめで間口が広くなっている。ビア監督は「愛する人を失ったときどうするか」という普遍的なテーマを繰り返し扱っているが、本作がいちばんわかりやすい形になったのではないかと思う。
 それにしても映画作りが上手い。唸っちゃいますよ。説明的なセリフやモノローグは一切排してあるのに、どういう状況なのか、この人とこの人はどういう関係なのか、すぐにわかるのだ。また、時間軸がしばしば過去へ飛ぶのだが、違和感がない。ああこれはあの頃の話ね、というのが見る側にすっと入ってくる。編集が上手いんだろうなーこれは。最小限の要素で最大限の説明が出来ている感じ。無駄がなくすっきりとしている。
 愛する者を亡くした際の悲しみだけでなく、「なんであの人が!」というやりばのない怒りの描き方が巧みだった。夫が出来なかった幼い息子への水泳のレッスンを、ジュリーがやりとげてしまったことに対する「見たくなかったわ」という言葉は、「あなたが死ねばよかった」という強烈なセリフよりも、彼女の心情を的確に表していたと思う。また、外見的にも、夫を亡くした当初はかなりどうでもいい感じの服装だったのが、終盤はちょっと洒落た(過去のエピソードで見られたような)服装になっている点など、目配りが細やかだという印象を受けた。こういう細かい所をきちんと処理できていると、ストーリーにさほどひねりがなくても作品に厚みが出ると思う。
 主役であるオードリー、ジェリーの造形はもちろんのこと、脇役の造形がいい。子供達はかわいくてキャラクターが立っている。麻薬更正施設で働く元中毒者の女の子(ジェリーのことをちょっと好きらしい)も、最初うざったい女的な側面を見せ、しかし専門分野に関しては実務的でしっかりしているという側面を見せることで、真面目だけど人へのアプローチがあまり上手くない子なんだなということを提示する。また、人へのアプローチの仕方という点においては、オードリーの夫の仕事相手だった近所の男性にぐっときた。一見無神経な人、気の効かない人のようであるのだが、彼なりのやり方でちゃんと機を読んでいる。そして「私はあなたに関わりたいが、どうか」と率直に表せるというところに、人と人との関わり方の一つの可能性を見た感があった。
 シビアな状況ではあるが悪人は出てこないので、そういう意味では安心できる。ただ、彼らの善意はオードリーの夫がすばらしい人物だったからこそという側面もある。近所の男性は、夫への友情(ないしは仁義みたいなもの)ゆえにジェリーに対しても友情を示したとも考えられるのだ(もちろん、ジェリーの人柄が悪かったら成立しないのだが)。死者(もしくは死にゆく人)が生きている人たちを結びつける、という点では、前作からテーマが引き継がれているとも言える。

『賢者はベンチで思索する』

近藤史恵著
 ファミレスでバイトをしている久里子は、近所の公園でファミレスの常連の老人を見かける。ファミレスで見かける姿とは大分印象が違うのだが・・・。隅の席に座る老人が探偵役というのは、元祖安楽椅子探偵といわれる「隅の老人」へのオマージュだろうか。しかし久里子が相談する謎の真相と同じく、老人の正体もひとひねりしてある。一見軽い口当たりに見えるが、意外とミステリ度は高い短編集。久里子の将来への不安やその引きこもり気味の弟など、若い人が生きていくうえでのしんどさに、さらっとではあるが触れている。その上で突き放さないストーリーにしていくのが著者の手腕か。

『タイアップの歌謡史』

早見健朗著
 日本におけるポップミュージック史を、商業史としての側面から辿った1冊。如何せん新書サイズなのでボリューム的に物足りなく思うところもあったが、それほど詳しくはない分野だったので、テレビ局とレコード会社との関係など、興味深く読んだ。タイアップの一例として、化粧品会社別歴代タイアップ曲の一覧があったのだが、会社ごとのカラーが意外にはっきりとしている。名曲ぞろいなので、資生堂がタイアップ曲コンピを出したのも頷ける。あと、ビーイングのタイアップ商法が思っていた以上に極端だったのが面白かった。割り切りっぷりがすごい。さて、テレビの影響力が弱まってくると、タイアップのうまみも当然減っていく。これからの音楽ビジネスの行方も考えさせられる一冊。

『この人に話を聞きたい アニメプロフェッショナルの仕事 1998-2001』

小黒裕一郎著
 「アニメ様」こと小黒裕一郎による、アニメーション業界で活躍する30人へのインタビュー集。雑誌『アニメージュ』に連載されていたものだ。アニメファンにとってはもちろん必読の書と言っていいくらいの充実した内容なのだが、それほど興味がない人にとっても、一種の「お仕事本」として読めるのでは。いやー面白かった。作品の裏話とか、仕事の仕方とか、そうかそういうこと考えてたのか・・・とぐっときた。また、インタビューされた当時は特に有名ではないが、インタビュー後数年してから一挙に有名になった人が多々おり、できる人にはやはり注目が集まるものなんだなと実感した。しかし出てくるTVアニメのタイトルを自分が大体見ている(全話は見ていないけど1,2回は見ている)ということに愕然としました(笑)。どんだけヒマだったんだ私。

『犬が星見た ロシア旅行』

武田百合子著
 著者が夫・武田泰淳と一緒にロシア旅行した際の日記。著者によれば、泰淳から「書いとけ」と言われて書いたそうだ。泰淳グッジョブ!と言いたくなる、いい旅行記。無理に面白く書こうとしておらず、むしろそっけないくらいなのだが、そこが読みやすい。面白いかと夫に問われ、まだ面白くない、だんだん面白くなってくると思うと答えるあたり、正直というか何と言うか、センスあるなぁと。対象にのめりこみすぎないところが読みやすい。ただ、3度の食事の内容だけは妙にきちんと書いてあり、著者自身も実によく食べている。ちなみに、泰淳の子供っぽい一面が垣間見られるのがおかしい。
ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ