3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『アンモナイトの目覚め』

 イギリス西南部の海辺の町ライム・レジスで老いた母と暮らすメアリー・アニング(ケイト・ウィンスレット)。彼女は古生学者として貴重な化石の発掘実績があったが、今は土産用のアンモナイトを売ってつましい生活をしている。ある日、ロンドンの裕福な化石収集家の妻シャーロット(シアーシャ・ローナン)を預かることになる。自分とは全く逆なシャーロットとの生活にメアリーは苛立つが、同時に強く彼女に惹かれる。監督・脚本はフランシス・リー。
 メアリーとシャーロットは見た目も年齢も生まれ育った環境も所属する階級も、全く違う。2人が分かち合えるものは何もないように見える。全く違うからこそ惹かれあうのか、はたまた寂しさや理解・ケアへの飢えが2人を結び付けたのか。ともあれなぜ惹かれあったのか、という部分は恋愛においてはあまり重要ではないのだろう。2人が呼応しあうような情動の高ぶりと押しとどめられなさが強烈だった。この人たちは色々なものに飢えていた、それを見ないように我慢して生きてきたのではないかと思わせる。2人の過去について詳しい言及はないものの、メアリーは町のある女性と訳ありだったらしいこと、シャーロットの夫は妻にあまり関心がなく(これは一目瞭然なのだが)彼女の傷の深さにも無頓着であることは垣間見られる。2人とも、深く情愛で繋がる関係を持てずに(あるいは失った)来た人たちなのだ。
 女性同士の関係、かつシャーロットは既婚者なので、2人が人生を共に歩める道は当時の社会の中ではとても狭いだろう。シャーロットが海辺にとどまるワンシーズンのみの関係になりそうなことが見えており、そこで終わっていたらむしろきれいな話だったかもしれない。しかし、性別、年齢や間柄に関係なく、人と人とが関わると、特に愛情をもって関わるときに往々にして生じる齟齬があるという部分こそ、本作の肝のだろう。共にいたい、相手を支えたいという愛情と、相手を自分とは異なる存在として尊重することの両立がいかに難しいか。女性同士という共通項はあるがバックグラウンドは全く違うという設定で、恋愛もまた個と個のぶつかり合いだという側面がより際立っていたように思う。
 メアリーとシャーロットは愛し合っていると言えるだろう。しかしメアリーにとっての大切なもの、自身と分かちがたいものは何なのか、シャーロットは理解していなかった。「サプライズ」シーンはシャーロット側から見たら可愛らしいのかもしれないが、メアリー側から見ると決定的な亀裂が目の当たりになり、やるせなくいたたまれない。この人は自分の何を見ていたのか、という失望が強烈なのだ。ただ本作、それでもなお、というワンシーンを最後に置いており、全くの失望では終わらないのではと予感させる。

ゴッズ・オウン・カントリー [Blu-ray]
ジェマ・ジョーンズ
ファインフィルムズ
2019-06-04


燃ゆる女の肖像 [Blu-ray]
ヴァレリア・ゴリノ
ギャガ
2021-06-02


『小公子』

バーネット著、土屋京子訳
 ニューヨークで母親と暮らす幼い少年セドリック。素直で心が優しいセドリックは周囲からも愛され、質素ながらも幸せに暮らしていた。しかしある日、英国の貴族ドリンコート伯爵の元から使いが来る。セドリックはドリンコート伯爵の三男の息子で、直系の息子たちが全員他界した今、唯一の跡取り・フォントルロイ卿になるのだというのだ。セドリックは英国に渡り、祖父の元で教育を受けることになる。
 光文社古典新訳文庫で読んだ。原書の挿絵(なんとカラー絵あり)も盛り込まれており目にも楽しい。小公子のストーリー概略程度走っていたが、ちゃんと読んだのは今回が初めて。ストーリーのフックが強くて、連続TVドラマのような盛り上げ方。セドリックは純粋で聡明、かつルックスがめちゃめちゃいい(とにかく外見に関する褒め描写が多い!正直だったら美点そこかよ!というルッキズム問題になると思う)という出来すぎな設定や、彼の行いの曇りない正しさは少々説教臭くはある。しかし、真っ正直な思いやりや信頼が、頑なな老人の心を溶かしていき、周囲の人達を幸せにしていく様はやはり小気味がいい(良すぎるのもちょっと問題だよなとは思うが)。現代の小説ならば奥行きが浅いと言われるかもしれないが、信頼されることで人の良い面や元々持っていた美点が発揮されていくということは、実際にあるだろうなと思える。セドリックの大真面目な振る舞いが周囲からは微笑ましく見えることや、ドリンコート伯爵とのやりとりなど、ユーモラスな描写も意外と多い。むしろ子供の振る舞いのユーモラスな部分の方が現代に通じるものがあるかも。

小公子 (光文社古典新訳文庫 Aハ 2-2)
バーネット
光文社
2021-03-10


小公子 (岩波少年文庫)
フランシス・ホジソン・バーネット
岩波書店
2011-11-17




『チェリー』

ニコ・ウォーカー著、黒原敏行訳
 うだつの上がらない大学生だった「俺」はなぜか兵役についてイラクに行き、凄惨な体験をする。なんとか帰国するもののPTSDを抱え、どんどんドラッグにはまっていく。
 著者が刑務所の中で本作を書いたということでも話題になったが、何より文体のグルーヴ感がいい。グルーヴ感といってもテンション上がる系のグルーヴではなくダイナー系。だらだらぐだぐだした流れに身を任せると「俺」の人生よろしくどんどん泥沼にはまっていきそうだ。決してお上品な口語ではない「俺」や恋人のエミリー、友人たちのくだけた(くだけすぎた)口調の訳し方は、翻訳文学ではあまり目にしないタイプのものだった。小説内の口語って実際に話し言葉よりも大分整えられているんだなと妙なところで感心してしまった。
 そもそも「俺」は経済的にひっ迫しているわけでもないし、愛国心に燃えているわけでもないし、何らかの政治的な意図があるわけでもないのになぜ軍に入隊し、最悪のタイミングでイラクに行ってしまったのか。彼の動機が見えない、というよりも動機らしい動機がないところがコメディのようでもありどこか薄気味悪くもある。「俺」は悪人ではないがクズ、バカではないが色々足りてないというしょうもない人なのだが、彼が放り込まれた戦地での状況との乖離が激しくて、段々笑えなくなってくるのだ。「俺」の周りには同じような人間ばかり集まっているので、しょうもなさが膨れ上がっていく。そして、とにもかくにもドラッグは絶対だめだなとしみじみ感じさせる作品でもある。冒頭で結構とんでもないことになっているのだが、そこに至るまでの経緯があまりにしょうもない。少なくともドラッグやってなかったらここまでドツボにはまってないのでは。

チェリー
ウォーカー,ニコ
文藝春秋
2020-02-20


トレインスポッティング〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)
アーヴィン・ウェルシュ
早川書房
2015-08-21


『アメリカン・プリズン 潜入記者の見た知られざる刑務所ビジネス』

シェーン・バウアー著、満園真木訳
 全米約150万人の受刑者のうち、約13万人を収容する民営刑務所。その実態を知ろうと、著者は実際に民営刑務所に就職し、潜入取材を開始する。あっさり採用された著者の配属先は大手の刑務所運営会社が管理する刑務所で、自給はウォルマート並みの9ドルだった。アメリカにおける刑務所の歴史を紐解きつつ、民営刑務所運営の実態を暴くノンフィクション。
 アメリカには民営刑務所があるということは聞いたことがあったが、その実態はかなりショック。刑務所は本来、受刑者の拘束・懲罰・更生の目的で作られたものだと思うのだが、著者の配属先の民営刑務所では、更生という目的はまず果たされていない。受刑者をただ収容しているだけで、本来受刑者に対して行うべき管理は行き届いていない。そもそも環境が劣悪なのだ。なぜ「入れっぱなし」状態になるのかというと、管理側の人員が圧倒的に足りていない(人数もスキルも)からだし、なぜ足りないのかというとぎりぎりまで利潤を追求しており、人件費をけちっているからだ。資本主義に組み込むべきではないものが組み込まれてしまっている怖さがあった。利潤の前には社会的な損益とか倫理とか人間の尊厳とかは二の次になっていく。終盤、本ルポを発表した著者が民営刑務所会社の株主総会に出席するのだが、告発を受けても運営会社側はびくともしないあたり、産業構造の根深さを感じる。
 こういった民営刑務所の指針は最近のものなのかと思っていたら、アメリカでは元々、囚人=労働力という側面が強かったことも解説されていく。捕虜・囚人は無料の労働力であり、大規模農業においては欠かせないものだった。民営刑務所が利潤を上げる素地は元々あったということだろう。利潤を持ち込むと非常に危うい分野だということも、歴史的にわかっていそうなものだけど…。


囚われし者たちの国──世界の刑務所に正義を訪ねて
バズ・ドライシンガー
紀伊國屋書店
2020-12-25


『ナイトメア・アリー 悪夢小路』

ウィリアム・リンゼイ・グレシャム著、矢口誠訳
 カーニヴァルの巡回ショーで働く手品師のスタン・カーライルは、占い師のジーナと関係を持ち、彼女の読心術の技を記したノートを入手する。若く美しいモリーと組んでヴォードヴィルへの進出を果たし、一攫千金の野心を燃やし続けるが。
 1946年出版の作品だが、ギレルモ・デル・トロ監督による映画化が決まったそうで、日本で翻訳出版されたのも映画化により後押しされたからだろう。翻訳されてよかった、ありがとうデル・トロ…。タロットカードをモチーフにした章構成、カーニヴァルの怪しげな雰囲気、読心術に心霊体験というオカルトめいた要素が満載なのだが、本作の趣旨はやはり犯罪小説、ノワール小説だろう。スタンはあるやり方でのし上がっていくのだが、彼が扱うのは人の心で神秘的な要素はない。むしろ下世話に徹している。可愛げがあった青年が、怪しさを道具立てに人の心操って富を得ていくうちにどんどんクズ野郎になっていく、そして今度は自分の心に翻弄されて失墜していくので、そこにあるのはあくまで人の欲だ。野心は人を奮い立たせもするが、人生も理性も良心も捻じ曲げてしまうことが往々にあることを、スタンの人生が体現しているのだ。他人の心は読めるしコントロールできるが、自分の内面やごく身近な人の内面には無頓着で、それが彼を破滅させる。愚者のカードで始まり吊るされた男で終わるという構成が見事、かつぞっとした。あれはこの人のことだったのかと。

ナイトメア・アリー 悪夢小路 (海外文庫)
ウィリアム・リンゼイ・グレシャム
扶桑社
2020-09-25


フリークス [DVD]
レイラ・ハイアムズ
ジュネス企画
2004-03-25




『サンドラの小さな家』

 夫のDVに耐えかね、2人の娘を連れて逃げ出したサンドラ(クレア・ダン)。福祉の支援を受けホテルで仮住まいをしているが、公営住宅への入居は長井順番待ち、民間のアパートは家賃が高すぎで、入居の見込みは立たないままだった。サンドラはインターネットでセルフビルドの設計図を見て、自分で小さい家を建てられないかと思いつく。監督はフィリダ・ロイド。主演のダンが原案と脚本(マルコム・キャンベルと共作)を兼ねている。
 サンドラがDVのフラッシュバックを起こすシーンが度々あるのだが、これが真に迫ってきて結構つらかった。心身ともに虐げられていると、自分で恐怖やパニックをコントロールできなくなってくる。また、サンドラは自分が受けた被害や怪我の痛みについて、周囲に相談できない。相談できそうな相手もいないし、言語化すること自体が難しい、知られたくないという事情もあるだろう。夫婦間の問題については、「もっとよく話し合えば」とか「反省しているし許してあげれば」みたいな的外れな言葉も往々にしてあるだろうし、動揺している姿を見せると子供に対する責任能力を問われるという側面もあるだろう。DV問題の相談のしにくさが垣間見えた。
 また、サンドラは(主に調停の場で)「DV被害について皆にわかるように話せ」「平静に話せ」ということを度々要求されるのだが、これはDV被害者にとってすごく難しい、酷なことだというのがよくわかる見せ方になっている。言語化できるようになるまでは時間がかかるのだ。そして、恐怖で考える力を奪いコントロールしたいという支配欲が、DV加害者の動機だということもよくわかるのだ。終盤のあんまりにもあんまりな展開も、相手を打ちのめしたい、希望を奪い無力化したいという欲望があるのだと端的に示すものだ。
 サンドラが助けを求める相手が、さほど濃い付き合いではない人たちだという所が面白い。アドバイスを求める建設業者のエイドはホームセンターでたまたま会った人だし、娘の同級生の母親ともさほど話したことはない。元々サンドラの母親の雇い主だった清掃仕事先の雇い主も、サンドラ本人とはすごく親しいというわけではない。皆、薄目の好意と親切心で繋がっていくのだ。そういうものが最終的なセイフティネットになるのだとすると、助けを乞う側の人間力が問われすぎなのではと、少々暗澹たる気持ちになった。私にはできそうもない…。

サンドラの週末(字幕版)
カトリーヌ・サレ
2015-11-27


自分でわが家を作る本。
氏家 誠悟
山と溪谷社
2008-11-10


『水を抱く女』

 博物館で働く、ベルリンの都市開発研究者ウンディーネ(パウラ・ベーア)。恋人から一方的に別れを告げられショックを受けていた彼女の前に、潜水作業員のクリストフ(フランツ・ロゴウフスキ)が現れり。2人はふっかう愛し合うようになるが、ウンディーネにはある宿命があった。監督はクリスティアン・ペッツォルト。
 水の精であるウンディーネの神話をモチーフにした作品。愛する男に裏切られたらその男を殺し、水に還らなくてはないという宿命があるのだ。本作のウンディーネは人間として生活しており、人間としての倫理観もまあ持っている様子だが、その宿命からは逃れられない。自分を捨てた男を殺さないと、あるペナルティが生じるらしいのだ。
 ペッツォルト監督のこれまでの作品に比べると、かなり寓話的で男女の関係、愛の形の物語として特化している。。今までの作品では主人公の背後にある社会的な制限や圧力の元で、その人がどのように考え行動するのかという描かれ方をしていたが、本作ではウンディーネという女性以外の要素をどんどんそぎ落としていった感じだ。彼女を捨てた男もクリストフも多分に記号的だし、ウンディーネについても「どういう世界の中で生きているのか」という背景が感じられない。一応ベルリンが舞台ではあるが、それが物語に対して何らかの機能を果たしているわけではなく、どの都市・どの時代であってもでもまあまあ成立しそう。だから寓話・神話のように見えるのかもしれない。
 ただ、この人はどのように・何を決断するのか、という部分がクライマックスであると言う点は他作品と同じだ。決断の仕方、何を選ぶかという所にその人の人となりが顕著に表れるということだろうか。個人的にはシンプルすぎて物足りないし、もっと奥行きが欲しかったのだが、エッセンスを凝縮したような作品ではある。

未来を乗り換えた男 [DVD]
マリアム・ザレー
アルバトロス
2019-07-03



『ノマドランド』

 大手企業に勤める夫と共に、ネバダ州の企業城下町に住んでいたファーン(フランシス・マクドーマンド)。しかし企業倒産と共に町は廃れる。亡き夫の思い出があるために町を離れられなかったファーンも、とうとう家を手放し町を去る。彼女は車上生活者として季節労働で日銭を稼ぎつつ、各地を転々とする。監督・脚本はクロエ・ジャオ。
 ファーンが旅していくアメリカの風景は雄大で美しい。時に荒々しいが、この風景の中をずっとたびしていたくなるのもわかる。旅を続けるファーンの生活は、広大な自然の美しさと相まって、土地や人間関係のしがらみから解き放たれた自由で素敵なものに見える。ただ、その自由さ・美しさは非常に足元が危ういものだ。流浪の生活が一見楽しそうに見える度、そのリスクも提示される。駐車場確保の意外な難しさや安定した仕事に就けないこと、社会保障を受けられないこと、突然病気になった時の不安等、単純な不便さ以外の問題は色々と垣間見える。
 そもそも、車上生活者の全てが積極的にそれを選択したというわけではない。定住がどうしても性に合わず旅の生活を愛している人もいるが、経済的に家を維持できなくなって止む無く車上生活を選んだという人も少なくない。高齢の車上生活者が目立ったのもそういう理由が大きいだろう。フォーンも元々愛着のある土地を離れたくなかったが経済的な限界で旅立ったわけだし、姉の「ノマドは開拓民精神」という言葉にかちんとくるのも当然だろう。フォーンは旅が性に合ってはいるが、そのリスクを全て是としているわけではないのだ。経済的に追い詰められた時、何か公的な援助を頼ることができれば、彼女は別の判断をしたかもしれないのだ。フォーンと他の車上生活者やバックパッカーらは、お互い結構こまめに声を掛け合う。人づきあいが煩わしいという人たちが多いではと思っていたので意外だったが、お互いの小さい助け合いや物資・知識のシェアが彼らのセイフティネットになっているのだろう(ノマドたちの集会で、具体的な車両改造や排泄物処理のレクチャーをやっているのが印象に残った)。資本主義の波や公的な援助からこぼれおちたら、人と人との小さい助け合いに頼っていくしかないのか。
 しかし、そんなフォーンたちにとって、資本主義の権化のようなAmazonでの労働が命綱になっているのは皮肉だ。駐車場まで借り上げているということは、相当数の車上生活者が集まっているということだろう。資本主義サイクルの救いのなさを垣間見た気がする。

ノマド 漂流する高齢労働者たち
ジェシカ ブルーダー
春秋社
2020-11-10


NHKスペシャル ルポ 車上生活 駐車場の片隅で
NHKスペシャル取材班
宝島社
2020-08-26


『黄色い部屋の謎』

ガストン・ルルー著、平岡敦訳
 科学者スタンガルソン教授とその娘マティルドが住む城で、マティルドが何者かに襲撃され重傷を負うという事件が起きた。事件が起きたのは研究室のある離れの一室で、完全な密室だった。一体犯人はどうやって侵入し、どうやって逃げたのか?18歳の新聞記者ルルタビーユとパリ警視庁警部ラルサン、2人の名探偵が謎に挑む。
 密室ミステリの古典にして名作といわれる作品だが、なるほど納得。ジャン・コクトーが熱烈な序文を寄せたのもわかる。論理的遊戯としてのミステリ以外のことをやろうという色気がない、ロジックに徹したミステリ小説なのだ。当時これは新鮮だったろうなと思う。密室のトリックも真犯人の設定(いきなり出してくるな?!と思った。何か前振りあった?)も、正直苦しいと言えば苦しい。ただその部分局地的な精度というよりも、それ以外の可能性を排除していく道筋の絞り込みの論理だてに技があるのだと思う。門番夫婦が何をしていたのかという解の導き出し方とか、地味だけどいいんだよな。これが本格ミステリの基礎!という感じ。
 探偵役であるルルタビーユは才気あふれるが、往々にして小生意気で気まぐれに見える。彼の手紙という設定のパートだとより際立つ。自意識過剰気味な気負い方がいかにも若い。

黄色い部屋の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
ガストン・ルルー
東京創元社
2020-06-30


黒衣婦人の香り (創元推理文庫 108-2)
石川湧
東京創元社
1976-03-19






『ミナリ』

 1980年代、韓国系移民のジェイコブ(スティーヴン・ユアン)一家は、農業での成功を夢見てアメリカ、アーカンソー州にやってきた。トレーラーハウスを持て妻モニカ(ハン・イェリ)は失望するが、子供たちは新しい環境に馴染んでいった。毒舌なモニカの母・スンジャ(ユン・ヨジョン)も加わり、新しい生活は軌道に乗ったかに見えた。しかし畑の水は干上がり、作物の買い手も見つからず、生活は暗礁に乗り上げる。監督・脚本はリー・アイザック・チョン。
 ミナリとは韓国語でセリのこと。スンジャが川辺にセリを植えるのだ。水辺には蛇がいるから近づくなとジェイコブとモニカは子供たちに言いつけるが、スンジャはものともしない。スンジャの言動はユーモラスだが危なっかしい。モニカはスンジャに子守を頼めば自分も仕事に専念できると言って彼女を呼び寄せるのだが、スンジャは一家の役にはあまり立ってない。そういう人もメンバーとして内包してしまうのが家族という仕組みの面倒さでもあり、奥深さでもあるだろう。幼い長男デビッドはスンジャを「おばあちゃんらしくない」と言う。確かにスンジャはクッキーは作らないしプロレスと花札が大好きで下品なことも平気で口にする。しかしすべてのおばあちゃんがクッキーを作り甲斐甲斐しく孫の面倒を見るわけではないだろう。「おばあちゃんらしさ」があるからおばあちゃんになるわけではなく、色々なおばあちゃんがいるわけだ。これは「お父さん」も「お母さん」も「お姉ちゃん」も同じことだろう。ジェイコブは「お父さん」をやろうとして上手くできていない印象だった。彼は子供たちに父親が成功する姿を見せたいんだというが、父親として必要なのはそういうことではないだろう。だからモニカの心は離れていくのだ。別に「らしく」なくてもいい。家族と向き合わずに「らしさ」を演じても意味がないのだ(なお長女のみ非常に「長女らしい」振る舞いなのが気になった。出来すぎなのだ)。
 本作、個人的にはあまり響くところがなかったのだが、アメリカでは反響が大きかったというのはやはり、アメリカは移民の国ということなのだろう。ジェイコブ一家が生活費を稼ぐために苦労する姿や、教会で向けられるまなざしの冷たさ、モニカに対する「かわいい」言葉という言葉へのモヤモヤ感など、多くの人が体験してきた(している)ことなのだろうと思う。



千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)
イーユン リー
新潮社
2007-07-31




『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

 ミサト(三石琴乃)率いる反ネルフ組織ヴィレは、パリ市街地であるミッションを開始していた。コア化で赤く染まったパリを復元し、エヴァ修復に必要なパーツをかつてのネルフ支部から回収するのだ。復元オペの作業時間はわずか720秒。その時間を確保するため、マリ(坂本真綾)の改8号機がネルフのEVA大群を迎え撃つ。一方、シンジ(緒方恵美)、アスカ(宮村優子)、(仮)アヤナミレイ(林原めぐみ)は日本のどこかをさまよっていた。脚本・総監督は庵野秀明。
 3時間近い長尺なのだが、あー終わった!お疲れ!解散!これで本当に終了、もう続きはないだろう。本作を見てから先日放送されたNHKのドキュメンタリー『プロフェッショナル仕事の流儀』庵野監督回を見たのだが、本当にお疲れ様ですねとしか言えない。監督もスタッフも何年にもわたって心身削ってここまで来たんだなとしみじみた。シリーズに強い思い入れがある人はまた違った感慨や不満があるのかもしれないが、さほどコアなファンではなく一応リアルタイムで並走してきたという程度の視聴者(私にとってのエヴァはやはりTVの延長線なので)にとっては、まあこの終わり方でいいかなと思う。
 ただ、エヴァはもう新しいコンテンツではなくなったんだなということも強く感じた。TVシリーズ放送が1995年~1996年だから最先端でいろというのが無理な話ではあるのだが、ここ20年近く「エヴァ以降」のものを見続けてしまったので、もう本家で何やってもそれを越えた新しさというのは感じないんだろうなと。『プロフェッショナル仕事の流儀』の中で庵野監督は、自分の頭の中にあるものだけでは新しいものは出てこない、自分の外側のものが必要なのだと言う。スタッフを追い込むのも何か予想外のものが出てくることを期待してのことだ。しかし完成したものにそんなに新しさは感じられない(これは私が映像表現の「新しさ」に疎いという面もあるが)、また逆に庵野監督のパーソナルな部分の反映が色濃いのではと思えてしまうというのは皮肉だ。やはり20年前に終わらせておく(本作のようなラストにたどり着いておく)べき作品だったと思う。もっと早くにエヴァの幕引きができていれば、庵野監督によるアニメーション作品をもっと見られたかもなぁという、アニメファンとしての惜しさもある。
 また本作、地に足をつけて現実を生きろ、成熟しとというメッセージ(多分)はこれまでの劇場版と変わらないのだが、生き方・成熟のモデルがかなりコンサバなのではという印象受けた。それを今更やられてもなぁ…先人が散々やった後では拍子抜けだ。とは言え庵野監督も還暦と思うと、年齢的な限界なんだろうかとも。














 

『ひとり暮らしの戦後史 戦中世代の婦人たち』

塩沢美代子・島田とみ子著
 太平洋戦争により夫を奪われる、また男性人口が一気に減ったために結婚の機会を失い、一人で生きることを余儀なくされた女性たち。生活苦に追われながら戦後を生き抜く女性たちへの聞き取り調査と統計から、戦後生活史の様々な側面をたどる。
 1975年に出版された本だが地味に版を重ね、近年再注目されているそうだ(私の手元にあるのは2015年の第5刷)。本著が再注目されたのは、女性の自立やキャリア構築を阻む日本の社会制度が、未だに根深いからだろう。労働運動に内部矛盾と行き詰まりを感じる女性が「保守・革新を問わず共通な日本人の精神構造に深く根差しているような気がして、そう簡単に展望がもてないんですね」と語るのにはため息が出た。本当にそうなんだよな…。
 一応男女平等という建前にはなったが、本著で聞き取りに応じた女性たちが置かれた立場や直面している困難の数々は、現代でも驚くほど変わらない。確かに男女雇用機会均等法は出来たし当時に比べればずっとましにはなっている。が、社会の性質や、社会の仕組みを作る立場にいるのが男性ばかりだという状況はあまり変わっていない。女性は結婚して仕事をやめ家庭に入るもの、長期で働くことはないという前提の元に雇用制度が作られていたために、本著に登場する女性たちは職を転々としたり、長く働いても昇給は男性に比べると圧倒的に少なく当然年金額も僅かになってしまう。いまだに同じ構造だ。単身で働き続ける女性は増えたのにも関わらず、女性は労働力の調整弁として扱われがちだ。また単身高齢者の住居確保の難しさは、男女関係なく現代では更に度合いが増しているように思う(収入に占める家賃の割合は現代の方が厳しいかも)。70年代の問題が今も現役であるというのが何か情けなくなってしまう。老若男女の多様な生き方が尊重され安心して生活できる社会保障制度を全く作ってこられなかったということだから。
 自分が体験してきた(している)苦しさ、将来直面するであろう困難が記されており正直読んでいてかなりしんどかった。が、こういう声を拾い集め記録し、これは社会の問題で社会の仕組みから変えなくてはならないのだと、声を上げる人たちのリレーを続けるしかないのだろうなと思う。ちょっとづつでもましにしたいよね…。


三ギニー (平凡社ライブラリー)
ウルフ,ヴァージニア
平凡社
2017-10-10


『ぼくにはこれしかなかった』

早坂大輔著
 岩手県盛岡市にある古書・新刊書店BOOK NERD。会社員として働いていた著者は、2017年にこの店を開いた。それまでの仕事とは全くの畑違いである書店を始めた理由、経営上の困難、そして働くとは何なのか。現在進行形で書店店主として働く著者のエッセイ。
 盛岡に旅行した時BOOK NERDに立ち寄ったのだが(本著内でも「いつの間にか本を作っていた」という章で触れられている、くどうれいん『わたしを空腹にしない方がいい』を買うため)、私個人の読書傾向とは品ぞろえが違うものの、店の方向性がはっきりとしていてユニークだし洒落ているなという印象だった。てっきり書店勤務ないしは出版系の仕事経験のある人が独立して始めた書店なのかと思っていたら、想像とは全然違う経緯で店を始めておりちょっと驚いた。本著序盤のばりばり働いていたサラリーマン時代の話、40代が近づき仕事への意欲が急になくなるくだり(これ鬱の初期症状では…と心配になる感じのスイッチの切れ方)、そして独立して起業(最初に書店以外で起業していたのも意外だった)とその顛末など、なかなか胃が痛くなりそうな話が続く。特に最初の起業の話と書店が軌道にのる前の話は、独立・起業を考えている人は読んでおいたほうがいいと思う。友達との起業はするな。
 なお著者は決して文章が流暢というわけではなく、個人的に好みの文章でもない。私の好みからすると装飾と情緒が過多で、ナルシズムが少々鼻につくし、「きみたち」への呼びかけも必要性がわからない。ただ、なぜこの仕事でないとだめだったのか、相当苦くてもなぜ続けている(続けざるを得ない)のかという切実さが刻まれており、そこは読ませる。巻末の「ぼくの50冊」もブックレビューとして良い。

ぼくにはこれしかなかった。
早坂大輔
木楽舎
2021-03-26




『エイブのキッチンストーリー』

 ニューヨーク、ブルックリンに暮らす料理好きな12歳のエイブ(ノア・シュナップ)。イスラエル人の母とパレスチナ人の父は、子供の選択肢を尊重して家庭内は無宗教で通している。しかし父方の祖父母と母方の祖父母とはそういうわけにはいかず、諍いが絶えなかった。ある日エイブは世界各地の料理を組ているみ合わせているブラジル人シェフ・チコ(ロウ・ジョルジ)と出会う。家族の不和に悩んでいたエイブは、料理で皆の関係を修復しようと挑戦する。監督はフェルナンド・グロスタイン・アンドラーデ。
 父方の実家と母方の実家は宗教・文化が違うだけでなく、歴史的な根深い対立がある。親族としては非常に面倒くさいし常に不穏なのだ。エイブは父方の実家と母方の実家が異なる文化宗教であることは理解しているし、お互い相容れないということもわかっている。が、エイブには歴史的な背景や対立の根深さ、どうしても許せないくらいの経緯があるということはぴんときていない。エイブはパレスチナの伝統料理とイスラエルの伝統料理を組み合わせたフュージョン料理を披露する。それはどれも美味しそうだ(本作に出てくる料理はどれも美味しそうだった)。だが、他所の文化を「フュージョン」することがその文化を軽んじることになる場合もあるだろう。特にエイブ一家の場合宗教に関わることなので(エイブはその文化圏で育っているから食品に関する具体的な禁忌についてはわかるんだろうけど)、他文化の取り扱いにはなおのこと気をつけないとならないのでは。エイブにはそのあたりのデリケートさは、まだわかっていないように思えた。いきなり距離を詰めようとするあたりが子供らしい。家族に対してまだ諦め、というと突き放しすぎかもしれないが、距離感を保てないのだ。
 とは言え、エイブが家族の不和に傷ついており、それを修復しようとしているということは家族にも伝わる。エイブが望んだような仲の良さではないが、お互いをやんわり認め合う(許し合うわけではない)という関係にはなれるのでは、と希望が感じられた。
 なおエイブの両親は息子の料理スキルをちょっと甘く見すぎだし、そこに対する関心度はいま一つなように思った。サマーキャンプの内容はさすがにもうちょっと調べておこうよと言いたくなった。


イカとクジラ コレクターズ・エディション [DVD]
オーウェン・クライン
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2009-12-23


『ザ・ライダー』

 カウボーイのブレイディ(ブレイディ・ジャンドロー)はロデオ中に頭に大怪我を負う。復帰を願うが後遺症が残り、引退を考えざるを得なくなる。監督はクロエ・ジャオ。出演者はモデルとなった実在の人物本人たちだそうだ。
 アメリカ中西部のサウスダコタ州が舞台なのだが、だだっ広く荒涼とした風景が素晴らしい。ロデオ自体の魅力はさっぱりわからないのだが、こういう土地を馬で走ることの解放感は伝わってくるし、ブレイディがロデオ込みでこの土地を離れられないのもわかる。
 ただ、ブレイディがこの土地を離れられないのはロデオへの拘りだけではなく、ロデオ中の事故で障害を負った仲間のケアや、軽い知的障害があるらしい妹の保護者として振舞わなくてはならないという事情もある。ブレイディ自身だけのことを考えると、いっそ地元も家族も捨てて一人で出ていけたら楽なのかもしれないが、そうはできない真面目さがある。カウボーイやロデオというと荒っぽいマッチョな世界、アウトローの世界を連想するが、ブレイディやロデオ仲間たちからは意外にマチズモは感じられない。ボーイズクラブ的な連帯はあるが、それほど悪ノリみたいな振る舞いは見られない。事故に遭った仲間の為に皆で祈るシーンが印象に残った。
 カウボーイにしろロデオにしろ、それのみでは職業として食っていけない時代だろう。実際、ブレイディは(事故後でロデオはできないという事情もあるが)生活費の為にスーパーで働いている。しかしブレイディにとっては馬と接している時、ロデオをしている時こそが生きている・働いていると実感できるものであり、彼にとっての生はそこにある。その生き方は現代の資本主義的な価値観からすると時代から取り残されたものだろう。ただ、ブレイディは自分にとってベストな生き方は何なのか、何をやりたいのか掴んでおり、諦念は漂うが全く諦めているわけではない。自分の生のあり方を知っている人は、幸せかどうかは別として強い。本作が苦いがよどんでいないのは、そのあたりに要因があるのでは。

ザ・ライダー (字幕版)
リリー・ジャンドロー
2018-11-07


すべての美しい馬 (ハヤカワepi文庫)
コーマック マッカーシー
早川書房
2001-05-01


 
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