3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『パーカー・パイン登場』

アガサ・クリスティ著、乾信一郎訳
 おれたちの日常に必要なのは名探偵ポワロでもミス・マープルでもない!「心の治療専門家」パーカー・パインだ!いやまじで。不幸せな人の悩みを解決することを商売としているパーカー・パインの「統計に基づく」あの手この手(たまに的確すぎて失敗するのもご愛嬌)が楽しめる短編集。クリスティのお茶目な面が垣間見られます。あと、当時イギリスではエジプトやギリシャに旅行するのが流行っていたのかしらという時代性も興味深い。クリスティってエジプト好きですよね。ポワロもエジプトに行ってるし。

『ファンタスティック・フォー 銀河の危機』

 特殊能力を持った「ファンタスティック・フォー」として地球の平和を守っているリード(ヨアン・グリフィズ)、スー(ジェシカ・アルバ)、ジョニー(クリス・エヴァンズ)、ベン(マイケル・チクリス)。ヒーローとしてメディアに注目されっぱなしな為、リードと普通の生活を送りたいスーは苛立ちを隠せない。そんな中、他の惑星からやってきたらしいシルバーサーファーが地球を破壊していた。かつての敵、Drドーゥムまで現れるが。
 アメコミ原作映画の中でも特にマンガっぽい(元々マンガだからマンガっぽいというのも変なんだけど)シリーズではないかと思う。最大の要因はリードの「体が伸びる」という特殊能力だろう。どんなにシリアスな場面でも奴の腕や足がぐにょーんと伸びると危機感ぶち壊しだ。ビジュアル的にはどう見てもギャグ。そんな妙に軽い所が面白くもあり、映画の弱点にもなっている。アクションシーンで、緊張させるべきところなのにリードがぐにょーんとなると脱力しちゃうのよね・・・。それがこのシリーズの持ち味なのかもしれないが。
 最近のアメコミヒーローは、バットマンにしてもスパイダーマンにしても悶々と己の存在について悩みがち(まあスパイダーマンは青少年の悩みという感じだけど)だが、ファンタスティックフォーの4人の悩みは妙に所帯じみている。あんまり世界平和については悩んでいない。特にスーは、リードが研究に夢中で結婚式は二の次にしているのが気に入らず、更に結婚式の度に事件が起こって毎回最後まで式を終えられないことが悩み。また、世間からはセレブ扱いなのでワイドショーでファッションチェックまでされてしまい(お約束通り「勘違いファッション!」とかとけなされているわけです)落ち込んでいる。ヒーローゆえの悩みというよりは有名人としての悩みだ。スーの弟であるジョニーは悩みどころか、嬉々としてナンパに勤しんでいるし、ユニフォームに企業のロゴを張り付けてスポンサーを募る始末。何かショボイい・・・いやいや親しみやすいヒーローなのだ。
 そんなお気楽なヒーローなので、映画自体も「マンガ映画」といった軽いノリ。強大な敵が迫っているにもかかわらずあまり切迫感はない。切迫してもリードがうにょーんと伸びるといきなりコメディぽくなるしな。シルヴバーサーファーのビジュアルは結構カッコイイと思うが、もしかして続編に登場する予定なのか?
 ところでリードが軍人に対して「お前は学生時代クォーターバックだったかもしれんが私は今現在世界で最も優秀な科学者の1人だ!」とタンカを切るシーンがあるのだが、オタク少年達の夢を体現したようなセリフだ。最近のアメリカ映画にはナードが活躍するものが多いけど、これもその一つなのかしら。あとジェシカ・アルバが相変わらずバービー人形のようにキュート(そして脱ぎっぷりがいい)。メガネ姿もイイ!

『河童のクゥと夏休み』

 冒頭10分で幼子の心にトラウマを植えつける驚愕の展開に痺れた。文化省推薦的に啓蒙も織り込み済みの牧歌的な和製メルヘンかと思ったらとんでもなかった。さすが原恵一監督。好作でした。ビジュアルが地味で倦厭されそうなのが実に惜しまれる。
 小学生の康一は、川原で奇妙な石を見つけた。実はその石は、江戸時代から土砂に埋まっていた河童の子供だった。康一は河童を「クゥ」と名付け一緒に暮らし始める。クゥの存在は康一一家だけの秘密だったが、マスコミにバレてしまう。
 数百年ぶりに地上に出たという設定なので、当然沼地が埋め立てられていたり、やたらと人だらけだったりで、クゥはショックを受ける。河童が生き残っていそうな所はどこにもない。というと環境破壊反対、エコロジーを!というテーマが打ち出されてきそうなものだが、意外なことにそうでもなかった。環境破壊についてはそれほど突っ込まないし、クゥにしても環境の変化を特に恨んでいる様子も見せない。人間と自然、という対峙の構図にはなっていないのだ。大いなる力らしきものは現れるものの、それがクゥを救ってくれるわけではない(クゥが一方的に「助けてくれた」解釈するのみ)。
 監督の関心は自然と人間というよりよりむしろ、人間同士、また自分とは異質の存在とどう付き合うかという、身近なコミュニケーションの問題にあるように思う。人間である康一一家と河童であるクゥとの関係だけでなく、康一のクラスでいじめられている少女・菊地との関係にもそれが垣間見られた。康一は菊地をいじめる側(好きだからいじめるという側面もなきにしもあらず)なのだが、「河童を飼っている」と噂になった康一がいじめられる側になったとき、声をかけてくれたのは菊地だった。康一はここで始めて菊地と普通に話すのだ。
 また、この映画の中には、子供向け映画と思って見ていると(そうでなくてもかもしれないけど)ショッキングであろう場面がいくつかある。ここまでやらんでもと思わなくも無いが、原監督はどのような形であれ、暴力や残酷さについて考えずにはいられないのではないかと思う。特に無意識・突発的に出てしまう暴力には、唐突であるだけにはっとさせられる。また、TVに出られることになった康一の浮かれっぷりや、マスコミの勝手な盛り上がりなど、人間の軽さというか、心変わりのしやすさによる残酷さみたいなものが印象に残った。
 親子や子供同士のやりとりの演出には定評のある監督だが、今回は特に康一の母親と妹の言動が実に上手い。河童を手にして母親の後をついて回る康一、逃げる母親というシーンにすごく説得力があった(小学生男児のいる家庭では絶対一度はこういう場面が繰り広げられたはずだ!)。幼稚園児である妹のしぐさやおしゃべりに関しても、いやーいるよこういう子供!と唸った。身近に子供がいるのかどうかはわからないが、実によく観察・リサーチしていると思う。映画監督、特にアニメーションを作る人にとっては人間をよく見るということが必須なのだということが良く分かる。観察力って大事だ。
 声の出演者も好演していた。原監督に縁のある声優がちょこっと出演しているのも見所。(藤原啓治があまりにも藤原らしい役で出ていたので吹いた)。あと「おっさん」にはひたすら泣かされた。いいところ全部持ってかれた。全般的によくできた映画だったと思うが、動画部分の色彩が少々ビビッドすぎた点が残念。もっと淡い色調の方が品良く見えたと思う。

『イタリア的、恋愛マニュアル』

 ジョヴァンニ・ヴェロネージ監督による、4編から成るオムニバス形式の群像劇。若いカップルから中年夫婦まで、様々な男女が登場する。彼らの間にさりげなく接点があるのも面白い。
 最初のエピソード「めぐり逢って」の主人公である青年トンマーゾがあまりにもうっとおしくて、この後延々とこの調子だったらどうしようと思っていたのだが、段々いい感じになってきた。ヨーロッパ映画は、若者よりもそれなりに年齢を重ねた男女が主人公の方が面白い作品が多いような気がする。特に「よそ見して」で、夫の浮気を知って激怒する婦警さんの話がいい。この婦警さん、決して若くはないのだが怒りっぽいところを含め大変キュートだった。ルックスはさておき(ごめん!)キャラクターとして魅力的かどうかで言ったら、「めぐり逢って」でトンマーゾが一目ぼれする美女よりも断然上だと思うのだが。まあ男性にとっては言うまでもなく美女の方が魅力的なのかもしれないけど・・・
 また、「すれ違って」のなんとなく倦怠期中な中年夫婦のかみ合わなさ(男女で何故にこうも考え方が違うのか!)には、こういう男女の食い違いは万国共通なのかしらとしみじみした。夫はちょっともう放っといてほしいなーと思っているのだが、妻の方は女として扱ってほしくて物足りない。カップル文化国でも皆が皆カップルで行動したがっているわけではないのね。最後のエピソード「棄てられて」は奥さんに逃げられた小児科医が主人公だが、これはなかなかいい話だった。お医者さんのキャラクターが何かかわいい。なんで奥さん逃げちゃったの!そりゃあ常に恋愛状態でいられるような相手ではないかもしれないが、一緒に生活するにはいいと思うんだけどなー。勿体無いなー。奥さんのお母さん(要するに姑)とはほんのりとした友情・愛情が成立しているというのも、結婚が失敗しても残るものはあるかもよ、という示唆があってほっとする。
 4組のカップルの話ではあるものの、2人が出会い、結婚し、熟年夫婦となって仲が停滞したりともすると別れたり、そしてまたほかの誰かとめぐり合うという、1人(1組)の人間の人生を追うような見方も出来ると思う。しかしやはり(『マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶』の感想でも書きましたが)イタリア映画ってどこか変な味わいがあるなー。笑わせようと思ってやっているのか普通に素でやっているのか判断しかねる。それにしてもトンマーゾは本当にうっとおしかった!女の子が何で彼に惚れたのか理解できない!しかし恋愛とはそんなもんかもしれないですね。

『天然コケッコー』

 くらもちふさこの同名マンガを、山下敦弘監督が映画化。生徒が6人しかいない山間の分校に、東京からイケメン転校生・広海(岡田将生)がやってきた。初めて同級生ができる中学3年のそよ(夏帆)は心浮き立つ。
 原作マンガは根強いファンも多く名作と名高いが、恥ずかしながら私、文庫1巻を買ったものの1冊読みきれませんでした・・・!何だか分からないけど何かに耐え切れなかった。そういうわけで原作未読のままです。でも映画なら、しかも山下監督なら面白いはず!と思ってかなり期待しつつ見に行ったのだが、やはり何かに耐えられなかった・・・。監督がヤケになったんじゃないかというくらいにキラキラ感に満ちていて、「『松ケ根乱射事件』が本性のくせにこいつ世の中謀りやがって・・・」と思うばかりで乗り切れなかった。同じようにキラキラ感とほんのりノスタルジーが搭載された『リンダリンダリンダ』は大絶賛できたのに。この違いは何なの。
 最大の違いは原作があるかないか(そして私がその原作を苦手だった)というところだけれど、それとはもうちょっと違う気がする。考えてみるに、ヒロイン(『リンダ~』ではヒロインたち)のタイプの違いというのが最大の要因ではないかと思う。本作のヒロインであるところの右田そよちゃんは、かわいい。そして良い子だ。年少の子の面倒をよく見て学校の生徒とは家族のようだし、自分の家族ともそれなりに仲良く(特に弟とのやりとりは微笑ましい)やっている。ただ、いい子なのだが気の遣い方が回りくどいというか、なんか面倒くさい子だなーと思う所が多々あって(東京土産選びとかお祭りでの失言による落ち込みとか)あまり好感をもてなかった。悪い子じゃないんだけど、むしろナイーブないい子なんだけど身近にいたら若干うっとおしいだろうなーと思う。それよりも、『リンダ~』の香椎由宇やペ・ドゥナのような少々乱暴で大雑把な子の方を面白いと思うし、好感が持てるのだ。これは相性の問題だろうから、逆に思う人も多々いるとは思うが。そよよりも、小学生の2人の女の子やそよの弟の方が、その年齢の子供っぽくてよかった。あと、広海に関しては、そのキャラクターに全然魅力を感じませんでした。よくいる中坊という程度で。
 加えて、本作はそよのモノローグにもあるように、「なくなるものと思うとまぶしく見えてくる」という側面を前面に出しすぎたんじゃないかと思った。過ぎつつある子供時代に対するノスタルジーが強くて、今ここに生きる少年少女という手ごたえに乏しい。美しくしすぎちゃったかしら。『リンダ~』では、こんな楽しげな学校生活自分にはなかったにも関わらず「そういえばこんな感じだった」と錯覚させられたが、本作にはそういう説得力みたいなものが薄かったと思う。
 また、山下監督の本領は同じ田舎を舞台としていても、限定されたコミュニティー内の面倒くささ・いやらしさを描く所にあると思うのだが、本作の田舎はただただ美しい。郵便局員のシゲちゃんの言動の不審さや、広海の母親とそよの父親に過去にひと悶着あったらしいという所に、本来の持ち味がチラ見えするくらいだ。田舎は田舎でも『松ケ根乱射事件』とは随分違う。
 監督は田舎・地方で育つ・暮らすことに対して何か思う所あるのか、微妙な田舎町を好んで舞台に選ぶ。もっとも、田舎町の窮屈さを描いてもそれを否定することはない。この映画も、そよの話であると同時に、広海が田舎で暮らす覚悟を決めるまでの話であるとも取れる。

『あしたはうんと遠くへいこう』

角田光代著
 角田光代の小説は面白いけれど、いやーな気持ちにもなるなぁ(笑)。本作の主人公は実にしょうもない女性で、惚れっぽい。そして常に上手くいかない。何でこの人いつもこうなっちゃうの、と読んでいてぐったりとする。主人公本人も「何でいつもこうなっちゃうの」と思っているのだが、やっぱり毎回上手くいかない。お前もうちょっと学習しろ!と突っ込みたくなりつつ、面白いので読んでしまうのですが。他人(主人公の場合恋愛対象)に自分のことをゆだねすぎると、失敗したときのダメージもでかい。それでも同じことを繰り返してしまう彼女は、情けないようでいてタフ。しかしあやかりたくはない。

『ジョン平とぼくらの世界』

大西科学著
 魔法が科学と同じように存在する世界が舞台だが、その世界と魔法の仕組みの示し方が自然で上手い。1,2作目でも思ったのだが、ファンタジーというよりはSFっぽい味わいがある。魔法ありファンタジーとしては結構しばりがきついと思うのだが、このくらいやっておかないと魔法インフレ状態になりそうだ。ジョン平の能力については前作で何となく検討がついたものの、こうもたいそうな陰謀が隠されていたとは。今後話が妙にでかくなりそうで心配。日常の謎的な雰囲気の方が、作風に合っているような気がするが。題名には、そうか「ぼくらの世界」とはそういうことかと頷いた。少年主人公はかくあってほしい。

『遊戯』

藤原伊織著
 漢字2文字題名の連作は、一歩間違うとオヤジのドリーム小説(男の年齢は30ちょいだからオヤジというほどではないが)になりそうなものだが、そうはなっていないのは、本間のトラウマのためでも浅川のさっぱりとした気質と身長180cm.という体型のためでもなく、著者の文章独特の清潔感のせいだと思う。しかし小説としてはどうにも弱く、著者の気力・体力の衰えが垣間見られて辛い。中篇「オルゴール」も辛い話で、全体的に悲哀がにじむ。ところで著者の小説には絶対的な悪といった存在はあまり現れなかったように思うが、今回は(過去としてではあるが)それが出現しているのが興味深い。

『ルネッサンス』

 白と黒のモノトーンで描かれる、近未来のパリを舞台としたアニメーション。2006年のアヌシー国際アニメーションフェスティバルでは長編部門グランプリを受賞した。監督はクリスチャン・ヴォルクマン。主人公カラス役の声優は『007カジノ・ロワイヤル』が大当たりしたダニエル・クレイグだ。
 2054年のパリ。刑事カラスは主に医療関係の事業を展開している複合企業「アヴァロン」の研究員・イローナが失踪した事件を調査していた。イローナは過去に行われた「早老症」治療研究の資料を密かに入手していたらしいのだ。
 孤独な刑事=探偵にファム・ファタール、陰鬱な都会といった、フィルムノワールのような味わいのあるSFアニメーション。SFではあるが、むしろレトロな雰囲気だ。ただ、永遠の生命というテーマの扱い方が(テーマそのものではなくその持って行き方が)、オチも含めて少々月並みだった。こういう話なら他にいくらでもありそうだ。過去の色々な作品のつぎはぎを見せられているみたいで、あまり得るところがなかった。もっと他に切り口がありそうなものだが。もっとも、このテーマに対して出せるアンサーの限界が、現代ではここまでだということなのかもしれないが。
 というわけで、ストーリーやキャラクターの心理を追うよりは、描かれる世界の雰囲気や映像美を楽しむことに徹した方いい作品だ。特にレトロさと近未来っぽさが入り混じった、上へ上へと伸びた超高層ビルの建ち並ぶ、少々廃墟めいたパリの町並みは味わいがあって悪くない。目新しさはないものの、この手のSFが好きな人はビジュアル面では楽しめると思う。ただ、製作技術の高さは素人目にもなんとなくわかるものの、これは新しい!これはすごい!という映像はなかったのが残念。近未来SFって、ネタが出尽くしちゃったジャンルなのかしら。

『街のあかり』

 アキ・カウリスマキ監督の「敗者3部作」3作目。これまでの2作でも、主人公の敗北ぶりは相当なものだったが、今作はさらに輪をかけて敗北している。しがない警備員のロイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)は職場でも浮いていて、友人と言えるのはソーセージ屋の女性だけ。そんな彼の前に美女が現れるが、彼女はギャングの情婦。ロイスティネンは犯罪に利用されてしまう。
 カウリスマキ以外の人がこの話を映画にしたら、全く救いのない話になりそうだが、カウリスマキが撮ると、陰鬱ながらもどことなく妙なおかしみが生まれてくる。これはこの人の強みだと思う。このおかしみはどのへんから生まれてくるんだろうなーとカウリスマキ作品を見るたび考えるのだが、セリフの間合いとかちょっとした動作のタイミング(あと、犯罪の計画等の細部がものすごく大雑把で描く気ないのが見え見えなところとか)はもちろん、役者が表情に乏しいというのが大きな要因になっているように思う。オーバーアクションも笑いを誘うが、リアクション少なすぎというのもまた笑いを誘う。もっとも、嬉しくても哀しくてもあまり表情が変わらないにもかかわらず、わずかな動きで喜んでいるのか悲しんでいるのかはきちんとわかる。カウリスマキの映画を見ていると、今まで見てきた映画は表情がうるさすぎたんじゃないかと思えてくる。表情は小出しなのだが、ここぞという所でこそっと出すので印象に残る。ロイスティネンが唯一リラックスして笑っている、孤独ではないように見えるのが刑務所の中というのが胸を打つのだ。
 また、映画の尺が短いことにも好感を持った。本作は何と78分。3時間近い映画が珍しくなくなった中では異例の短さだ。しかし短すぎるという印象は全く受けなかった。私は常々最近の映画は長すぎると思っているので、本作の短さは大歓迎。役者の演技も上映時間も、ここまで切り詰めても大丈夫だということを証明していると思う。もちろんカウリスマキの作風は少々特異なので、映画監督が皆こういうコンパクトな作品を撮れるわけではないだろうが、惜しげもなく切っていく、そげ落としていくということは大事なのではないかなと思った。
 主人公がズタボロになっていく、救いのない話であるのにこれ見よがしな悲壮感がないのは、主人公が全く愚痴を言わないかもしれない。悲惨な運命を淡々と受け入れてしまい女に対して恨み言の一つも言わない態度は、それこそ負け犬と言えるのかもしれない。しかし、彼が最後にたどり着く境地からは、単なる負け犬とは思えないのだ。何が一番大事か理解した人間は案外しぶといのかもしれない。

『マルチェロ・マストラヤンニ 甘い追憶』

 名優マルチェロ・マストロヤンニ。彼へのインタビューと娘たち、共演者や監督、脚本家らへのインタビューで構成されたドキュメンタリー。
 私はマストロヤンニ出演作は、恥ずかしながらそれほど見たことが無い。この映画の予告編を見て、ああこの人はこんなにかっこよかったんだ!とびっくりしたのだ。だって、記憶にはっきり残っているマストロヤンニってもう晩年の姿だったから・・・。マストロヤンニさんファンの皆さんごめんなさい。このドキュメンタリーには若い頃から晩年まで、様々な姿のマストロヤンニが出てくるのだが、個人的には40代~50代くらいが一番かっこよかったんじゃないかと思う。若い頃の甘さ、キラキラ感が若干薄れていい味わいをかもし出している。二枚目俳優はいやみな感じにもなりかねないが、どこか茶目っ気があること、本人曰く「怠け者」であることが魅力となっているのだろう。優雅さと朴訥さが両立しているという稀なキャラクターだったのだと思う。
 もちろん、彼の出演作の映像が色々出てくる。殆どイタリア映画なのだが、この時期のイタリア映画にはなんだか妙な味わいがあると思った。それは笑わせようとしているのそれとも天然なの?と問いただしたくなるような奇妙な映像がいっぱい(ローマのコロッセオ前にカウボーイがいるあれは何だったんだ・・・)。悲劇と喜劇がごちゃまぜになっている。名作『ひまわり』だって、テーマ曲効果で悲劇のイメージが強いが、前半はまるでコントだ。最初見た時びっくりした。この映画だけそうなのかと思ったら、どうも他のイタリア映画もそうらしい。うーんイタリア映画は不思議だ・・・。
 さてこのドキュメンタリー、マストロヤンニがいっぱい出てきてファンには嬉しいかもしれないが、面白いかどうかというと微妙なところだ。あまり突っ込んだ内容にはなっていないし、出演者の話も通り一遍な印象を受けた。あんまりマイナスイメージになる話が出せないのはわかるが、どうせならマストロヤンニと別れたあの女優やこの女優から話を聞きたかった。彼の実像が迫ってこない。俳優だから実像が見えなくてもいいわけだが、世間一般に流布している彼のイメージからはみ出てこないので、わざわざこのドキュメンタリー見るより、彼の出演作を見ればよかったなぁと思った。
 ちなみにバルバラとキアラの娘2人が、最後に「私たち仲いいですよ」的なコメントを取って付けたようにしているのがおかしかったです。強調すればするほどウソっぽく見えてくる。いや本当に仲いいのかもしれないけど。

『災いの古書』

ジョン・ダニング著、横山啓明訳
 ダニング作品は当たり外れが激しいが、本作はまずまず。元警官の古書店経営者ジーンウェイが、弁護士の恋人に頼まれ、彼女の旧友の元へ向かう。旧友は夫殺しの容疑を掛けられていた。Aさん(仮名)のBさん(仮名)に対する執着が見え隠れして、大変気持ち悪い。基本的に威勢の良いシリーズだと思うので、こういう人間の薄暗い面が描かれたのは意外だった。「古本の警官」が主人公であるものの、今回はミステリの核心は古書とはさほど関係ない。もっとも古書トリビア的な楽しみ方は十分にできるので、本好きにはうれしい。ただ今回は、ジーンウェイが古書店の未来のなさを嘆き、諦めモードになっているので、寂しくもある。

『リトル・チルドレン』

 郊外の閑静な住宅地で、そこそこ稼ぎの良い夫と幼い娘暮らすサラ(ケイト・ウィンスレット)は、公園でのママ仲間との付き合いにうんざりしていた。同じく公園に子連れで通っている司法試験勉強中のブラッド(パトリック・ウィルソン)と知り合い、不倫関係に。一方、子供への性犯罪で服役していたロニー(ジャッキー・アール・ヘイリー)が出所し、街に戻ってきた。ブラッドの友人で元警官のラリーは「子供を守る会」の活動と称して、ロニーとその母親に執拗な嫌がらせを始める。
 いやーアメリカにも「公園デビュー」と「公園ママ付き合い」があるんですねー。そしてママ同士の牽制のし合いが生々しい。ブラッドにちょっかいを出したサラがハブられたり、彼女に好意でロニーが身近に出没したと忠告してくれたママ友も、他のママ友たちからいじめられるからあまり仲良くできないなど、ありがちなエピソードではあるが、ありがちゆえに説得力があっていやーな気分になる。リーダー格の優等生タイプ(人の意見をすぐ混ぜっ返したがる)やお嬢さんタイプなど、中高生女子のノリがそのまま大人社会に持ち越されていて辟易した。どこの国でも同年代の女性集団てこんな感じになっちゃうのかしら。
 さて、大人の中にある子供的な部分、少年性少女性というと、そんなに否定的にとられることはない(特に日本では)と思う。むしろ魅力の一つと見られることもあるだろう(少年(少女)の心を持った大人になりたい」「いくつになっても恋したい」とか言いますよね)。しかしこの映画はそれに対してNOと言う。いや全てをNOと切り捨てているわけではないのだが、でもまず大人は大人であれ、としているのだ。いわゆる「自分探し」系感動作と思って見に来たお客さん(予告編はそんな感じだったから)は戸惑うかもしれない。むしろ「いい年して自分探しとか言ってんじゃねーよ」「大人なんだから性欲コントロールしろよ」って実も蓋もない話と言える。「そのままでいいんだよ」とは言ってくれないのだ。
 しかし子供であろうが大人であろうが迷う時は迷うし自分を見失うことも多々ある。退屈な日常に埋もれていくことに危機感を感じることもあるはずだ。そんな時、この生活から逃げ出したい、別の人生を生きてみたいというのは誰しもが一度は考えたことだろう。しかし、別の人生などどこにもない。もちろん具体的に引っ越すとか転職するとか結婚するとかいう一大イベントは起きるだろうが、それによって自分自身から逃げられるわけでもないのだ。
 サラをはじめ、登場人物達が抱えている問題は、それぞれ何となく収まっていく。何事も無い日常の大切さに気付く、と言えば聞こえはいいが、それはこの現実に出口がないということでもある。そういう点では非常にシビアだといえるだろう。でもその出口の無い現実がつまらないことだらけで意味がないものなのかというと、そういうわけでもない。どこを諦めどこを守るかということなのだろうか。
 各登場人物に対する視線は、見ようによっては悪意のあるものだ。結構笑えるのだが、彼らの滑稽さは他人事ではない。サラのようにうつつを抜かしたり、サラの夫のようにとんでもない現場を目撃されたり(これは滑稽通り越してかわいそうだと思った)、ブラッドのように困難な目標を諦めることも本気で取り組むこともできなかったり、ラリーのように自分の不幸を他人に八つ当たりしたりということは、身近にありそうだし自分の身にも降りかかりそうなことだ。それでも後味が悪くないのは、彼らの姿が情けなくも嫌いになりきれないからかもしれない。

『Genius Party』

 『鉄コン筋クリート』のヒットも記憶に新しいアニメスタジオStudio4℃による短編アニメーションのオムニバス映画。奇妙な生き物が柔らかなタッチで描かれる「Genius party」(福島敦子監督)、幼児が世界を救う?アクションシーンに力の入った「上海大竜」(河森正治監督)、手書きぽい緻密なタッチでダークかつコミカルな死者の世界を描いた「デスティック・フォー」(木村真二監督)、自分が2人いるのでは?というSFぽい「ドアチャイム」(福山廉治監督)、イメージの奔流とでも言うべき「LIMIT CYCLE」(二村秀樹監督)、簡潔な線画でユニークな動きを作る「夢みるキカイ」(湯浅政明監督)、エスケープする少年少女を丹念に描く「BABY BLUE」(渡辺信一郎監督)の7本から成る。
 どの作品もそれぞれ面白いのだが、監督の力量がかなり明確に出てしまった感もある。今回ぶっちぎりで面白かったのは「夢みるキカイ」。湯浅政明は才気走っている。マインドゲームもケモノヅメもスルーしていた私がバカでした!と土下座したくなった。赤ん坊が荒野を旅するというシンプルなストーリーなのだが、キャラクターの造形も動かし方もユニークでイメージがばんばんひろがる。とにかく作画が上手い!10数分の作品ではあるが大満足でした。一方、ストーリーはともかく動画がなぁ、と思ってしまったのが「ドアチャイム」。主人公の歩き方がどう見ても変だ。足の踏み出し方が足りない気がする。なんだか素人くさい作品だなと思った。
 ファンタジックな作品の中、キャラクターのデフォルメも少なく実在の街を舞台とした、アニメで岩井俊二目指してみましたという雰囲気もなくはない「BABY BLUE」は、渡辺信一郎が監督したというのが意外だった。こういうリアリズム志向のアニメーションは必ずと言っていいほど「アニメでやる必要があるのか」という批判を受けるが、こういうのをちまちまアニメで作るから面白いと思うんだけどなー。ただ、この作品が短編映画として面白いかというとまた別の問題だ。嫌な印象は受けないのだが、所々セリフが浮いていたのが気になった。渡辺監督はクサいセリフをキャラクターに言わせちゃう傾向があると思うのだが、こういう日常的な作品では、クサいセリフが馴染まないのだ。ケレン味がある作品だったら逆に映えるのだろうが。
 あと、「デスティック・フォー」は、監督の好みをよく反映していたと思う。木村真二は『スチームボーイ』などの美術を担当した人だが、町並みの造形がとても魅力的。どんどん書き足していきたくなるタイプの人なのではないか。
 こういう企画を商業ベースでやるのは難しいと思うののだが、よくがんばったなぁ。Studio4℃の、人材を育てていこうという意欲を感じました。ちなみに第2弾も控えているそうなので喜ばしい限り。

『雨の殺人者 チャンドラー短編全集4』

レイモンド・チャンドラー著、稲葉明雄訳
マーロウはやっぱりよく気絶するなぁ!後ろ後ろ!と注意してあげたくなります。マーロウ本人のキャラクターはあまり濃くないというのがこのシリーズの特徴だと思う。「雨の殺人者」にしても「女で試せ」にしても、サブキャラの方が陰影が深く印象に残る。「青銅の扉」は本書の中では異色な、怪奇小説風。こんなのも書いてたのね。
ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ