3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『傍らにいた人』

堀江敏幸著
 慣れ親しんだ文学の中で、何かの拍子に思い起こされる登場人物や情景。日本文学を中心に、そんな「傍点を打たれた」風景を紹介していく52篇。
 「その折の景色のなかに目立たない見えない傍点が打たれていたのだと気づかされるような影たちと、何度も遭遇してきた」という著者の一文があるのだが、読書を続けているとこういう体験があるのだと最近分かるようになってきた。初めて読んだその時ではなく、再読した時や全く別の書物を読んだ時に、ふいにあの時読んだあれはそういうことだったのか、と腑に落ちることがあるのだ。本作はそんな、附に落ちる瞬間をいくつも掬い上げている。更に本作、一つの章から次の章へとリレーのように橋渡しがされている。新聞連載だったという側面もあるだろうが、このように一つの文学から他の文学へと記憶と知識が飛び石のように繋がっていくと言うのが、教養があるということなんだろうなとつくづく思った。優れた批評集でもあり、取り上げられている作品は有名なものが多いのだがまた読みたくなる。シャルル=ルイ・フィリップ『小さな町で』が取り上げられているのが嬉しかった。

傍らにいた人
堀江 敏幸
日本経済新聞出版社
2018-11-02


その姿の消し方 (新潮文庫)
堀江 敏幸
新潮社
2018-07-28


『カササギ殺人事件(上、下)』

アンソニー・ホロヴィッツ著、山田蘭訳
 1955年7月、イギリスのとある田舎町で、お屋敷の家政婦が階段から転げ落ちて死亡した。本当に事故死だったのか?盗まれた毒薬、燃やされた肖像画、屋敷での盗難事件や村の人々の不審な行動等、怪しい要素だらけ。しかもパイ屋敷の主人は決して村人たちから尊敬されていたわけではなかった。名探偵アティカス・ピュントは病を圧して謎に挑む。
 アガサ・クリスティへのオマージュに満ちた作品だが、読み始めるとなるほどこういう構造なのか!と。ネタバレではないと思うのが、入れ子構造になっている。上記のあらすじは、作中作の『カササギ殺人事件』。作中作内の謎と、それを読んでいる編集者が直面する謎との二本立てという盛りの良さなのだ。最近の文庫はこのページ数でなぜ?と言いたくなる上下巻ものも多いのだが、本作は上下巻になるべくしてなっており、その点でも納得度は高い。作中作の謎も編集者側の謎も、終盤の謎解きでなるほど!と思わせ(特に作中作は謎の作りや手がかりもクリスティぽい)上手い。ただ、こういうメタミステリ的な要素を取り入れるなら、もう一工夫、一仕掛けあっても良かったんじゃないかなという勿体なさも感じた。作中作を全文(独立した小説として)掲載する意味が、このトリックだと今一つ弱い(サービス以外の必然性がない)気がする。二つの位相ががっつりリンクし合い相互作用し合うメタミステリであったらなぁというのは、ないものねだりだろうか。ミステリ小説愛に溢れる作品ではあるので、もっと冒険できたんじゃないの?と思ってしまう。

カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2018-09-28


カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2018-09-28




『モダンライフ・イズ・ラビッシュ』

 レコードショップでブラーのアルバムを選んでいるナタリー(フレイア・メイヴァー)にミュージシャンのリアム(ジョシュ・ホワイトハウス)が声をかけ、2人は恋に落ちる。バンド活動で成功を掴もうとするリアムを支えるために、ナタリーは自分の夢は後回しにして広告会社で働き始める。しかし2人は徐々にすれ違い、やがて別れを決意する。監督はダニエル・ジェローム・ギル。
 2人の出会いのきっかけがイギリスのバンド・ブラーなので彼らのアルバムのタイトルをそのまま映画タイトルに使っているのだが、ブラーがからむのはそこだけ。ちょっとがっかりである。また映画本編も、わざわざこの題名にしたくらいだから当時(90年代)のブリティッシュロック、ポップスを多用した音楽映画なのかなと思ったら、使うことは使っているけど期待したほどではなく、本編はかなり手垢のついた感のあるラブストーリーだった。ストーリー以外に何か突出した個性(それこそ音楽の使い方とか)があればよかったんだけど、音楽映画としては中途半端だと思う。
 レコードショップでブラーのベストアルバムを選ぶナタリーに、リアムはベストアルバムを選ぶなんて邪道、順を追って聞かないと彼らの音楽の本質はわからない!と説教をかます。初対面でいきなりマウントかましてくる(が、ナタリーに逆マウントされる)イタい奴だ。この時点で好感度はぐっと落ちるのだが、その後も彼の姿勢は改まらない。彼はアナログレコードとCD愛好家でiPodもダウンロードも大嫌い、携帯も持たないという徹底ぶり。それはそれで一つの主義として構わないのだが、自分の主義を理由に他人の好みや人生にダメ出しするなよと言いたくなった。また、ナタリーと付き合い始めて以降の彼の態度はほぼヒモ。ミュージシャンとしても、ナタリーのパートナーとしても、この先続ける為にどういう努力をしているのかという部分が全く見えてこない。フェス(当然ナタリーがチケットを買っている)でナタリーがキレるのも当然だよな・・・。終盤の展開はリアムの夢なのではないかと思う。それ、多分ナタリーが求める優しやや思いやりとは違うぞ!
 夢に生きる男性と生活に立ち返る女性という古典的な人物造形で、2010年代(物語の舞台はもうちょっと前っぽいが)にこの内容は今更感が強いのではないかなと思う。ヒモとそれを養う側のあり方はどの時代でも変わらないということかもしれないけど・・・。また、広告会社で活躍するようになった後のナタリーのライフスタイルが、いかにもいかにもな感じで、カリカチュアされすぎな気がする。こういうライフスタイルに対して悪意があるのか想像力がないのか・・・。リアムと同棲している頃の自宅のインテリアや服装、またリアムの実家は実体感あるんだけど。全般的に登場人物が紋切的すぎるように思った。

『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』

 人里離れた場所で、妻マンディ(アンドレア・ライズボロー)と暮らすレッド(ニコラス・ケイジ)。しかしマンディがカルト集団に連れ去られ、レッドの目の前で惨殺されてしまう。怒りに燃えるレッドは復讐の為に武器を手に取り、カルト集団の後を追う。監督はパノス・コスマトス。
 一昔前のカルト映画を自分たちの手で再現したい!あの時見たあれをやりたいんだよ!という並々ならぬ情熱を感じた。私はいわゆるカルト作品にはあまり興味がないので、本作を十分楽しめたとは言い難い。しかし、よくわからないながらも何かすごい熱量と愛が込められた作品だということはわかるし、その一点で嫌いになれない。具体的に80年代、90年代の特定作品の雰囲気を再現したいというよりも、監督の中で見た「はず」になっている映画のイデアみたいなものを再現しようとしているんじゃないかなと思った。
 映像のエフェクト、撮影方法だけでなく、レッドの自宅の内装も「あの頃」感が強烈。特に洗面所の壁紙は、よりによってこれを選ぶんだー!というもの。ありそうで実際にはないんじゃないかなという絶妙な選択。この壁紙だけで全部許せる気がしてきたもんな・・・。この洗面所のシーン、ニコラス・ケイジの熱演もあって名シーンだったと思う。
 レッドは復讐の為に突き進むが、ケイジの目力と顔芸が強烈すぎて、場内でちょいちょい笑いが起こっていた。しかし、レッドの怒りと悲しみが痛切なこともわかるので、笑うに笑えない気分にもなる。レッドのセリフは殆どないのだが、とてもエモーショナル。前半、レッドとマンディのどうということのないやりとりや2人で過ごす様子の、自然さや気負いのなさがとてもいいのだ。この人たちはお互い信頼しあっているし、いいパートナーなんだということがわかる。一見奇矯な本作だが、こういう部分をちゃんと作っているので単なる色物にならないのだろう。マンディが弱弱しくやられていく女性、アイコン的な女性ではなく、確固とした人格付けされた登場人物なのもよかった。

『ドライヴ』Blu-ray【日本語吹替収録版】
ライアン・ゴズリング
バップ
2017-08-02


狼よさらば/地獄のリベンジャー [DVD]
チャールズ・ブロンソン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2018-10-17


『パッドマン 5億人の女性を救った男』

 インドの小さな村で機械工をしているラクシュミ(アクシャイ・クマール)は愛する妻の為、安価な生理用ナプキンを手作りしようと思い立つ。インドではまだ生理用品は高価で、多くの女性はボロ布等で対処しており、感染症を起こす人も多かったのだ。研究とリサーチを重ねるラクシュミだが、生理を穢れと見なす伝統的な社会の中では彼の行動は奇行と見なされ、とうとう村を追われてしまう。それでもナプキン作りを続ける彼の前に都会育ちの女性パリーが現れ、彼に協力すると言う。監督はR・バールキ。
 実話を元にした映画だが、2001年の設定の話だということに驚いた。この時点でナプキンの普及率が12%だという。また、舞台が田舎だからということもあるだろうが、生理中の女性を穢れたものとして扱う風習が根強く、かなり退いてしまった。室内に入れないし、仕事にも学校にも行けない。ラクシュミとしては妻といつも一緒にいたいのだが、母に怒られてしまう。
 こういう環境の中でのラクシュミの行動は、周囲からはかなり奇妙に見えたろうし、積極的に生理用品に関わろうとするのは不浄・不吉と非難される。それをあんまり気にしていないように見える所が面白い。彼は無宗教というわけではないが、合理的で迷信を気にしない。また機械にしろ何にしろ、どういう仕組みになっているかよく観察し自分で再現してみるDIY精神が旺盛。こういう人だから臆せず取り組めた、同時に周囲から変人扱いされたんだなと納得できるエピソードで前半は占められている。全体の構成はやや散漫で緩急に乏しい印象を受けたが、ラクシュミの人となりはよくわかるのだ。
 ラクシュミが生理用ナプキン開発に乗り出すのは、妻が感染症を起こしては大変だという個人的な事情からで、最初はインドの女性たち全体のこととしては考えていなかっただろう。しかし妻と引き裂かれた後、他人の為になることをしたい、世の中をよくしたいという気持ちで動き続ける。彼が世界を広げていくというのが後半のストーリー。国連の会議に招かれて披露する英語のスピーチは、決して流暢ではないが感動的。
 インドの多くの女性は生理期間中は学校に行けないし仕事も出来ない。学ぶ/働く機会が失われてしまうし、継続的に学ぶ/働くことが難しくなる。ラクシュミは最初女性が置かれている環境がどういうものか、さほど考えていなかったと思う。しかしナプキン製造をすることは女性と関わり、彼女らの意見を聞くことであり、更に販売も女性がやった方が顧客の抵抗が少ないのだと知っていく。ナプキン作りが女性の快適さや自由さを広げると同時に、雇用も広げていくのだ。彼の善意と情熱が広がっていく様が気分いい。

マダム・イン・ニューヨーク [DVD]
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アミューズソフトエンタテインメント
2014-12-03


めぐり逢わせのお弁当 DVD
イルファーン・カーン
東宝
2015-03-18


『ボヘミアン・ラプソディ』

 世界的ロックバンド、クイーンの結成から、20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」での伝説的なパフォーマンスに至るまでを描く伝記映画。ボーカルのフレディ・マーキュリー(ラミ・マレック)、ギターのブライアン・メイ(グウィリム・リー)、ドラムのロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)、ベースのジョン・ディーコン(ジョセフ・マッゼロ)から成るクイーンは、斬新な音楽とパフォーマンスで一躍スターになるものの、其々の方向性の違いやフレディへのソロ活動の誘いで分裂状態に。しかし「ライブ・エイド」への出演を決意し、再度力を合わせる。監督はブライアン・シンガー。
 クイーンというバンドの熱心なファンがどう受け止めるのかはわからないが、見ていてとても楽しかったし気分が盛り上がった。本作最大の功労は、楽曲の強さを再発見できたというところにあるのではないだろうか。全く古びていない。一緒に歌いたくなるし足を踏み鳴らしたくなるし拳を突き上げたくなる。レコーディングシーンがどれも心浮き立つのは、新しい音楽を作る楽しさ、聴く喜びが実感出来るからだ。それが最高まで極まるのがラスト20数分のライブ・エイドのシーン。この時のクイーンのパフォーマンスが神がかっていたという話は聞いたことがあるが、映画内のパフォーマンスも見ていて涙が出そうになるくらい気分がいい。不思議なもので、多分当時の実際の映像を見てもこれほどぐっとこないのではないかと思う。「お話」のクライマックスとして見ているから余計に気分が盛り上がるという面が少なからずあるのでは。
 ライブ・エイドで既に「過去の人」ポジションだったクイーンだが、演奏が始まると観客の合唱が聞こえ始める。これに鳥肌が立った。クイーンは良く知らなくてもクイーンの曲は何かしら知っていて歌える、というところが凄いのだ。クイーンのステージの選曲がちゃんとフェス向けになっているのもぐっときた。スタッフがステージセットの裏や骨組みの上部ですごく楽しそうにしているのも素敵。いい盛り上がり方させてくれるな!
 史実とは少々異なる部分もあるそうなので、以下言及するクイーンおよびメンバーはあくまで本作中のものを指す。フレディは出っ歯であることに強いコンプレックスを持っていたそうだが、本作のフレディはちょっと歯出過ぎじゃない?!というくらいに出っ歯が強調されている。平素から、口元の動きが出っ歯を気にしている人のものになってしまっているのが何だか切なかった。出っ歯など全く問題にならない声とパフォーマンスのかっこよさなのだが、癖がなかなか抜けないのだ。彼はなりたい自分になろうと努力し続ける人だったが、途中でそれを見失ってしまう。終盤、ライブ・エイドに向きあうことで、ようやく本来の自分となりたい自分とに折り合いがつくように見えた。当時、インド系でありゲイであるという属性は相当生き辛かった(世間的にもだけど、家族との関係がすごい大変そう・・・実際作中ではライブ・エイド直前まで会ってなかったし)だろうから、そのあたりちょっとさらっと描きすぎてないかなという気はする。とは言え、本作の主役はあくまでクイーンの楽曲と考えると、このくらいでいいかなとも思う。
 フレディ中心のストーリー運びだが、予想以上にバンド映画として楽しかった。この面子で音楽を作ることがなんて面白い(が時に苦しい)のか!という高揚感が伝わるレコーディングの様子がとても良かった。全員何か可愛いんだよね・・・。
 

ライヴ・エイド★初回生産限定スペシャル・プライス★ [DVD]
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ワーナーミュージック・ジャパン
2004-11-17


『華氏119』

 トランプのアメリカ合衆国大統領当選が確定し、勝利宣言をした2016年11月9日を題名としたドキュメンタリー。『ボウリング・フォー・コロンバイン』でアポなし激突取材のインパクトを残したマイケル・ムーア監督の新作だ。ムーアは大統領選の最中から、このままでトランプが当選するのではと危惧していたが、その通りになってしまった。トランプ当選にはどのような背景があったのか、アメリカの今を追っていく。
 過去にブッシュ政権を批判した『華氏911』(2004)と対になった題名だ。しかしトランプに比べるとブッシュはまだしも政治家だったなと遠くを見る目をしてしまう現状があまりに辛い。現実が冗談を越えてきている。
 本作、トランプ批判かと思いきや、トランプよりも民主党の施策の方向への批判の方が痛烈。大統領候補選でのバーニー・ダンダースに対する民主党のあまりの仕打、サンダース浮かばれないわ!ヒラリーを推したいのはわかるが、そういう工作をするのはだめだろ・・・。共和党にしろ民主党にしろ、政治家が向いている方向がおかしいのではないか?というのがムーアの主張だろう。アメリカが傍から思われているよりもリベラル寄りだよというアンケート結果は、調査対象の分母選択の問題があるので何とも言えないけど、言うほどいわゆる保守というわけではないという面はありそう。問題は、そういったガチガチの保守ではない、トランプの政策にさほど同意しない層が選挙に行かなかったという所にある。アメリカは日本とどっこいどっこいの投票率の低さなのだ。
 政治への無関心や諦めを招き、ひいては現状を招いたのが、近年の政治だろう。民主党支持者が全てが経済的に富裕層というわけではなく、同時に共和党支持者全てが労働者層というわけではもちろんない。中間層が大半なわけだが、その中間層、さほど裕福ではない普通の労働者の意思を反映できる政治家・政党がなかったのだ。政治家が大企業と富裕層、ようするにお金の方ばかりを見るようになった最悪の事例として、ミシガン州の町、フリントで起きている汚水問題が取り上げられる。ディストピアSFもかくやという嘘みたいに極端な話であっけにとられた。フリント市の財政難がそもそもの原因とは言え、行政がまともに機能していないなんて・・・。
 そんな中、現行の政治に対してNOを突き付け、なんとかしようと団結する人たちが出てくる。無力感と根拠のない希望は民主主義の敵、ファシズムの元なんだなとつくづく思った。作中で紹介される、誰もやらないなら自分がやると立候補する新人議員たちや、教員たちのストや、銃規制を訴えるティーンエイジャーたちのデモ(これは日本でも結構報道された)等、こういう運動がちゃんと起こる所がアメリカのタフさだろう。見ていてちょっとぐっときてしまう。
 ムーア監督のドキュメンタリーは先に結論ありきで作られている向きが強いので、ドキュメンタリーの手法としてはちょっとどうなのとは毎回思う。とは言え、「今のアメリカ」と関わり続け他人事にしない、常にマウンドに立ち続ける姿勢はやっぱりえらいなと思う。

華氏 911 コレクターズ・エディション [DVD]
ドキュメンタリー映画
ジェネオン エンタテインメント
2004-11-12


マイケル・ムーア、語る。
マイケル・ムーア
辰巳出版
2013-10-24


『血のペナルティ』

カリン・スローター著、鈴木美朋訳
 刑事フェイスの母親で、元麻薬捜査課を率いていたイブリンが何者かにさらわれた。フェイスの相棒の特別捜査官ウィル・トレントは上司でイブリンとは長年の付き合いのアマンダと共に捜査を開始する。4年前、イブリンが率いる麻薬捜査課の刑事たちが汚職により刑務所に送られたが、イブリンは無罪放免となった。ウィルはイブリンも関与していたと疑っており、誘拐の動機もそこに根差すのではと考えるが。
 ウィル・トレントシリーズの時系列としては『ハンティング』の後になるのかな?ウィルと医師サラとの関係の変化やフェイスの身辺の変化も描かれている。誘拐事件そのものと平行して、彼らの人生、人間関係の推移を追っていくのがファンの楽しみなのだろう。ただ、多分著者の登場人物それぞれへの思い入れが強くなりすぎたのか、この人とこの人の関係引っ張りすぎじゃない?とか、このくだりそんなに文字数いります?みたいな部分が目立つようになってきてしまった。事件の展開を早く知りたいんですけど・・・。
 邦題の「ペナルティ」とはなかなか皮肉というか、ある人たちにとっては酷な言葉だと思う。それをペナルティというのなら重すぎるだろう。客観的に見たらだれが悪いというわけではないんだろうけど、当事者としてはあいつが悪いと責め立てずにおれない/自分が悪いと自責せずにはいられないようなものなのだ。このシリーズ、払わなくていいはずの(一方的に課された)ペナルティを払う話ばっかりな気もするけど。

血のペナルティ (ハーパーBOOKS)
カリン スローター
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-12-16


ハンティング 上 (ハーパーBOOKS)
カリン・スローター
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-01-25


『花殺し月の殺人 インディアン連続殺人とFBIの誕生』

デイヴィッド・グラン著、倉田真木訳
 1920年代、禁酒法時代のアメリカ、オクラホマ州。先住民オセージ族が20数人、相次いで不審死を遂げる連続殺人事件が起きる。私立探偵や地元当局もお手上げの中、のちのFBI長官J・エドガー・フーヴァーは、テキサス・レンジャー出身の捜査官トム・ホワイトに現地での捜査を命ずる。近代的な捜査組織の成立を計画していたフーヴァーにとって、この案件は試金石でもあった。しかし調査は困難を極める。手がかりが少なく科学捜査もまだ存在しない上、嘘の証言や目撃者の失踪など、妨害工作らしきものが起こっていたのだ。
 ノンフィクションだが、アメリカ探偵作家クラブ賞を受賞している。ノンフィクションでも受賞可だったのか・・・。それはさておき、大変な力作。何しろ20年代でリアルタイムを知る証言者はほぼいない状態なので、公文書をしらみつぶしに調べ、子孫からの伝聞を辿りという、作業量を想像すると大変なことになっている。そして事件の内容が衝撃的。アメリカの暗部がでろでろ流れ出ているような事態になっている。
 連続殺人の裏には石油利権と先住民に対する人種差別、権利の不均衡がある。本来居住していた地域を追われたオセージ族の移動先が、たまたま石油の出る土地だったのだ。オセージ族は土地の利権で豊かになったが、その富と利権を狙う者たちがいる。奪取のやり方があまりにも非道で絶句しそうなのだが、おそらく相手が白人だったら、彼らはここまで極端なことはやらなかっただろう。オセージ族相手だからここまでやってもいい、捜査もまともにされないし彼らの命や権利を守ろうとする人もいないだろうという、侮りがベースにあるのだ。人間の欲望の留まるところのなさに心が竦む(事件の首謀者は多分にサイコパス気質だったんだと思うけど)が、同時に、相手を「こういうことをしてもいい相手」だと判断すると人間はいくらでもひどいことが出来るということにもぞっとする。そういうことが、ごく普通に行われていた時代だったのだ。
 そんな中で、ホワイトの振る舞いのまともさ、他人へのフェアさは際立つ。この事件最大の功労者と言えるだろう。彼や彼の仲間が後のFBIの礎になった。フーヴァーは彼らのことはすぐに忘れちゃったみたいだけど。


石油!
アプトン・シンクレア
平凡社
2008-04-18


『元年春之祭』

陸秋槎著、稲村文吾訳
 前漢時代、天漢元年(紀元前100年)の中国。楚の国の山中にある貴族・観一族の館を訪ねてきた長安の富豪の娘・於陵葵。観家に伝わる古礼を学ぼうとしていた葵だが、観家の娘・露申から、過去にこの家で起きた殺人事件のことを聞く。そして新たな連続殺人が起きる。どちらの事件も犯人が逃げられないような不可解な状況で起きていた。
 中国発、しかも時代物の本格ミステリということで結構話題になっていたが、いわゆるオープンスペースなのに密室状態、更に読者への挑戦を2度もいれるという力の入り方。葵が博学という設定なので、中国の古典に関する情報がどんどん出てきてこの分野に不慣れな身としてはついていくのが大変だった。ただこの古典に関する部分が本作の肝でもある。読み飛ばしてはトリック(というか世界観の構築の仕方)に辿りつけない・・・!そういう意味では読者を選ぶ(そもそも、このあたりを理解していないと「読者への挑戦」に挑戦できない気がする・・・)。ただ、本格ミステリとしては真っ向勝負のフェアなものなので、ちゃんと読めば文脈は掴める。物理的な部分はちょっと弱いが、なぜそういうことが起きたのかという動機部分の作りは良かったと思う。この世界、こういう価値観が背景にあるからこういうことになる、という構造がぱーっと見えてくるところがいいし、それこそ本格ミステリの醍醐味だと思う。
 ただ、訳の問題なのか地の分の問題なのかわからないが、文章はいまひとつ。古典文学的な雰囲気に寄せたいのか、ラノベ的な面白みを出したいのか方針がブレていたように思う。登場人物への思い入れは強いのだろうが、それが今一つ文章に投影されていないのも惜しい。


友達以上探偵未満
麻耶 雄嵩
KADOKAWA
2018-03-30



『テルマ』

 信仰心深く抑圧的な両親の元で育ったテルマ(エイリ・ハーボー)は、オスロの大学に進学し、一人暮らしを始める。同級生のアンニャに心惹かれていくが、不可解な発作に襲われるようになった。発作の度にテルマの周囲で奇妙な出来事が起きる。そしてある時アンニャが姿を消してしまう。監督・脚本はヨアキム・トリアー。
 奇異な力を持った少女を主人公にしたホラーサスペンスという触れ込みだったが、あまりホラーっぽい印象は受けなかった。確かにホラー的な現象は起きるし、冷ややかな映像は何かが起こりそうという嫌な予兆には満ちているのだが、怖さ・怖がらせが主眼ではないからか。テルマの成長・変容の話でもあり、すごく極端だが親離れ子離れの話でもある。親からするとこんな離れ方は相当しんどいとは思うが・・・。親子であっても全くの他人であることを強烈に突きつけてくる。
 テルマは自分の身に何が起きているのか、記憶の失われた過去に何があったのか知ろうとする。両親は彼女にそれを知らせない為、彼女を事実に近づけない為に信仰を植え付け厳しく育てたのだろう。序盤では少々過干渉では?と思えるのだが、そうするだけの理由があり、彼らは彼らなりに娘のことを心配していることも徐々にわかってくる。しかし、その信仰や抑圧が、却って彼女を事実に近づけてしまうのが皮肉だ。抑圧が強いからこそ彼女の葛藤は大きくなり、強い葛藤は彼女の中のある部分を目覚めさせてしまう。
 テルマが個人として独り立ちしようとする(彼女に自覚はないだろうが)、家族以外の世界を広げようとするほど、両親との軋轢は強まり、更に彼女と「この世」の軋轢も強まっていく。彼女のような存在はこの世界では人を傷つけるだけなのか、いない方がいいのか。テルマの選ぶ道が鮮やか(と言っていいものか)だ。自分が生きたい世界で生きたいなら、なぜそれを選んではいけないのか?
 なおテルマが一人暮らししている部屋は学生寮らしいのだが、結構広くてびっくりした。ちゃんとベッドルームとダイニングが分かれているっぽい。環境良いなぁ・・・。テルマが女性であることを強調しない、そこに寄った話にしていないところが良かった。

獣は月夜に夢を見る [DVD]
ソニア・ズー
TCエンタテインメント
2016-10-05


母の残像 [DVD]
ガブリエル・バーン
紀伊國屋書店
2017-06-24






『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』

 ニューヨーク市クイーンズ区の北西にある、人口13.2万人の町ジャクソンハイツ。60年代後半から各国の移民が住むようになり、現在では167もの言語が話され、マイノリティが集まる、ニューヨークで最も多様性があると言われる町だ。しかし近年、ブルックリン、マンハッタンの地価上昇により、地下鉄で市の中心部へ30分で出られるという便利さから人気が高まり、再開発が進んでいる。ジャクソンハイツの今を映すドキュメンタリー。監督はフレデリック・ワイズマン。
 再開発によって地価が上昇し、税金、家賃が上がって古くからの住民が退去せざるを得なくなる、空き家が出来て家賃を取れなくなるから家主がやむを得ず物件を手放すところを不動産会社が買いたたくという構図には、大きな波に対する無力さを感じてしまい辛い。市民団体が反対運動をしているが、大資本の前で相当厳しいだろう。ニューヨーク市は再開発に積極的と思われるので、地元の市議会議員が動いても効果が薄いんだろうな・・・。議員は長年地元に尽くした住民(元町長?)の誕生日パーティーに出席したり、レインボーパレードに率先して参加したりと活動的なのだが。ただの「こじゃれた町」になってしまうのかな。本作に登場するのは元々住んでいた人たちなので、転入してくる人たちが何を考え何を求めているのかはわからないが。
 様々な人がいて様々な視点がある。それらが同じ町で暮らしていく為には様々な配慮、随時考えることが必要なんだと随所で知らされる。もちろん面倒くさいことも多いだろう。議員事務所では苦情、相談(と言う名の苦情)の電話が鳴りやまない。でも少しずつすり合わせていくしかないし、この町はそうやって発展してきたのだろう。違う民族の人たちが同じ場に集っているシーンが案外目立たない(~街、みたいに棲み分けがされているっぽい)のだが、それも一つの知恵か。
 トランスジェンダーの人たちのグループワークで、「私たちは道を歩いている時も(他の人たちより)とても注意しなければならない(突発的に暴力を振るわれる機会が多いから)」という言葉が出てきてはっとした(と同時に暗澹たる気分になる。そこまで注意してないとならないのか・・・)。トランスジェンダーの黒人女性が、女の恰好よりも男の恰好をしている時の方が周囲の視線を感じる、でかい黒人男性がいると警戒される、黒人女性はむしろ存在しない扱いに近い、というようなことを口にするのにも。
 ユダヤ教のシナゴーグが公民館のように使われており、ユダヤ教徒だけでなく他の宗教団体、またLGBTの団体も利用できるところが面白い。ユダヤ教徒だけだと経済的に維持が厳しいので、使用料を取って共存しているんだとか。こういう「都合」が関わる所からお互いを許容していくようになるのかもしれない。
 移民に対する様々な講習会、支援団体が出てくる。ある集会で、勤務先の店長が残業代を払わないという相談があるのだが、その店長がどこの国出身かという言葉が出ると、議長がストップをかける。金を払わない人は自分がどこの出身であれ、相手がどこの出身であれ、払いたくないのだ(出自は関係ない)と諭す。これが大事なんだろうな。



『悪しき狼』

ネレ・ノイハウス著、酒寄進一訳
 川で少女の死体が発見された。検視の結果、死因は溺死だが塩素水が検出されたので川で溺れたのではない、そして長期間にわたって監禁、虐待された痕跡があるとわかる。刑事オリヴァーとピアは捜査を始めるが、2週間たっても少女の身元はわからないままだった。更に人気キャスターの殺人未遂事件も発生する。事件の背後にはオリヴァーたちの想像を超えた企みがあった。
 前作『穢れた風』でのオリヴァーのへっぽこ振りにいらいらしたり心配した読者も多かったろうが、本作では大分持ち直している。仕事が忙しすぎて家族やパートナーとの約束に気が回らず、これが後々蓄積されて厄介なことになってくるのでは?とひやりとさせられるが・・・。ピアも多忙すぎて捜査上のひっかかりやひらめきをついとり逃してしまう描写が今回目立った。忙しすぎるのって何もいいことないぞ!ピアの場合はパートナーとの信頼関係、人柄の良さが安定しているのでオリヴァーみたいな危なげはないが。
 発端となる事件は痛ましいものだし、徐々に見えてくる事件の全容も嫌度が非常に高い。自分の欲望の正当化とそれを可能にしてしまう力の組み合わせは非常に性質が悪い。本作に出てくるある組織と似たようなものを、近年の翻訳ミステリの中では頻繁に見かける気がするのだが、そんなに実在しそうな実感があるのだろうか。一定量のニーズが可視化されているからフィクション内にも出てくる設定なのだろうが、だったらなおさら現実に絶望したくなるよね・・・。
 様々な形の力によって人を籠絡し操ることができる存在に、オリヴァーたち警察はどう立ち向かっていけばいいのか。なお「男」のパートがどう位置づけられるのかも本作のポイントだが、ちょっと設定を盛りすぎな気もした。生かしておくリスクが高すぎない?


悪しき狼 (創元推理文庫)
ネレ・ノイハウス
東京創元社
2018-10-31





穢れた風 (創元推理文庫)
ネレ・ノイハウス
東京創元社
2017-10-21


『ヴェノム』

 宇宙開拓分野に進出したライフ財団のロケットが墜落した。財団は密かに事態収拾を図っていた。一方、恋人の弁護士アン(ミシェル・ウィリアムズ)のPCの中の資料を覗き見たジャーナリストのエディ・ブロック(トム・ハーディ)は、財団が非人道的な人体実験を行っているという噂は真実だと確信し、取材を進める。財団の研究者と接触し、実験所の中に潜入するが、被験者と接触した時に地球外生命体シンビオートに寄生されてしまう。エディは「ヴェノム」と名乗るシンビオートの声が聞こえるようになり、肉体にも変化が現れ始める。監督はルーベン・フライシャー。
 予告編ではおどろおどろしさや残虐さが強調されていたが、本編ではそれほど残虐な印象はない(人間はさくさく殺されるが)。むしろブラックコメディぽい可笑しさがある。脚本が大分雑だったり、テンポがいまひとつ(前半エピソードのペース配分を間違ったかなという印象。シンビオートがなかなか活躍しない)で映画としてはさほど出来は良くないのだが、ヴェノムのキャラクターが立っており、キャラクタームービーとしては成功している。エディとヴェノムの人外凸凹バディものとしてかなり楽しめた。
 エディは危険な取材も辞さない正義感と勇敢さを持つが、ジャーナリストとして人気があるという設定に対して疑問符がつくくらいやっていることの脇が甘いし頭はさほど切れなさそう(エディが頭悪そうに見えるのは明らかに脚本の問題だと思うけど・・・)。ちょっとうかつで元気のいい、ごくごく普通の人という感じだ。肉体的にもちょっとタフという程度で突出した強さはない。そんな普通の人であるエディが、ヴェノムに寄生されることで超人的な力を使えるようになる。エディとしては自分が暴れて人を傷つけるのは不本意なので、ヴェノムと喧々諤々あるわけだが、その喧々諤々と強さとのギャップが本作の楽しさの一つだろう。
 ヴェノムが何だかんだ言ってエディに対して誠実と言えば誠実、結構尽くしてくれるので段々可愛く見えてくる。エディの為に故郷を捨てて地球に留まるし身を挺して守ってくれるし・・・。あれっパートナーとして最高なんじゃないの?!と思えてくる、まさかの超ブロマンス案件だった。エディはエディで、ヴェノムの破壊活動に辟易するが、ある瞬間、あっこの人気持ちよくなってるなという表情になるのがちょっと怖い。私はエディに対して冒頭からずっと不穏な印象があったのだが、ここで極まった感ある。一見普通の常識と正義感を持った人に見えるのだが、動き(トム・ハーディの素なのか演技なのかわからないが妙に左右に揺れる歩き方)の落ち着きのなさや、恋人のキャリアを破壊するとわかっていても重要文書を見てしまう根本的な身勝手さ等、そんなに「出来た人」ではないのだ。
 ヴェノムとのやりとりがどこかユーモラスだからごまかされているけど、自分本位な正義感とそれを行使できる力の組み合わせって、結構性質が悪いんじゃないだろうか。そういう意味では、日本版ポスターのうたい文句や「ダークヒーロー」というキャラクター付けは間違っていない。ラストのやりとりは可愛いだけではない。ヴェノムはエディに寄生することで人生(いや人じゃないけど・・・)が大幅に変わるが、エディの倫理観もまた、だいぶ変化してしまったことがわかる。双方、元のままではいられなかったのだ。そういう要素がまた運命的な出会いって感じなんだが・・・。

ヴェノムバース
カレン・バン
ヴィレッジブックス
2018-10-31


スパイダーマン:ヴェノム VS. カーネイジ (ShoPro Books)
ピーター・ミリガン
小学館集英社プロダクション
2018-10-18




『世界で一番ゴッホを描いた男』

 中国の「大芬(ダーフェン)油画村」と呼ばれる地域は、複製画製作の一大拠点。ここで20年間ゴッホの複製画を作り続けているチャオ・シャオヨンは、いつか本物のゴッホ作品を見たいと願っていた。念願叶って仲間と共にオランダ、アムステルダムのゴッホ美術館を訪れる。監督はユイ・ハイボ-&キキ・ティンチー・ユイ。
 大芬は複製画工房が立ち並び、そこら中で世界中の名画を大小さまざまなサイズで製作しており、正に一大産業。ワン・ビンのドキュメンタリーで縫製業ばかりが立ち並ぶ街を撮影したものがあったが、それの複製画版みたい。街全体が一つの産業に従事しているというケースが中国では多いのだろうか。
シャオヨンは美術を専門に学んだわけではなく(貧しくて中学も卒業できなかったと泣くシーンがある)、絵の描き方も独学。絵の写真を観察し続け何枚も描き続けてきたことで、技法の理解は深い。彼は農村部の生まれだが出稼ぎで街に出、大芬に腰を据えて自分の工房を出すまでになる。食う為の複製製作ではあるが、ゴッホを尊敬しその作品を愛していることが分かる。彼らがゴッホついて熱く語り、映画『炎の人ゴッホ』(ヴィンセント・ミネリ監督、1956)に真剣に見入る姿は微笑ましい。またゴッホ美術館で本物の作品をまじまじと見、「色が違う」等と漏らす様は正に職人。
 しかし、アムステルダムで自分が作った作品がどういう扱いをされているか知り、シャオヨンはへこんでしまう。彼は自分が作っているのは複製画で、芸術家ではなく職人だと自認はしている。それでも職人には職人のプライドがあり、高品質なものを作っているという自負があるのだ。確かにちょっとがっかりな扱われ方で、複製画というものの物悲しさを垣間見てしまった。全く同じものを全く同じ技法で描いたとしても、複製は複製でオリジナルではないんだよなぁ。
 ゴッホの作品を見たシャオヨンは、複製とは(そっくりではあっても)全く違う!と仲間に語り、自分のオリジナル作品を製作してみたいと表現欲に目覚める。根本的に絵を描くことが好きな人なのだ。彼のオリジナル作品が芸術として成功するかどうかとは別の話ではあるのだが。技術があることとオリジナリティがあることはやっぱり違う。とは言え、彼のオリジナル作品(工房を描いたものとか)も素朴で悪くないのだが。職人たちのオリジナル作品が売れるようになってきたという話には、市場の成熟ってこういうことかと思った。名画の複製よりは、無名作家のちょっと感じのいい作品の方が好ましいという価値観が増えてきたのかな。

贋作 (河出文庫)
パトリシア ハイスミス
河出書房新社
2016-05-07


複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)
ヴァルター ベンヤミン
晶文社
1999-11-05




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