3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『恐竜が教えてくれたこと』

 11歳のサム(ソンニ・ファンウッテレン)は「地球上最後の恐竜は自分が最後の一頭だということを知っていたのか」と思い悩む。家族内で末っ子である自分は最後に取り残される、そのために孤独に慣れなくてはと特訓を開始する。バカンスで訪れた島で、年上の少女テス(ヨセフィーン・アレンセン)に出会い、一緒に遊ぶようになる。テスは母親と二人暮らしだが、会ったことのない父親を島に招いたのだという。原作はアンナ・ウォルツ『ぼくとテスの秘密の七日間』、監督はステフェン・ワウテルロウト。
 サムはそんなに気難しい子ではなく素直なのだが、一人で色々考え実験してみたいという気持ちが強い。一緒に出掛けようと誘ってくる父親がちょっと迷惑な時もあるのだが、彼が安心して実験・修行に励めるのは、自覚有無にかかわらず家族が自分をバックアップしている、尊重されているという安心感があるからだろう。サムは自分を助けてくれた老人に「思い出を作れ」と言われるが、思い出を作るとはこのバックアップを上書きしていくことかもしれないなと思った。
 一方、テスはある男性を父親だとみなして彼との距離を詰めようとする。計画はうまくいくかのように思えるが、この男性が彼女にある言葉を放つ。当人は全く悪気はないのだが、これはテスが子供であるということへの配慮を欠いたものだ。子供を一個人として尊重することと、大人と同等に扱うことは、似ているようで違う。子供はどんなにしっかりしていても子供で、大人が対応する時にはそれなりのケアが必要なのだ。大人相手と同じように接することは、子供へのケアを放棄することでもある。彼のふるまいは子供であるテスに甘えているとも言える。サムの両親は子供からしたら時々うざいかもしれないが、このあたりの塩梅をちゃんと理解し、「親」「大人」であることを実践しているように思えた。だからサムは安定しているのだ。
 子供2人がとても生き生きとしていて、児童映画として良作。ラストの大団円はちょっとファンタジーぽい(ある人物が責任を引き受けるとは考えにくいので)が、子供が見て安心できる映画かなとは思った。サムが一貫して優しい子なのでほっとする。彼の優しさは、個が確立しているからこそのものに思えた。他人は自分と違うが尊重するという姿勢がある。これは彼の父親にも見られるもので、時々頼りないけどやっぱりちゃんとした大人なのだ。

ぼくとテスの秘密の七日間 (文学の森)
アンナ ウォルツ
フレーベル館
2014-09T


あの夏の子供たち [DVD]
エリック・エルモスニーノ
紀伊國屋書店
2011-04-28


『オスロ警察殺人捜査課特別班 アイム・トラベリング・アローン』

サムエル・ビョルク著、中谷友紀子訳
 オスロの森の中で、空中に吊られた6歳の少女の遺体が発見された。少女の首には「ひとり旅をしています」というタグがつけられていた。殺人捜査課特別班のリーダーに抜擢された刑事ホールゲン・ムルクは、有能だがある事件をきっかけに休職していたミア・クリューゲルを呼び戻し、捜査を開始する。
 猟奇的な連続児童殺人、過去の赤ん坊誘拐事件、不気味な新興宗教団体など、怪しい要素が次々と投入されていく。かなり盛りがいいのだが、特別捜査班の面々はチームワークと個々の力で乗り切っていき、展開はスピーディー。ムルクもミアも、プライベートでは色々と問題を抱えており、有能だが完璧なわけではない。しかし、頭の切れる者同士でフォローしあい、仲間を尊重している。警察官としての働き方がまともだ。何より、年齢や性別とは関係なく、ムンクとミアの間に仕事の仲間としての尊敬・尊重があるところにほっとした。同じ北欧ミステリでも先日読んだ『見習い警官殺し』(レイフ・GW. ペーション著)とは大違い(笑)!本作の方が事件がキャッチーでハリウッド映画的なケレンがあるのだが、そこをやりすぎない所がいい。翻訳も良いのか、リーダビリティは非常に高い。

オスロ警察殺人捜査課特別班 アイム・トラベリング・アローン (ディスカヴァー文庫)
サムエル・ビョルク
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2019-03-28


オスロ警察殺人捜査課特別班 フクロウの囁き (ディスカヴァー文庫)
サムエル・ビョルク
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2019-03-28


『女性のいない民主主義』

前田健太郎著
 日本の政治家は先進国の中では異例といっていいほど男性が大多数で、男性に政治権力が集中していると言える。女性が政治に参加しにくい原因はどこにあるのか。女性が参加していない「民主主義」はそもそも民主主義と呼べるのか。ジェンダー視点から日本の政治を読み解く。
 何しろ日本はジェンダーギャップ121位(2019年)なので、男女ともに(まあ主に男性にでしょうが)必読な1冊では。女性政治家が少ない状況について、女性には向いていないからということが往々にして言われるが、資質の問題ではない。社会が女性に要求してくるもの、社会的な通念が何重にも妨害してくるのだ。そしてその妨害は、男性からは見えないのだ。この男性からは見えないということこそ、男性主体で社会の仕組みが作られているということだ。それは適切な民主主義とは言えないだろう。世の中の片側からだけの見方なのだから。クォーター制のように半強制的に女性を増やしていくしかないのか(男性から見ると不公平に見えるのかもしれないが、そういうことではない)。
 本著では各国の政治における女性参画の経緯や民主主義の定義から日本の政治の問題を紐解いていく。しかし日本の場合、政治以前に慣習的な性的役割観が今だ根強く、これを払しょくしていかないとならないかと気が遠くなる…。切実に辛くなってきちゃうよ…。

女性のいない民主主義 (岩波新書)
健太郎, 前田
岩波書店
2019-09-21


『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』

栗原康著
 女性を縛る結婚制度や社会道徳に反旗を翻し、平塚らいてうと共に文筆家として青鞜社で活躍、パートナーの大杉栄と共に国家に惨殺されたアナキスト・伊藤野枝。彼女の28年の生涯を追う評伝。
 岩波現代文庫版で読んだが滅茶滅茶面白い!ハードカバーで出版された当時に何で読まなかったんだ!と歯噛みするくらい面白い。野枝の人生自体はもちろん、それを綴る著者の文体に妙なグルーヴ感があってぐいぐい読ませる。ノリと勢いが良すぎて抵抗があるという読者もいるかもしれないが、野枝の人生の勢いの良さとマッチしていたと思う。
 野枝の当時としては異例な先進性、あくまで「個」であろうとする姿はギラギラとまぶしい。自分がやりたいことしかやらない、欲しいものは何としても欲しい、貧乏なんてへっちゃら、生きていれば何とかなるという振り切った生き方は彼女の死から100年近くたった今でも突き抜けすぎたものに思えるかもしれないが、いっそ清々しい。なんにせよ人生が面白すぎる人だ。本書内で引用されている彼女の文章も抜群のパンチライン。「あなたは一国の為政者でも私よりは弱い」なんてかっこよすぎるだろう。一方で、ジェンダー(という概念は当時なかったが)に縛られない個の尊重と自由を唱えつつも、大杉の為に家事に励み「良き妻」として振舞ってしまう矛盾への自省、そういう振る舞いを無意識に女性の身に沁みつかせる社会の構造への指摘は全く古びていない。面白いのは、野枝の場合思想が先にあるのではなく、こうしたいという欲望が先にあり、そこに思想がついてくるように見える所だ。だからやっていることにはいろいろ矛盾も出てくるのだが、本人たぶん気にしていない。やりたいことをやる。いやなら逃げる。世間とか知るか。それでいいのだ。


伊藤野枝の手紙
伊藤 野枝
土曜社
2019-05-08




『PSYCO-PASS3 FIRST INSPECTOR』

 2120年、シビュラシステムによって管理された社会。刑事の慎導灼(梶裕貴)と炯・ミハイル・イグナトフ(中村悠一)は連続テロ事件の背後にある陰謀、そして過去の灼の父の死の謎と炯の兄の死の謎を追い続けていた。ある陰謀の為に暗躍する梓澤廣一(堀内賢雄)は、刑事課職員たちを人質にとり公安局ビルを占拠。人質を解放する条件として都知事・小宮カリナ(日笠陽子)の辞任を求めてくる。監督は塩谷直義。脚本はTVシリーズから引き続き冲方丁・深見真。
 TVシリーズの3シーズン目最終回から直接つながっているストーリーなので、基本的にシリーズを追ってきた人向け。そういう意味では劇場版作品というよりシリーズの一環としてイベント的に劇場上映したという体なのだろう(実際、劇場では2週間限定上映でメインは配信だし)。でも、だったら全部ちゃんとTVシリーズとして放送してほしかったな…。しかもきれいに完結するわけではなく、もうちょっと続くよ!アピールを残した終わり方なので。どちらにしろ続きがリリースされれば見るつもりだけど、メディア・形態を変えつつずるずる続けるというのは個人的にはあまり好きではない。とは言え、それと本作が面白いかどうかは別問題だが(面白いです)。またシリーズを見続けてきた人にとっては、この人はこういう風に変化したのか等、感慨深い部分も多いと思う。
 とは言えこのシリーズ、作品のクオリティとは別問題として本来は自分の嗜好にはそんなに沿っていないんだなということの確認にもなった。本シリーズはシビュラという高クオリティ管理社会システムとでもいうべきものの管理下にある社会と、そのシステムの中で適応する、あるいは適応しきれなかったりすり抜けたりする人々を描いてきた。そしてシリーズ3ではシュビラの盲点をついて「ゲーム」を行い勝ち残ろうとするグループが登場する。ディストピアSFとして王道と言えば王道、それなりに面白いが、私個人はシステムの中で生き残ることやシステムを出し抜くこと、ゲームをする・ゲームに勝ち抜くことにあんまり興味がない。本作に限らずゲームのルールを掌握することやシステムの穴を突くストーリー、特権的な視点が物語世界を俯瞰する構造に一種の全能感を持つ観客は多そうだが、個人的にははまらない。なので、作中で梓澤が持っている願望は随分と退屈なものに思えた。それ、何か楽しい…?
 では自分が本シリーズ(特にSinners of the System以降)の何が好みと言ったら、やはりアニメーション表現の部分、特にアニメーションで実写的な組み立てのアクション演技をどう見せるかという部分だ。一連のアクションがどうつながっているのかわかるよう、キャラクターの全身を見せてくれるあたりが楽しい。この点は、俳優(ないしはスタントマン)の身体能力に依存する実写よりも有利かもしれない。ヘリや宜野座の義手を使ったアクションシーン等、やりたかったんだろうなぁ。ストーリー上そんなに必然性ないから。


『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』

 悪のカリスマである恋人・ジョーカーと破局したハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)は、町中の悪党から狙われるようになる。いわくつきのダイヤを盗んだ少女カサンドラ(エラ・ジェイ・バスコ)を巡り、街のクラブを仕切る悪党ブラックマスクことローマン・シオニス(ユアン・マクレガー)と対立することに。クラブの歌姫ブラックキャナリーことダイナ(ジャーニー・スモレット=ベル)や殺し屋のハントレスことヘレナ(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)、そしてシオニスを追い続けてきた刑事モントーヤ(ロージー・ペレス)と結託し起死回生を図るが。監督はキャシー・ヤン。
 DCの女性主人公映画というとワンダーウーマンが評判だったが、本作はワンダーウーマンに感じたひっかかり、つまり女性主人公はセクシーで美しく男性と恋愛しないとダメなのか?という点を克服している。女性が主人公のアメコミ映画を今作るならどうやるのか、ということがすごく考えられていると感じた。ハーレイ・クインといえばジョーカーの恋人で、当人も言及するように彼の為に悪の道に入り彼に尽くすというキャラクターだった。彼女の仕事は彼の為、彼女の功績は彼の功績になる。この点は男性上司に手柄を横取りされてきたモントーヤと通じるものがある。
 しかし本作では早々にハーレイ・クインとジョーカーは破局している。最初はショック状態だった彼女だが、段々彼を思い出すこともなくなり、自分の為に行動し始める。そして新たなロマンスは生まれない。異性からの愛とか、異性に対する支えとか献身とかは投げ捨てている。更に、カサンドラに対しても母性とか「女性ならでは」の動機付けではなく行きがかり上、ひいては仲間意識や友情というスタンスで接する。また、協力関係になるダイナらとも、いわゆるファミリー的な仲間意識ではなく、たまたま目的が同じ・敵が同じだから協力するというスタンスで、ミッションが終われば意外とあっさり解散で尾を引かない。関係性の中にヒエラルキーが希薄なのだ。この困ったことがあれば助け合うが基本あっさりとしている関係性が好ましいし、実際女性同士の連帯ってこういう感じだよなという手応えがある。本当に女性たちの物語なのだ。
 対して敵のシオニスは、男性同士でつるむホモソーシャルな(多分にミソジニーを含む)関係の中におり、更にマフィアの御曹司だが一族のみそっかすという父権的ヒエラルキーから抜け出せない人物。対称的なのだ。ハーレイらの魅力は、シオニスが所属しているような格付けの世界から自由であるところ、何かに所属することを拒む所にあると思う。

ハーレイ・クイン&バーズ・オブ・プレイ (ShoPro Books)
ポール・ディニ他
小学館集英社プロダクション
2020-03-12


スーサイド・スクワッド(字幕版)
アダム・ビーチ
2016-11-23


 

『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』

 2006年。人気俳優のジョン・F・ドノヴァン(キット・ハリントン)が29歳で突然死した。10年後、若手俳優のルパート・ターナー(ベン・シュネッツァー)は著書出版に際したインタビューを受けていた。ジョンの大ファンだったルパート(ジェイコブ・トンブレイ)は、11歳の頃、彼と文通しており100通以上の手紙を交わした。その内容を本に記したのだ。監督はグザヴィエ・ドラン。
 ドラン監督の作品は常に感情の圧が高く、そこで好き嫌いが分かれそうな気がするが、本作は割と間口が広いように思う。青年ルパートの目を通したジョンの生涯という入れ子構造の立て付けなので、感情にフィルターがかかっている。「私の声」としての生々しさやどぎつさは若干和らぐのだ。また、これまでのドラン作品と同じようにジョンと母親との間、またルパートと母親との間には愛があると同時に大きな拗れ、わだかまりがある。ただ、その描写もさほどとげとげしいものではない(とは言え実家帰省のシーンなどを見ると、こんな親子関係・親戚関係だったらちょっとしんどいなとは思わせるけど)。根底には愛があり共感が生まれる瞬間もある。加えて少年ルパートの母親(ナタリー・ポートマン)は息子の為に本気で奔走し、それがルパートの心を再び動かす。2人の心が通う感動的な瞬間があるが、この瞬間がなければ後のルパートはいなかったかもしれない。これはおそらくジョンが得られなかった体験で、あったかもしれないジョンの人生をルパートがやりなおしているようにも見えるのだ。親子関係の運任せな部分を垣間見たようで切なくもあるのだが。
 とは言え、本作に出てくるジョンのエピソードは、ルパートが語るものという側面が強い。実際の彼がこのようだったかどうかはわからない。ルパートは信用できない語り手でもあるのだ。彼が必要とした物語が本作におけるジョンの物語であり、彼がジョンに自分を重ねることで生まれた物語とも考えられる。憧れのスターに自分を重ねる、共感を重ねるという気持ちは個人的にはあまりわからないのだが、こういう物語の在り方を必要とする人はいるし、スターはそれを許容するからこそスターなのかなとも思えた。
 それにしても、ジョンが生きていた2006年は思った以上に窮屈そうで、意外だった。セクシャリティに対する許容度ってアメリカでもこんなものだったのかな?対して、2016年を舞台とするラストシーンの幸福感がまぶしい。ある映画へのオマージュになっているのだが、ここで堂々とハッピーエンド感を出せる所が2020年(作中は2016年、製作は2018年だが)なのだと思う。

たかが世界の終わり 完全数量限定豪華版【500セット限定】 [Blu-ray]
ヴァンサン・カッセル
PONY CANNYON Inc(JDS) = DVD =
2017-09-06


マイ・プライベート・アイダホ [Blu-ray]
ウィリアム・リチャート
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2017-12-16


『濱地健三郎の霊なる事件簿』

有栖川有栖著
 探偵・濱地健三郎は幽霊を見る力を持っている。彼の依頼人は、原因不明の奇妙な現象に悩む人たち。その奇妙な現象の影には幽霊がいるのでは?濱地は助手の志摩と共に、死者が訴える謎に挑む短編集。
 ホラー+本格ミステリは王道の組み合わせのようでいて、実は相反する。ホラーは道理が通り過ぎると興ざめ、本格ミステリは道理を通さないと存在意義がない。本作はその2つの部分のバランスがとれており、状況の解明は本格ミステリだがその背景はホラー仕様。またその2つの配分がエピソードごとに異なり、「それは怪異なのかどうか」という線引きについてちょっとした実験をやっている感じ。本格ミステリとしては禁じ手なトリックをあっさり使っている(著者の『ペルシャ猫の謎』を思い出したよ…)のはご愛敬か。なお本作、著者の他の作品よりも昭和感が強い(作中スマホが出てくるので現代が舞台ですが)というか、登場人物の言動がちょっと古い感じ。女性の描き方もおじさん目線感が強くてちょっとひいた。作家の油断か。

濱地健三郎の霊なる事件簿 (角川文庫)
有栖川 有栖
KADOKAWA
2020-02-21


謎のクィン氏 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-11-18


『ペスト』

カミュ著、宮崎嶺雄訳
 アルジェリアのオラン市でペストが流行し始める。医師のリウーは病気の妻を転地の為に送り出し、自身は病に倒れる人たちを助ける為に奔走する。しかしペストは広がり続け、リウーをはじめ治療に携わる人たちは疲弊していく。
 新型コロナウイルス流行に伴いにわかに注目されたカミュの作品。確かに今読まないとこの先読み逃し続ける気がしたので手に取った。どちらかというと抽象・観念的な小説かと思ったら、むしろルポルタージュ的な、記録小説的なタッチで意外。他のカミュ作品と比べても大分リアリズム寄りなように思う。疫病が蔓延し始めたら人びとはどのように行動するのか、行政は、医療はどうなるのか、ちゃんと想定して書かれている。特に集団がどのように動くかという部分には、今まさにリアルタイムで体感しているものだと感じた。感染対策にちょっと疲れた人たちの気が抜けてやや浮かれちゃうところとか、なかなかリアルだ。追い詰められた状況で人の高潔さが現れる、が、むしろそれ以上に暴力性や愚かさが目立ってしまう。ペスト流行の中に自分の居場所を見つけてしまう(つまり病気の恐怖の元では皆平等だから)男の姿には危うさを感じた。

ペスト (新潮文庫)
カミュ
新潮社
1969-10-30


『名もなき生涯』

 第二次大戦下のオーストリア。国内の男性たちは次々と戦地に徴兵されていた。山間の村で妻子と暮らすフランツ(アウグスト・ディール)の元にも徴兵の知らせがくるが、ヒトラーへの忠誠を拒んだことで収監される。妻フランチスカ(バレリー・パフナー)は彼を手紙で励まし続けるが、彼女も村人たちから裏切り者の妻として村八分にされていた。監督はテレンス・マリック。
 フランツが兵役を拒む、というよりヒトラーへの忠誠を拒むことに対して、周囲は「そんなことで世界を変えられると思うのか」「誰も見ていないからそんな反抗しても意味がない」という。しかしフランツにとっては多分そういう問題ではないのだろう。誰かが見ているからとか、世の中に訴えたいとかではなく、自分がおかしいと思う、倫理に反すると思うからやらないのだ。フランツはクリスチャンなので、最初は信仰心による殺人の拒否という側面もあったろうが、神は自分たちなど見ていないのかもという絶望的な境地に至ってもなお、ヒトラーへの忠誠は拒否し続ける。自分の中に倫理や良心があると知っている以上、そこから目をそらすことはできない。世間の正義や宗教とはもはや別物なのかもしれない。しかし忖度だらけの現代に、彼の正しさは刺さる。そして彼を裏切り者扱いする「世間」の醜悪さもまた刺さるものだ。
 フランツがナチスから受ける取り調べや暴力はもちろん恐ろしく見ていて辛いのだが、それ以上に村人たちがフランツやフランチスカに向ける嫌がらせの方が怖い。戦地に行くのは祖国の為のはず、だから徴兵を拒否する人は臆病者だし裏切り者だというわけだ。その時の空気が作る大きな「正しさ」(に見えるもの)に対する疑いはなく(あるいは棚上げして)、その流れに疑問を持つ人の方が悪者扱いされてしまう。倫理がその時々の風向きによって変化することも、自分内の倫理や良心とじっくり向き合う、個であることが許されないことも恐ろしい。何より、自分もまた世間の側に加担してしまいそうなところが怖い。フランツのように自分の良心に誠実で居続けられる人はなかなかいないだろうから。
 映像はとても美しい。ロケーションがいい(すごくロケ大変だったと思う…)のはもちろんなのだが、自然光の差し込み方や陰影のコントラスト等、光と空気の質感まで伝わってきそう。一点気になったのは、言語の使い方。監督が英語圏の人だからだろうが、フランツやフランチスカの主要なセリフは英語。ただ、全編が英語というわけではなくドイツ語も(いわゆるモブの台詞などで)使われている。この使い分けルールがちょっと曖昧で、英語が特権的な言語のように見えてしまうのは問題があるのでは。全編ドイツ語でも構成上は問題ないと思うのだが。

聖杯たちの騎士(字幕版)
テリーサ・パーマー
2018-02-02



沈黙-サイレンス- [DVD]
リーアム・ニーソン
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-08-02


『ジュディ 虹の彼方に』

 1968年。『オズの魔法使い』以来、ミュージカルスターとして一世を風靡したジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)は、度重なる遅刻や失踪により仕事は途絶え、借金を抱えつつ巡業で生計を立てる日々を送っていた。幼い娘と息子と一緒に暮らす資金を手に入れる為、子供たちを元夫に預け、ロンドン公演へ向かう。監督はルパート・グールド。
 ガーランドは47歳で死去しているので、本作が描くのは彼女の晩年期と言ってもいいだろう。お酒と薬で心身ともにボロボロ、ステージにも支障をきたしかつて築いたスターとしての信用も失っていく彼女の姿は痛々しい。少女時代のエピソードが随所に挿入されるが、彼女が薬を手放せなくなったのは、ハードワークに耐えさせる為に周囲の大人たちから長年にわたり投与されていた為だとわかる。同時に、周囲の大人たちは彼女の若さと無知に付け込み、年齢相応に必要とされるケアは全くしてこなかったことが窺えるのだ。その状態のまま大人になったガーランドは、子供時代の自分が得られなかった愛情や庇護を受けようとするあまり、手近な愛(的なもの)に手を伸ばしてしまっているように見える。客観的にはいかにも脆そうなものを掴んでしまう様が痛々しくて辛い。
 ただ、男性運が悪かった彼女にとっても確かな愛、双方向に成立している愛はある。それはファン、ショーの観客との愛だ。遅刻魔でパフォーマンスも不安定な彼女には大失敗のステージも多く、大変なブーイングを浴びることもある。しかしひとたびスイッチが入って何かがかみ合った時、ステージの上と観客とが一体になった高揚感と深い共感(のように錯覚できるもの)が生まれる。その瞬間の為にガーランドはパフォーマンスするし、ファンもそれを待ち望み続ける。生の舞台の魔力がとてもよくわかるシーンだ。日常がパッとしない辛いものでも、その瞬間が生きる支えになってくる。ガーランドと彼女のファンであるゲイのカップルの交流は正にそれを表しているし、クライマックスのあの曲のシーンは、生きる支えを与え続けてくれたガーランドに対するファンの真心そのものだろう。とは言え、ファンがスターに出来ることはその程度であり、彼ら彼女らの実人生の幸せの担保にはなれないということでもあるのだが。
 エピソードの分量は多くはないが、ガーランドと子供たちの関係が深く刺さった。序盤、タクシーの中で見せる娘の表情(子役が上手い!)がすごい。この時点で、彼女らの家庭は今の状態に耐えきれないんだろうと悟らせる。そして終盤、電話をしている娘の表情もまたすごい。とどめを刺してくるのだ。ガーランドは子供たちをちゃんと愛しているし一緒にいたらとても楽しい母親なのだが、愛だけでは足りないのだ。子供にとって実の親の愛よりも必要なものがある。ガーランド当人は実の親の愛が足りない子供だったことを思うと何とも皮肉だ。


ジュディ・アット・カーネギー・ホール
ジュディ・ガーランド
ユニバーサル ミュージック
2020-03-04


『啄木鳥探偵處』

伊井圭著
 明治42年9月。日本一高い建物と評判の浅草十二階で幽霊が目撃されたと、僕こと金田一京助の元に、親友の石川啄木が話を持ち込んできた。生活費を稼ぐ為、石川は探偵業を始めていたのだ。石川の才能にほれ込んでいる金田一は、探偵業の助手として現場に同行するが。実在の歌人と国文学者を探偵役にした連作ミステリ。
 石川啄木と言えば歌人にして希代の借金王、そして彼に多額の貸付(ほぼ返済されなかったとの話だが)をしていたのが友人で国文学者の金田一京助だったというのは、日本文学史に興味がある人にとってはお馴染みのエピソードだろう。よくまあそれだけ面倒見たなと感心するというかあきれるというか。その、つい面倒見てしまう様が本作の中でも存分に描かれている。広義の惚れた弱みっぽい、こいつの為なら仕方ないなという腹のくくり方(というほど器の大きいものでもないのだが)がコミカルでもあった。ミステリとしてはどの話もちょっと構成が似ているのが難、かつ犯人および関係者像が少々薄っぺらい(記号的すぎる)感はあるが、時代背景が色濃く見えて楽しい。石川の立ち居振る舞いがちょっとスマートすぎる気がするんだけど(笑)、彼の人生の短さを知っていると遊び人風振る舞いも何だか物悲しい。

啄木鳥探偵處 (創元推理文庫)
伊井 圭
東京創元社
2008-11-22


文豪たちの友情 (立東舎)
石井 千湖
立東舎
2018-04-13


『11月に去りし者』

ルー・バーニー著、加賀山卓朗訳
 1963年。ニューオリンズのギャング・ギドリーは、ケネディ大統領暗殺のニュースに嫌な予感を覚える。数日前に依頼された仕事は暗殺に絡んでいるにちがいない、そして口封じのために自分は狙われているに違いないと。因縁のある人物を頼って西へ向かう道中、夫から逃げてきた母娘と知り合う。ギドリーは家族連れに見せかけたカモフラージュに利用するため、その女性シャーロットに声を掛ける。
 正直、前半はあっちこっち迂回するような展開がかかったるくて、気分が乗らないなと思いつつ読んでいたのだが、ギドリーの人生とシャーロットの人生が交錯した時点から、ぐっと面白くなってきた。人生を「変えられた」のがギドリーで、「変えた」のがシャーロットなのだ。シャーロットがおそらく本来彼女が持っていた資質をどんどん発揮していく、ある意味開き直っていく様が清々しいのだ。ケネディ暗殺という史実を背景にしているが、それはさほど大きな要素には感じられなかった。自分の人生に自信満々だった男が陰謀に巻き込まれたこと、1人の女性に出会ったことで大きく揺さぶられていく。彼が大きく人生の方向性を変える瞬間もまた清々しいが、同時に物悲しくもある。

11月に去りし者 (ハーパーBOOKS)
ルー バーニー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2019-09-17


ガットショット・ストレート
ルー・バーニー
イースト・プレス
2014-08-20


『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』

 父親が死んだという知らせを聞き、ずっと疎遠だった故郷の凱里に戻ったルオ・ホンウ(ホアン・ジュエ)。故郷の町で幼馴染だった白猫の死を思す。また、忘れられない1人の女性、ワン・チーウェン(タン・ウェイ)のことを思い起こす。彼女は地元のヤクザの情婦だった。監督はビー・ガン。
 作品の中盤で2Dから3Dに切り替わる。ルオが映画館で3D眼鏡をかけると同時に観客も眼鏡をかけて、彼の体験を追体験する気分になる。残念ながら新型コロナウイルスの影響で3D上映が縮小してしまっているが、ぜひ3Dで見ることをお勧めしたい。見え方が変わることが、映画の構造が明示されるのだ。時に夢=映画の方がありありと感じられるものではないか。
 ルオがワンについて聞く噂から、彼女と過ごした時間を回想する。しかし回想の中身は、彼女について聞いた断片的な情報をもとに組み立てられたストーリーであるようにも見える。ルオの想像でしかないのではないかと。更に言うなら彼女は実在しない女、ルオの頭の中にだけ存在する「幻の女」なのではと。幻の女を追い続けても当然、彼女に手が届くはずはない。ルオは幻想と記憶、現実との間をフラフラと行ったり来たりしているような、半分眠っているような構造だ。
 ルオが追いかける女性はもう1人いる。彼の母親だ。彼の母親は若いころに家を出て行方が知れない。ルオが母親について覚えていることはわずかだ。そのわずかな記憶は登場する女性たちに少しずつ投影されているように思う。ワンにも白猫の母親にも、もちろん終盤に登場する女性にも。記憶の中の女性の影を追い続けるロードムービーだった。夢の中を旅するような映像はとても美しい。緑と赤という補色同士の組み合わせが鮮やかで、ネオンカラーのような艶っぽさがあった。

花様年華 (字幕版)
マギー・チャン
2013-11-26


青いドレスの女 [DVD]
ドン・チードル
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2010-02-24


『劇場版SHIROBAKO』

 上山高校アニメーション同好会の卒業生、宮森あおい(木村珠莉)ら5人は、アニメーション制作進行、アニメーター、声優、3Dクリエイター、脚本家などそれぞれの道を歩み、夢に一歩近づいてきた。皆が関わったTVアニメ『第三飛行少女隊』から4年、宮森が勤務する武蔵野アニメーションは大きな問題に直面する。監督は水島努。
 TVシリーズの4年後を描く完全新作劇場版。しかししょっぱい!アニメーション業界のしょっぱい現実から目を背けさせてくれないある意味非常に誠実な作品だ。業界全体の落ち込みと武蔵野アニメーションの「没落」が連動しており、TVシリーズの高揚感は最初ほぼなくなっている。宮森の表情も冴えず、記号的表現とは言え仲間との飲み会の前に無理やり笑顔を作る様が切ない。オープニングで流れる作中作曲がこれまた切ない歌詞で、しょっぱさ抜群だ。とは言え、宮森がプロデューサーがやるべきことを自覚し初心に帰る、その上でアニメを「完成させる」と決意し奔走する様は清々しいし、「仲間」が再結集する過程は少年漫画的な熱さがある。そのうえで現在のアニメ業界への批評(だいぶマイルドだけど)を含んだお仕事ドラマになっている所が面白い。ラストも決して順風満帆ではないが、現在のアニメ業界を鑑みたうえでぎりぎりのハッピーエンドなんだろうな。
 ただ、本作はアニメーション表現としては割と定型的というか、キャラクターデザインや演技の記号性等、ちょっと古い印象がある。だから作中作アニメとのメリハリが弱くて若干勿体ない気がする。記号的なルックでこういうドラマをやるというのがアンバランスなように思うが、あえてなのだろうか。
 なお、本作の主人公とその仲間たちは女性だし、職場の先輩らも女性登場人物が多く登場する。男性も当然多いのだが、仕事の現状に対して女性たちの方が切り替えが早いというか、この状況で何ができるかという方向に舵を切っているように思った。男性たちの方が自己憐憫から抜けられなかったり膠着状態になっちゃったりしているところがちょっと面白い。

SHIROBAKO Blu-ray BOX 1 スタンダード エディション (3枚組)
茅野愛衣
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2020-02-19


 

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