3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『やわらかい手』

 ロンドン郊外に住む未亡人・マギー(マリアンヌ・フェイスフル)は、難病にかかっている孫の治療費の工面に頭を悩まされていた。途方にくれた彼女は、たまたま見かけた「接客業」募集の面接を受ける。しかしその「接客業」とは、風俗店「セクシー・ワールド」のものだった。仕事の内容を知って慌てるマギーだったが、店のオーナー・ミキ(ミキ・マロイノヴィッチ)は、彼女の滑らかな手を見て「稼げるぞ」と言う。
 しがない中年女が手で客をイかせる売れっ子風俗嬢に!という、キャッチー、ともするとコメディぽくなりそうな設定である。しかし、この映画のトーンは徹底して抑え目だ。笑いはあるが、爆笑ではなく「くすり」と出てくる程度。物語も、ワーキングクラスが奇抜なアイディアで一攫千金というイギリスのお家芸(「フル・モンティ」とか「キンキーブーツ」とか)的作品とは、ちょっとニュアンスが異なる。一貫して結構ビターなのだ。冒頭、どんよりとした曇り空の下(そういえば青空が一度も出てこなかった気がする)、郊外の町を鳥瞰し徐々に主人公へと近づいていくショットは実に重苦しい。またストーリー上も、マギーが就職難でへとへとになる様や、マギーと「セクシー・ワールド」の同僚との顛末、地元の友人との関係、息子との衝突等、生生しい苦味がある。中年女性が売れっ子風俗嬢になるというファンタジーが中心にあるものの、その他の部分は地平からあまり飛躍しない感。生活することのシビアさを回避していないという印象を受けた。あーお金がないのって辛いよねー、という切実感がひしひしと伝わってきます。「お金ない」感に具体性があるのね。
 一歩間違えば鬱々とした、せちがらい話になりそうなものだが、そうはならない、また下品にもならないというのは、サム・ガルバルス監督の手腕だろう。これが長編2作目だというが上手い。うっかり盛り上げすぎそうなところできっちり踏みとどまれているところに好感を持った。また、主演のフェイスフルがいなくてはこの作品は成立しなかったように思う。若い頃のファンの方は風貌の変わりっぷりに凹むかもしれないが、演技が本当にいい。口の重い感じとか、ちょっとどんくさい感じとか、よく出ているのだ。
 ヒロインが当初の目的を遂げられたかどうかは、実はあまり大きな問題ではないのかもしれない(いや彼女と家族にとっては大きな問題なんですが、映画としては)。老年に差し掛かった女性が、孫の為、息子の為に奮闘するというだけでなく、最終的には自分の人生を生きる為に一歩を踏み出すまでの過程が描かれるからこそ、強く共感できた。実にいい映画でした。

『ゼロ時間の謎』

 「親指のうずき(邦題は『アガサ・クリスティーの奥様は名探偵』。あんまりである)」に引き続き、パスカル・トマ監督によるアガサ・クリスティ作品が映画化された。イギリス小説なのにフランス映画で舞台も言語もフランス語。しかし違和感がないところがすごいな。今回はタイトルを変にいじっていないので安心しました。
 海辺の屋敷に住む裕福な老女(ダニエル・ダリュー)の元に、プロテニスプレイヤーの甥ギョーム(メルヴィル・プヴォー)と若く美しいが性格は悪い妻(ローラ・スメット)、そして知的な前妻(キアラ・マストロヤンニ)が招かれた。前妻と今妻の仲は最悪。そして惨劇が起きる。
 携帯電話が出てくる等、現代が舞台であることは明示されるが、古いお屋敷やホテルにメイド(美少女ではなくおばさんです。正しくメイド)と執事完備と、レトロな雰囲気だ。登場人物の衣装もお洒落ではあるがオーソドックスで、スタイリッシュすぎない。原作のイメージを大切にしていることがわかる。監督は多分、相当原作ファンなのではないかしら。
 しかし原作とは大分テイストが違う部分も。前作でもそうだったのだが、この監督の作品は妙にユーモラスだ。ほげほげ感とでも言いましょうか、惨劇が起きているのにやたらとのんびりしているのね。また、本筋とは関係ないところで小ネタを挟んでくる。メイドが階段に渡した板の上を滑り降りるのを楽しみにしていたり、執事の将来の夢が葬儀屋だったり、前妻のヒステリック加減がいきすぎだったり、全般的にコントみたいだった。メリーゴーランドのようなものに乗っている楽団が意味無く出てくるのも、何か変だったなぁ。しかしそれも一つの味わいです。個人的には好きな映画。
 探偵役の刑事が「ホームズ、ポワロ、ミス・マープル、コロンボ~コロンボ~♪」と自作の歌を歌っているのが忘れられん。何故コロンボ。そして何故2回。

『四つの雨』

ロバート・ウォード著、田村義進訳
 「感涙のノワール小説」という触れ込みだったけど、これ感涙じゃないよ!笑いすぎで涙にじむわ!アホかー!今年読んだ小説の中で最も頭の悪い主人公でした。50代で金なし、家族なしなカウンセラーが、惚れた女を引き止める為、一攫千金をもくろんで犯罪に手を染める。主人公の転落振りに涙してくださいということなのかもしれないが、プロットが案外アバウトなことと文章がつたないこととで、シリアスさ半減。主人公の自己弁護っぷりが極端でもはやコメディです。

『千年の祈り』

イーユン・リー著 篠森ゆりこ訳
 この若さでこの完成度ですか!うなっちゃうなー。中国に生まれ、後にアメリカへ留学した著者による短編集。著者自身のプロフィールが色濃く反映されているらしい作品が目立つ。近代中国氏の大きなうねりの中で生きていく人たちの物語だが、その「うねり」にことさら言及するのではなく、個々人の生活に焦点が当てられているが、折に触れて「うねり」が見え隠れする。抑制が効いていてうまい。表題作は一見感動作だが、むしろ石氏の自己欺瞞の滑稽さ、そしてそうでもしないとやってらんないよという苦々しさが浮き彫りにされていたと思う。また「あまりもの」は、その報われなさと一種の透明感にうちひしがれちゃいましたよ・・・。

『クリスマス緊急指令~きよしこの夜、事件は起こる!~』

高田崇史著
 季節商法的なタイトルになってまいりました。著者お得意の歴史者からスタンダードな本格謎解きものまで、バラエティに富んだ短編集。ユーモアミステリ「迷人対怪探偵」シリーズが案外いい。シャーロック・ホームズを通読しているとより楽しめると思われます。名探偵と言えば、「K's BAR STORY」はパーカー・パインシリーズ(アガサ・クリスティ)と同タイプのお話かも。挿画もかわいかったです。

『神楽坂ホン書き旅館』

黒川鍾信著
 神楽坂の老舗旅館「若菜」の女将の甥である著者による、神楽坂と日本映画界を巡る半世紀録。「若菜」の主なお客は、缶詰になりにきた脚本家や作家だ。戦後の日本映画界を支えた脚本家と監督たち、そして彼らを陰ながら支えた若菜の従業員たちのエピソードは、映画好きなら間違いなくわくわくするものだし、映画にさほど関心のない人でも、ある商売の形についての記録として面白く読めるのでは。とにかくビッグネームが次々登場するのでうれしくてしょうがない。正直、構成が下手で話があっちにそれたりこっちにそれたりするのだが、それでも一気に読んでしまった。映画は監督だけのものじゃないと実感させてくれる記録でもある。

『有頂天家族』

森見登美彦著
 ファンタジーである以上に、実に正しい家族小説である。こんなご時勢でも、いやだからこそ、愛に溢れた家族小説があってもいいじゃないか!母親の姿があまりにも母親的でぐっときました。狸だけど。京都を舞台に狸と天狗と人間が繰り広げるドタバタ劇。よく森見の作品を映像化、特にアニメ化してほしいという声を聞くが、私は映像化してもあまり面白くはならないと思う。確かに映像的な文章ではあるのだが、映像的な文章と映像にして面白い文章とは違う。この人の小説は、イメージ的にはさほど独創的だとは思わない。魅力があるのはむしろ語り口、スタイルではないか。文体は映像化できないもんね。ところで、男子はどうせ海星に萌えてんだろ?と思いましたがどうか。

『ここに幸あり』

 辞職に追い込まれた大臣ヴァンサン(セヴラン・ブランシェ)。家財は没収され妻は出て行った。頼みの綱の元妻にもそっぽを向かれた彼だが、母親と昔の友人達は彼を見捨てなかった。
 オタール・イオセリアーニ監督の新作映画である。この監督の作品、見よう見ようと思いつつ、実は初めて見る。肩の力が全然入っていなくて、幸せな気持ちになった。小さなエピソードの積み重ねで構成されているのだが、シークエンスのひとつひとつがとてもチャーミングだ。普通にごはん食べたりお酒飲んだり(やたらと飲むんですこれが)という、なんてことのない絵が実に良い。イオセリアーニは、絵で見せる監督なんだと思う。会話の妙というより、動きの間合いとか人と人の立居地の関係、動作の面白さが際立っていた。ヴァンサンがローラーブレードで遊んでいる(そして通行人の迷惑になる)ところとか、バーの壁に店主と子供が絵を描いているところとか、字幕なくても面白いもの。多分、全編字幕がなくてもなんとかなるのではないだろうか。展開としては唐突でコントみたいなところもあるのだが、絵としての面白さ、言葉に頼らない映画として考えると納得。ドタバタ劇はセリフがなくても分かるもんね。ヴァンサンが気持ちを落ち着ける為に三点倒立するのも、ビジュアルとして分かりやすいからかしら。また、彼の周囲の人間にしても、何をやっている人なのか、具体的にどういう間柄なのかはあまり説明されない。しかしそれでも物語として成立している。
 ヴァンサンは地位も財産も無くしたが、さほど落ち込む様子も見せず、飄々と新しい生活を始める。彼の生き方は監督の理想なのだろう。確かに、のんびりと楽しそうで羨ましくなる。一歩間違えば単なるダメ男なのだが(笑)そうは見えないのは、ヴァンサンが常に友人や家族に囲まれているからかもしれない。他人に好かれているってことは、人徳がある・愛嬌がある、つまりダメ人間ではないってことですもんね。しかしちょっと女性にモテすぎではないかなーとは思いますが(苦笑)。妻と愛人と母親が同席してにこやかにお食事ってありえないよな。まあそのへんは男の夢ってことなんでしょう。

『別れの顔』

ロス・マクドナルド著、菊池光訳
 盗難事件の捜査を依頼されたアーチャーだが、単純に見える事件に違和感を感じる。アーチャーがやっているのはおせっかいとも言える(実際、作中でうっとおしがられてるしな)が、それがあなたのいいところ。さて、ロス・マクドナルドの代表作と言えば『ウィチャリー家の女』『さむけ』あたりだろうが、本作もかなりいい。『さむけ』と張るかも。謎解きものとしてもいける。また、アーチャーのプライベートな部分や恋愛関係が描かれるところもちょっと珍しい。『ブラックマネー』では「こんなはずじゃなかった」と感じている人たちが出てくるが、本作も同様。その思いがいくところまでいってしまっているラストは悲痛だ。

『ブラック・マネー』

ロス・マクドナルド著、宇野輝雄訳
探偵リュウ・アーチャーは「婚約者を連れ戻してほしい」という依頼を受けるが、事態は徐々に複雑になってくる。ありきたりな依頼かと思いきや、込み入った背景が顔を表してくるという、アーチャーシリーズの典型的な展開。人物描写がいい。特に依頼者である青年が少々過食症気味(男性で過食症というのは珍しいと思うのだが)で、裕福だがいまひとつ自分に自信がなく子供っぽい様が印象に残った。そういう人にイライラしつつもつい助けてしまうあたりがアーチャーのいいところですね(笑)。さて、全編に渡って形は様々だが「自分はこんなんじゃなかったはず」という気持ちが描かれている。人を動かす原動力になりえる気持ちではあるが、それが度を越す、また気持ちと実力が見合わなかった場合は悲劇(いや喜劇かも)になりかねない。犯人の弁明は滑稽ではあるがどうにも痛々しいのだ。痛々しい、というのはリュウ・アーチャーシリーズの特徴かもしれない。

『強盗こそ、われらが宿命(さだめ) 上、下』

チャック・ホーガン著、加賀山卓朗訳
強盗を生業とする幼馴染4人を主人公としたクライムサスペンス。襲った銀行の女支店長を拉致したことから運命が狂っていく。読み始めたらいきなり悲劇フラグ発生。そして読めば読むほど悲劇フラグが増加していきます!きゃー!どう考えてもハッピーエンドにならんよこれ。しかし語り口がスピーディーなので、主人公らがずぶずぶ泥沼にはまっていくにも関わらず面白く読めてしまう。特に4人の中心となっているダグは、選んではいけない奴を友人にし、選んではいけない職業につき、好きになってはいけない女を好きになる。選択さえ間違わなければきっと幸せに暮らせたはずなのに・・・。しかもその選択はやむを得ず選んだというわけではなく、踏ん切りつかなくてそうなってしまったという側面が強いだけにやりきれないのだ。土地や、子供時代の記憶にがんじがらめにされる悲劇。銀行の女支店長クレアを挟んで(本人たちは知らずに)ダグと対立するキャラクターとして、FBI捜査官フローリーが配置されているが、彼視点のパートはあまり必要なかったように思う。ダグとその仲間の関係が中心にあるので、フローリーとの因縁があまり活きて来ない。

『クローズZERO』

 高橋ヒロシの人気漫画「クローズ」を、オリジナルストーリーで三池崇史監督が映画化した作品。不良の巣窟である男子校・鈴蘭高校に、一人の転校生がやってきた。その男・滝谷源治(小栗旬)は、ひょんなことから知り合った鈴蘭OBのチンピラ片桐拳の協力を得、不可能といわれていた鈴蘭制覇に乗り出す。そんな彼の前に立ちはだかるのは、最強・最凶と称される片桐多摩雄(山田孝之)だった。・・・あらすじ書いてみただけでも、ものすごく突っ込み甲斐のある設定(鈴蘭てどんなネーミングセンス)だが、そこに突っ込んではいけない。そういう世界なの!強敵(ライバル)と書いて盟友(とも)と読むの!
 冷静に考えると、学校というものすごく狭い世界(しかも3年間限定)で争っているスケールの小さい話のはずなのに、語り口のスケールは妙にでかいという不思議さ。もっとも、この手の設定は日本の漫画ではそう珍しくない。一般的になっちゃってるというのも不思議だが。アメリカとか中国とかにも「●●高校の帝王を目指す」みたいなパターンてあるのだろうか。強さによってのし上がるというストーリーは王道としてあっても、現代劇で、未成年が主人公で舞台が学校(ないしは何らかの限定された場)というのはちょっと思い当たらない。いわゆる学園ものというわけではなく、一種の戦国ものとか任侠もののようなファンタジーと言ってもいいと思うのだが、その舞台として学校が選ばれるという所が興味深い。原作の読者層が10代20代だからというのもあるだろうけど、ある程度閉鎖的な空間なのがいいのかしら。
 さて、本作の監督は三池崇史なのだが、この人は本当に男性集団の話を撮るのが好きだし得意なんですねー。ホモソーシャルな集団との親和性が妙に高い。本作には一応ヒロイン(黒木メイサ)がいるのだが、文脈上必要ないし、主人公がヒロインに惚れているということにはなっているのだろうが、それを示すような演出はなおざりだ。相手に対する愛着や共感、相互理解はむしろ男性間で示される。男女間の感情が妙に淡白なのに対し、男性間の感情は好意であれ悪意であれ濃い。ハーレム幻想とはまた違った形の男の子のファンタジーとも見える。
 所で、方々の映画館感想サイトやブログで「黒木メイサのライブシーンがひどい」という話を目にしていたのだが、これは確かにひどい(笑)。一番盛り上がるところでこれをもってくるなんて、やけっぱちにも程がある。「えーえー大人の事情に屈しちゃいましたよ」というやさぐれた臭いがぷんぷんします。歌唱力もないし曲のセンスも悪いのだが、そもそも黒木をきれいに撮ってやろう意思が殆ど感じられない。多分ディレクターズカット版出たら黒木がいなくなっているんだと思う。
 コメディ寄りのシーンが案外面白い。源治が泣き上戸なところと、「ソープ」のところがツボでした。あと、拳が出てくるシークエンスは総じてよかったように思う。監督的にもお気に入りのキャラだったのではないだろうか。

『ALWAYS 続・三丁目の夕日』

 日本中が涙した(多分)ヒット作品の続編。監督は前作に引き続き山崎貫。鈴木オート一家は、一平のはとこ・美加を預かることになり、茶川は淳之介を育てる為、もう一度芥川賞に挑む。
 冒頭のサプライズを筆頭に(予告編を見た時、堤真一が運転するの三輪オートのすっ飛び方が誇張されすぎで違和感を感じたのだが、そういうことだったのね)、風景にしろセットにしろ小道具にしろ実に良く作りこんである。当時を体験している人はもちろん、していない人にもよく出来たテーマパークで遊んでいるような楽しさがある。また、前作で登場した全ての主要キャラクターのその後が、分量の差はあるものの描かれていて盛りだくさんだ。もっとも、30年代の東京と言えばこれを見せなくちゃ!あの人に触れたらこの人にも触れなくちゃ!というサービス精神が強すぎたのか、映画としてはかなり長く、冗長になりかねない。茶川(吉岡秀隆)が川淵(小日向文世)に空港に連れてこられるシーンや、鈴木の妻(薬師丸ひろ子)が銀座でかつての恋人(上川隆也)と再会するシーンは、物語の展開上、あまり必要ない。当時の飛行機を、銀座を見せたかったということなのだろう。
 さて、その鈴木の妻と昔の恋人の再会シーンだが、いくらベタでも限度がある!というくらいにベタなものだ。どんな偶然だそれはと突っ込む一方で、なぜか「くるぞくるぞくるぞキターっ!」という満足感が沸いてくる。本作はこういった、いわゆる物語上の王道、お約束をてんこ盛りにしている。普通だったら「月並み」「ありきたり」「手垢が付いた」とけなされるような展開をあえてぼんぼん投入する姿勢はいっそ清々しいし、本作に期待されているのはそのベタ感に他ならないだろう。観客の予想と期待を何一つ裏切らないのだ。ご都合主義だろうが何だろうが「来るよ」と思った展開はだいたい来ます!ここまでベタが許される作品は近年稀だと思う。そういう意味では貴重。
 人気作の続編としては過不足無く、なかなかの良作と言えるだろう。しかし、見た後には幸せな気分を上回る寂寥感に襲われる。やっぱり過去を舞台にした物語って、それが幸せであればあるほど寂しくなってくる。この人たち(架空の人たちであっても)が期待した未来になっているのだろうかと思ってしまうのだ。本作の中ではお金の話、そして「お金より大切なものがある」という話が折に触れて出てくるし、それが作品のテーマでもあるだろう。物語の王道としては正しい。が、映画を作っている側が、「お金より大事なものがある」と信じて作ったというより、せめて映画の中だけではそう主張させてくれと思って作ったんじゃないかしらというような、微妙な悲壮感を感じるのだ。エンドロールで流れるBUMP OF CHIKENの『花の名』が寂しさを掻き立てるのかもしれないが。ちなみにバンプ起用は意外だったのだが、案外合いますね。

『眠り姫』

 非常勤講師の青地(つぐみ)は最近調子がおかしく、いくら眠っても眠り足りない。長年つきあっている恋人(山本浩司)との仲も停滞気味だ。同僚教師の野口(西島秀敏)には「顔が膨らんできた」と笑われる始末。
 内田百聞の短編小説「山高帽子」を原点とした山本直樹の漫画が原作、ってややこしーなー。ちなみに私はどちらも未読です。
 この映画のフレーム内には、人の姿が殆ど映っていない。主人公をはじめとする主要な登場人物が映らないのではなく、校舎内にいる生徒たちも映らないし、雑踏の人ごみも移らない。声とざわめきだけがある。姿は見えないのに気配だけあるので、幽霊たちのやりとりを聞いている様でもある。また、だんだん映画の中の時間軸がどういうことになっているのか、曖昧になってくる。既に聞いたセリフが違う場所で繰り返されてあり、青地と他の人との認識が微妙に食い違っていたりする。青地は夢を見ていたのか?そもそもこの映画における「私」は本当に青地のままなのか?といった、映画の主体が揺らぐような感覚を覚えた。揺らぎの果てにあるラストのショットは、ホラーなみに怖かった。これは誰が見ている風景なのかと。
 夜明け、夕焼けの映像が随所に使われているが、とても美しい。風景とセリフだけで構成された作品と言うと、一昔前のサウンドノベルみたいなものを連想するが、それとはまた違う面白さがあった。監督は七里圭。レイトショー上映だったが、ほぼ満席だった。

『自虐の詩』

 名作と名高い業田良家の4コマ漫画がまさかの実写映画化。貧乏で発行な幸江(中谷美紀)と、無口で無職な乱暴者イサオ(阿部寛)のカップル。イサオは金はせびるしちゃぶ台はひっくり返すしで、ろくな男ではないように見えるが、幸江はひたすら彼に尽くすのだった。監督は『トリック』の堤幸彦。
 実は私、原作漫画はあまり面白いと思わなかったし、あまり好きではない。幸江は客観的に見ると不幸なのだが、本人は不幸だとは思っていない。何たってイサオを愛しているのだ。しかし私はどうしても、幸江の境遇は不幸だと思ってしまうし、いくら良いところがあるにせよ、何でまたちゃぶ台ひっくり返す甲斐性なしと延々暮らしているのかと思ってしまう。映画の方では、幸恵が「自分は今幸せなのか?」と自問し「幸せになりたい」と思っていることで、原作漫画よりは多少とっつきやすかった。
 さて、堤監督と言えばエキセントリックで悪ノリとも取れる派手な演出が特徴だったが、今回はびっくりするほど王道な人情映画になっている。奇をてらった映像もあまりない(スローモーションによるちゃぶ台ひっくり返しシーンは力入っていたが)。ストーリーにしても「幸せは気付かないうちにすぐそばに」「貧しくとも幸せ」という王道中の王道(もっとも、物語的にはこれまでも意外にベタなものを持ってくる監督ではあったと思う)。いよいよ王道回帰ですかと思ったのだが、まだ何となく迷っている印象を受けた。これ必要ないんじゃないの?という映像(カメラ逆さだったり、妙にガーリーな逆光入り映像だったり)が所々にあって、あら監督てば昔の自分を思い出しちゃったのかしらと思った。もっと王道、ベタに徹してもいいように思うし、それができる監督なんじゃないかなと思っているのだが。ここが踏ん張りどころでは。

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