3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『機龍警察 狼眼殺手』

月村了衛著
 新たな通信事業として、経産省と中国のフォン・コーポレーションが進める日中合同プロジェクト「クイアコン」に大きな疑惑が生じていた。特捜部は捜査一課、二課と合同で捜査に着手するが、クイアコン関係者が次々と殺されていく。予想をはるかに上回る事態に、沖津特捜部長は大きな決断を下す。
 異色の部署である特捜部は一課、二課からは白眼視され、警察内部の縄張り争いだけでなく検察や国税局との折衝も迫られる。向かうところ敵だらけという状況なのだが、本作では真の「敵」の巨大さ、チートさが徐々に姿を見せ始める。もう大変だよ!警察組織だけでなく各省庁「組織」というものの嫌な部分を見続けるようなシリーズになってきたなぁ。厚顔無恥な奴ばかりが出世し、いい思いをする世界なんておかしいだろう!という末端の叫びが響く。今回、特捜部以外の人たちも結構動くし機龍は活躍しないので、今までになく「警官」としての矜持が見られる。
 世界が変わってしまった感じ、「上の人」がこんなに厚顔無恥だとは思わなかったよ!という感じ、現実社会と呼応していて実にげんなりとします。しかし特捜部のこの先の闘い(小説としての落としどころも)が非常に厳しそう・・・。





『勝手にふるえてろ』

 経理担当の会社員ヨシカ(松岡茉優)は、中学生の同級生イチ(北村匠海)に10年間片思いをしている。ある日、同僚の「ニ」(渡辺大知)に告白された。2人の彼氏が(1人は脳内だけど)いる!と浮き立つが、今のイチへの思いが募り、四苦八苦して同窓会を企画。念願のイチとの再会を果たすが。原作は綿矢りさ。監督・脚本は大九明子。
 本作、果たして原作はどのようなテンションの文体なのかとても気になった。映画は概ねヨシカの語り(というか妄想)なのだが、彼女がナレーションをするのではなく、脳内からあふれ出る言葉がどんどん音声化されてくる感じ。彼女が隣人や公園やバスの中で行きあわせた人と交わす会話は、彼女の脳内で繰り広げられているもの。しかし彼女の言葉が饒舌すぎて、これは果たして脳内に収まり続けているのだろうか、うっかり声に出してない?大丈夫?と気になってくる。脳内のものであれ実際に声に出した会話であれ、ヨシカの言葉であることには違いないので、段々彼女の脳内と現実がシームレスに感じられてくるのだ。えっこれ本当に言っちゃってたんだ!とびっくりしたところも。このあたりは、ヨシカが自分をコントロールできなくなってきているということだろう。どのように語るのかという演出の部分が、時に力技だが映画を見ている側へ突き抜けてくるような勢いがあり、とても面白かった。
 ヨシカは自分に自信がないようでいて妙な所のプライドが高い。ああーこういうのわかる・・・自分にもある・・・自己評価下げているようで実は据え置きにしている嫌な感じのやつね~となかなか見ていてぐさりとくる所もあった。彼女の片思いは、実在の同級生に対するものというよりも、彼女の頭の中の同級生に対するもので、ほぼ自己完結していると言ってもいい。ヨシカは再会したイチのある言葉にいたく傷つくのだが、そこにいる人を見ていなかったという意味では、彼もヨシカもどっちもどっちで、お互いにすれ違っているのだ。
 本作内の(男女間に限らず)コミュニケーションは、往々にしてすれ違いになりがち。ただ、すれ違うというのはお互い様で、すれ違ってしまったことについてそんなに相手を責めるべきではないだろう。少なくともすれ違いなんだから、あとちょっとずれていたらちゃんとぶつかったわけだし。すれ違ってもすれ違っても軌道修正しようとするニのタフさと「野蛮」さが、鬱陶しくも少々羨ましくなってくる。

勝手にふるえてろ (文春文庫)
綿矢 りさ
文藝春秋
2012-08-03



(500)日のサマー [Blu-ray]
ジョセフ・ゴードン=レヴィット
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2012-09-05


『カンフー・ヨガ』

 中国・西安市の博物館で研究に勤しむ考古学者のジャック(ジャッキー・チェン)の元を、インドの考古学者アスミタ(ディシャ・パタニ)が訪ねてくる。約1000年前にインドと中国の間で起きた戦乱の中、消えてしまった財宝を探す為、専門家であるジャックの協力を仰ぎたいというようだ。ジャックは親友の息子である財宝ハンターのジョーンズ(アーリフ・リー)と共に、中国からドバイ、インドへと財宝の謎を追って世界を巡る。監督はスタンリー・トン。なおエンドロールがすごく長いけど、おまけ映像とかはないです。
 インドと中国の合作でスター俳優を起用、明らかに大々的なロケや豪華なセットが使われているのに、妙にスケール感がなく、こじんまりと、かつ散漫とした印象。あれっもっと華やかかつお祭り騒ぎ的な映画なのかと思ったのに・・・。正直拍子抜けだった。絶えない
 ストーリーの規模の割に登場人物が多いが、これは何か大人の事情的なやつなのだろうか。ジャックのアシスタントたちとか、あんまり必要性を感じない。登場人物が多く、それぞれそれなりに動かさなくてはいけないのに話の展開はやたらと早い。早いというよりも、途中の過程を変な省略の仕方をしているように見える。本来のストーリー上の技法としての省略ではなく、単に編集段階でカットした感じ。本来はここにもう一展開あったんじゃないかなという部分や、不自然な衣装替え等が散見された。お金がかかっていそうな割に、こういう部分がやたらと大味。なんだか勿体ない。
 また、妙に動物推しな所も不思議。狼にしろ、ライオンにしろ、ハイエナにしろ、それ出す必要あります・・・?ストーリー上の必然性は殆ど感じない。動物のCGは結構手間暇かかると思うんだけど、その労力を他に回せなかったのか。そんなに動物が好きなのか。
 とは言え、ジャッキーが出てきて動き始めるだけで、とりあえずは「映画」として体面が保たれるんだからすごい。これがスターということなんだろうなぁ。インド映画要素もあるので当然群舞が盛り込まれているが、ジャッキーもちゃんと踊っていて、なんだかありがたいものを見た気分になる。そして最後の最後、ジャッキー映画のNG集の代わりのような「踊り」の多幸感にはジャッキーの人徳をかいま見た感ある。
 なお作中、ジャックはインディ・ジョーンズに準えられるが、インディよりもジャックの方がはるかに研究者としての自覚がしっかりしている。「財宝」の正体にしろ、学者にとっての宝は何なのかという視点なのだ。むしろアンチ・インディと言えるだろう。本作中の「ジョーンズ」は盗人だしな。

スキップ・トレース (特典DVD付2枚組) [Blu-ray]
ジャッキー・チェン
KADOKAWA / 角川書店
2018-01-26



『海岸の女たち』

トーヴェ・アルステルダール著、久山葉子訳
 フリージャーナリストのパトリック・コーンウェルから連絡が途絶え、10日あまりが過ぎた。妻のアリーナは、夫が自宅に郵送してきた手帖と写真を手がかりに、彼を探す為にニューヨークからパリへ飛ぶ。パトリックは海を渡ってくる不法移民問題を取材していたらしい。彼の足跡を追うアリーナは、大きな闇と対峙していく。
 アリーナは舞台美術監督で、記者の仕事とは縁がなかった。そんな彼女が手さぐりで闇の中を進んでいく。彼女の道もまた、パトリック同様に引き返せないものになっていくのだ。パリで垣間見るのは安い労働力として使い捨てにされる不法移民たちの境遇と、それを食い物にする「奴隷商人」たちの姿だ。日本でも近年同じような問題が表面化しているが、本作のそれは更に大規模なもの。アリーナの身にも危険が迫りスリリングな展開で読ませる。
 社会問題を描く意図はあるものの、アリーナ個人の事情から軸足がぶれず、読みやすい。彼女の過去に関する情報の挿入の仕方など、読者からしたらちょっと反則的ではあるのだが当人からしてみたら当たり前のことだから、こういう書き方になるよなと納得はできる。彼女が過去に培ってきた(そして封印していた)ものがどんどん前面に出てい来る物語とも言える。そして書き方と言えば、一か所あっと思った所があった。これは著者が意図的に仕組んでいるのだろうが、自分の中の自覚のない先入観や偏見があぶりだされる。

海岸の女たち (創元推理文庫)
トーヴェ・アルステルダール
東京創元社
2017-04-28


リガの犬たち (創元推理文庫)
ヘニング マンケル
東京創元社
2003-04-12



『オレの獲物はビンラディン』

 コロラド州の田舎町に暮らす中年男性ゲイリー・フォークナー(ニコラス・ケイジ)は愛国心に燃え、同時多発テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディンの居場所をアメリカ政府がいまだ特定できないことに苛立っていた。ある日ゲイリーは、人工透析中に神からの啓示を受け、自らビンラディンを捕まえようと決意する。四苦八苦の末、ようやくパキスタンに入国するが。監督はラリー・チャールズ。2010年にビンラディン誘拐を企てた容疑でパキスタン当局に拘束されたアメリカ人の実話を元にしている。エンドロールではモデルとなったご本人の映像も流れる。
 ザ・ニコラス・ケイジ劇場とでも言いたくなる、ニコラス・ケイジの顔芸、リアクション芸のオンパレード。ドラマの作り自体は割とオーソドックスなので、ケイジの演技の奇矯さがより際立つ。とは言え、ゲイリーのモデルとなったご本人様の映像を見ると、あっ本当にこういう感じの人なんだ・・・と腑に落ちる。本作のケイジの奇矯さは、モデルに寄せて役作りした結果なのだ。実話を元にした映画の最後に「ご本人登場」する形式は、時に野暮だなと思うこともあるのだが、本作に関しては本人を見られて良かった。なるほどこういう人だからこういうキャラクターになるのね、と納得できる。
 ゲイリーは熱烈な愛国者で外国人や外国製品などもってのほか!というスタンスなのだが、いざパキスタンに行くと、あんがい周囲に馴染むしホテルの従業員とも仲良くなってしまう。後々のインタビューでもパキスタンという国、そこに暮らす人たちのことは特に悪くは言わない。やっていることは無茶苦茶なのだが、依怙地一点張りというわけではなく、意外と他人に対して寛容な所もあるのだ。ガールフレンドになる高校の同窓生マーシ(ウェンディ・マクレンドン=コービー)との関係からも、彼の人としての優しさや思いやりが窺える。ぱっと見やたらとテンション高いし大声で喋るしビンラディン捕まえに行くしなので、なぜこいつと付き合おうと思った?!マーシの趣味大丈夫?!と最初は思うのだが、マーシや彼女の養女に対しては(彼なりにではあるが)実直に力になろうとするし、支配的な態度を取らない。見ているうちに、なるほどこれなら好かれるかもなと思えてくる。
 ゲイリーはビンラディンを捕まえなくてはならない、それがアメリカを、マーシたちを守ることになると強迫観念めいた信念を持っている。しかし、その一方でこの信念は妄想だとどこかでは気付いていて、解放されたいとも思っているのではないかという一幕も見られる。ただ、彼は信念から逃れられない。使命感に目覚めてしまうと、一種の麻薬みたいなものでやめられないんじゃないかな。彼の中で内燃するものが大きすぎて、「普通」の生活では処理しきれないようにも思えた。

ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習 <完全ノーカット版> [DVD]
サシャ・バロン・コーエン
20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント
2010-06-25


ドッグ・イート・ドッグ [Blu-ray]
ニコラス・ケイジ
松竹
2017-11-03

『Mr.LONG ミスター・ロン』

 殺し屋のロン(チャン・チェン)は東京にいる台湾マフィアを殺す仕事を受けるが失敗。北関東の田舎町で身動き取れなくなった所、少年ジュン(バイ・ルンイン)に助けられる。その母で台湾人のリリー(イレブン・ヤオ)は、薬物依存症に苦しんでいた。一方で、おせっかいな地元住民たちは、あれよあれよという間にロンの住家や商売の為の屋台を世話する。監督・脚本はSABU。
 ロンは日本語がわからないのだが、住民たちが勝手にどんどん段取つけていく様に対する「何がどうしてこうなった」という表情はとてもキュート。流れ者が悪党に苦しめられる母子を救うという所は『シェーン』(ジョージ・スティーブンス監督)フォーマットだが、流れ者当人が現地の人たちの善意に翻弄され、流れ者としてのアイデンティティが危うくなる(笑)という所が愉快。ロンが所属している組織は表向きレストラン経営しており、ロンも料理が得意。水と塩で野菜煮ただけの汁物はさすがにおいしくなさそうだったが、その後登場する諸々台湾のお惣菜風料理はおいしそうだし、包丁をふるうチャン・チェンはかっこいいし、絵として料理要素が入ることで、ぐっと魅力的な作品になっている。とにかくチャン・チェンの魅力ありきな作品。ナイフを使ったアクションも、終盤の殺陣などかなり戯画的ではあるが(そもそも殺しの道具として効率悪いのでは・・・)様になっていた。
 そんなに精緻な脚本というわけではないし、ある種の「型」を踏まえたストーリーではあるが、前述の通りチャン・チェンに魅力があるし、ラストにベタ故の気分の良さがあり楽しく見た。ただ、1シーンが長すぎ、エピソード加えすぎなきらいがあり、あと30分くらい短くできそうだなぁという気もした。製作側だけが楽しい、自己満足感が滲んじゃっている。リリーの過去を見せたいのは分かるが、そこまで細かくやらんでも・・・。住民たちの田舎歌舞伎のシーンもまるっと割愛してもよさそう。見ていてちょっと苦痛だった。

うさぎドロップ [DVD]
松山ケンイチ
Happinet(SB)(D)
2012-02-02


牯嶺街少年殺人事件 [Blu-ray]
チャン・チェン
Happinet
2017-11-02



『運命と復讐』

ローレン・グロフ著、光野多惠子訳
 劇的な出会いにより一目でお互い恋に落ち、スピード結婚したロットとマチルド。売れない俳優のロットをマチルドは支え続け、やがてロットは劇作家として大成功する。2人の恋と結婚は運命、のはずだった。
 結構な長さなのだがリーダビリティが高く、一気に読んだ。本作はいわば前半戦=運命、後半戦=復讐にわかれた構成で、裏表のような関係にある。ロットは自分とマチルドの関係は運命的なものと信じており、彼女は聖女のように純真で献身的だと言う。しかしこれはあくまでロット側の意見。ロットの思い込みの強さと天然の人の良さ、愛されることに慣れている人特有のある種の無神経さが、彼のマチルド像を作り上げている。前半、マチルドは理想的な妻として家庭をきりもりし、パーティー客をもてなし、ロットを励まし続け彼とのセックスにも没頭する。しかし、その為に彼女が払った努力や犠牲には、ロットは本当には気付かないし無頓着だ。中盤、彼が女性を賛美するつもりで典型的な女性蔑視に繋がるスピーチをする。彼はマチルドを深く愛し続けるが、そういう部分は刷新されないままなのだ。ではマチルドは実際のところどういう女性なのか、というのが後半で、誰に対する「復讐」なのかも明らかになっていく。
 夫婦は所詮他人で、相手について知っている部分などごくわずかなのかもしれないと本作は迫ってくる。そして、そういう状況であっても愛は成立していると言えるのか、いや成立しているはずだというゆらぎが特に後半では前面に出てくる。言葉で具体的に嘘をつくだけでなく、真実を話さないことも嘘になるのかもしれないが、それは不誠実とはまた別のものだ。誠実だからこそ話さないということもある。相手の強さを正確に計測した結果とも言えるのだ。耐えられない事実よりは嘘や沈黙の方がいい場合もあるのでは。
 しかし本作のような設定の場合、あれこれ画策するのは大抵女性の方な気がするのはなぜだろう。




『シャーロック・ホームズの栄冠』

ロナルド・A・ノックス、アントニイ・バークリー他著、北原尚彦訳
 コナン・ドイルが生み出した、世界一有名な探偵シャーロック・ホームズ。誕生から現在に至るまで約130年間、様々な作家による新たなホームズ物語が生み出されてきた。その中からホームズ研究者でもある訳者の選出による、名品から珍品まで収録したアンソロジー。
 大御所ではA・A・ミルンやロス・マクドナルド(まだロスマクが学生だった頃の作品なんだとか。流石に他愛ないです)、アントニー・バークリーら。そしてホームズ研究家やパスティーシュ作家らの作品を収録しておりバラエティに富んでいる。作品の傾向により5部構成になっており、色々な味わいのもが楽しめる。一口にパロディ、パスティーシュと言っても、あたかもコナン・ドイルが書いたようなトーンに合わせているものもあるし、名前や舞台をもじったパロディ、全くのギャグに寄せてきたナンセンスものなど、幅が広い。とは言え、すごく面白いかというと正直そうでもないんだよな・・・。原典を読んだ記憶がかなり薄れているというのもあるし、作品が経年に耐えきれなかったというのもあるだろう。私がそこまでコアなホームズファンではないというのが一番大きいんだろうけど。第5部「異色篇」収録作品が比較的面白く感じられたのも、そういう理由なんだろう。

シャーロック・ホームズの栄冠 (創元推理文庫)
ロナルド・A・ノックス
東京創元社
2017-11-30





『謎の天才画家 ヒロニムス・ボス』

 15~16世紀のネーデルランドで活躍した画家、ヒエロニムス・ボス。その人物像については生年月日を含め謎が多く現存する作品は25点のみ。その中でも傑作と名高いのが、プラド美術館所蔵の三連祭壇画「快楽の園」。プラド美術館の全面協力のもと、この「快楽の園」を細部まで撮影し、様々な研究者やアーティストが作品に込められた意図を探るドキュメンタリー。監督はホセ・ルイス・ロペス=リナレス。
 全体の構成があまり上手くなく、焦点があいまいでぼけているという印象を受けた。「快楽の園」に対するアプローチの方向は、絵具の成分やX線による下絵の確認、またモチーフを読み解き解釈する、歴史的な背景から制作経緯を推測する等様々だ。絵画の研究とはもちろんそうした多面的なものだが、情報の提示の順番の道筋が散漫で、エピソード間のつながりがちぐはぐなように思った。思わせぶりな「イメージショット」的映像が多いのも気になる。もうちょっと筋道はっきりさせて、展開を見せてほしかった。
 作品解釈が印象論寄りになっているのは残念。X線を使った下絵の研究など面白いので、こちらをもっと見せてほしかった。そもそも、明確にわかっている部分が少ないから(材料が少ないから)印象論にならざるを得ないのかもしれないけど・・・。正直な所、目新しい情報は少ない。
 ともあれ、「快楽の園」を超クロースアップで見られる機会はなかなかないだろうから、そういう意味では貴重。茟のタッチがかなり細かいことがよくわかる。それにしても「快楽の園」、現代の目で見ると宗教画とは思えないフリダームさに見える。当時は宗教画として成立していたわけだし、ボス自身もキリスト教的倫理に則って描いたと思われるが、それが不思議だ。こういう部分をもっと掘り下げてほしかったけど、映像的には面白みないか。




『わたしは、幸福(フェリシテ)』

 キンシャサに暮らすフェリシテ(ヴェロ・ツァンダ・ベヤ)はバーで歌って生計を立て、息子サモと2人で暮らしている。バーの常連で修理屋のタブーは彼女に気があり、何かと声をかけてくる。ある日、サモが交通事故に遭い、手術を受けるための費用が必要になった。フェリシテは金策に奔走するが、惨酷な知らせが彼女を待っていた。監督はアラン・ゴミス。
 カサイ・オールスターズによる音楽が素晴らしい。いわゆる美声というわけではない、特に叫ぶようなフェリシテの歌声は、この音楽に乗ると実に表情豊かで力強い。フェリシテはほぼ全編にわたって苦労の連続で、表情は硬く(無表情に味がある)、内面をたやすくは見せない。しかし歌う時だけは幸福感に満ち、エネルギーに包まれる。そんな彼女が歌えなくなる時、どれほど疲労し絶望が深いのかと痛感させられるのだ。
 金策に走り回る話というと、今年見た映画では『ローサは密告された』(ブリランテ・メンドーサ監督)を思い出した。『ローサ~』では保釈金の為にローサと家族が奔走するが、本作では息子の治療費の為にフェリシテが奔走する。警察も政府も腐敗しており最早アンタッチャブルな世界に突入している『ローサ~』に比べると、本作の方が貧しいながらもまだ殺伐としきってはいないように見える。とは言えお金のことを考え続けるのは心身が削られるものだ。彼女が「ボス」の家に押しかけた際の「私は物乞いじゃない」という言葉は、負け惜しみというよりも彼女にとっては正当性があると考えてのことだろうが、それでも(物理的にも)ボロボロになる。それでもやらざるを得ないというのが辛い。
 しかしそんな中でも、「わたしは幸福」と言えるであろう瞬間が訪れる。前述のように音楽に裏打ちされたシーンはもちろんなのだが、日常のちょっとしたことで、日が差し込むような気持ちになるのだ。無表情だったサモがある瞬間に見せる表情がすばらしかった。タブーの立ち振る舞いが引き出したものだが、彼の2人への関わり方がつかず離れず、でも諦めずといった感じで良かった。2人をサポートするが強権的ではないのだ。

ローサは密告された [DVD]
ジャクリン・ホセ
ポニーキャニオン
2018-03-02




『ルージュの手紙』

 パリ郊外に住むクレール(カトリーヌ・フロ)の元に、長年音信不通だった元義母のベアトリス(カトリーヌ・ドヌーブ)から連絡が入る。重要な話があるから会いたいと言うのだ。30年前、ベアトリスが家を出て行った後に父親は自殺し、クレールは彼女を許せずにいた。しかし、脳腫瘍を患っているというベアトリスを放っておけず、不承不承付き合うようになる。監督はマルタン・プロヴォ。
 クレールは助産師という仕事にも、これまでの自分の人生にも誇りを持っている。地に足の着いた生活をする彼女には、破天荒で感情の赴くままに生きるベアトリスのやり方は理解できない。生活者として生き生きとするクレールと、放蕩者として生き生きとするベアトリスは対称的だ。しかし2人の間には、何か通じ合うものが生まれてくる。かつて短い時間とは言え母娘であったから、父親=夫という2人が愛し合た存在があったからというのは一因にすぎないだろう。むしろ、それぞれのやり方で人生を楽しんでおり、相手の人生を尊重しているからではないだろうか。クレールはベアトリスの食生活や喫煙等生活習慣に色々口出しするし、ベアトリスはクレールの野暮ったい服装やストイックな食生活に難癖つけるが、ある一線以上はお互い踏み込まない。口出しはするが、相手を否定するようなことは言わないという大人の振る舞いだ。ベアトリスはずうずうしく振舞うが、一線は弁えているように思えた。
 この距離感の保ち方は、クレールと恋人(らしき)ポール(オリヴィエ・グルメ)の間にも言える。ポールは親切で色々とクレールの世話をやいてくれるが、彼女が踏み込んでほしくなさそうな部分には踏み込まない。クレールはポールに好意は持っているが、常に一緒にいてほしいわけではないだろう。それぞれ自分の生活があり、お互い都合がつくときに一緒に過ごすというスタンスの無理のなさが好ましい。クレールは節制したきちんとした生活を好むのに、自由人ぽいポールと付き合っているしポールの生活態度についていちゃもんつけたりしない。それはそれ、これはこれ的な、領域の重なる部分と重ならない部分をちゃんと見分けている感じがして面白かった。

ヴィオレット ある作家の肖像 [DVD]
エマニュエル・ドゥヴォス
ポニーキャニオン
2017-07-05


クロワッサンで朝食を [DVD]
ジャンヌ・モロー
ポニーキャニオン
2014-02-04



『人生の段階』

ジュリアン・バーンズ著、土屋政雄訳
 1783年に物理学者ジャック・シャルルが、初めて水素気球で空を飛んだ。1878年、女優のサラ・ベルナールはパリ中心部から気球で飛び立った。1888年、英国近衛騎兵隊大佐のフレッド・バーナビーはドーバー・ガスの工場から気球で飛び立ちイギリス海峡を越えフランスに着地した。熱気球の歴史をひもとく一部、熱気球に魅せられたサラ・ベルナールとフレッド・バーナビーの恋を描くフィクションの二部、そして、妻を突然亡くした著者自身の追想がつづられる三部から成る。
 一部、二部は明らかに「気球」という共通項があるのだが、三部には共通項がなさそうに見える。しかし、本作の中心となるのは三部に違いないだろう。妻の死への深い悲しみと、それ故の自分を励まそうとする人や、逆に妻の思い出を(著者への配慮や居心地の悪さからだろうが)避けようとする人たちへの反発。また、同じような体験をした人同士でも共感し得ない、理解できない領域があるということ等、感情的な書き方ではないだけに痛切だ。悲しみを癒すのは時間だとはよく言ったもので、数年経つうち、著者は何を見ても聞いても辛いという状況から、徐々に距離を保てるようになっていく。とは言え悲しみが消えることはなく、何かの拍子にぐっと近づく。この不安定さが、距離を保たねば地上に落ちてしまう、風向きによっては目的地以外に流されてしまう気球のあり方と著者の中では呼応したのかもしれない。

人生の段階 (新潮クレスト・ブックス)
ジュリアン バーンズ
新潮社
2017-03-30


フロベールの鸚鵡
ジュリアン バーンズ
白水社
1989-10

『ラブラバ』

エルモア・レナード著、田口俊樹訳
 元シークレット・サービスの捜査官で、今では写真家のジョー・ラブラバは、12歳の頃の初恋の相手である、元女優のジーン・ショーと知り合う。ジーンとの出会いに心浮き立つラブラバだが、彼女は厄介な男たちに目を付けられていた。アメリカ探偵作家クラブ最優秀長篇賞を受賞した作品の、新訳版。
 ラブラバは一見呑気でピントがずれているが、実は頭がきれ腕っぷしも強いという、なかなかのチートキャラ。都合が良すぎるチートぶり(経歴が結構すごいもんね・・・)もレナードの軽口をたたくような軽妙で洒脱、しかしクールすぎない文体だと違和感を感じない。世界観の統一がされているということだな。ラブラバの、頭はきれるが基本的に人が良く、特に女性に対しては脇が甘い所も、やりすぎ感を抑えている。ラブラバの中の客観的で冷静な部分と、自分が信じたいものを信じたいという情の部分のせめぎ合いが、本作を単なる「クール」ではなくしていると思う。
 本作、’40年代フィルムノワールへのオマージュに満ちていて、固有名詞をわかる映画好きにはより楽しいのでは。ジーンがどのような女優なのかということも、よりわかる(そこが辛い)はず。引退したとはいえ彼女はやはり女優で、「映画」をやりたいのだ。事件の謎は中盤で明かされてしまうが、謎解きは本作の重点ではない。女優として生きるジーンと、それに対するラブラバの配慮が泣かせるのだ。ラブラバは信じたいものを信じようとしても真実に引き戻されるが、ジーンは自分が見せたいものに殉ずるようでもあった。夢に生きてこそのハリウッドの住民ということか。
 悪役として登場するノーブルズとクンドー・レイの珍道中もいい。ノーブルズの言動は頭が悪いのに結構怖い。中途半端な悪人、かつ思い込みの激しさ故の怖さがあるのだ。



グリッツ (文春文庫)
エルモア レナード
文藝春秋
1994-01

『スターウォーズ 最期のジェダイ』

 伝説のジェダイであるルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)の元に辿りついたレイ(デイジー・リドリー)。ファーストオーダー、そしてフォースを使えるカイロ・レン(アダム・ドライバー)に対抗するべく、彼にレジスタンスへの協力を求めるが、ルークは拒む。一方レイア(キャリー・フィッシャー)率いるレジスタンスは、ファーストオーダーの猛攻にさらされていた。ポー(オスカー・アイザック)とフィン(ジョン・ボイエガ)は新たなミッションに挑む。監督はライアン・ジョンソン。
 吹替え版で見たが、悪くない。むしろ、私にとってのスターウォーズは吹替え版のイメージが強い(よくよく考えるとエピソード4,5,6は字幕で見たことがない・・・日本語で喋るルークしか知らないわ)ので、違和感なく馴染んだ。あざとくかわいいキャラでくすぐり入れやがって・・・と若干イラっとしていたポーグたちも、チューイとの攻防含め悪くない。可愛いんだけど、瞳の中に虚無があるというか、そこはかとない邪悪さを感じるのは私だけだろうか。
 2時間越えの長尺で、スターウォーズにさほど思い入れがない身としては間が持つのかちょっと心配だったのだが、意外と飽きずにテンポがいい。今回はレイのパートとフィンたちレジスタンス、そしてファーストオーダー側のおおよそ3パートが平行して進行する。作品1本通して大きなストーリーがあるというよりも、中規模のエピソードを団子状に回収していくような構成なので、正直構成の妙があるとは言いづらいし、展開上、色々つっこみたくなるところはある(場面移動の動線がちょっと無駄じゃないかなというか・・・そこに舞台集中させる必要あります?って箇所がある)。レジスタンスの戦略の上手くいかなさが、状況の困難さというよりも戦略の杜撰さに見えてしまうのも痛い。しかし、1エピソードごとに盛り上げて回収、ということを小刻みにやっていくので、長尺でのダイナミズムや全体としての話の整合性には乏しいかもしれないが、飽きずに見られた。
 スターウォーズはエピソード6まで父殺しの物語を繰り返してきたが、前作今作と、そこは、もうぼちぼちいいんじゃないかな?巨悪とか、それいります?というモードになってきたのでは(ルーカスの手を離れたのが大きいのかもしれないけど・・・)。ないしは父殺しのウェイトがそれほど高くなく、ちゃっちゃとやっちゃって次の段階に移りたいということだろうか。えっそこもう処理しちゃうの?!とびっくりした。
 今回、「次の段階に移りたい」という点では、これまでとは大分大きな変化がある。ここが旧来のファンにとっては受け入れがたい所なのだろうが、個人的にはすごくいいなと思った。いわゆる選ばれし人たちの物語ではないという方向に舵を切っているのだ。最初からヒーローな人はいないし、血筋によって英雄・傑物になるわけではない。そもそも、英雄という存在すら怪しいのでは。英雄的な行為の種子は様々な名もなき人の中にあって、きっかけがあればそこかしこで芽吹くかもしれない。終盤の「少年」はそういうことじゃないかなと。フィンもレイも、たまたま主人公なんだと思う。特にフィンの「何者でもなさ」は新鮮ですらある。
  今回、レイもフィンも厳しい環境で育ってきたにしては他人の話を信じすぎというか、単純すぎる気がしたが、2人とも人間関係が乏しくて人の心の機微があんまりわからないということなのかなー。特にレイは同じ感覚を共有できる人って今まで全くいなかったろうから、通じ合うものがあるとわかると信用しちゃうんだろうな。





『女の一生』

 男爵家の一人娘ジャンヌ(ジュディット・シュムラ)は、神父と両親の勧めで子爵ジュリアンと結婚。新生活は順調に見えたが、夫の不貞を知る。原作はギ・ド・モーパッサン。監督はステファヌ・ブリゼ。
 おおよそ時系列に沿ってはいるが、ジャンヌの人生の断片が随所にちりばめられており、さっきちらっと見えた場面はどういう状況なんだろうか?と思っていると後々わかってくる。冒頭から不穏そうなシーンもあり、不幸の予兆を常に感じさせる。実際、夫の不貞を発端に、ジャンヌの人生には次々と困難が降りかかる。その困難は、当時(原作が発行されたのは1883年)の女性にとってはそんなに珍しい話でもなかったんだろうな・・・。
 ジャンヌは夫や息子により辛酸舐めさせられるが、夫とも息子とも幸せな時間は確かにあった。彼らを恨んだり悲しんだりするのと並行して、幸せだった頃の記憶がよみがえる。本作の構成は、その記憶がよみがえる感じ、一つの記憶が他の記憶と次々に連動していく感じを意図しているのだろう。夫にしろ息子にしろ、相手を恨むだけならまだ楽かもしれないが、なまじ幸せだった記憶が生き生きとそこにあるので、余計に心が引き裂かれ辛い。特に伯爵夫人や幼馴染のメイドとの女性同士のじゃれあいや他愛のない会話のあれこれは親密さを感じさせるものなので、後々の展開を思うと実に苦い。
 ジャンヌは夫や息子に振り回され、流されているように見えるが、当時の女性としては他に生き方の選択肢があまりなかったということだろう。両親にとっての娘、夫にとっての妻、息子にとっての母という、誰かに紐づけられた存在としてしか立ち位置がないというのが、何とも息苦しい。誰かを待ち続ける彼女の姿が痛々しくてならなかった。

女の一生 (光文社古典新訳文庫)
ギィ・ド モーパッサン
光文社
2011-03-10


女の一生 [DVD]
杉村春子/賀原夏子/宮口精二/北村和夫/南美江/丹阿弥谷津子/三津田健/近藤準/村松英子
(株)カズモ
2004-10-01

ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ