3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ナインフォックスの覚醒』

ユーン・ハ・リー著、赤尾秀子訳
 星間大国「六連合」は、数学と暦に基づき、物理法則を超越する科学体形「歴法」を駆使し統治を広げていた。六連合の若き軍人チェリスは、不変氷と呼ばれる鉄壁のシールドを持つ巨大宇宙都市要塞の制圧を命じられる。ただ、この指令には史上最高の戦略家かつ反逆者として長らく幽閉されていたシュオス・ジュダオの意識をチェリスの体に宿すという条件があった。
 歴法、六連合等作品オリジナル用語が多数使われているスペースオペラなのだが、用語の意味がいちいち説明されるわけではないので、SF不慣れな人には結構推理力がいる。また意味を理解したとしても、これは何を意味しているんだっけ?と何度も振り返り確認する羽目に。ページが進まない!ネタバレになりかけるとしても、最初に巻末の用語集を読んでおけばよかった。戦闘シーンも悲惨なことはわかるが何がどう起きているのかいまいちぴんとこない…。
 物語の立て付け、設定としてはおそらくそれほど珍しいものではないのだろうが、食事のシーンで米と漬物、発酵食品系のものが頻繁に出てきたり(著者は韓国系アメリカ人)、僕扶と呼ばれる自律ドローンが様々な形(動物や小鳥の形のものもある)だったりと描写が楽しい。また、男性女性の性別は存在する世界だが、個人の特性の設定や描写が性別とあまり関係ない、性別入れ替えても成立するような作りになっているところは面白かった。六連合の世界がかなりかっちりした階級・組織分けされており、所属階層からの移動は難しそうなのとは対称的。なおチェリスの趣味は僕扶と一緒にTVドラマを見ること。ちょっとかわいい。

ナインフォックスの覚醒 (創元SF文庫)
ユーン・ハ・リー
東京創元社
2020-03-12


ウォーシップ・ガール (創元SF文庫)
ガレス・L・パウエル
東京創元社
2020-08-12


『スパイの妻』

 1940年、太平洋戦争開戦直前の日本。神戸に住む織物商の勇作(高橋一生)は、仕事で満州に行った際、偶然に恐ろしい国家機密を知ってしまう。帰国した彼は正義の為、この事実を世界に知らせようとする。勇作の妻・聡子(蒼井優)は、スパイと疑われる夫を信じようとするが。監督は黒沢清。
 滝口竜介・野原位による脚本(黒沢も参加している)が良かったではないだろうか。黒沢監督の単独脚本では聡子の言動にここまでの勢いは出なかったかなという気がする。ミスにたいしテリとして、メロドラマとして大変面白かった。
 勇作は人としての正義感・倫理から国家機密を海外に持ち出す「スパイ」になろうとし、聡子は勇作への愛から「スパイの妻」になる覚悟をする。その目的の為に多大な犠牲が生じようともだ。2人とも方向は違うが、個人の心情・理屈を最優先しており、これは最後の最後、エンドロール前の字幕に至るまで一貫している。それは戦争へと向かう全体主義的な「国」の空気の中で異質だ。将校となった泰治(東出昌大)が「世間がどんな目で見るか」「どう見られるか気を付けた方がいい」と2人に忠告するが、国=世間と言えるだろう。自分がどう考えているか、何を正しいと考えるかよりも、世間がどう見るか、今世間がどんな雰囲気なのかということの方が、この国では重視される。勇作や聡子の生き方はそれに背を向けるものだ。ベースはメロドラマなのだが、個人と国家がどうやっても添えない、和解し得ない地点に向かう様が息苦しく迫ってきた。
 勇作は趣味で映画を撮っており(社長が撮った自主映画を納会で上映するって長閑な会社だよな…)、作品のヒロインを聡子に演じさせる。勇作が撮ったフィルムの中の聡子はひときわ美しい。勇作と秘密を共有するようになった聡子は、正に映画のヒロインのような華やぎを見せる。夫との秘密は、彼女にとっては自分が主役のお芝居のようなものだったのではないか。監視の目をかいくぐり、路上で勇作に抱き着く彼女は実に楽しく充実していそうなのだ。ただ、勇作が撮った映画のヒロインがたどった運命がどのようなものだったのか。勇作が、そういう彼女を見て見たかったのでは、彼にとっても全部映画、自身が映画監督をやっているような気持ちだったのでは。撮るものと撮られるもの、その交わらなさがにじみ出ていたようにも思えた。

散歩する侵略者
笹野高史
2018-03-07


ハッピーアワー [Blu-ray]
川村りら
NEOPA
2018-05-18



『ザリガニの鳴くところ』

ディーリア・オーエンズ著、友廣純訳
 1969年、ノース・カロライナ州の湿地帯で、若い男性の死体が発見された。犯人の疑いをかけられたのは、「沼地の少女」として地元で知られる謎めいた女性。その女性・カイアは6歳で家族に捨てられ、以来一人きりで沼地の小屋で暮らしてきた。読み書きを教えてくれた少年テイトと惹かれあうが、彼は大学進学の為に去っていった。そして村の裕福な青年チェイスが彼女に近づいてくる。
 カイアの母親も兄姉も父親の暴力に耐えかね家を去った。父親はカイアを気にかけず、やがて失踪。今なら完全にネグレクト認定だ。しかしカイアは大人に助けを求めないし、地域の大人たちも、カイアを気にかける人はわずかだ。それは現代のような児童保護の観点が薄かったということもあるだろうが、彼女が沼地の住人(今でいうプアホワイトということか)として村人から差別されている・疎まれているという事情もあるだろう。彼女を長年にわたって助けるのは同じく差別される立場にある黒人の雑貨屋夫婦だけだ。また、カイアは周囲の大人を信用せず、助けを求めることができない。そもそもそういう発想がないし、家族との唯一の繋がりである沼地から去ることもできないのだ。もしカイアがもう少し親、大人からケアされ大切にされていたら、苦境に陥った時に多少は大人に頼りやすかっただろうかと思えてならなかった。孤独でいることは単に一人である、寂しいということだけではないのだ。カイアが他人を求めてしまうやり方も生活するうえでの立ち回り方も危なっかしくて、もうちょっとやりようがあるだろうとハラハラするが、人との距離の取り方を学ぶ機会もなかったんだとはっとした。
 風景描写がとても生き生きとして美しい。著者は元々動物学研究社でネイチャーノンフィクションの著作で有名だそうで、それも納得。沼地の風景や動植物のこまやかな描写と、カイアの精神世界が豊かになっていく様とがリンクしていく。表現が人の心を支えるという側面が描かれた小説でもあった。ただ、そういう支えの在り方を理解する人はあまり多くないのだが。

ザリガニの鳴くところ
ディーリア・オーエンズ
早川書房
2020-03-05


カラハリ―アフリカ最後の野生に暮らす
オーエンズ,ディーリア
早川書房
1988-11T


『オン・ザ・ロック』

 作家のローラ(ラシダ・ジョーンズ)は夫ディーン(マーロン・ウェイアンズ)と2人の子供と暮らしている。ディーンは同僚女性との出張や残業が相次いでおり、もしや浮気?と疑い始めたローラは、プレイボーイな父フェリックス(ビル・マーレイ)に相談。フェリックスはこの事態を調査すべきと張り切り、ローラと共に素人探偵を始める。監督・脚本はソフィア・コッポラ。
 夫の浮気疑惑を相談するくらいだからローラは父親ととても仲がいいのかというと、そうでもない。浮気を繰り返してきた父に母もローラも苦しめられてきた。浮気について相談するには実体験豊かというわけだ。とは言え、彼は楽しい人ではある。フェリックスは画商でリッチ、かつ趣味が良くユーモアがある。父、夫としては失格でも遊び相手、祖父としてはかなり良いと言える。だが人生を託す相手、共に歩むパートナーにはなれない、というのがフェリックスの在り方であるように思った終盤、彼の自分本位な考え方が露わになってかなり退くのだが、当人は自分が不誠実だという自覚は全くないだろう。
 ローラは自分では認めていないだろうが、かなりの父親っ子なのだと思う。彼女の価値観はフェリックスとは違うが、趣味の良さや芸術に対する造形の深さは通じるものがある。何より、彼女は自分たちの元を去った父に愛してほしいという渇望を捨てられていないように見えた。そんな彼女が、自分は誰と人生を共に歩むのかを再確認していく。腕時計の使い方が非常にわかりやすく象徴的だった。
 一方、ディーンはフェリックスといまひとつウマが合わないらしいと示唆される。フェリックスがローラを溺愛しているからというのもある(冒頭のモノローグがなかなかの気持ち悪さだ)が、バックグラウンドの違いも大きいだろう。作中ではっきりとは言及されないが、おそらくローラの実家はそこそこ富裕層。フェリックスの身なりも実家のお茶会も、お金、しかも成り上がりではなく生まれた時からお金がある層特有の洗練と趣味の良さがある。ローラ当人はいつもボーダーシャツにジーンズというスタイルだからわかりにくいが、「良いもの」に囲まれた育成環境だったのだろう。その環境で培われたものには、なかなか追いつけない。ディーンはそこそこ稼いではいるみたいだが、やはり彼女の豊かさとは意味合いが異なるのだ。彼が終盤にローラに漏らす言葉は、そんなことを想っていたのか!というものなのだが(少なくともローラにとっては思いもよらないことだろう)、2人の背景の違いが反映されたもののように思った。


ロスト・イン・トランスレーション [DVD]
ジョバンニ・リビシー
東北新社
2004-12-03


『わたしは金正男を殺していない』

 2017年2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で、北朝鮮の最高指導者・金正恩の異母兄・金正男が殺害された。マレーシア警察が逮捕した容疑者は若い女性2人。世界中に衝撃が走ったが、彼女らはとても「暗殺者」とは思えず北朝鮮との接点もありそうにない人物だった。監督はライアン・ホワイト。
 最近の事件だし、報道された内容が映画や小説のような劇的かつ謎の多いものだったが、容疑者逮捕の後の展開を追った本ドキュメンタリーは、更に「まるでフィクション」のような話。事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。容疑者として逮捕されたインドネシア人のシティ・アイシャとベトナム人のドアン・ティ・フォンは一貫して無実を訴えた。彼女らは「いたずら動画」撮影のキャストとして仕事を頼まれ、相手が金正男だとは全く知らなかったし自分たちが持たされたのが劇薬だとも知らなかったと言う。当時、メディアでもこの辺りは報道されており、暗殺にしてはあまりに脇ががばがばだし容疑者たちは無防備だし、本当に何も知らないんじゃないかな?と思ったものだった。本作は彼女らの弁護士、北朝鮮に詳しイジャーナリスト、地元メディアの記者(マレーシアはマスコミに対する政府の統制が厳しく、ローカルメディアの方が動きやすい面もあるんだとか)らのコメント、様々な図解やシュミレーションから、事件を再構成し迫っていく。この過程がサスペンス映画ばりにスリリングでとても面白かった。
 マレーシア警察の動きが妙に鈍く、北朝鮮の関係者に対する捜査は何らされないまま出国させてしまったという経緯追求されていく。マレーシア政府は北朝鮮との取引の為に工作員を見逃したのではないかという。シティとドアンは工作員のコマで、本当に何も知らなかったのではという線が傍目にも濃くなっていくのだ。しかしマレーシア政府は面子の為に彼女らを犯人にしておきたかった。国の目的の為には個人の尊厳・命(マレーシアは死刑制度があるので殺人罪で有罪になったら確実に死刑になる)はどうとでもなる、ということを実演してしまっているのだ。ドアン、シティが「自分たちは軽く扱っていい人間だと思われていたということがショックだった」というのだが、これが痛切だった。彼女らは2人ともマレーシア人ではなく、言葉も流暢ではないし、人脈もお金もない。反論し身を守ることが難しい立場にあり、工作員も国家も、そこに付け込んだと言える。彼女らの弁護士も、マレーシアの司法制度とは何なのかと漏らす。北朝鮮の工作の強引さも恐ろしいのだが、一見法治国家であるマレーシアの闇を垣間見てしまった感がある。しかもこういう傾向は、マレーシアに限ったことではないのだろう。


『特捜部Q アサドの祈り』

ユッシ・エズラ・オールスン著、吉田奈保子訳
 キプロスの港に難民たちと見られる遺体が流れ着いた。その中の1人の老女の遺体は「犠牲者2117」として新聞で紹介された。その写真を目にしたアサドは強い衝撃を受ける。彼女は、かつてアサドと家族に力を貸した人物だったのだ。アサドは自らの壮絶な人生をカールたちに打ち明ける。
 特捜部Qシリーズが一つの節目を迎えた作品と言えるだろう。今まで謎に包まれていたアサドの正体が明らかになる。と同時に、彼の万能ぶりやちょっととぼけたユーモアがどういう経緯を経て生まれてきたものなのかと思うと、何ともやりきれない気持ちになった。そしてアサドの背後には更に大勢の人達の悲劇がある。と同時に、アサドに向けられた悪意はごく個人的なものでもある。それはもはやテロでもない。何か大きなものを口実に個人の怨念、承認欲求を満たそうという行為が、2つの事件で平行して展開していく。個人的にも人生の転機を迎えるカール、復活するローサ、そして一皮むけるゴードンらの奮闘、そして何より彼らのアサドへの思いやりにぐっとくる。いいチームだなぁ。
 なお、デンマークでも「ひきこもり」という言葉が定着しているんですね…。日本を代表する現象の一つになってしまったのか…。

特捜部Q―アサドの祈り― (ハヤカワ・ミステリ)
ユッシ エーズラ オールスン
早川書房
2020-07-07


特捜部Q―キジ殺し―
福原 美穂子
早川書房
2013-05-27



『今も未来も変わらない』

長嶋有著
 小説家を生業とする星子は40代。数年前に夫と離婚し同居している娘は受験を迎えようとしている。親友の志保とカラオケやドライブで盛り上がり、娘の学校の教師と友達になり、一方で一回り年下の男性と恋の予感がしていた。
 星子は女性であり中年であり作家であり母であり元妻であり恋人であり、という複数の属性を持っている。しかし本作を読んでいると、星子が「~の星子さん」であるという印象はない。星子はあくまで星子。他の登場人物も同様で、「~の」というくくりや属性を極力感じさせない書き方になっていると思う。もちろんそれぞれの年齢や性別、職業や家族間での続柄はあるだろう。しかしそれはその人全体を表すものにはならない。読者の前に立ち上がってくるのは星子であり志保であり、あくまで固有名詞としての人だ。そこがすごくよかった。星子は世間的には「おばさん」と呼ばれる年代なのだろうが、「おばさん」という感じもしない。星子という人が年齢を重ねて今40代、という感じのニュートラルさだ。
 相変わらず固有名詞の使い方が上手い。特定の題名や名称を出すことでその時はこういう気分だな!とはっきりわかるというのは面白いものだな。共通の体験、知識が必要とされることだから、どの固有名詞を使うかかなり匙加減のテクニックが要求されるはず。同時に、わかっている人にはわかるような描写で固有名詞までは出さない、という演出もあり、この使い分けが面白かった。GAPにエルメス合わせて怒られる映画ってあれだな!なお吉祥寺小説でもあるので、調子に乗って吉祥寺のカフェで完読した。

今も未来も変わらない (単行本)
長嶋 有
中央公論新社
2020-09-18


三の隣は五号室 (中公文庫 (な74-1))
長嶋 有
中央公論新社
2019-12-19


『セノーテ』

 メキシコ、ユカタン半島北部にセノーテと呼ばれる洞窟内の泉がある。マヤ文明時代、水源として利用され、生贄が捧げられた場所でもあるという。現世と黄泉とをつなぐというセノーテを巡る言い伝え、人々の記憶が交錯していくドキュメンタリー。監督は小田香。
 セノーテの幻想的な姿と、周辺に暮らす人々の姿と語りから構成されており、ドキュメンタリーではあるが映像詩とでも言った方がふさわしそうなポエジーがある。今現在ここで暮らす人たちの姿、その生活の映像はなぜかぴんぼけな映像、輪郭があやふやで人にしろ場所にしろ個別化できない映像が多い。主体はやはりセノーテという場所であり、そこに暮らす人々の生活は背景として控えている。
 泉の存在、それにまつわる言い伝えや歴史は実際のものだが、映像とナレーションの組み合わせによって、現実から一層向こう側に立ち入ったような風景に見える。水中の風景に音が被されているのだが、水遊びをしている人々の喧騒らしきものが、太古の儀式のようにもの、生贄が泉に投げ入れられた水音のようにも聞こえてくる。時間を超越した不思議な魅力がある。また、水中には細かい塵状のものが舞っている場所もあるのだが、向こう側が見通しにくいことで、空間があるのに平面を追っているような奇妙な錯覚に陥る。自分が見ているのは一体何なのだ?とはっとする瞬間があるのだ。
 こういう絵を撮りたい、というよりも、ここにカメラを置いたらどういう絵になるか、という発想で撮られた作品のように思った。見方、角度がちょっと変わっただけで、全然違う世界が姿を現すという、世界の新鮮さ、豊かさに迫っている。泉自体は大昔からあるもので、その風景が大きく変わったというわけではないというだけに、何か不思議な気持ちになる。映像と音の魅力が大きい(というかほぼ全て)作品なので、音響の良い大画面な環境で見るほうがいいのだろうが、こういう作品を大きな劇場で上映するのはなかなか興行的に厳しそう。でも小さい画面で見るのは勿体ない。

リヴァイアサン Blu-ray
紀伊國屋書店
2016-03-26


ニーチェの馬 [DVD]
デルジ・ヤーノシュ
紀伊國屋書店
2012-11-24


『星の子』

 中学生のちひろ(芦田愛菜)は両親と2人暮らし。両親は新興宗教に深く傾倒していた。病弱だった幼いころのちひろを救ったのがこの宗教で清められた水の力だと信じているのだ。中学3年になり受験を控えたちひろは、憧れている南先生(岡田将生)に、宗教儀式を行っている両親の姿を見られてしまう。原作は今村夏子の同名小説。監督・脚本は大森立嗣。
 ちひろの父(永瀬正敏)も母(原田知世)も、彼女のことを愛し大切にしているが、世間から見たら変な環境でかわいそう、ということになる。実際、子供を大切にしてはいるが日々の食事や住環境については少々おろそか、というより宗教内の価値観で行動してしまうので世間の「ケア」とはずれていると言った方がいいだろう。ちひろは両親を愛しており自分がかわいそうとは思っていない(と思われる)ので、世間とのギャップが生じる。なんとなくわかっていたそれが、南の言葉で突き付けられてしまう。
 ちひろにとっては宗教に傾倒していることも含めて自分の両親であり、そういう両親がいるということが自分を構成するパーツになっている。そこに対する否定はなく、両親の愛を信じ、自身も彼らを愛する。とは言えその愛は、15歳の子供の視野の中での愛であり選択だ。子供にはそもそも選択肢がない。伯父一家からの提案をきっぱり断るちひろの姿は毅然としているが、それは選択肢がないから、他を知らないからだということを見落としてはいけないだろう。
 ちひろの友人とそのボーイフレンドの存在感がいい。ちひろの家が宗教にはまっていることは知っており、それを口にもするが、揶揄はしない。ボーイフレンドもちょっと抜けているけどちひろに対する態度はフラットだ。距離の取り方が適切なのだ。対して、南の態度の失礼さが際立つ。大人げないな!彼の授業も、こいつ生徒の話絶対聞いてないなという姿勢のもので大分独りよがりだったと思う。

星の子 (朝日文庫)
今村 夏子
朝日新聞出版
2020-01-31


タロウのバカ
國村隼
2020-02-18




『甘いお酒でうがい』

 40代独身の川嶋佳子(松雪泰子)はとある会社で派遣社員として働いている。職場の後輩・若林ちゃん(黒木華)との交流、撤収された自転車との再会、楽しみにしているお酒等、日々は続く。そんなある日、二回り年下の岡本君(清水尋也)と恋に落ちる。監督は大九明子。
 原作がお笑いコンビ「シソンヌ」のコントだそうなのだが、映画も全編コントみたいだった。松雪泰子が演じているし基本笑わせる演出ではない(コメディ部分もあるが)のだが、真面目に見るものなのどうなの?という中途半端さ微妙さを感じた。佳子の言動が、自意識強めのSNSやブログのパロディみたいで、見ているとお尻がむずむずしてくる。松雪の衣装があまり似合っていないので余計にそう思ったのかもしれない。40代女性の生活をかなりカリカチュアしているように見えてしまう。「こういう人いるでしょ」という前提に基づいた「あるある」を並べていく話だけど、その前提自体が実在しないものだという空虚さを感じた。生々しさの演出が生々しさのパロディでしかないというか…。やはりコント原作ゆえの特性だろうか。また、短いエピソードの連続による構成なので、実際の上映時間(107分)よりも大分長く感じられた。体感時間は二時間越え。このネタだったら1時間くらいでよかったんじゃないかな…。
 ただ本作、黒木華がやたらと可愛い。こういう後輩がいたらそりゃー好きになっちゃうし一緒に飲みに行くの楽しいだろうなーという説得力がある。松雪と黒木の掛け合いがかわいすぎて、もはや岡本君いらないじゃないかと思った。

勝手にふるえてろ
片桐はいり
2018-05-06


『マティアス&マキシム』

 幼馴染のマティアス(ガブリエル・ダルメイド・フレイタス)とマキシム(グザビエ・ドラン)は、友人の妹が撮影している短編映画でキスシーンを演じる羽目になる。これがきっかけでお互いに対する感情に気付き始めた2人だが、婚約者がいるマティアスは自分の気持ちに戸惑い混乱する。一方、マキシムは思いを告げないままオーストラリアへ渡る準備を進めていた。監督・脚本はグザビエ・ドラン。
 マティアスとマキシムと友人たちの賑やかさ、はしゃぎっぷりは私にとってかなり苦手なノリで、見ていて若干苦痛な所も。10代ならともかく、30代の大人がああいうはしゃぎ方をするのはちょっと見苦しいなと思ってしまった。とは言え、彼らの友人関係はなかなか良い。マティアスとマキシムの関係が微妙になっていることを勘付きつつもいじらず、仲直りできそうなタイミングでパスを出すという配慮がある。また、彼らの仲間内では家庭環境に結構経済格差があるようで、今の生活水準もまちまち。リヴェット(ピア=リュック・ファンク)は明らかにそこそこ豊かな家の息子だし、マティアスは自身が新進気鋭の弁護士で実家もそこそこ安定していそう。一方マキシムは母親との関係にかなり問題があり、子供の頃から生活に苦労していた様子が垣間見られる。今の仕事もバイトのバーテンらしく不安定だ。しかし、仲間内ではこういう格差を追た阿木に感じさせることがほとんどなくフラットな関係が維持されている。意外とお互い気を使っており、ぎりぎりでバランス保っている感じだった。
 マティアスは「言葉警察」と言われるくらい言葉の使い方に厳密。意味のある話、ちゃんと言語化された話に拘りがある。しかしマキシムに対する自分の気持ちは言語化できないし、自分の心の動きを受け入れることができず、なかったものにしてしまう。マティアスのマキシムに対する態度はかなり不誠実だと言えるだろう。
 一方、マキシムは言葉の使い方こそ上手くはないが、自分の気持ちには誠実だ。言葉の正確さを求めるマティアスと言葉を使いこなせないマキシムのコミュニケーションの齟齬と距離がもどかしくもある。2人の距離が縮まるのは、言葉が介在しない瞬間、体が動いた瞬間だ。それはマティアスにとっては受け入れがたいことなのかもしれないが(それにしてもそこで逃げるの?!という逃げっぷりで退いた)。ラストシーンの後、マティアスはマキシムに何か告げることができたのだろうかと気になった。

トム・アット・ザ・ファーム(字幕版)
マニュエル・タドロス
2015-05-02


君の名前で僕を呼んで(字幕版)
アミラ・カサール
2018-09-14


『おやときどきこども』

鳥羽和久著
 学習塾の指導者として、学びの現場で子供たちと向き合い続ける著者が、子供、そして保護者との対話の中で考えてきたことを綴った1冊。
 子供を育てていない者が読んでもとても面白かった。様々な子供、そして親が登場し、抱える問題もそれぞれだ。ただ、問題を抱えている子供は、自分では何が問題か上手く表現できない、場合によっては認識できていないというケースが多い。親の前では大丈夫なようにふるまう子供が結構いるのだ。そして親の側も、子供の問題に気付かない、またなんとなく気付いているけどよくわかっていないことが多い。子供の問題は大人の介入がないと解決しないことが往々にしてあるが、その介入が上手くいかないのだ。
 上手くいかなさの一因は、親が子供を自分とは全く別個の人格として尊重し難いという所にあるように思った。なんとなく自分の延長線上みたいに扱ってしまう。また時代の変化が急速で、親の常識が子供が置かれている状況に既に当てはまらなくなっている。そのすり合わせを仲介者的な著者らが手伝うわけだが、なかなかうまくはいかないのね…(とにかく親側に対話の姿勢がないとどうにもならない)。しかし何かがかみ合って親が変化すると、子供も劇的に変化したりする。著者らはそこに希望を託しているのだと思う。親子って本当に関係性の現象なんだな。全くの他人と共にどう生きていくのかという形が、親子という関係を通して見えてくるのだ。

おやときどきこども
鳥羽和久
ナナロク社
2020-06-20


親子の手帖
鳥羽 和久
鳥影社
2018-03-22




『フェアウェル』

 ニューヨークで暮らすビリー(オークワフィナ)は、中国で暮らす祖母ナイナイ(チャオ・シュウチェン)が末期がんで余命僅かだと知る。各地で暮らしていた親族は中国に帰郷することになるが、その名目はビリーの従弟の結婚式の為。中国では回復の見込みがない患者には病状は伏せておくのが慣習なのだ。ビリーは祖母に真実を告げるべきだと反発するが、親戚から説き伏せられる。監督はルル・ワン。
 ビリー、両親、祖母はそれぞれ別の文化圏で生きている。世代の違いもあるし、中国系移民と中国人の意識の違い、またビリーに関してはアメリカに渡ってきたのは幼いころなので中国人としてのアイデンティティはかなり薄く、中国語も流暢ではない。ビリーの伯父は、西洋と東洋とでは個人の在り方が違うのだと言うが、ビリーは納得出来ない。末期がんの宣告を当人にしないというのはアメリカでは罪になる為、ビリーは自分が所属する文化圏の倫理に従うと、家族が所属する文化圏の倫理にふれることになってしまう。また、結婚式の支度で張り切る祖母を見ると何も言えなくなってしまうという面もあるだろう。このジレンマが全編続き、解消されることはない。
 アメリカの文化と中国の文化、また世代ごとの軋轢はずっと継続しており、多少歩み寄ったりなんとか折り合いをつけたりはするが、まじりあうことはないように見えた。食事の席で、中国は好景気だから帰ってきたら?と投げかけられたビリーの両親は、アメリカに行ったらお金が一番ではなくなるのだと言う。個人の在り方が違うからということだろうが、中国に暮らす伯父たちにはその感覚はわからないだろう。一方で伯父たちも自分の息子は海外留学させるし、息子が海外に永住するかもともうっすら思っている。色々と矛盾はあるが、そういったものが並立しているところに、人の心や生活の割り切れなさを感じた。ビリーは祖母の価値観を全て共有できるわけではないし、おそらく中国に戻りたいとは本気では思っていない。それでも祖母を愛しているしウマが合う。割り切れないまま付き合っていくのだ。
 本作に出てくる披露宴や墓参りは、ひと昔前の日本のものと近いが、こういうイベントごとは個人的には非常に苦手で、トラウマが甦りそうになった。特に披露宴の、周囲を楽しませなければ、喜ばせなければ(これも個ではなく共同体が重視される文化圏ということか)というプレッシャーがきつい。こういう披露宴はもう一生出席したくないな…。

千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)
イーユン リー
新潮社
2007-07-31


恋人たちの食卓<普及版> [DVD]
ウー・チェンリン
マクザム
2017-06-30


『たとえ天が墜ちようとも』

アレン・エスケンス著、務台夏子訳
 高級住宅地で女性の他殺死体が発見された。刑事マックスは、被害者の夫である弁護士プルイットに疑いをかける。プルイットとマックスの間にはある因縁があった。一方、プルイットは元同僚のボーディに弁護を依頼する。ボーディは引き受けるが、マックスは彼の親友だった。
 著者の前作『償いの雪が降る』は胸打つエモーショナルなミステリでとても面白かったが、本作はそれとはまた違った面白さだった。友情と正義、そして過去の傷の間で揺れる人たちの姿を描くが、法廷ミステリとしてはスピーディでどんでん返しもあり、一気に読ませるタイプのエンターテイメント。かなりサービス精神旺盛なのだ。旺盛すぎて最後の一盛りは若干下品になってしまったのではという気もするのだが…。急カーブを切りすぎた印象がある。
 友情と職業倫理、また職業倫理と自分にとっての正義の間で引き裂かれる人たちの姿を描くが、そういった面はそれほど胸に迫ってこない。とは言え、マックスとボーディの関係が致命的に変わってしまう瞬間は切ない。彼ら2人ともそれぞれ過去に根差す苦しみを抱いており、それ故に共感するところもあったのだろうが、その苦しみを相手を負かす為に利用するような羽目になってしまう。本作の題名の通り、そうまでして守らなければならない(と彼らが判断した)ものは何なのか。正しくその仕事をしなければならない、その為にどうすればいいかとぎりぎりまであがくある人物の姿にインパクトがあった。

たとえ天が墜ちようとも (創元推理文庫)
アレン・エスケンス
東京創元社
2020-09-24


償いの雪が降る (創元推理文庫)
アレン・エスケンス
東京創元社
2018-12-20





『浅田家!』

 浅田家の次男・政志(二宮和也)は写真専門学校に進学し、卒業写真の被写体として家族を選ぶ。浅田家の思い出のシーンを再現したその写真は学校長賞を受賞した。卒業後、仕事もせずふらふらしていた政志だが、再び写真に取り組もうと決意。その題材もまた家族だった。様々なシチュエーションに扮した写真は、やがて木村伊兵賞を受賞。プロの写真家として順調に歩みだすが、2011年3月11日、東日本大震災が起こる。監督は中野量太。
 かなりダラーっとした構成に思えた。もうちょっとカットしてもよかったんじゃないかなという気もしたが、構成・編集が下手でダラーっとするというよりも、このシークエンス内の流れをそのまま保存したい、このシーンのこの人の表情の変化を追い続けたいという意図が入りすぎてのことだったように思う。びっくりするくらいひねりがないというか、王道なつくりで、ダサくても直球でやろうとする作品だった。
 中野監督は一貫して家族の話を撮り続けているが、本作はそのものずばり「浅田家」なのでど直球で家族が中心にある。政志の兄(妻夫木聡)のモノローグで始まるので、これは家族から見た政志の話なのかと思って見ていると、最後は政志のモノローグで終わる。彼にとっての「家族」、自分の家族の姿であり様々な家族の姿であったことがわかる。
 政志が家族写真って何だろうと真剣に考え始めるのはおそらく後半だ。写真家として何をするのかという自覚も、後半になってから考え始める。それまではわりとフィーリングでやってきたけど、深く傷ついた人、自分の想像の及ばない人と相対しカメラを向けるのは、フィーリングだけでは無理なのだろう。ポートレートとは何かをやっと考え始めたな!という印象があった。
 家族の話ではあるのだが、政志本人は家族を愛してはいるけど、家族の為には生きられない人なのではないかと思った。思い付きでぱっと動いてしまうように、常に表現衝動の方が上回る。父親や兄のようには家族を想えないという面はあるのでは。それがダメだというのではなく、そういう人、そういう家族だということだが。
 母親役の風吹ジュンがすごくいい感じなのだが、中野監督は母親という存在に対する思い入れ、期待みたいなものが少々重すぎる気がした。また、黒木華演じる政志の幼馴染があまりにザ・幼馴染キャラというテンプレさで、主人公を支える女性キャラとしての役割しかないのにはちょっとがっかりした。

浅田家
浅田政志
赤々舎
2019-02-28


チチを撮りに
滝藤賢一
2016-04-28


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