3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『イカリエ-XB1』

 太陽系外での生命探査の為、アルファ・ケンタウリ系を目指して旅立った宇宙船・イカリエ-XB1。目的地へ近づく中、漂流中の朽ちた宇宙船を発見する。それは20世紀に地球から旅立ったものと見受けられたが、乗組員たちは全員死亡していた。監督はインドゥジヒ・ポラーク、1963年の作品。原案はスタニスワフ・レムの小説『マゼラン星雲』。
 デジタル・リマスター版を鑑賞したが、今見てもスタイリッシュで、白黒のバランスが非常に美しい。映像美的な部分だけでなく、当時のSF表現としては(デザイン的にもSF考証としても)最先端だったのだろう。上記にあらすじを書いてはみたが、大きな事件が起こっているはずなのに妙に淡々としていて、悲劇も喜劇も長い旅路の中の1幕でしかないというクールさが感じられる。限られた人数で長期間生活していると、このように変化していくという様を観察しているようでもあった。食事の微妙さとか、栄養素を強制的に摂取させられるところとか、妙な生活感が踏まえられているところも面白い。ちょっとしたストレスや違和感がじわじわ増殖していく感じが不安をあおるのだが、このあたりの描写は現代では最早定番なのでは。
 全般的に、なぜだか死の匂いが漂っている。具体的な死、死体の描写があるからというよりも、その死体が置かれている状況の無常感により醸し出されるものではないかと思った。この死体(と死体のある環境)、20世紀の遺物のような扱いなので、20世紀は死の時代であった、その時代の匂いがまだイカリエを追いかけてきているということなのかもしれない。逆に、本作が作られた当時(1960年代)は、その先の時代(本作は23世紀あたりが舞台)への希望があったってことなんだろうなぁ・・・。本作、死の匂いはあるものの、基本的には未来、また未知の存在への希望、ないしはそれに対峙していく勇気みたいなものを含んでいると思う。それは原作のテイストなのかもしれないが。

ソラリス (ハヤカワ文庫SF)
スタニスワフ・レム
早川書房
2015-04-08


2001年宇宙の旅 [WB COLLECTION][AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
キア・デュリア
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2018-01-17


『孤狼の血』

 昭和63年、暴力団対策法成立直前の広島、呉原。地元の暴力団・尾谷組と、広島から進出してきた五十子会系の加古村組の抗争がくすぶり始めていた。そんな折、加古村組のフロント企業である金融会社の会計係が失踪する。所轄署の若手刑事・日岡秀一(松坂桃李)はベテランの大上章吾(役所広司)と組まされる。暴力団との癒着が噂される大上の強引かつ型破りな捜査に日岡は翻弄される。しかし失踪事件をきっかけに、尾谷組と加古村組の抗争は激化する一方だった。原作は柚月裕子の同名小説。監督は白石和彌。
 原作は警察小説×『仁義なき戦い』と評されたそうで、映画化された本作を見るとなるほどと頷ける。ただ『仁義~』と決定的に色合いが違うのが、本作にはたぎるような熱さや爽快感はなく、泥沼が広がるばかりだという所ではないだろうか。昭和感を全面に出し(美術はすごく頑張っている)つつも、ヤクザ映画を爽快なものとしては描けない所が、今の映画なんだろうなと思う。
 ヤクザ映画でもあり、警察映画でもある。と同時に、どちらでもないように見える、それこそ大上が言うような「綱渡り」であるところが面白い。綱渡りをしている人の生き様を斜めから映すような視点があると思う。綱渡りを永遠に続けることは出来ず、いつか落下することは決まっている。なので、どうにも不吉でハッピーエンドの可能性が微塵も感じられない。生々しい暴力(暴力行為そのものというよりその結果を見せるところは上手いなと思った)描写や欲にまみれたしのぎ合いよりも、その不吉さ、出口の見えなさの方が精神的には堪える。
 松坂桃李が実にちゃんと俳優然としているので、何だかびっくりした。人間、成長するものなんだな・・・!また若手以外でも、一之瀬役の江口洋介や、野崎役の竹野内豊には、こういう感じに仕上がったかー!という新鮮さがある。それぞれある時代を代表するイケメン俳優だった(いや今も全然かっこいいけど)のが、こういう役柄も演じるようになったんだなと。特に江口の色気は大変よかった。その一方で、日本映画におけるピエール瀧の使い方がほぼ固定されてきたのにもびっくり。それこそ、まさかこういう存在になるとは思っていなかったもんね・・・。
 なお本作、最も昭和感を感じたのは女性たちの配置と見せ方。当時のこの世界ではこういう形でしか女性が存在出来なかったということなのかもしれないが、そこまで踏襲しなくてもなぁとはちょっと思う。

孤狼の血 (角川文庫)
柚月裕子
KADOKAWA
2017-08-25


『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』

辻村深月著
 チエミが母親を殺して行方不明になってから半年。幼馴染でフリーライターのみずほは、チエミの行方を追い、かつての級友や恩師を訪ねる。一見非常に仲の良い親子だったチエミと母になにがあったのか。
 地元の幼馴染、かつての同級生という狭いサークル内の人間関係は、時に親密だが時に息がつまりそう。都会に出たみずほと級友との「その後」の人生のそこはかとないギャップや羨望が、感情をざらつかせる。この人は自分が思っていたような人なのかどうか、という対人関係における問いが、常に突きつけられるのだ。級友らだけでなく、みずほの家族についても、そしてチエミについても。チエミがみずほにとって、みずほがチエミにとってどういう存在だったのか、みずほ自身が自覚していく過程でもある。短い第2章がぐっと心に迫る。こういう人だったのか!とはっとするのだ。


対岸の彼女 (文春文庫)
角田 光代
文藝春秋
2007-10-10






『ルイ14世の死』

 太陽王と呼ばれ、豪奢を突くしベルサイユ宮殿を作ったルイ14世(ジャン=ピエール・レオ)は死の床にあった。廷臣や医者たちは王の回復の為に尽力する一方で、死に備えつつあった。監督はアルベルト・セラ。
 カメラ数台をほぼ固定して撮影しているようだ。非常にかっちりと絵を作りこんでいるように見える。特にライティングはレンブラントの絵画を思わせるような光と影のコントラストを強調したもので、同時に輪郭ははっきりさせすぎない。影の中に対象が沈んでいくような印象も受ける、絵画的なもの。絵を作りこんでいるように見える一方で、カメラの前を平気で誰かが横切ったり、話している人が他の人の影に隠れて肝心の表情が見えなかったりする。それでOKにしてしまうんだなという、不思議な新鮮さがあった。自分の絵の設計に強烈な自信のある監督なように思う。また、室内はほぼ薄暗いままで見た目では昼も夜もわからない。屋外から聞こえる鳥のさえずりや虫の声で、時間が経過したことが何となくわかってくるという、音の使い方が良かった。
 ルイ14世はほぼ寝たきりで、回復は見込めないだろうという状況なのだが、死にそうでいてなかなか死なない。人間が死ぬのには時間がかかるんだなぁと妙に感心した。ある死が始まってから完了するまでを延々追っている映画とも言える。
 人の死という一般的に深刻な事態が進行している一方で、そこかしこに妙なユーモアがある。そこでそんな勇壮な音楽入れるの?!(作中、いわゆるサウンドトラック的音楽がかかるのは多分ここだけ)とか、王が帽子を取って挨拶したり、ビスケットを食べたりするだけで廷臣たちが拍手したり。こびへつらっていると言うわけだが、不思議と皮肉っぽさはない。帽子のくだりに関しては、王自身もこっけいなのをわかってやっているふしがあるように思う。ユーモラスなのだ。
 当時最先端であろう医術を施す医師たちがいる一方で、オカルトまがいの薬を処方するエセ医師もいる。周囲はどちらが適切とも決められずにおり、この時代の科学と迷信とがせめぎ合っている感じがした。医師たちの処置は現代から見ると的外れでもあるのだが、その行動には科学的な精神があるように思った。何でも確認し、トライ&エラーを重ねてデータを蓄積する。最後の医師の発言には笑ってしまうが、科学者の姿勢としては真っ当だろう。科学の前では王も平民も一症例にすぎないのだ。


コロッサル・ユース [DVD]
ヴェントゥーラ
紀伊國屋書店
2009-05-30





『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』

 6才の少女ムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)と母親ヘイリー(ブリア・ビネイト)は、安モーテル「マジック・キャッスル」でその日暮らしをしている。ムーニーは同じようにモーテルで暮らす子どもたちと1日中遊びまわっている。モーテルの管理人ボビー(ウィレム・デフォー)はムーニーとヘイリーに時に眉をひそめつつ気に掛けていた。監督はショーン・ベイカー。
 ムーニーとヘイリーが住むモーテルは、フロリダ・ディズニーランドのすぐ側にある。ディズニーランド効果ときらきら眩しい日差しの効果で色合いは明るくパステルカラーが広がる。ぱっと見ファンタジックで正に「夢の国」のお隣という感じ。しかし冷静に考えると親子の生活は相当苦しそうだし、ヘイリーの生計の立て方は危なっかしい。ムーニーのことをすごくかわいがっているが、適切に保護し育てているのかというと、大分微妙で、かなりネグレクトに近づいているように思う。子どもたちはひっきりなしに動き回るのだが、アメリカって子供を一人で外歩きさせない国というイメージだったので、えっ子供だけでそんなに歩き回っていいの?と心配になってきた。
 子どもたち自身は自由奔放でとても楽しそうだし、子供にとってヘイリーはきれいで楽しくて素敵なお母さんなんだろうなと伝わってくるのだが、それが逆に辛い。キラキラしたものを別角度から見たらどんよりくすんでいたというような感じだ。とは言え、ヘイリーも好んでこの状況を続けているわけではなく、努力しても次の一手に届かないのだ。モーテルは本来一時的な居場所のはずなのに、出られる目途がたたない。その届かなさ、出口の見えなさが辛い。
 そんな親子を見守るのが管理人のボビー。彼がいなければ、本作はもっと陰惨な色合いになったのではないかと思う。子供に声を掛ける不審者に猛然と近づく姿は頼もしい。とは言え、ボビーもヘイリーやムーニーを具体的に助けられるわけではない。家賃の支払いが滞れば強制的に部屋を開け空けさせなければならないし、児童福祉局からヘイリーを庇えるわけでもない。あくまで管理人と入居者の関係だ。もちろんいないよりはいてくれる方が全然ましなわけだが・・・。なおボビーの仕事量がやたらと多く、機械の修理やペンキ塗りまでやっている。モーテルの管理人てそんなに忙しいの?

タンジェリン [DVD]
キタナ・キキ・ロドリゲス
TCエンタテインメント
2017-08-02


誰も知らない [DVD]
柳楽優弥
バンダイビジュアル
2005-03-11


『パティ・ケイク$』

 ニュージャージーに住む23歳のパティ(ダニエル・マクドナルド)はバーテンダーで生計を立てつつ、音楽で成功することを夢見てライムに磨きをかけていた。フリースタイルバトルで相手を喝破し仲間とCDも作るが、母と祖母を抱えた生活は厳しい。そんなある日、パティの元にオーディションに出場するチャンスが舞い込む。監督・脚本はジェレミー・ジャスパー。
 パティは自分の容姿をバカにされ、母親のこともバカにされるが、自身のライムで這い上がっていく。ホワイトトラッシュの話、加えて関係性に問題がある母娘の話ということで先日見た『アイ、トーニャ』を思い出しもしたが、本作の方が(完全にフィクションだし)希望がある。最大の違いは、パティには自分を肯定してくれる存在、祖母がいるということだ。「お前はもう(自分にとっては)スターだよ」と祖母だけは言ってくれるし、彼女がやっていることも、彼女の友人たちのこともバカにしない。おそらくパティは、理由もなく殴られたら自分が悪いとは考えないだろう。自身に対する基本的な肯定感があるのとないのとだと、人生大分違ってくる気がする。
 パティの母親は昔はセクシーで大層モテたんだろうなという雰囲気の人だが、その頃の自己イメージから抜け出せていないように見える。自分の夢を諦めざるを得なかったという後悔、こんなはずではなかったという思いから酒浸りになっており、それを嫌がるパティとの仲も険悪だ。こんな母親嫌だ、母親のようにだけはなりたくないという一方、バーの男性客たちに母親をバカにされるのは耐えられないというパティのうらはらな気持ちが痛切だった。それを踏まえているので、オーディションでパティが披露するステージには胸が熱くなる。彼女は自分を肯定すると同時に、母親の夢も救い上げるのだ。
 なお、パティとバンドメンバーでもある親友ジェリ(シッダルタ・ダナンジェイ)、バスタード(ママドゥ・アティエ)との関係の描写がとてもいい。男女の間にも友情はあるし、カップルの関係はフェアだ。このあたりは非常に現代的だなと思った。最近見たキスシーンの中では一番きゅんとくるものがある。そういえば、二輪車二人乗りシーンのある映画は打率が高いという自論を持っているのだが、本作でもそれが証明された。

8Mile [DVD]
エミネム
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
2003-09-26


『偽りの銃弾』

ハーラン・コーベン著、田口俊樹・大谷瑠璃子訳
 元特殊部隊パイロットのマヤは、銃撃事件より夫を失った。友人からの勧めで、幼い娘の安全の為に隠しカメラを居間に取り付けるが、カメラの画像に映っていたのは死んだはずの夫だった。ジョーは本当に死んだのか。謎を追ううち、マヤは4か月前に殺された実姉クレアの死と、ジョーの事件との関連性に気付く。
 これは事前情報なしで一気に読んでほしいやつ!訳文の読みやすさも手伝い、ラストまで息をつかせず読ませる。マヤは非常に有能な軍人だったが、ある事件により深いトラウマを負っており、周囲からはジョーの映像は彼女の妄想ではとも疑われる。しかしマヤは迷いはするもののブレない。彼女のブレのなさの根拠は何なのかと言う所も含め、一転また一転と言う感じなので先を予想せず読んだ方が楽しめるだろう。マヤは母親であり(元)妻であるわけだが、それ以上にアイデンティティが一貫して軍人であり、軍人としての考え方、行動の仕方だというところも好みは分かれそうだが(つまりマヤを好きでない人もいるだろうなと)面白かった。優秀な軍人だったにしてはその行動間が抜けていない?という部分もちゃんと理由がある。

偽りの銃弾 (小学館文庫)
ハーラン コーベン
小学館
2018-05-08

ステイ・クロース (ヴィレッジブックス)
ハーラン・コーベン
ヴィレッジブックス
2013-09-20


『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』

 トーニャ・ハーディング(マーゴット・ロビー)は幼い頃からスケートの才能を見せ、フィギュアスケーターとして全米トップ選手に上り詰めていく。1992年アルベールビルオリンピックに続き、94年のリレハンメルオリンピックへの出場も狙うが、1992年、元夫のジェフ・ギルーリー(セバスチャン・スタン)が、トーニャのライバル選手ナンシー・ケリガンを襲撃したという疑惑が浮上する。監督はクレイグ・ギレスピー。
 アメリカ人女子フィギュアスケート選手として初めてトリプルアクセルに成功したトーニャ・ハーディングの人生を映画化。しかし、本作はいわゆる「実話に基づいた」物語としては、見せ方がかなり捻っている。インタビュー形式の場面が随所に挿入されており、基本的に「彼女/彼が言うには」というスタンスが貫かれている上、ドラマ内のトーニャがふいにスクリーンのこちら側を見て「これが本当のことよ!」等と語りかけてくる。登場人物全員が自分に都合のいい話を語る、信用できない語り手たちのよるストーリーテリングなのだ。更に、ここはさすがにフィクションとしてキャラを盛っているんだろうなと思っていた部分が、エンドロール前のご本人映像を見ると正に作中そのままの発言をしていて本当にとんでもなかったりする。虚実のバランスがかなり不思議なことになっており、そもそも全部虚かもしれないという「実話に基づいた」話なのだ。
 トーニャの周囲は基本的にろくでなしばかりで、よくまあこれだけ集まってくるよなといっそ感心するのだが、トーニャの母ラヴォナ(アリソン・シャネイ)が特に強烈。娘を厳しく育てるがいわゆるステージママ的な接し方ではなく、DVすれすれの暴言とプレッシャーによりコントロールする。ラヴォナは「トーニャは怒っている方がいい演技をする」からあえてけなして怒らせているのだとうそぶくが、目的が何であれ(言葉の)暴力は暴力だ。褒められることなく自己肯定感が薄いまま育ってしまったことで、トーニャは自分を殴るジェフとの縁を切れず、観客の声援を過剰に求めるようになってしまったのだろう。トーニャ本人も相当強烈でしぶといキャラクターなので、そんな彼女が「殴られるのは自分が悪いんだと思った」というのにはえっと思ってしまうのだ。彼女がどんなに頑張っても、その育ちや家族が足を引っ張る。
 また、フィギュアスケートという競技のいびつさを垣間見た感もある。トーニャは非常に身体能力が高くスケートの才能は明らかにあるのだが、なかなか評価に結び付かない。思い余った彼女が審査員を問い詰めると、彼は「観客は理想の家族を見たいんだ」と答える。貧しく無教養な家庭で育ち洗練されていないトーニャは、アメリカの理想の女性ではないと言うのだ。競技上の評価基準としては大分おかしいだろう。そういうものを吹っ飛ばすのがスポーツの面白さではないのかよと。更に、その言葉を受けてのトーニャの行動には、何だか胸が詰まった。それでも家族を求めるのか・・・。

ザ・ブリザード ブルーレイ(デジタルコピー付き) [Blu-ray]
クリス・パイン
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2016-07-06


アニマル・キングダム [DVD]
ジェームズ・フレッシュヴィル
トランスフォーマー
2012-09-07


『君の名前で僕を呼んで』

アンドレ・アシマン著、高岡香訳
 17歳の夏、両親と過ごす北イタリアの家で、エリオは24歳のオリヴァーと知り合う。オリヴァーは大学教授である父が招いたアメリカ人研究者だった。エリオはオリヴァーから目を離せなくなり、話をすれば幸せに、目をそらされるとひどく傷つくようになっていく。
 本作を原作にした同名映画を見た後、原作も気になって読んでみた。映画を見た段階では、てっきり中短篇くらいのボリュームかと思っていたら、結構な長編小説。あの人と話したい、触れたい、セックスしたいというのみの内容でこの文字数を費やす、しかも美しくきらきらとしている所が、正に青春のまぶしさと高揚感という感じ。エリオの思いと言葉が迸り、前のめりになっているような勢いがある文章。映画ではいまひとつニュアンスがつかみにくかったオリヴァーの「あとで!」という言い回しや、半熟卵の食べ方が下手な件など、小説では文字数を費やしており、こういうことかと腑に落ちた。そして研究者であるオリヴァーはもちろん、エリオも目茶目茶教養あるよな・・・。
 映画との最大の違いは、2人のその後だろう。小説の方が「それでも人生は続く」的な方向で、映画の方が「今、ここ」の思いが凝縮されている。ただどちらにおいてもエリオにとってのオリヴァー、オリバーにとってのエリオは消えない痣のように自身の中に焼き付けられた存在なのだとわかる。

君の名前で僕を呼んで (マグノリアブックス)
アンドレ・アシマン
オークラ出版
2018-04-20



『生か、死か(上、下)』

マイケル・ロボサム著、越前敏弥訳
 死者4人を出した現金輸送車襲撃事件の共犯として、10年の刑に服していたオーディ・パーマー。盗まれた700万ドルの行方を知る人物と見なされていた彼は、獄中で散々脅されたが、情報を漏らすことはなかった。そして刑期満了の前夜、彼は突然脱獄する。明日、合法的に出所する予定の男がなぜ脱獄を図ったのか?
 オーディはなぜこのタイミングで脱獄したのか、オーディと同房だったモスにオーディ追跡を命じたのは誰なのか、そして襲撃事件の真相は。いくつもの謎が平行して解き明かされていく過程は、正にノンストップで抜群の面白さ。オーディが守ろうとしているものは何なのか、果たして逃げ切れるのか、ハラハラドキドキが止まらない。オーディの人物造形がとてもいい。勇気がある、頭がいい、優しい、あるいは腕っぷしが強い主人公は多々いるが、高潔さ・公正さで魅了する主人公はなかなか最近見ない所だった。終盤(本当に最後の最後のあたり)オーディがある人物と再会するシーンで、彼の高潔さが自分だけでなく周囲にも厳しい状況の中で自分を保つ勇気を与え、支えたのだとわかるシーンがあり、作中最もぐっときた。

生か、死か (ハヤカワ・ミステリ文庫)
マイケル ロボサム
早川書房
2018-03-06


容疑者〈上〉 (集英社文庫)
マイケル ロボサム
集英社
2006-10-01


『サバービコン 仮面を被った街』

 アメリカンドリームを絵に描いたような、美しい郊外住宅地サバービコン。そこにガードナー(マット・デイモン)と足の不自由なローズ(ジュリアン・ムーア)夫婦のロッジ家の生活は、強盗に入られたことで一変した。一家の幼い息子ニッキー(ノア・ジュプ)の世話を、ローズの姉マーガレット(ジュリアン・ムーア)がすることになる。同じころ、ロッジ家の隣に黒人一家が引っ越してきた。街の住人達は黒人一家の転入に猛反発する。監督はジョージ・クルーニー。脚本はクルーニー&コーエン兄弟。
 1950年代に実際に起きた人種差別暴動が背景にあるが、主軸となるのはロッジ家内で起きるある事件。2つの出来事は関係ないようではあるが、黒人排斥運動に見られる異物(そもそも異物と見るのがおかしいわけだけど・・・)に対する排他性も、ロッジ家の事件のような、一見理想的な家庭の中でも実際は何が起きているかわからないという部分も、サバービアの特性と言えるのかもしれない。そういう面では直球のサバービア映画。
 というよりも、サバービア映画のパロディと言った方がいいのか。サバービコンがテーマパーク的な、作りものっぽい整えられ方をしているのも、絵にかいたような「豊かで幸せな生活」なのも、多分にパロディ的で誇張されている。今更このネタをやるの?(郊外の憂鬱と欺瞞を描いた作品は多々あるし、そもそも今では郊外という概念が廃れつつあるのではないかと思う)と思ったけれど、パロディとしてのサバービアを背景にしたぽんこつ犯罪映画として見ると、なんだか味が出てくる。犯罪の出来がとにかく悪くて脇が甘い(関係者全員の頭が悪すぎる!)のも、ここまでくると却って新鮮だった。そもそもなぜその犯罪、成功すると思ったんだ!と問い詰めたくなる。申告な社会問題が目の前にあるのに、それとは別物のしょぼい犯罪が二転三転していくところが実にコーエン兄弟っぽい。背景は大きいが前景はちっちゃいのだ。
 それにしても、黒人一家に対するヘイトがどんどんエスカレートしていく様が気持ち悪くてならなかった。街全体でプレッシャーをかけていくんだから始末が悪いし、それまずいんじゃない?というG人が誰もいない所も怖い。でも差別をしているという意識は、住民たちには多分ないんだよなぁ。「差別意識はないわ、でも白人だけの街だと聞いたから越してきたのに」というような言葉が出てくるのだ。





『あるノルウェーの大工の日記』

オーレ・トシュテンセン著、牧尾晴喜、リセ・スコウ、中村冬美訳
 ノルウェーで個人請負の大工業を営む著者が、ある屋根裏改築依頼の経緯を綴る「日記」エッセイ。
 見積もりから施主への引き渡しまで、本当に大工の仕事日記で専門用語、業界用語もぽんぽん出てくる。一応、著者による図解も掲載されているのだが、それでもこの用語はどの部分を指すのか、具体的にどのような構造になっているのか言葉による説明だけではわかりにくい所も。でも一つの仕事がどのように進んでいくかと言うレポートとして、またノルウェーの建設業界で生きる著者の生活や、ノルウェー社会のある側面を映し出すものとして、とても面白かった。やっぱり見積もりって大事だよなー!とか、顧客とどんな協力関係を築けるかで仕事のモチベーション(と現実的な作業量)が全然違うよなー!とか、他所の業界から見ても共感できるところは多々ある。何より、著者の真面目で誠実な人柄と仕事ぶりが窺えて、ユーモアのある語り口も好ましい。ノルウェーでも建設業界は厳しいらしく、人件費・材料費の削られ方は深刻な様子。低価格には低価格の理由が、それなりのお値段にはそれなりの理由があるのだという著者の主張はもっとも。とは言えイケアの家具を全否定しているわけではなく、適材適所と安全性との兼ね合いなのだ。労働の価格が安すぎるのは、やっぱり(労働者にとっても施主にとっても)危険なのね。

あるノルウェーの大工の日記
オーレ・トシュテンセン
エクスナレッジ
2017-09-29




街と山のあいだ
若菜晃子
アノニマ・スタジオ
2017-09-22





『お前らの墓につばを吐いてやる』

ボリス・ヴィアン著、鈴木創士訳
 青年リーは兄の知人から本屋の仕事を紹介され、店に出入りする若者らと乱痴気騒ぎを繰り返すようになる。しかし彼にはある目的があった。白い肌の黒人である彼は、白人に殺された弟、虐げられる兄の復讐をしようとしていたのだ。彼は裕福な白人の姉妹に目を付ける。
 著者がアメリカ人を偽装して執筆、出版しベストセラーになった(訳者解説を読むと炎上商法ぽいな・・・)ものの発禁処分になった作品。過激な性描写(さすがに11,12歳の子供とセックスするのは糾弾されるだろう)が発禁の理由だったのだろうが、黒人が復讐の為に白人を殺すという内容が物議をかもしたという面もあったのだろう。その物議は、著者を本作執筆に駆り立てた差別への怒りと並行しているものだ。リーは軽妙で人あしらいが上手いが、その愛想の良さの下には、肌の色で他人を分別する者たちへの怒りと侮蔑が渦巻いている。お前ら間に入り込み、裏をかき、全て奪ってやるという意気込みと冷酷があり、罪悪感などは見せずに突き進む。疾走感のある悪漢小説として読める所もベストセラーになった一因か。

お前らの墓につばを吐いてやる (河出文庫)
ボリス ヴィアン
河出書房新社
2018-05-08


白いカラス Dual Edition [DVD]
ニコール・キッドマン
ハピネット・ピクチャーズ
2004-11-05


『君の名前で僕を呼んで』

 1980年代、北イタリアの避暑地。両親と別荘にやってきた17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)は、大学教授である父親が招いた24歳の大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)と知り合う。一緒に過ごすうち、エリオはオリヴァーに強く惹かれていく。原作はアンドレ・アシマンの小説。監督はルカ・クァダニーノ。脚本はジェームズ・アイボリー。
 隅から隅まで美しくてびっくりする。特に夏の日差しを感じさせる光のコントロールが徹底しているように思う。また、かなりこれみよがしな音楽の使い方なのだが、それが鼻につかずぴったりとはまる、ぎりぎりの線を狙っている。あとちょっと分量が増えると鼻について我慢できなかっただろう。
 オリヴァーの動きの優雅「ではない」所が強く印象に残り惹きつけられた。ドアの開け閉めの雑さや、妙にもたつくダンスなど。その一方でエリオの父親とのやりとりは聡明で機知に富むもので、そこには速さ、軽やかさを感じる。またエリオを翻弄するような思わせぶりな言動やきまぐれさも、フィジカルの重さとはちぐはぐ。そのちぐはぐさが彼の魅力、というか何となく意識にひっかかる部分であったと思う。自由であると同時に不自由そうだ。オリヴァーの言動は一見自由奔放で軽やかだが、実際の所は(主に社会的に)様々なしがらみがあることが垣間見られる。自分では不自由なつもりかもしれないが実際は相当自由なエリオと対称的だ。エリオは、オリヴァーがユダヤ人であるということを自身のアイデンティティーにはっきりと組み込んでいることに憧れた様子だが、オリヴァーにとっては自分を構成するものであると同時に縛り付けるものでもある。エリオにはその相反する要素がよくわかっていないのかもしれないが。ハマーはどちらかというともったりとした「重い」俳優だと思うのだが、本作ではその重さがうまくはまっていた。
 恋愛の「今、ここ」しかない感が強く刻み込まれていて、きらきら感満載、陶酔感があふれ出ている。自分と相手との間に深く通じるもの、一体感が瞬間的にであれ成立するという、得難い時間を描く。しかしオリヴァーの「重さ」、彼の背後に見え隠れするものが、「今、ここ」の終わりを予感させ切ない。終わりの予感を含めて美しい恋愛映画であり、夏休み映画だと思う。舞台が夏でなかったら、こんなに浮き立った感じにはならないだろう。
 シャラメが17歳にしてもどちらかというと華奢な体格で、ハマーが24歳には見えない(実年齢考えたらしょうがないんだけど・・・)ので、シチュエーション的にかなりきわどく見える所もある。倫理的にどうなのともやもやしたことは否めない。が、予想していたほどのもやもやではなかった。エリオとオリヴァー、更にエリオの父親が、1人の人の別の時代を表しているように見えたからだ。壮年であるエリオの父親はエリオとオリヴァーの関係をかけがえのないもの、しかし自分は得られなかったものだと言う。青年であるオリヴァーはエリオの中に自分にもあったかもしれない可能性を見る。大人時代から過去に遡りこうであったら、という人生をやり直したいという願いにも思えた。「君の名前で僕を呼んで」とはそういう意味でもあったのではないか。
 エリオの両親の、理知的で子供を個人として尊重している態度が素晴らしい。また、エリオのガールフレンドの振る舞いが清々しい。このあたりが、本作を「今」の映画にしているなと思った。エリオは、父親やオリヴァーが選べなかった道を選ぶことができるのだ。



胸騒ぎのシチリア [Blu-ray]
ティルダ・スウィントン
Happinet
2017-06-02



『あるフィルムの背景:ミステリ短篇傑作選』

結城晶治著
 検事の笹田は、わいせつ図画販売の証拠物件のフィルムを目にする。そこに映っていた素人風の女性は自分の妻そっくりだった。笹田は他人の空似と笑い飛ばそうとし妻にもその写真を見せるが。表題作を含む全13篇。
 ラストの着地に技がきいた、職人の仕事という感じの短篇集。苦境におかれた女性の遍歴や墜落を扱った作品が多いのは著者の趣味なのか、編者(日下三蔵)の趣味なのか。この点も含めさすがに古さは否めない。いわゆる「忘れられた作家」になってしまっていたのは、このあたりにも原因があるのでは。女性の扱いだけでなく、「孤独なカラス」で描かれる子供の不気味さ等、現代からしてみると既に陳腐だろう。レイプされた女性が周囲からさらに追い詰められていく様は現代になってもろくに変わっておらず、(作品ではなく世の中に対して)ため息が出る。とは言え、ミステリの構成、短編小説としての構成は手堅い。表題作や「温情判事」で情念や運命の残酷さ・取り返しのつかなさが描かれる一方で、「葬式紳士」のようなブラックユーモア的な乾いた作品もあるあたり、作風の幅の広さが窺える。








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