3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『マチルド、翼を広げ』

 9歳の少女マチルド(リュス・ロドリゲス)は母親(ノエミ・ルボフスキー)と2人暮らし。母親は少々風変りで、マチルドは彼女の言動に振り回されっぱなしだ。ある日、母親が小さなフクロウをマチルドにプレゼントした。フクロウは何と人間の言葉を喋りだすが、その声はマチルドにしか聞こえない。フクロウはマチルドの心の支えになっていく。監督は母親役も演じたノエミ・ルボフスキー。
 マチルドの母親は、いわゆる母親らしからぬ、大人としてはちょっと突飛で困った人ではある。しかしマチルドにとっては愛する母親だ。マチルドが必死で母親のフォローをする姿はいじらしい。冒頭、校長室での校長先生とのアイコンタクトらしきものは、子供がそこまでやらなくてはならないのかとちょっとやりきれなくなる。マチルド自身もそんな状況に納得しているというわけではない。フクロウは母親が変なんだという怒りを口にするが、これは普段は言えないマチルドの心の代弁だろう。とは言えマチルド当人が怒りを爆発させる時もある。クリスマスの夜の顛末は思いきりが良すぎて危なっかしい以上に小気味良いくらいだ。マチルドが置かれている境遇はネゴレクトとも言えるのだろうが、あまりそういう印象を受けないのは、マチルドがはっきりと怒りを見せ、母親に反抗するからだろう。
 一方マチルドの母親は娘を愛してはいるが、自分が母親という役割に不向きだという自覚はある。一見、母親が娘に依存しているようではあるが、離れたがらないのはむしろマチルドの方だ。母親はずっと、娘と距離を置く決意をしていたとある言葉からわかってくる。愛の有無ではなく、どんなに愛情があっても夫婦、親子という形状に不向きな人はいるはずだ。母親が漏らす、「人との距離が近すぎる、あなた(元夫)の手も重い」という言葉が痛切だ。マチルドの両親は離婚しているが、父親(マチュー・アマルリック)は娘のことはもちろん、元妻のことも未だ愛している様子が見て取れる。愛の有無と、一緒に暮らせるかどうかは別問題というところが切なくもあり、一方でこういう形の家族もありだと思える。おそらくマチルドもその境地に達するのだ。ラストはちょっと蛇足な気もしたが、彼女が母親と同じ言語を獲得したと言うことかなと思う。
 色合いがとてもきれいな作品だった。青みがかった映像の中に、黄色やピンクが映えていた。マチルドの服が柄×柄だったり、カラータイツが鮮やかだったりと可愛らしい。

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『夜明け』

 木工所を経営する哲郎(小林薫)は、川辺に倒れている1人の青年(柳楽優弥)を見つけた。自宅に連れ帰り介抱された青年は、シンイチと名乗る。哲郎はシンイチを木工所に連れて行き、技術を教え、共に暮らし始める。2人は徐々に心を通わせていくが、シンイチにはある秘密があった。監督・脚本は広瀬奈々子。
 訳有りの2人が絆を深め、疑似親子的な関係を形成していくというある種定番のドラマではあるが、それはあくまで途中まで。そこからの展開で冷や水を浴びせられる。ちょっと冗長な部分があるが、長編初監督作としては高いレベルで引きつけられた。監督はこの部分に興味があるんだろうなという、焦点がはっきりしていると思う。
 疑似親子的な関係は、哲郎にとってもシンイチにとっても過去の傷を癒すものになる。ただ、それはあくまでかりそめのものだ。ずっとこのままではいられない。彼らはそれぞれ、向き合わなければならない相手が他にいる。この点、かなりシビアに描かれていた。意外だったのは、若いシンイチに対してではなく、初老の哲郎に対する視線に容赦がない所。
 両親との不和、過去のある事件が原因となり心を閉ざしているとはっきり提示されているシンイチに対し、哲郎が抱えている問題が何なのか、何から目を背けているのかという部分はなかなか現れてこない。彼の息子が既におらず、そのことが傷になっているということはわかる。しかし、息子との関係がどんなものであったのかは、哲郎の言葉からはわかりにくいのだ。
 哲郎の問題がどこにあるのかは、婚約者からなじられるシーンではっきりとわかってくる。彼にとって息子のような存在であるシンイチとの絆は、目の前の現実から逃げる為のものになってしまったいる。シンイチ本人を見ているわけではなく、理想的な父と息子、師匠と弟子という幻想にしがみつく為のものだ。そして実の息子との不和は、彼のそういった態度によるものではなかったかと垣間見えてくる。しかし哲郎はシンイチに対して、実の息子にしたことと同じことを繰り返してしまうのだ。その時点で、疑似親子的な絆はかりそめのものであると決定づけられてしまったように思う。

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『サスペリア』

 1977年、スージー・バニヨン(ダコタ・ジョンソン)は世界的に有名なマルコス舞踏団に入団するため、ボストンからベルリンにやってきた。オーディションで振付師マダム・ブラン(ティルダ・スウィントン)の目に留まり、メインダンサーに抜擢される。しかし彼女の周囲で不可解な事件が次々と起こり、ダンサーが失踪していく。監督はルカ・グァダニーノ。ダリオ・アルジェント監督作のリメイク作品になる。なお私はアルジェント監督作は未見。
 すごく奇妙だし、多分クオリティ高くて面白いんだろうなということはわかるが、自分の中のフックにはいまひとつ引っかかってこない。設定が難解で全くわからないというわけではないし、残酷な描写が受け付けられないというわけでもないので、何でひっかからないのか腑に落ちず困るんだよな・・・。監督の他の作品は概ね最高だと思ってるだけに。
 かなり長尺の作品だが、さほど長すぎると感じなかったことが意外だった。カットのつなぎは妙にぎこちなかったり、クロースアップの仕方があえて古臭かったりと、流れのスムーズでなさが強調された構成になっているように思った。スムーズでないから逆に飽きなかったのかもしれない。あれ何か変だな?といちいちひっかかる。つまづきつつ前進するので、テンポが乱れて気持ちよく見させてくれないのだ。その乱れが本作のキモなのかなと思った。マダム・ブランはバランスを取る事を強調するが、作品のトーン自体はむしろそこからどんどん乖離していく。ストーリー上、マダム・ブランの影響力もまた弱まっていくのだ。
 母による娘、というよりも次の母の奪い合い血みどろ合戦のようであった。しかし同時に、それまでの母という存在の否定でもある。私は本作を見ていてなんとなく息苦しかったのだが、母たちと娘たちのクローズドサークルのような世界だったからかもしれない。母たちは「女性の経済的な自立を支援」する為に若い女性達を寮に住まわせるが、それは娘たちの囲い込み、所有化でもある。娘たちは母たちの為に奉仕する存在、母たちに消費される存在になってしまう。スージーは新たな母というよりも、娘を持つことを拒否した母であるように思えた。
 バーダー・マインホフが飛行機ジャックをしていた時期の話とはっきり設定されているところが面白い。集団が一つの熱に浮かされている状態という所で、舞踏団と社会とが呼応していく。革命も魔術も、共同幻想のようなものだ。もちろんドイツにおける共同幻想といえばナチスが連想され、本作の中にもホロコーストの記憶が挿入される。共同幻想のほころびは、集団内の個人が別のベクトルを持つところから始まる。逆に言うと魔術を解くのは極めて個人的な記憶、意思なのかもしれない。

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『PSYCHO-PASS Case1.罪と罰』

 公安局ビルに一台の車両が突入する事件が発生。運転手は青森にある潜在犯隔離施設「サンクチュアリ」の心理カウンセラー・夜坂泉(弓場沙織)だった。取り調べを待たず異例の即時送還が決まったことに、公安局刑事課の監察官・霜月美佳(佐倉綾音)は疑問を持つ。霜月と執行官・宜野座伸元(野島健児)は夜坂の送還の為、青森へと向かう。監督は塩谷直義。
 「シビュラシステム」に管理された未来の日本を舞台としたSFアニメーションシリーズの、スピンオフ的作品。作中の時系列は『劇場版PSYCHO-PASS』の後にあたる。TVシリーズの頃と比べると、各キャラクターが大分大人になっているというか、言動が落ち着いてきて安定感があった。情緒不安定ではない!皆大きくなって・・・!それぞれ、自分がシュビラシステムとどのように向き合うかという納得が既に得られて腰が据わったからか。
 霜月はシュビラシステムの正しさを信じているが、TVシリーズ時よりも視野は広がっている。システムである以上エラーは出る、そのエラーは人間の倫理で是正していくものだという地点に至ったように思う。相変わらずイキってはいるが、イキりに根拠が出てきた感じ。また、彼女をサポートする宜野座も大分余裕が出たというか丸くなったというか、何か色々感慨深い。
 今回、宜野座のアクションが一つの見せ場になっており、アクションの組み立てが面白かった。特にヘリコプターを使った演出は、なるほどその手があったか!と新鮮。また、宜野座が義手になった時点で、一度こういう演出をやってみたいだろうなーと予想はしていたが、やはり。こういう演出を好むのって悪趣味とも思われるだろうけど、やっぱり見ると嬉しくなっちゃうんだよな・・・。
なお、青森で何か作業をしている、という時点でもしかしてあのネタか、と予想はつくと思うのだが、最近だとあまりそういうイメージないのかな?


『マイル22』

 インドネシアのアメリカ大使館に保護を求めてきた現地警察官のリー・ノア(イコ・ウワイス)。彼は何者かに奪われた危険物質の行方を知っている、亡命させてくれればその情報を教えると取引を持ちかけてきた。国外に脱出させるため、ジェームズ・シルバ(マーク・ウォールバーグ)率いるCIAの機密特殊部隊が護衛につき、空港までの22マイルを移動し始めるが、次々と武装勢力が迫ってくる。監督はピーター・バーグ。
 バーグ監督の前作『パトリオット・デイ』では、銃撃戦をどのようなバリエーションで演出できるかというチャレンジが印象に残ったが、本作も同じ系統にあると思う。バーグ監督は銃撃戦とマーク・ウォールバーグが大好きなんだなーとしみじみ実感できる作品だった。ウォールバーグは多分監督にとってのミューズなんだろうが、この人のどのへんがそんなにいいのか、見ている分にはちょっとよくわからないんだよな・・・俳優として何か突出しているタイプの人という印象がない。銃撃戦アクション演技への対応が的確なんだろうとは思うが。あとは単に人として相性がいいとかなのかな・・・。本作の主人公シルバは神経質かつクレイジーなキャラクターで、ウォールバーグの持ち味とはちょっと違う気もしたのだが、そのへんはねじ伏せてしまうウォールバーグ愛だった。多分またウォールバーグ主演で何か撮るんだろうな・・・。
 銃撃戦の面白さはもちろんだが、本作は肉弾戦も魅力的。リー・ノア役のウワイスの動きが良すぎる!速い!(ジャンプが)高い!強い!と思っていたら、『ザ・レイド』の人だというので納得。彼のアクションシーンだけ別ジャンルの映画に見えるくらい、突出している。他の人たちと重力のかかり方が違う感じがするのだ。しかしウォールバーグのやや重めの肉体感とのバランスが良く、この2人主演での続編を見たくなった。
 アクションシーンがほぼ移動しながらのもののみというユニークさだが、ちょっと禁じ手的な部分もあり、それを出せるならもっと早くに出せば?と思った所も。また、監視カメラの類から(という設定の)映像を駆使した構成だが、そのカメラはいつ設置したんだ?(特に冒頭の突入先)と突っ込みたくなった。あと、ハリウッド映画では本作と同様の「危険物質」が盗まれ過ぎなので、そろそろ別のパターンが必要なのでは。そんなに精緻な作品ではなく、見た後には内容を忘れてしまうのだが、スカッと楽しめた。

パトリオット・デイ [Blu-ray]
マーク・ウォールバーグ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-11-08


16ブロック [Blu-ray]
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Happinet(SB)(D)
2015-07-24


『映画刀剣乱舞』

 人間の姿を得た刀「刀剣男子」たちと、彼らを束ねる主神者。その役割は歴史の流れを変えようと企む時間遡行軍の企みを防ぐことだ。本能寺の変から織田信長を逃がして歴史を変えようという時間遡行軍の動きを阻止した刀剣男子たちだが、信長が生きているという知らせが届く。刀剣男子たちは歴史を守る為に再び過去へと旅立つが、時間遡行軍は執拗に歴史に介入してくる。三日月宗近(鈴木拡樹)は単身、ある行動に踏み切る。監督は耶雲哉治。
 アニメ特撮ファンなら一度は触れているであろう小林靖子脚本ということで、刀剣乱舞に関する知識はほぼない(ゲーム未体験、基本設定とキャラクターは多少知ってる)状態、2.5次元ほぼ未体験状態で見に行ったのだが、思いのほか面白かった。特撮に対する耐性が多少あれば大丈夫なのでは。2次元を無理矢理3次元にするという荒業だが、刀剣男子という存在が人間とは違う何かだというエクスキューズがあるので、あまり気にならない。信長を演じる山本耕史や秀吉を演じる八嶋智人は明らかに2.5次元ではない佇まいと演技プランなので、異種混合戦みたいになっているのだが、うまく摺りあわされていると思う。衣装をはじめ、美術面がそれなりにお金がかかっている風合いになっているのもよかった。モブの兵士たちの動きもこなれ感あるもの。全般的に素人くささがない。やっぱり予算は大事だな・・・。
 本能寺という大分手垢の付いたネタを使いながらも、歴史とは何かというテーマを踏まえた上で、三日月というキャラクターを深堀りしていく(ファンにとっては言わずもがなで深堀りということはないのだろうが、初心者にとってはキャラクターがどんどん立ち上がっていく感があった)、それを100分程度に収めるという脚本のまとまりのよさには感心した。だらだら長くなったり第2弾への目配せみたいなものを一切残さない潔さ。単品として成立させている。
 刀剣男子たちは元々「物」で人間とは生きる時間の尺度が違う、それによる哀愁を行間から読み取れるという所が、作品ファンにとってのフックの一つなのかなと思った。彼らを所有していた人間たちは、皆先にいなくなってしまう。そして、彼らを束ねる審神主も例外ではない。本作の三日月はいささか疲れた、人生に倦んだような雰囲気を醸し出しているように思える。ある事情が追い打ちをかけ、人間たちに置いていかれること、歴史の枠外に延々と居続けることへの疲れが表面化していくように見えた。が、そこから歴史とは何ぞやと言う点も含めて見方を反転させる。ストーリーの流れと三日月というキャラクターの内面の変遷が上手くリンクしてるのだ。何しろ人(いや刀なわけだけど・・・)は1000年生きてもなお変化するし成長する、依然としてこの先の可能性があると言いきってしまうようなものだから、とてもポジティブで後味がいい。







『嘘の木』

フランシス・ハーディング著、児玉敦子訳
 高名な博物学者で牧師のサンダリー師は、ある大発見を発表し評判になる。しかしその発見がねつ造だという噂が流れ、新聞報道にもなった。好奇の目にさらされることを恐れたサンダリー一家は、発掘現場での誘いがあったヴェイン島へ移住。しかしそこでも既に噂は流れており、肩身の狭い生活が始まった。しかしサンダリー師が不審な死を遂げる。島の人々は自殺と見て教会での埋葬を拒むが、娘のフェイスは父が自殺するはずないと疑問を持つ。サンダリー師は生前、「嘘の木」と呼ばれる植物を密かに栽培していた。嘘を養分とし、その実を食べたものに得難い知識を授けるというのだ。フェイスは嘘の木を使って父の死の原因を探ろうとする。
 ダーウィンの進化論によってキリスト教的な世界観が大きく揺さぶられていた時代を背景にしている。この時代背景と登場人物の行動原理が直結しており、使い方が上手い。当時の自然科学の考え方や社会的な価値観が、フェイスが抱える問題と深く関わっている。彼女は自然科学に興味を持つ聡明な少女だが、当時の社会では女性には理論的に物事を考える能力はないと考えられていた。フェイスがどんなに勉強し知識を披露しても周囲から評価されることはなく、むしろ女性としてはふさわしくない存在として扱われる。フェイスは科学者である父から認められたくてたまらないが、彼女が女性である以上、それは叶わないのだ。このフェイスの満たされなさ、父親の愛への渇望が痛いほど伝わってきて辛い。彼女の渇望が、彼女が撒く「嘘」を加速されていくが、途中からよしもっとやれ!とエールを送りたくなるくらい。
 彼女には天分の才能があるが、それはないものとされる。しかしこれは彼女に限ったことではない。女性達については「女性」というひとくくりの概念しかなく、個々がどのような能力、特性を持ち何が出来るのかという部分は男性の目にはとまらない。そこにいるがいない、不可視の存在としての一面を持つ。これが本作のミステリ部分の鍵になっているが、こんな不可視ありがたくもなんともないよな・・・。彼女ら個々の顔がはっきり見えてくる終盤は、フェイスにとっての救いでもあるか。

嘘の木
フランシス・ハーディング
東京創元社
2017-10-21


カッコーの歌
フランシス・ハーディング
東京創元社
2019-01-21


『地下鉄道』

コルソン・ホワイトヘッド著、谷崎由依訳
 19世紀初頭のアメリカ南部。ランンドル農園の奴隷コーラは仲間たちから孤立し、主人の暴力に耐えていた。ある日、新入りの奴隷に誘われ、逃亡を決意する。黒人奴隷たちを南部から北部に逃がす「地下鉄道」があると言うのだ。北へ向かって逃げ続けるコーラだが、悪名高い奴隷狩り人・リッジウェイが彼女の後を追っていた。
 ピュリッツァー賞、全米図書賞、アーサー・C・クラーク賞、カーネギー・メダル・フォー・フィクション受賞という華々しさだが、確かに面白いしすごくよくできてる。そして今この作品がこういった賞を取るということが、アメリカの今の空気、問題意識を反映しているのだろう。そういう意味でも面白かった。「地下鉄道」とは黒人奴隷の逃亡を助けた、実在した組織の呼び名のことだそうだ。その「地下鉄道」が文字通りの意味で存在したら、という設定。
 自由の地へと向かって地下を失踪する鉄道のイメージは力強く爽快だが、そのイメージに反し、コーラの旅路は困難で苦いものだ。確かに自由の地と思われる場所に到着しても、すぐにはわかりにくい形での差別、また黒人同士での見解の相違等により、平穏は崩れていく。特に「避妊」「診療」を隠れ蓑にした一見マイルドかつエレガントな形での、強烈な差別意識が恐い。差別している当事者にはこれが差別であり不当であるという意識はないという所が、差別の本質と克服し難さに繋がっているように思う。差別に対する違和感を上手く言いくるめられてしまいそうで恐いのだ。
 黒人奴隷、ことに黒人女性の奴隷としての生活がどのようなものか、その生活の中でどのような意識が形成されていくのかという部分が丁寧に描かれており、丁寧ゆえにしんどい。コーラはかなり意志の強い、独立した精神の持ち主だが、彼女の美点は白人たちからはないものとされ(というかあってもなくてもどうでもいいものとされ)、黒人からも厄介なものとして扱われる。彼女が逃げ切れるのかどうか、ずっと胃が痛くなりそうだった。


地下鉄道
コルソン ホワイトヘッド
早川書房
2017-12-06


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語り:サミュエル・L・ジャクソン
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2018-11-02





『クリード 炎の宿敵』

 チャンピオンになったアドニス・クリード(マイケル・B・ジョーダン)の次の対戦相手は、ヴィクター・ドラゴ。彼はドニスの父アポロを死に追いやった、ドラゴ(ドルフ・ラングレン)の息子だった。因縁の対決に挑むアドニスだが、ロッキー(シルベスター・スタローン)は対戦に反対していた。監督はスティーブン・ケイブル・Jr。
 スタローン本人が脚本に参加しているそうだが、ちょっとした会話、やりとりの作り方が結構上手くて、本当に多才な人なんだなと実感。特にビアンカの妊娠がわかった時の、アドニスとビアンカ(テッサ・トンプソン)の振る舞いは、実際はこういう感じだよな、いきなり喜んだりはしないよなというリアリティがあった。自身の人生も軌道に乗ってきたばかりという2人が、果たして自分たちは親としてやっていけるのか、この先どうなるのかという不安感の方が先に立っており、等身大の若者という感じがあった。また、生まれた子供がある検査を受ける顛末も、その結果の出し方、それに対するロッキーの言葉は、ロッキーの人としてのまともさ、ひいてはスタローンのまともさが投影されたものではないかと思う。スタローン、ちゃんとした人だったんだな・・・。
 ロッキーとアドニスは疑似的な親子だが、今回は2人が別の方向を向いてしまう。2人がまた同じ方向を向いて戦い始めるのと合わせて、アドニスが自身も父親としてスタートを切るのだ。またロッキーはロッキーで、実の息子との関係がずっと棚上げになっている。本来はこの実の父子関係をどうにかしないとならないわけだ。ロッキーもまた、父親として問題と向き合うタイミングに来ている。彼にとっても「そして、父になる」話しなのだ。
一方、負の父性を背負っているのがドラゴだ。彼は息子を復讐の道具として育て上げている。そこに、息子であるヴィクターが何を求めているのかという要素はない。セリフ量は少ないが、ヴィクターは父親にしろ母親にしろ、「親」とのつながり、子供として親に愛される、必要とされることを望んでいるのだが、それは得られない。だから会食の場で深く傷つくのだ。ラングレンの風貌の作り込みも相まって、ドラゴ親子が辛酸なめてきた感が強く滲むだけに、求めるものを得られないヴィクターの姿が痛々しい。父子関係が何重にも反復される。
 とは言え、全体的なトーンはスポ根少年漫画的で熱い。特に「特訓」シーンが前作以上に「特訓」感があるのにはちょっと笑ってしまった。それ本当に効果あるの?って気もしちゃう。この部分だけ漫画度が高くなっている気がした。それはそれで楽しいのだが。

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『愛と銃弾』

 南イタリアの港町ナポリ。地元のマフィアのボス・ヴェンチェンツォ(カルロ・ブチロッソ)の葬儀が執り行われていた。しかしこの葬儀にはある秘密があった。数日前、看護師のファティマ(セレーナ・ロッシ)はある事件の目撃者になってしまう。マフィア配下の殺し屋チーロ(ジャンパオロ・モレッリ)は事件の目撃者暗殺を命じられるが、ファティマは彼の幼馴染で元恋人だった。チーロはファティマを守る為に殺し屋コンビの相棒ロザリオ(ライツ)を裏切り、彼女を連れて逃げる。しかし組織は2人を追い続ける。監督はアントニオ・マネッティ&マルコ・マネッティ。
 近年歌って踊る映画といえばインド映画だが、私はイタリア発の本作の方が断然好きだ。序盤、棺の中の死体が歌い始める時点で、えっそういう方向性なの?!とショックを受けたのだが、妙に楽しい。以降要所要所で歌と踊りが展開されるが、全てがプロのクオリティというわけではなく、どこか素人くさい。この素人くささはあえてのものなのだろうが、微妙な野暮ったさと選曲の歌謡曲感が見事にマッチし味わい深すぎる。キッチュと言えばキッチュなのだが、映画のクオリティが低いというのではなく、むしろ完成度は高い。よくこの形態でやろうと思ったな・・・。魅力を伝えるのが難しいのだが、ミュージカル、ノワール、ロマンス、ガンアクションという諸々のジャンル要素が盛り合わされており、かつそれぞれの要素はベタ中のベタな部分を使っているのだが、全体としてのトーンは統一されている。謎の化学変化だ。
 ヴィンチェンツォの妻マリア(クラウディア・ジェリーニ)が映画好きという設定で、映画ネタが結構多いところも楽しい。ストーリーの肝になるある作戦自体、映画からアイディアをとったものだし、最初に出てくる観光名所は「『ゴモラ』の撮影場所だよ!」と紹介される。『ゴモラ』をわざわざ引き合いに出してくるという映画愛。
 マリアは損得勘定がはっきりしており、そこそこえげつない性格ではあるのだが、若いメイドをいびるベテランメイドは許さない(自分がメイド出身だから)という主義で、金目当ての結婚と揶揄される夫のこともそれなりに愛している。部下に無茶ぶりはするが何だか憎めない。アストンマーチンとデロリアンとどっちがいい?と聞いてくる人のことをあまり嫌いにはなれないな・・・。他の登場人物についても同様だ。チーロとの絶対的信頼関係があると思いきや途中で切ない片思い状態になってしまうロザリオも、彼なりに筋は通っているし、自分はリーダーポジションじゃないんだよね・・・と切々と歌うヴィンチェンツォの右腕的部下も憎めない。本作の魅力は、この憎めなさと言うか、可愛げにあるように思った。

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『メアリーの総て』

 19世紀のロンドン。思想家の両親の元に生まれ、父が経営する書店を手伝いながら自らも執筆を夢見ているメアリー(エル・ファニング)。スコットランドの知人宅に滞在した際、新進気鋭の詩人パーシー・シェリー(ダグラス・ブース)と出会う。しかりパーシーには妻子があった。情熱に駆りたてられた2人は駆け落ちし夫婦生活を始めるが、パーシーの経済的な問題、幼い娘の死と相次いで悲劇に見舞われる。詩人バイロン卿(トム・スターリッジ)の別荘に滞在したメアリーは、「皆で1つずつ怪談を書こう」と誘われ、あるアイディアに着手する。監督はハイファ・アル=マンスール。
 作家メアリー・シェリーが後世に読み継がれる怪奇小説『フランケンシュタイン』を執筆するまでをドラマ化した作品。エル・ファニングがまあはまり役で、今こういう役を演じたら敵うものなしという感じなのだが、こういう役ばかりでもなぁ・・・とちょっと複雑な気分にもなる。少女性を加味されすぎな気がするので。それはさておき、キャストが全員ハマっていてなかなか良かった。特にパーシー・シェリーのまず顔ありきな感じにはちょっと笑ってしまった。顔と才能が傑出していなければただのクズというところが潔い。
 メアリーは先進的な家庭に生まれたけど、時代の壁は厚い。自由恋愛とは言っても、パーシーにとっては自分に都合のいい「自由」で、メアリーを個人として尊重しているとは言えない。パーシー自身にはメアリーを尊重していないという自覚はないのだろうが、この「自覚すらない」というのが非常にやっかい。彼が自由恋愛を主張するロジック、現代でも使う人がいると思われるけど、元々2者が立っている地平が同等ではないということが念頭にないのだろう。
 パーシーはメアリーの文才は認めているものの、彼女にとって自分の作品がどのような意味を持つのかという所までは考えが及ばない。(作品のクオリティが高ければ)作者名はどうでもいいというのは、既に名がある、自分の著作物だと主張することが許されている(女性作家名の作品は出版できない等とは言われない)から言えることだろう。また、モンスターではなく天使のような創造物を描けばいいのにという意見も、なぜモンスターなのかということを全く考えていない(心当たりがない)から言えることだ。そこから言われてもね、という苛立ちは否めない。メアリーは出版社への持ち込みや出版の条件からして、パーシーら男性作家に付与されているものを持っていないのだ。著作権問題といえば、ドラキュラを執筆した(と主張する)医者も気の毒だ。バイロン本人が自分の著作ではないと言ってもダメなのか・・・。当時の女性の辛さがてんこ盛りでなかなかどんよりとしてくるのだが、現代でもこういうことってあるなと思えてしまう所がさらに辛い。
 メアリーが『フランケンシュタイン』を執筆し始め、書きすすめる過程は史実とは違うのだろうが、それまで彼女が読んだ本や体験、全部盛り込まれ集約されていくことが分かる見せ方になっていたと思う。前半で出てくるスコットランドの情景がとてもよかった。広くて静かで寂しく、寒々しい。メアリーは「夜が静かすぎて眠れない」と言うのだが、そうだろうなぁ。この風景もメアリーの著作の下地になっているということが実感できる。こういう環境でしばらく暮らしてみたくなった。

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)
メアリー シェリー
光文社
2010-10-13






ワアド・ムハンマド
アルバトロス
2014-07-02

『未来を乗り換えた男』

 ファシズムの嵐から逃れ、祖国ドイツからフランスへやってきたゲオルグ(フランツ・ロゴフスキー)。しかしパリもドイツ軍に占領されつつあり、南部の港町マルセイユへ向かった。パリのホテルで自殺していた作家ヴァイデルのパスポートをたまたま手に入れた彼は、ヴァイデルに成りすましてメキシコへ渡ろうとする。しかしたまたま知り合ったヴァイデルの妻マリー(パウラ・ベーア)に心奪われてしまう。原作はアンナ・ゼーガースの小説『トランジット』。監督・脚本はクリスティン・ペッツォルト。
 第二次大戦下のヨーロッパのような社会情勢で描かれているが、舞台となっているのは明らかに現代(スマホも出てくる)。しかし登場人物の服装はどこかレトロで時代の特定はしにくい。どこでもありどこでもない、いつでもありいつでもないという不思議な雰囲気がある。この特定できなさ、逆に言うとどこでも・いつでもありうる普遍性を醸し出す美術面の匙加減が上手いと思った。マルセイユという町の風景も効果的。
 ゲオルグの行動はマリーに魅せられてのものではあるのだろうが、それ以上に彼の人となりから来るもののように思えた。汽車で同乗した相手にしろ難民の子供にしろ、困っている・傷ついている人がいたらとりあえず助けようとはするのだ。見込みが甘かったり自分の都合が優先させられたりはするが、基本的に善意がある。人間には善意があるはず、窮地の中でも人として正しいことをする瞬間があるはずという、オプティミズムのようなものを感じる。同監督の『東ベルリンから来た女』でも、自分の処遇はともかく「正しいことをした、これが私にとっては勝利だ」という話だった。人間は利他的になれるという希望を常に持っているように思える。本作は三角関係を含んだロマンス映画でもあるが、ロマンス以上に人間のこういった部分の方が強く印象に残った。善意は中途半端な形で発揮されるかもしれない。ゲオルグの手助けは概ね中途半端なものだ。でも、やるんだよ!というのが本作の方向性では。
 
 一方で、ゲオルグを引き留めているのは土地そのものでもあるように思えた。この土地に辿りついた人は土地の呪縛に絡み取られ、ずっとこの地でさまよい続けるのではないかと。マリーが夫を探し続けるのも、彼を愛し続けているからというよりも、この地を出られないような呪いをかけられたように見える。彼女の気持ちがふわふわしているように見えるのも、そのせいではないだろうか。

東ベルリンから来た女 [DVD]
ニーナ・ホス
アルバトロス
2013-07-03





『喜望峰の風に乗せて』

 1968年のイギリス。ヨットによる単独無寄港を競う、ゴールデン・グローブ・レースが開催されることになった。航海計器メーカーを経営するドナルド・クロウハースト(コリン・ファース)は、名立たるセーラー達が集う中、名乗りを上げる。アマチュアが優勝すれば大きな宣伝になると触れ込みスポンサーも確保し、周囲の期待に押されながら出航するが。監督はジェームズ・マーシュ。
 予告編は見たことがなく、ポスターも題名も何となく爽やかなので感動海洋冒険ものかと思ったら、とんでもなかった。いい方向(と言っていいものか・・・)に裏切られた作品。本作、中盤以降ほぼホラーな怖さだった。ドナルドは家族とヨット遊び等はしているものの、長距離航海をしたことはなく(「沖から出たことないだろう」と言われる)、ほぼ素人。そんな素人が単独無寄港レースに参加するというだけで無謀だし、妻クレア(レイチェル・ワイズ)が心配して止めるのも当然だろう。しかし子供たちは無邪気に喜ぶし、スポンサーや世論は「勇気ある挑戦者」として彼を持ち上げ、地元の町ぐるみで時の人として応援されるようになる。ドナルドがやっぱり無理なのではと危機感を感じた時には、引っ込みがつかなくなっている。ボートが不完全な状態で航海に出るなんて狂気の沙汰だが、出ざるを得ない「空気」が彼の周囲で形成されているのだ。そしてドナルドはその空気に負けてしまう。更に、リタイアすらできなくなっていく。現実的に考えれば、いくら叩かれるだろうとは言え、リタイアする方がまともと思えるのだが、そういう選択肢を持てなくなっていく所が、本作最大の恐怖だ。原題が「 The Mercy 」というのも容赦ない。
 ドナルドが不備を分かりつつも航海に出てしまったのは、周囲の期待に応えなくてはというプレッシャーと同時に、臆病者だと思われたくないというプレッシャーが非常に強かったからではないか。彼は展示会で聞いた、セーラーの「男らしい」冒険者としての言葉に魅了され、レース参加を思い立つ。レースに要求されるような勇気や強さを自分も持っていると証明したくなってしまったのだろう。彼は割と柔和で気の優しい人であり、いわゆるマッチョな男性ではないことが、言動の端々から感じられる。妻からも子供たちからも愛される良き夫・良き父であるはずなのだが、それだけでは満足できない、何かを証明したことにはならないのかと不思議な気もした(そもそも何かを証明する必要があるのかと思う)。そして、彼の自分の存在証明みたいなものが、レースのような無謀な形を取ることがまた不思議だ。父親/男性はこうであれ、勇気があるとはこういうことである、という理想のようなものにドナルドが食い殺されていくようでもあった。


『それだけが、僕の世界』

 かつてはボクサーとしてアジアチャンピオンになったものの、今は落ちぶれその日暮らしをしているジョハ(イ・ビョンホン)。ある日偶然、17年ぶりに母親と再会し、サバン症候群の弟ジンテ(パク・ジョンミン)がいることを知る。なりゆきで実家で暮らし始めたジョハは、母親から弟がピアノコンクールに出られるよう面倒を見てやってほしいと頼まれる。ジンテは一度聞いた演奏は完璧に再現できる、天才的なピアノの腕を持っていたのだ。監督・脚本はチェ・ソンヒョン。
 邦題は内容と合っているようないないような(多分主題歌から取っている題名なので、原題通りなのかもしれない)。それだけが彼の世界「ではない」ことが描かれた作品だと思う。ジョハはある事情でボクサーとしての人生を絶たれ、孤独に生き、家族との縁もないと思っていた。しかし、ジンテとの出会いでそうではないとわかってくる。またジンテも母とピアノだけの世界に生きているが、ジョハが現れたことで新しい家族が出来、更にピアノで世界とつながることを覚える。事故に遭って隠居生活をしていたピアニストも、新たに自分の音楽の世界を掴もうとする。今自分の世界だと思っているものだけが全てではないのだ。ファミリードラマ、兄と弟の絆の物語としての側面が強いが、ある道を絶たれた人たちが、自分以外の才能を体を張って世に出そうとする、そのことによって自分もまた生き直すという側面も強い。ジンテのピアノを初めて聞いたジョハの表情は「目が開かれた」ように見える。弟の姿が一新されるのだ。
 親子関係について安易なハッピーエンドにしない所に誠実さがある。母とジョハとの失われた過去は、もう取り戻せないのだ。今から再構築しても何もなかったことには出来ないというほろ苦さがある。ジョハはおそらく、母を心から許すことは出来ないだろう。仕方なかったと受け入れていくしかないのだ。弟の部屋の写真を見る姿や、迷子騒動の顛末が何ともやるせない。自分に与えられなかったものが何で弟には与えられているんだという割り切れなさは、何歳になっても、それこそ40歳越えても消えるものではないのだ。
 ジョハと母との間にはわだかまりがある。それだけに一層、家族写真でおどけ、母とのダンスに興じる姿に、ジョハが本来持っている優しさが窺える。どちらもとても良いシーンだった。

エターナル 通常版 Blu-ray
イ・ビョンホン
ポニーキャニオン
2018-07-04




『特捜部Q カルテ番号64』

 壁に塗りこまれた隠し部屋から、ミイラ化した3体の死体が発見された。過去の未解決事件専門の、コペンハーゲン警察の部署「特捜部Q」に所属するカール警部(ニコライ・リー・コス)とアサド(ファレス・ファレス)は捜査を開始する。過去に存在したある女性収容施設が関係していると睨むが。原作はユッシ・エーズラ・オールセンの同名小説。監督はクリストファー・ボー。
 過去と現在が交互に入り混じる構成だが、見ていて混乱することはない。エピソードと時間軸の交通整理がきちんとされており、結構なボリュームの原作をコンパクトにまとめている。あの原作を2時間以内に収める手腕は見事。映画単体としてはいいアレンジだったと思う。出来栄えが突出してよかった映画1作目と同等の緊張感を感じた。
 本作で表出するある人たちの思想は、ちょっと表現を変えるとあっさり受け入れられそうな所が怖い。自分たちが優れている、勝ち抜いた側だという思想って中毒性のある気持ち良さなんだろうな・・・。アサドが捜査陣の一員である意味がこれまでの作品の中で最も強い。
 過去と現在を行き来する構成によって、ある人の怒り、そしてたどり着いた境地がより深く余韻を残す。犯行の「どうやって」という部分にはあまり言及されないが(殺人としてはちょっと出来すぎだ)、「なぜ」の部分はひしひしと伝わってくる。自分の人間としての尊厳が侵されることへの怒りがそこにあるのだ。それを受けてのカールの行動もちょっと頷ける。
 最後、カールとアサドの関係が更に一歩前身しており、おおようやく!と微笑ましくなる。カールは相変わらず偏屈なのだが、アサドもローサもそんな彼のことを一貫して(時に腹を立てつつ)心配しており、こちらも微笑ましい。カールは偏屈だけど、アサドやローサの仕事能力に対してはフェアなのだ。

特捜部Q―カルテ番号64―(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ユッシ エーズラ・オールスン
早川書房
2014-12-05


特捜部Q ~キジ殺し~ [DVD]
ニコライ・リー・コス
アメイジングD.C.
2016-08-03





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