3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『SHOCK WAVE 爆弾処理班』

 香港警察の爆弾物処理局捜査官チョン・チョイサン(アンディ・ラウ)は、おとり捜査官として犯罪組織に潜入。組織の摘発に成功するが、組織のボス・ホン(チアン・ウー)は取り逃がしてしまう。7年後、ホンが香港に現れた。海底トンネルを占拠し爆弾を仕掛けた上、通行中だった数百人の人質を取ったホンは、服役中の弟の身柄と莫大な身代金を要求してきた。チョンは現場に向かうが、ホンはチョンに強い恨みを抱いていた。監督・撮影・脚本はハーマン・ヤウ。
 チョンは爆発物処理のプロフェッショナルだが、なぜか冒頭では潜入捜査をしている。潜入捜査って他部署の人がやっても大丈夫なの・・・?爆発物処理局所属だとわかってびっくりしたよ!チョンとホンの因縁を作る為の設定なのだろうが、見ていていきなりひっかかってしまった。これに限らず、本作、面白いことは面白いし、盛り上がるシーンは要所要所にあるのだがストーリーや設定が大分大味。あるエピソードを入れるためにその前の展開を無理矢理作っているようなふしが見受けられる。エンターテイメント大作っぽいたてつけなのに、いまひとつB級感が拭えないのは、そのあたりが原因か。ストーリーに枝葉が多すぎて全体的に飽きてしまうのが辛かった。
 作中の経過時間の配分も妙な感じだった。トンネル占拠事件は3日間の出来事という設定なのだが、計画のボリュームとしては24時間程度が丁度良かったんじゃないかなという気がしてならない。日をまたいでだと犯人側も疲れてきちゃうし人員交代しないとならないし、成功の可能性下がるのでは・・・。事件経過中、捜査員がいちいち本庁に帰っているのも気になった。帰らないということはないのだろうが、そのタイミングで?と思ってしまう。何か色々横やりが入って、話の腰をいちいち折ってくる。何とも奇妙な味わい。
 チョンの恋人が、最近の映画では珍しいくらいに記号的な「恋人」なのは残念。これだったら出てこなくてもいいくらい。一方、ホンが妙に執念深いというか、ねちっこい人物として描かれている。一度自分のものだと見なした人間に対してやたらと執着する。キャラクター造形の濃淡がまちまちで統一感がないように思った。

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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2018-08-08


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『スターリンの葬送狂騒曲』

 1953年、粛清により国を支配していたソ連の独裁者スターリンが急死。次期最高権力者の座を狙い、側近だった政治委員フルシチョフ(スティーブ・ブシェミ)や副首相ベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)らは熾烈な争いを繰り広げる。監督はアーマンド・イヌアッチ。
 ソ連が舞台なのだが、全編英語作品。まさかブシェーミがフルシチョフを演じるとは・・・。本作、製作はイギリス。スターリンが英語で話し始めた時点でカクっと力が抜ける。映画ではよくあることだから別にいいのだが、妙にコントっぽい。しかしこのコントっぽさが本作の持ち味だろう。スターリンにしろその側近たちにしろばんばん粛清して国民を殺しまくっていたわけだし、本作中でも相当数の人が死ぬという大変深刻な状況なのだが、悲壮感がない。惨劇もいきすぎるとギャグに見えてくるという薄黒い笑いがある。
 独裁者がマイルールで国をがんじがらめにする、基本的なルールがめちゃくちゃになっているという現実がそもそもコントみたいな状況だから、それを更にコント化している感じだ。序盤のスターリンと側近たちのやりとりのノリは、ボス的先輩のいる体育会系部活の悪ノリっぽい感じもして実にバカバカしい。その腹の(物理的な)ぶつけ合いは何なんだよ!また、会議で忖度に忖度を重ねるので、最早会議ではない。空気の読みあいである。どこかの国でもよく見る光景、でもこういうやり方で国の行く末決められちゃたまらんよな!
 権力争いは激化し誰が誰をけり落としていくのか?という展開(と言っても映画見ている側は歴史として知っているわけだが)で、彼ら、少なくともフルシチョフとベリヤはスターリンが死んでラッキーと思っている。そんな中でも、スターリンの遺志や彼の思想は正しいという主張がちょくちょく出てくるあたりが面白い。一応同志は同志なのか。

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紀伊國屋書店
2011-12-22


『追想』

 1962年、新婚旅行でドーセット州のチェジル・ビーチにあるホテルを訪れたフローレンス(シアーシャ・ローナン)とエドワード(ビリー・ハウル)。海辺を散策してからホテルの部屋に戻ったものの、初夜を迎える興奮や不安で会話は続かず、気まずい空気になってしまう。ついにフローレンスは部屋を飛び出してしまい、エドワードは追いかけるが。原作はイアン・マキューアンの小説『初夜』、監督はドミニク・クック。
 エドワードとフローレンスのどちらかに非があるというわけではない。2人の中のタイミングのちょっとしたずれが、修正されないまま物事が進んでしまったのだ。そしてどたんばで修正するには、2人はまだ若すぎたのだろう。更に、この時代、この土地柄でなければまた違った展開があったのではないかと思わせられる。人生の殆どは運とタイミングで決まるのではなかろうか。
 人生の一つの可能性が失われる様は哀感漂うのだが、あくまで可能性の一つでしかない。それで2人の人生がダメになるわけではないし、悪い方に進んだと言えるわけでもない。一つの分岐を迎えただけだというクールなタッチで描かれている。本作、脚本を原作者であるマキューアンが手がけているのだが、「その後」の描写には、マキューアンちょっと丸くなったかな?とも思わされた。ほろ苦いがそれほど辛辣ではない。作家本人が年齢を重ねたせいかもしれない。若い頃に感じたこの世の終わりだ!みたいな痛切さって、後から振り返るとそこまで深刻ではなかったりする。その時は大層辛くても、とりあえず人生は進行していってしまう。そこが救いでもあり物悲しさでもある。
 フローレンスとエドワードのくい違いはセックスそのものというよりも、生まれ育った環境や階級(フローレンスの両親があからさまに嫌な顔をする・・・)、関心を持っているものの相違が積もり積もって爆発したと言った方がいいのだろう。音楽の好みの違いがわかりやすく(分かりやすすぎるくらい)その差異を象徴している。しかし一方で、2人の気持ちがぴたりと重なっていた瞬間、深く理解しあった瞬間もたくさんあることがわかるので、切なさが増す。愛は確かにあったのだ。フローレンスがエドワードの家を訪問するエピソードは本当に美しい。エドワードの母親への対応を見て、彼が泣いてしまうのもよくわかる。上手くいく可能性も当然あったんだよな。それでもタイミングがずれるとすれ違ってしまう。

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2009-11-27


愛の続き (新潮文庫)
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2005-09


『オーシャンズ8』

 名の知れた詐欺師ダニー・オーシャンの妹デビー・オーシャン(サンドラ・ブロック)が仮釈放された。出所したデビーは元相棒のルー(ケイト・ブランシェット)を始め7人の女性を声をかけ、5年越しで計画したヤマを実行に移す。世界的ファッションイベント「メットガラ」の会場で、カルティエ秘蔵の1億5000万ドルのダイヤモンドのネックレスを盗み出そうというのだ。監督はゲイリー・ロス。
 計画犯罪ものとしてはわりと雑というかおおらかで、脚本が緻密というわけではない(むしろ犯罪計画に穴が多くてハラハラしてしまう)のだが、愉快で楽しい。特に女性にとってはセクハラ要素や性役割に関する先入観、テンプレ的な描写がほぼないので、ストレスが少ないのでは。いわゆる女性性が強調されるのはドレス姿くらいで(メンバーの中に、自分はドレスアップは性に合わなくて嫌だという人がいても面白かったと思うけど)、あとはかなりニュートラル。女性のみのグループ、しかも仕事目的で集まったグループの話だと、逆に性別にまつわる要素って出てこないし出す必要がないものな。「女同士って人間関係が怖いんでしょ?」みたいな言説とは無縁で、目的がはっきりしているから人間関係でゴタゴタしないというあたりがいい。全員、プロとして集まっておりお互い深入りしない、友達同士というわけではないクールさもストレス軽減に役立っていた。
 ストレスの少なさは、作中、男女問わず概ねどの人物に対してもいじわるな視線や、誰かをバカにしていじる類の笑いがないあたりにも起因する。いわゆるドジっ子とかおミソキャラ的なポジションがないので、話の腰を折られない。「彼」だけには辛辣だが、これは「彼」が人をコケにして裏切ったからその仕返しということで、まあ止む無しだろう。
 すごく面白い!密度が高い!というわけではないのだが、ほどほどの面白さ、気楽さに徹した作りが逆にプロの仕事という印象。あえてのユルさであるように思った。なお、ファッションは大変楽しい。キャラクターそれぞれが、自分らしい服装でサマになっている。特に、公開前から評判だったが、ケイト・ウィンスレットが素晴らしくかっこよかった。スカジャンの着こなし方とか、ジャケットにじゃらじゃらアクセサリーつけているのとか、もう最高。あの恰好でバイクを乗りこなしているあたりがまた素敵すぎる。

オーシャンズ11 [Blu-ray]
ジョージ・クルーニー
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21


ゴーストバスターズ [AmazonDVDコレクション]
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2017-07-05


『銀魂2 掟は破るためにこそある』

 金欠で家賃の支払いに困った万屋の銀時(小栗旬)、新八(菅田将暉)、神楽(橋本環奈)はアルバイトをすることを決意。しかしピンチヒッターで雇われたキャバクラでも床屋でも、なぜかお忍びで訪れる将軍・徳川茂茂(勝地涼)と遭遇するのだった。一方、真選組では新参者の伊藤鴨太郎(三浦春馬)が勢力を伸ばしつつあり、土方(柳楽優弥)らは内紛を懸念していた。原作は空知英秋の同名漫画。監督・脚本は福田雄一。
 前作を見た時、銀魂を本当に実写化し、しかもちゃんと原作漫画とTVアニメーション版を踏まえた銀魂になっている!と何か感動に近いインパクトの面白さがあったのだが、今回はいまひとつ。ちょっと長尺すぎて、中だるみしていたように思う。真選組パートが原作でもそこそこボリュームのあるエピソードなので、将軍エピソードと組み合わせて一本の映画にするのはなかなか厳しかったのだろう。それぞれの話はコメディもシリアスも面白いので(銀魂というコンテンツを初見の人はすごい勢いで置いていかれるだろうけど・・・)もったいない気もする。
 また、福田監督作品の常連である佐藤二朗とムロツヨシを使ったコメディ部分は、内輪ノリ感が強すぎて全く笑えなかった。特に佐藤のギャグは尺が勿体ないとしか思えなかった(ムロパートは一応原作のからみもあるので)。原作にしろアニメにしろ、銀魂は内輪ネタ、楽屋ネタが多い作品ではある。が、最大公約数的な内輪がよりこぢんまりとした内輪に縮小してしまったかな?という印象を受けた。監督としては安心感があるのだろうけど、見ている側には関係ないからなぁ・・・。
 ストーリー上、今回は万屋よりも真選組がおいしい部分を持っていく。特に近藤(中村勘九郎)と沖田(吉沢亮)のキャラクターの魅力はよく出ていたのではないかと思う。これは、演じた俳優の力によるところも大きいだろう。中村演じる近藤、本当にちょっとアホだけど好男子で器が大きい感じがする。近藤が愛されゴリラだということに初めて納得いったかもしれない(笑)。沖田が非情なようでいて近藤のこと大好きというニュアンスの出方にも作品ファンはぐっとくるだろう。そして顔面が大変良い。
 なお顔面の良さで言うと、桂(岡田将生)は女装してもちゃんと美形かつ美脚。ドレスから肉がはみ出る銀子も捨てがたいが、やはりヅラ子圧勝であった。

銀魂 [DVD]
小栗旬
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2017-11-22


『ペンギン・ハイウェイ』

 小学校4年生のアオヤマ君(北香那)は、毎日学んだことをノートに記録す勉強家。ある日、町にペンギンたちが現れる。海のない町にペンギンたちがなぜ現れたのかさっそく研究を始めたアオヤマ君は、仲良しのお姉さん(蒼井優)が投げたコーラの缶がペンギンに変身するところを目撃する。原作は森見登美彦の同名小説。監督は石田祐康。
 新井陽二郎によるキャラクターデザインはやり過ぎ感がなく、あざとすぎずイヤミがないもので見やすい。お姉さんの胸の造形に力が入りすぎ(サイズと重力感が生々しい・・・)な所、女児キャラクターのデザイン、演技が少々類型的な所は気になるが、全体的には悪くなかった。いわゆるおねショタ感がすごくて大丈夫なの?とちょっとひくくらいなのだが、絵の方向性がニュートラルでそれほど偏執的ではないのでなんとか一般向け作品として着地している印象。声優陣もバランスが良く、特にお姉さん役に声が低めの蒼井をあてているところはよかった。また釘宮理恵によるウチダ君は白眉だと思う。私は釘宮さんの少年演技が好きなので・・・。また、アオヤマ君の父親役が西島秀俊なのだが、なんというか、心のないイケメン感とでもいうようなニュアンスがじわじわくる。すごい美形というわけではないが妙に生活感が希薄で、不思議な個性の人だよな・・・・。
 この映画がというよりも原作込でなのだが、SF的な側面やいつかは終わる夏休みのもの悲しさ、寂しさのニュアンスは涼やかで良い。ただ、おっぱい推しはちょっと勘弁していただきたかった。アオヤマ君はお姉さんのおっぱいに興味津々(多分彼女が初恋なのだ)で、それは別にかまわない。かまわないのだが、アオヤマ君のお姉さんに向ける視線が一貫して性的なものなので、落ち着かないのだ。子供が大人の女性を性的に見ているから、というのではなくて(これは多分に原作の問題だが)、子供が主体であればこのくらいの性的ニュアンスは微笑ましいでしょ?むしろかわいいでしょ?という作品の建て付けの甘え、油断に少々辟易とするのだ。アオヤマ君が(主に男性)視聴者にとっての「あらまほしき科学少年」として造形されているだけに、より鼻につく。男子のスケベ心は微笑ましいという慣習、いい加減ダサいからやめませんか・・・。性的に見られ続ける側の意識に全然触れられていないのはきつい。

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)
森見 登美彦
角川書店(角川グループパブリッシング)
2012-11-22

台風のノルダ DVD通常版
野村周平
東宝
2015-08-19


『オーケストラ・クラス』

 バイオリニストとして行き詰っていたシモン・ダウド(カド・メラッド)は、パリ19区の小学校に講師として赴任する。音楽に触れる機会の少ない子供たちに対する音楽教育プログラムで、バイオリン演奏を教え、最終的にはオーケストラで演奏するというものだ。子供が苦手なダウドはうんざりするが、アーノルド(アルフレッド・ルネリー)という少年に音楽の才能を見出す。監督はラシド・ハミ。
 音楽が中心にある映画ではあるのだが、いわゆる音楽映画とはちょっと違うかなと思った。作中の演奏シーンがほぼ子供たちの練習姿で「音楽未満」という感じという面もある(クライマックスはさすがに違うが)のだが、どちらかというと教育、学校教育とはどういうものかが描かれた作品に感じられた。子供たちが音楽を学んでいく過程であると同時に、ダウドが教育者として成長していく過程の物語なのだ。
 シモンはオーケストラ・クラスの子供たちの収拾のつかなさにイラつき、すぐに騒ぐ子供ややる気のない子供は受講をやめればいい、その方が演奏は上手くなると言う。それに対して担任教師は、そういう(問題行動のある子)にこそこの授業を受けさせたい、誰も排除しないと言う。音楽の専門教育の場であればダウドのいうやり方でいいのかもしれないが(そもそもやる気と才能による選別ありきの世界だから)、学校教育はそうではない。子供を取りこぼさないことが大事なのだ。
 とりこぼさない、見捨てないという姿勢を大人=教育者側が一貫して取り続けるのはなかなかしんどいが、苦境で見捨てられる(と感じる)と子供にとっては後々まで心の傷になるもんな・・・。だから、保護者も巻き込んで大人たちがクラス続行の為に奮闘した姿は、この後彼らが音楽と縁遠くなったとしても、ずっと記憶に残っていくんじゃないかと思う。
 子供たちの姿がとても生き生きとしている、というか生々しかった。結構えぐい下ネタをイキって言い合う様には、ああこういうノリ苦手だったなーと自分の子供時代を思い出し苦々しい気分に。また、人種・宗教ネタの言い合いもそこそこ出てくるのだが、お互いに一定の信頼関係があるからこそ言い合いとして成立するネタ(つまり関係性が悪い、または殆どない状態だと洒落にならない)で彼らの間ではこのレベルだったら深刻な問題にはならないらしいというニュアンスも面白かった。

ミュージック・オブ・ハート [Blu-ray]
メリル・ストリープ
ワーナー・ホーム・ビデオ
2012-04-04


パリ20区、僕たちのクラス [DVD]
フランソワ・ベゴドー
紀伊國屋書店
2011-04-28


『つかのまの愛人』

 大学で哲学を教えている教師ジル(エリック・カラヴァカ)は教え子のアリアーヌ(ルイーズ・シュヴィヨット)と同棲している。ある日、ジルの娘ジャンヌ(エステール・ガレル)が転がり込んできた。恋人に振られやぶれかぶれになっていたのだ。同い年のアリアーヌとジャンヌは、ジルの恋人と娘という微妙な関係ながら、徐々に親密になっていく。監督はフィリップ・ガレル。
 ガレル監督作品は一貫して愛、恋愛を描くが、いわゆる美しい恋愛、甘美な恋愛にはあまりお目にかからない。甘美な瞬間はあるかもしれないが一転して苦くなり、時にイタく滑稽だ。ジャンヌの悲壮感と独占欲は空回りする。あなたと付き合ってからすごく自由なの!と言うアリアーヌに対しジルは同意するが、いざ彼女が「自由」である現場を目撃してしまうと嫉妬に悶え全然「自由」ではない。そしてアリアーヌはジルの「自由」に対する言葉を(意外なのだが)額面通りに捉え、後々大後悔する。愛と恋に自由はないのか、愛とは不寛容なのかとため息が出そう。
 アリアーヌとジャンヌは恋愛のあり方も服の好みも対称的で、あまり共通点はないように見える。お互い、ジルを巡るちょっとした嫉妬や混乱もあり、突発的に八つ当たり的な態度を取ったりもする。しかし、そういう行動の後ですぐに謝ったり、フォローしようとする。ほどほどの優しさと思いやりがあり、意外と2人の関係性は心地よさそうなのだ。2人とも方向性は違うが結構真面目で、自分に正直だ。
 アリアーヌは「女ってそういうもの」というように大きい主語をしばしば使うが、ジャンヌにとっての主語は常に「私」であるように思った。女性は何だかんだ言ってもこういうことには耐えられるものなのよと言われても、私は今辛いし耐えられない!というわけだ。ジャンヌは取り乱しているようでいて、自分の感情・欲望をちゃんと理解している。対してアリアーヌは自分の欲望に自覚的でその行使にも躊躇がないが、それがどういうものか(他者との関係性の中でどのように働くか)については意外と無自覚なようにも思った。2人の女性の対称性が、愛の顛末の皮肉さを含めて面白い。女性2人の存在感が強く、ジルはどうも蚊帳の外という感じだった。そもそもいくら口説かれたとは言え、娘と同い年の教え子と密かに同棲って、しょうもない奴だよね・・・。

パリ、恋人たちの影 [DVD]
クロティルド・クロー
紀伊國屋書店
2017-08-26


ジェラシー [DVD]
ルイ・ガレル
オンリー・ハーツ
2015-05-08




『いっぴき』

高橋久美子著
 元チャントモンチーのドラマーであった著者が、バンド脱退後、文筆家として綴った6年間分の文章をまとめた一冊。
 私はエッセイ、随筆等を読むとき、著者がどのような人なのかということはあまり考えずに読むし、文章を読んで書き手に対してこういう人なのかと思うようなことはあまりない。ただ本作の場合は、ああこういう人だったのか!と感慨深く感じた。私にとって著者はまだ文筆家ではなく、元チャットモンチーのドラマーとしての高橋久美子なんだろうなぁ・・・(著者にとっては不本意だと思うが)。部活への打ち込み方や大学での奮闘、バンド脱退後の仕事のやり方、妹との海外旅行など、思い切りが良すぎかつ常にフルスイングで、なんだか台風のような人だ。各地でのアート展開催までのてんやわんやなど危なっかしすぎて読んでいてハラハラする。所々で登場する家族のおおらかさと温かみ(特に母、妹)、結婚後の「一人と一人」という感じの生活のあり方等、周囲の人の様子から著者の人柄が浮き上がってくる感じもする。好ましいエッセイ集だった。

いっぴき (ちくま文庫)
高橋 久美子
筑摩書房
2018-06-08


太陽は宇宙を飛び出した
高橋久美子 白井ゆみ枝
フォイル
2010-07-16




『ふたつの人生』

ウィリアム・トレヴァー著、栩木伸明訳
 長年施設で暮らすメアリー・ルイーズの耳には、ロシアの小説を朗読する幼馴染の青年の声が今でも聞こえている。約40年前、彼女は年上の商人エルマーと結婚し、彼の2人の姉と共に暮らし始めたのだが。メアリーの人生を描く「ツルゲーネフを読む声」の他、列車内で爆発事件に巻き込まれた作家エミリー・デラハンティと、同じ事件で生き残った3人の被害者を描く「ウンブリアのわたしの家」の2編を収録。
 ある女性の人生を描いた作品2編を収録しているから『ふたつの人生』なのだが、それぞれの作品の主人公がある意味で「ふたつの人生」を生きているという、二重の意味合いになっている。メアリーはエルマーと結婚するが、ぼんやりとした夫と批判的な義姉たちとの慣れない生活は、決して満たされるものではなかった。そんな折、いとこのロバートと再会し、彼との交流が心の支えになっていく。彼への思い、彼との生活に対する夢想はやがて彼女の生活を侵食していくのだ。エルマーと結婚した人生とロバートと共に歩む人生、2つの人生が彼女の中に併存している。他人には狂っていると思われるんだろうけど、自分にとってより真実味が感じられるものこそが真実ではないかと思わずにいられない。ラストには震えた。「現実」とやらに居場所がないなら他に居場所を作って何が悪い、と言わんばかりのメアリーの生き方は心に突き刺さる。
 一方、「ウンブリアのわたしの家」の語り手であるエミリーはロマンス小説作家であり、それこそ望ましい人生を頭の中で生み出すことを生業としている。彼女が語りだすそれぞれの人生は、彼女が相手から聞いたことなのか、彼女の空想の中身なのか、だんだんわからなくなっていく。彼女もまた積極的に「もうひとつの人生」を生きようとする人なのだ。


聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)
ウィリアム トレヴァー
国書刊行会
2007-02-01


『文豪たちの友情』

石井千湖著
正岡子規と夏目漱石、室生犀星と萩原朔太郎、中原中也と小林秀雄。深い友情、あるいは腐れ縁で結ばれた文豪たちの交友関係を紹介する。
有名どころから意外なところまで(と言っても日本文学に詳しい人なら大体知っているんだろうな・・・)、文学者2人の関係性にスポットを当てた一冊。佐藤春夫と堀口大學、室生犀星と萩原朔太郎(朔太郎の手紙はかなり恥ずかしい・・・)らの関係は相思相愛友情とでもいうべきで双方の思いのベクトルが拮抗している感じ。美しい友情と言えるだろう。一方、石川啄木と金田一京助、太宰治と坂口安吾らなどは、こいつ才能はあるのにしょうがない奴だ、面倒くさい奴だと思いながら捨て置けないという関係性で、これもまた友情だなとしみじみする。ダメな部分、かっこ悪い部分込みで人間の可愛さが垣間見える。借金王の啄木など身近にいたらかなり迷惑なんだろうけど・・・。愛憎入り混じる濃い関係だった中原と小林、また谷崎潤一郎と佐藤春夫などはスキャンダラスな面ばかりが有名になってしまっているが、お互いがお互いの作品に対する深い理解者だったからこその深すぎる関係だろう。谷崎と佐藤がお互いの人生に関わり続ける様は、実生活を恋愛小説に仕立て上げ共同制作しているようなものという指摘にはなるほどと。友情愛情ありきのことではあるのだろうが、お互いに監視し合い続けるような関係は普通の神経では耐えられなさそうだけど。本著でとりあげているのは男性文学者だけなので、女性バージョンも読んでみたい。






『響きと怒り』

ウィリアム・フォークナー著、高橋正雄訳
アメリカ南部の名門コンプソン家。当主のジェイソンは酒に溺れ、妻キャロラインは夫に不満を持っている。長男クェンティン、長女キャンダシー、二男ジェイソン四世、三男ベンジャミンと彼らに使える黒人一家の生活の変化を描く。
1910年パートと1928年パートがある。各章の主人公が異なるが、第一章、知的障害があるベンジャミンのパートは彼の主観が非常に強く、彼が今現在見聞きしているものと過去の記憶とが頻繁に行き来し混じり合う。この章が一番読みにくい。ベンジャミンの知覚に振り回されてしまうのだ。クェンティンの章、ジェイソンの章と進むうちに、客観性が強くなり主人公の感覚、記憶の入り混じった表現は減っていく。クェンティンは内省的な人物だが、ジェイソンは現実的で内面人物。2人の性格の違いが文章にも表れているのだ。コンプソン家の両親は過去のものとなりつつありつつある南部の伝統的な世界の中で生き、自分達が没落していくことを直視しようとしない。クェンティンとキャンダシーはそれぞれ異なるやりかたで伝統や因習にあらがっているように見えるが、結局は因習に絡め取られ自由にはなれない。最も時代に即し没落を自覚しているジェイソンは、家族が抱える伝統・因習に足を引っ張られる。家族を憎みつつも見捨てられないジェイソンの不自由さは最も現代に近いかもしれない。著者の『八月の光』では「放蕩娘」を父親が追い出し、父親は娘の間違いを許さない、一方母親はそれでも一緒に暮らし続けるというような記述があったが、本作のシチュエーションは逆。母親のプライドは娘の奔放さを決して許さないのだ。


響きと怒り (講談社文芸文庫)
ウィリアム・フォークナー
講談社
1997-07-10


エミリーに薔薇を (福武文庫―海外文学シリーズ)
ウィリアム フォークナー
福武書店
1988-05

『インクレディブル・ファミリー』

 特殊能力を持ち、密かにスーパーヒーローとして悪と戦うバー一家。しかしある出来事をきっかけにヘレン(ホリー・ハンター/黒木瞳)がイラスティガールとして1人でヒーロー活動をすることになった。家事・育児を任されたボブ(クレイグ・T・ネルソン/三浦友和)は悪戦苦闘・疲労困憊。そんな中、謎の敵スクリーンスレイヴァーが現れる。監督はブラッド・バード。
 Mr.インクレディブルことボブは、本当にヒーロー活動が好きなんだなーと良くも悪くもしみじみ思った。今回、ヒーローとしての活躍はイラスティガールがメイン、しかもイラスティガールの方がスマートな振舞で頭も切れる様を見せているので、彼女の活躍をTVで見るだけのボブはいてもたってもいられない。嫉妬する様には心が狭い!器が小さい!となじりたくなるが、生きがいを棚上げされているって辛いよな・・・。ただ、そのあたりの葛藤はわりとさらっと流されている。その葛藤、ヘレンがずっと感じてきたことかもしれないよ?ということにはボブは気付いていないのかもしれない。
 ヘレンも本当はヒーロー稼業を愛しており、存分に活躍したいのだということは、エヴリンとのやりとりでも明らかだし、だからこそ夫・兄そっちのけの彼女との協力体制で満たされるのだろう。今回、ヘレンがすごく生き生きとしているのだ。
 本作、美術、音楽が素晴らしい。60年代あたりをイメージしたデザインなのだろうが、ミッドセンチュリー風のインテリアがしゃれている。豪邸の「あの頃イメージした未来的住宅」といった趣もちょっと笑っちゃうくらい楽しかった。またサウンドトラックの「あの頃」感のブレなさに唸った。あの当時のスパイ映画、サスペンス映画、アクション映画のサントラってこんな感じじゃなかった?!というもの。特にエンドロールで流れる各ヒーローのテーマ曲が楽しい。フロンゾのテーマなんて、あのキャラクターであの時代感だったら、そりゃあこうくるよな!という感じ。


『八月の光』

ウィリアム・フォークナー著、黒原敏行訳
 お腹の子供の父親を追って旅するリーナ、当所もなくさまようクリスマス、支離滅裂な言動により辞職を求められた牧師ハイタワー、リーナに一目惚れし彼女を気に掛けるバイロン。アメリカ南部の町ジェファーソンに辿りついた人々の運命は、ある事件へと集約されていく。
 難解だと定評のあるフォークナーだが、この度新訳がリリースされたので思い切って読んでみた。こまめに付けられた注釈が、読み進める為の補助線になっている。本作、時間の流れ、時制の切り替えが曖昧でかなりわかりにくいので、そこを指摘してもらえるだけでも大分楽。これから読む人には迷わず光文社古典新訳文庫をお勧めする。
 黒人の血が流れていると噂されるクリスマスは、その噂を否定することなくむしろ自ら噂を広めるかのような振舞をする。当時のアメリカ南部でそれをやることは、自らの死に繋がりかねない。クリスマスが噂を否定しないのは、自分の出生に誇りをもっているというわけではなく、緩慢な自殺のように見える。一方で、黒人の血が流れていることを一つのスティグマのように捉え、武器として使っているようにも思える。クリスマスという名はキリストとの関連を示唆するが、彼は何かを救う為に犠牲になるわけではない。スケープゴード的な立ち位置ではあるが、それにより何かがなされるわけではないのだ。彼のアイデンティティは大分屈折しており、特に女性に対してその屈折が如実に現れる。
 女性との関係で言うと、ハイタワーは妻に実質逃げられているし、バイロンは童貞。女性への憎悪や軽蔑、偏見(本作が書かれた当時はそれが「普通」ってことだったんだろうけど)がちょっとしたところに滲んでいるのでなかなか鬱陶しい。クリスマスやハイタワーの造形と比べると、リーナの造形はテンプレの「母」「女」的で陰影がない。
 クリスマスとハイタワー、屈折した2人の生い立ちを序盤と終盤に配置すること、そしてリーナの旅が冒頭と終盤に配置されたことで、円環構造のような趣を見せる。シチュエーションとしては旅立ちだが、果たして旅立てているのだろうかと不安になる。また本作、南北戦争の禍根がハイタワーの生い立ちとそこから生まれる妄想等に見え隠れしているのだが、終盤に登場する若者たちには現代に通じるものを感じぞわぞわした。物事をあまりに単純に見ており、独善的。いつの時代もこういう人たちがいたのか。


八月の光 (光文社古典新訳文庫)
ウィリアム フォークナー
光文社
2018-05-09


『叫びとささやき』

 ベルイマン生誕100年映画祭にて。19世紀末のスウェーデン。大邸宅で生まれ育った三姉妹のうち、病身の二女アグネス(ハリエット・アンデルセン)は召使のアンナ(カリ・シルヴォン)と屋敷に留まっていた。結婚した長女カーリン(イングリッド・チューリン)と三女マリア(リヴ・ウルマン)はそれぞれ自分の家庭を持っているが、折に触れて実家に帰省する。カーリンと夫の仲は冷め切っており、マリアはアグネスの主治医と愛人関係にあった。そしてアグネスの死期は近づきつつある。監督はイングマール・ベルイマン。1973年の作品。
 登場人物の顔のアップを挟んでエピソードが切り替わる。これは誰のパートであるか大変わかりやすいのだが、人の顔のアップをじっと見るのって結構ストレかかるんだな・・・。パート切り替え部分以外でも顔のアップが多く、特に不穏な雰囲気が漂ってくる緊迫したシーンで多用されるので、見ているとかなり疲れた。赤を基調とした美術は美しく華やかなのだが、あまりに赤の主張が強くてこれもまた緊張感を強いられる。見ている側を安心させない設計になっているのだ。
 病気を患うアグネスの苦しみは具体的な「叫び」として表れる。しかしカーリンとマリアもまた、それぞれの「叫び」を抱えている。2人とも違った形で愛、生きがいを求めているが満たされない。特に、カーリンの内圧の強さは痛々しいくらい。官能的な描写も多く、特にマリアは官能のおばけのような造形なのだが、それと苦しみが抱き合わせになっている。
 冷徹に振舞うカーリンにマリアは「仲良くなりたい」と訴え、その願いはかなったかのように見える。が、その後の展開が非常に残酷だった。カーリンにとっての「仲良くする」とマリアのそれとは深度が異なる。生真面目なカーリンと「空気読む」タイプのマリアの違いが如実に出ておりまあ切ないの何のって・・・。カーリンが今までいかに孤独だったかがむき出しになるシーンでもあり、痛切だ。3姉妹もその夫も、一見円満だがお互いを理解しているわけでも深く愛しているわけでもない。お互いに他人であることがどんどんむき出しになっていく。精神的に深いつながりを持っているのはアグネスと召使のアンナだけなのだ。


ワーニャ伯父さん/三人姉妹 (光文社古典新訳文庫)
アントン・パーヴロヴィチ チェーホフ
光文社
2009-07-09


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