3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『リチャード・ジュエル』

 1996年、オリンピック開催中のアトランタ。警備員のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は公園で不審なカバンを見つけるが、その中には爆弾が仕込まれていた。一躍英雄になったジュエルだが、FBIは彼を容疑者として捜査を開始。しかもメディアがそれをセンセーショナルに報道してしまい、ジュエルは国中から貶められる。弁護士ブライアント(サム・ロックウェル)とジュエルの母ボビは、ジュエルの名誉回復の為立ち上がる。監督はクリント・イーストウッド。実話を元にしたドラマだそうだ。
 ジュエルはいい人ではあるが、かなり癖のある、問題を抱えた人でもある。彼が無実だということは実際の事件の経緯から映画を見る側にはわかってはいるのだが、いや本当に無実なのか?後ろ暗いところがあるのでは?とうっかり思ってしまうような怪しさもある。その怪しさ、プロファイリングによる犯人像を過信し、FBIはひっこみがつかなくなってしまった。低所得の白人男性で銃愛好家、政治的にはかなりコンサバ(ゲイフォビア的発言がありひやりとする)、英雄願望ありという、いかにもいかにもな人間像だが、物的証拠には乏しい。そもそも早い段階で物理的に無理なのでは?という疑問は出てくるのだが、それでもジュエル容疑者路線で話が進んでしまうという所が怖い。
 ジュエルは「法の元に正義を執行する」ことへの拘りが強く、警察官への道を諦めきれずにいる。警察やFBIの捜査の仕方や法律にも詳しい(だから疑われたという面もある)。警察やFBIと自分とを一体化する傾向があり、その拘りはちょっと病的でもある。自分が容疑者として逮捕され、詐欺まがいの取り調べを受けてもなおFBIに協力的な姿勢を見せてしまうというのは不思議なのだが、大きなもの、力=権力を持つ側に自分を置く(ように思いこむ)ことで自分のプライドを守ろうとしていたのかとも思えた。とは言え、それは思い込みにすぎない。彼がそこから自由になる、本当の意味での自尊を取り戻す瞬間は小気味が良い。
 なお、女性記者が絵にかいたような悪女、ヒールとして描かれており、これはちょっと単純すぎではないかと思った。全くのフィクションならともかく(フィクションであっても今時これはないと思うが)、実在のモデルがいる場合は単純化しない方がいいのでは。本作、当時の実際の映像を随所で使っており、下手にノンフィクション感があるだけに余計にそう思った。メディアが掻き立てたイメージによって人生を損なわれた人を描いているのに、本作でまた同じことをやってしまっているのではないかと。

15時17分、パリ行き [Blu-ray]
アンソニー・サドラー
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2018-12-05


運び屋 [Blu-ray]
クリント・イーストウッド
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2019-11-06



『ラストレター』

 姉・未咲の葬儀を終えた裕里(松たか子)は、未咲宛に高校の同窓会の案内が届いていることを知る。姉の死を知らせに同窓会に出席したものの、未咲と勘違いされて思わず姉の振りをしてしまう。帰り道、初恋の相手で未咲の同窓生・鏡史郎(福山雅治)に声を掛けられる。監督は岩井俊二。
 鏡史郎の初恋相手は未咲で、彼は40代になるまでずっと、その思いを抱き続けている。思いをこじらせて小説家としてスランプになるくらいに。1人の人への思いをそこまで維持し続けるというのは、一途を通り越してちょっと怖い。彼目線のロマンチシズムがいきすぎて、もはや胸焼けしてきて気持ち悪い…。岩井監督の粘着性、変態性が前面に出ているように思う。少女の部屋着としてノースリーブのワンピース着せちゃうあたりも変わらぬ性癖を感じる。新海誠の大先輩って感じだ。とは言え、ストーリーテリング、全体の構造は岩井監督の方がずっと映画の手練れではあるが。
 裕里も鏡史郎も未咲との記憶に縛られ続けている。本作の中心にいるのは彼女だ。しかし、その中心は空洞であるように思った。本作で描かれる未咲は、常に誰かの記憶の中の未咲、誰かの目から見た未咲であって、彼女が実際に何を考えどういう人だったのかということはわからない。誰かが見る幻影としての彼女であって、本質はそこにない。そういう存在にされてしまうのってどうなんだろうなとちょっと物悲しさも感じた。
 裕里が同窓会から帰った後、彼女のスマホを見た夫の態度がひどくて、一気にひいてしまった。勘違いからくる嫉妬による行動なのだが、男女年齢関係なく、嫉妬してすねるのって全然可愛くないし迷惑だなと。「罰する」ってあまりに一方的。どういう意図でああいったエピソードをいれたんだろうか。まさかやきもちやいちゃって可愛いでしょ?とか思ってないよね監督?

リップヴァンウィンクルの花嫁 [Blu-ray]
黒木華
ポニーキャニオン
2016-09-02


Love Letter [DVD]
中山美穂
キングレコード
2001-03-07


『イギリス人の患者』

マイケル・オンダーチェ著、土屋政雄訳
 第二次大戦末期、トスカーナの山腹の屋敷で看護師のハナはひどい火傷を負ったイギリス人患者をかくまっていた。ハナの父親の親友で泥棒のカラヴァッジョと、インド人で爆弾処理専門の工兵キップも屋敷にさまよいこむ。
 登場人物それぞれの視点、それぞれの語りが重層的に配置された構成だが、そのことによって描かれる事象、シチュエーションは逆に曖昧になっていく。視点が複数、かつその語りが今起きていることなのか回想なのか、それとも妄想なのか、はっきりとしない部分があるのだ。特にイギリス人患者に関しては、彼が見ている世界は彼が「見たい」世界であって、実際に起きたこととはちょっと違うのではないかという気配があちこちに散見される。それが積み重なり、彼が実は何者だったのか、実は何があったのかというミステリに繋がってくる。そのミステリの真相は、彼の主観の認識とは異なるものなのかもしれないが。
 更に固有名詞を使わず「男」と「女」のみで語られるパートが何度もあるため、いま語られている「男」と「女」はどの男女のことなのか、時に混乱させられる。あえてシームレスな表現にしてあることで、あの男女にもこの男女にも、このような瞬間があったのではと思わせ、普遍的な(ありきたりとも言う、それが悪いというのではなく)恋愛の姿が立ち現れる。

イギリス人の患者 (新潮文庫)
マイケル オンダーチェ
新潮社
1999-03


イングリッシュ・ペイシェント [DVD]
レイフ・ファインズ
東芝デジタルフロンティア
2002-09-27


『ティーンスピリット』

 ワイト島の農家で母と暮らすヴァイオレット(エル・ファニング)は歌手を夢見ている。オーディション番組「ティーンスピリット」の予選が地元で開催されると知った彼女は出場を願うが、保護者の同意が必要だという。母親は歌手になることには猛反対。ヴァイオレットはバーに居合わせた元オペラ歌手のヴラッド(ズラッコ・ブリッチ)に保護者の振りを頼む。ヴァイオレットに才能を見出したヴラッドは歌のコーチを申し出る。監督はマックス・ミンゲラ。
 エル・ファニングのエル・ファニングによるエル・ファニングの為のド直球アイドル映画。ともするとダサくなりそうなところ、話を引っ張りすぎないコンパクトさとテンポの良さですっきりと見せている。ファニングのややハスキーな声での歌唱パフォーマンスがなかなか良くて、クライマックスはぶち上げ感がしっかりあった。ヴァイオレットが好んで聞く曲、オーディションでの選曲から、彼女の音楽の趣味の方向性や人柄がなんとなくわかるような所も音楽映画として目配りがきいていると思う(単に今の音楽のモードがこういう感じなんですよということかもしれないけど…)。
 ストーリーは名もなき若者が夢を追い、努力と才能でスター街道を駆け上がるという、非常にオーソドックスなもの。この手のストーリーにありがちなイベントが盛り込まれているが、一つ一つがかなりあっさりとしている。母親との葛藤も、師匠のしごきも、調子に乗ってのやらかしも、将来への不安もさらっと触れる程度で重さはない。それが悪いというのではなく、本作はそういうドラマティックさを見る作品ではないんだろうなと思う。音楽を聴いた瞬間の世界の広がり方や、自分の中で自分の音楽が鳴り出す瞬間のあざやかさ、そういった雰囲気を楽しむものなのだと思う。
 ちょっと突っ込みたくなる部分は多々あるのだが(ワイト島って相当田舎だと思うのだが、そんなにスキルのあるバンドが都合よくいるの?!という点を一番突っ込みたかった)、エル・ファニングのアイドル映画としては大正解では。なお、前回のティーンスピリッツ優勝者が全くイケておらず、それでよくスター扱いされるなと思った。ステージ上の階段を降りる時の足元がぎこちなくて気になってしまう。

アリー/スター誕生 [DVD]
レディー・ガガ
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2019-11-06


『カイジ ファイナルゲーム』

 2020年、東京オリンピック終了後、急速に景気が悪化し階層化が進んだ日本。弱者は踏みつぶされていく世の中で、カイジ(藤原竜也)は「バベルの塔」なるイベントへの参加を持ち掛けられる。主催者は富豪の老人・東郷(伊武雅刀)。彼はカイジにある提案をする。監督は伊藤東弥。脚本で原作者の福本伸行が参加している。
 本作がやろうとしているのはもはや映画ではなく「カイジ」というコンテンツなんだなと実感した。ちゃんと「ざわ…ざわ…」音の入った配給会社ロゴ、怒涛の説明台詞、正直しょぼいセット、荒唐無稽だが力業で理屈が通っているかのように納得させられるゲームの数々、そしてとにかく声を張る藤原竜也。映画としてはあまり褒められたものではない演出多々なのだが、本作の場合はそれでいいのだろう。目指しているところがすごくはっきりしている作品で、いっそ潔い。これはこれで正解なのだと思う。一緒に「キンッキンに冷えてやがる…!」とビールをあおれる応援上映には最適。色々茶々入れつつ誰かと一緒に楽しむ作品だろう。それも映画の一つの形だよな。
 ただ、俳優の役割については、なんぼなんでも藤原竜也に頼りすぎだろうとは思った。テンプレ演技でも場を持たせてしまう藤原がえらいのだが、他の俳優はそこまで場が持たない。この演技2時間見続けるのはだいぶ辛いぞ…という人も。そういう所を見る作品ではないということなんだけど。
 なお、本作は東京オリンピックの経済効果に全く期待していない(笑)!働いて豊かになるという期待がほぼ消えた世界設定で、原作スタートから現在に至るまでに現実世界がこの領域にどんどん近づいてきた気がする。正直笑えない。


『フィッシャーマンズ・ソング』

 イギリス、コーンウォール地方の港町ポート・アイザック。友人とバカンスに来た音楽プロデューサーのダニー(ダニエル・メイズ)は地元の漁師たちのバンド「フィッシャーマンズ・フレンズ」のライブを見かける。上司から彼らと契約を取れと焚きつけられ、町に残って交渉を始めるが、漁師たちはよそ者への不信感でいっぱい。監督はクリス・フォギン。
 実在の漁師バンドの実話をドラマ化した作品。そんなに達者だったりひねりがあったりするストーリーテリングではないのだが、音楽と舞台に魅力がある。また、フィッシャーマンズ・フレンズのメンバーが皆チャーミングだった。漁師たちの歌はメロディは美しいが、男ばかりの職場で楽しみの為に歌うという側面が強いので、歌詞は結構下世話だったり色っぽかったりする。結婚式でそれを歌うの?!というエピソードには文化の差というか価値観の差というか…。実は嫌がらせ?とも思ったけど他意はなさそうなので笑ってしまう。正直、セクハラだよなと思わなくもないが、そういう文化圏の人たちでもある(ぜひ是正していただきたいけど…)。ロンドンのパブでのエピソードは、仲間と一緒に歌う為の音楽ということがよくわかるもので楽しい。あの歌、老若男女がそこそこ知っているものなんだな。
 信用されるには相手の文化圏に入っていくしかないという話でもあった。ダニーの場合、ある事情から相手の信頼を裏切ってしまう、かつ失望させてしまう。彼は漁師たちにとっての仲間の意味も、地域の価値も、約束の重さも自分の価値観で計ってしまう。それで大失敗するのだ。すれ違いにハラハラするが、相手の価値観、ルールを知ろうとするのってコミュニケーションの第一歩なんだろうなと。都会に住む者から見ると人間関係が密すぎて息苦しそうだったり、ジェンダー観が古いままだったりするが、コミュニティの親密さ、豊かさもある。何より彼らの音楽はそのコミュニティから生まれるものなのだ。

歌え!フィッシャーマン (レンタル専用版) [DVD]
クヌート・エリーク・イエンセン
タキコーポレーション
2003-09-26


シェルシーカーズ〈上〉
ロザムンド ピルチャー
朔北社
2014-12




『戦下の淡き光』

マイケル・オンダーチェ著、田栗美奈子訳
 「1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した」。ナサニエルと姉のレイチェルは、“蛾”とあだ名をつけられた男に預けられた。母は父の海外赴任についていくことになったのだ。“蛾”の家には得体の知れない人たちが集まっていた。そして母もまた、海外赴任についていったのではなかった。
 子供にとって、自分の親がどういう人間なのか・背景に何があるのかということは、普通の環境でも謎な部分が多いだろう。ナサニエルとレイチェルの母親についても同様だ。母親が消えた後も2人の周囲にいる大人たちは謎めいてどこか胡散臭く正体不明だ。徐々に、彼らは共通のある任務をもっていたのでは、更に母親もその一員ではないかという様子が、彼らの言動の端々から垣間見えてくる。親に対する「わからなさ」が二重になっているのだ。霧の中からふらりと現れては消えていくような大人たちは、ナサニエルたちを保護するがそれは断片的な、嘘とも本当ともつかないもので、彼らを保護者として守り育てるのには不十分だ。姉弟の人生も生活も、どこか地に足がつかない、一貫性のないものになってしまう。マラカイトとの出会いで世界がようやく「正確で信用できるものになった」というのは、地に足の着いたうつろいにくい生活をようやく知ることができたということでは。
 親が何者かという普遍的な謎と、母ローズが何をやっていたのかという個別の謎が二重になっており、更に自分たちが見てきたものは一体何なのかというナサニエルの人生の謎が重なってくる。ミステリ的な構造なのだ。更に、一種の戦争小説でもある。時制がいったりきたりする構造、更に曖昧さをはらむと同時に詩的な文章が記憶というものを表すには最適なように思った。

戦下の淡き光
マイケル・オンダーチェ
作品社
2019-09-13


名もなき人たちのテーブル
マイケル・オンダーチェ
作品社
2013-08-27


『フォードvsフェラーリ』

 ル・マンでの勝利を目指すフォード社から依頼を受けたカーデザイナーのキャロル・シェルビー(マット・デイモン)は、イギリス人レーサーのケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)をドライバーに抜擢する。クセの強い2人はフォード社と軋轢を起こしつつ困難を乗り越え、1966年のル・マン24時間耐久レースを迎える。監督はジェームズ・マンゴールド。
 150分以上とそこそこの長さなのだが、体感時間はそんなに長く感じない。構成に無駄な部分がなく、むしろスピード感がある。レースシーンも、それこそスピードを体感できるような臨場感溢れるもので気分が上がる。わざわざ本物の車を使って撮影したそうで豪華。エンジン音もいいので、音響設備の良い劇場で見ることをお勧めする。しかし何より心に響くのは、シェルビーとマイルズという、2人のはぐれものの絆だ。
 レーサーとして功績を残したが健康上の理由で引退せざるを得なかったシェルビーにとって、マイルズは仕事のパートナーであると同時にもう一人の自分でもある。自分の思いが強くなかなか企業のルールになじめないマイルズへの共感もあるし、自分に出来なかったことをマイルズに託している面もある。フォード側は企業故に確実な成果や広告効果を求める。しかしそれは自己の経験とインスピレーションで動き、自分のやり方を貫きたいシェルビーやマイルズにはそぐわない。世渡り下手なマイルズを守るためにあの手この手でフォードをいなし(結構悪辣なこともやっている…)、「俺のドライバーに近づくな」とまで言い放つシェルビーの奮闘には泣けてくる。これは愛だよなぁと。マイルズへの同胞愛でありレースそのものに対する愛だ。そして最後、シェルビーの思いにマイルズがある行為で応える様にはまた泣ける。その行為は、マイルズにとって命のように大切なものを明け渡すことに他ならないのだ。
 題名からはフォードとフェラーリという2大企業の対決のように見えるが、実際は2人の男が企業の理論と戦うという側面の方が大きく、それゆえほろ苦い。2人の理念はむしろフェラーリ側に近い、つまり企業ではなくレーサーのものだというのが皮肉だ。ル・マンのある局面でフォードの副社長がする提案は、だからお前はフェラーリに馬鹿にされるんだよ!と突っ込みたくなるもの。車のことをよく知ってはいるが、レースのことはわかっていないんだなと。

栄光のル・マン [Blu-ray]
スティーヴ・マックィーン
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2011-05-27

 

『マザーレス・ブルックリン』

 1950年代、NY。私立探偵事務所の所長フランク・ミナ(ブルース・ウィリス)が殺された。少年時代から彼に育てられた部下のライオネル・エスログ(エドワード・ノートン)は事件の真相を探ろうとする。ミナは何者かの秘密を追っていたのだ。原作はジョナサン・レセム。監督はエドワード・ノートン。
 ノートンが監督主演を兼ねているが、俳優としてはもちろん監督としての筋の良さがわかる好作。90年代が舞台だった原作よりも時代設定をさらにさかのぼらせたことで、翻訳ミステリ小説ファンには懐かしさを感じさせる、クラシカルな探偵映画になっている。ビジュアルの質感や、ジャズを中心とした音楽の使い方(なぜかトム・ヨークが楽曲提供&歌唱しているんだけどあまり違和感ない)も雰囲気あってよかった。ただ、クラシカル故にというかそれに流されたというか、女性の造形・見せ方も少々レトロで、(特に当時の黒人女性がおかれた立場を描くなら)もう少し彫り込むことができたのでは?とは思った。ノートンが実年齢よりだいぶ若い設定の役柄なので、女性と年の差ありすぎないかという所も気になった。設定上はそんなに年齢が離れていないはずだし、確かにノートンは年齢の割に若く見えるのだが、さすがに厳しい。
 題名の「マザーレス・ブルックリン」はミナがライオネルに着けたあだ名。文字通り、ライオネルは母のいない孤児として、疑似父親であるミナに育てられた。ライオネルが親しくなる黒人女性ローラ(ググ・ンバータ=ロー)もまた母親を早くに亡くしており父親に育てられた。ライオネルが追う謎は、2組の父子の父親の謎でもある。父親は実はどのような人間なのか、何をしていたのかという。そして彼が清廉潔白でなかったとしても、子供への愛は依然として残り、それがほろ苦くもある。
 ミナ役のブルース・ウィリスをはじめ、ウィレム・デフォー、アレック・ボールドウィンという大御所がなぜか出演しているのはノートンの人脈か。ボールドウィン演じる不動産王はトランプ大統領を思わせる造形。50年代が舞台なのにも関わらず、地上げと地元民の排除が背景にある点はより現代に通じるものがある。


銃、ときどき音楽
ジョナサン レセム
早川書房
1996-04



『黒と白のはざま』

ロバート・ベイリー著、吉野弘人訳
 幼いころに父親をクー・クラックス・クランに殺されたボーは、彼らに制裁を加えることを目標に、町で唯一の黒人弁護士として故郷のテネシー州ブラスキに留まり続けてきた。しかし父親の45年後の命日、報復殺人の容疑で逮捕されてしまう。ボーは恩師である元ロースクール教授のトムとその元教え子リックを頼る。
 『ザ・プロフェッサー』に続くトーマス・ジャクソン・マクマートリーシリーズ第2弾。前作の展開を踏まえているので、本作を先に読むと一作目がどういう展開だったのか多少わかってしまうので注意。法廷ジェットコースターサスペンスだった前作と比べると、本作では真犯人は誰なのか、なぜ事件が起きたのかという謎が中心にある。そして前作以上にアメリカ南部のが舞台であることを意識させる。何しろプロローグでKKK登場、その後もずっと影を落とす。この土地にボーが留まり続けることがどういうことなのか、そうせざるをえない思いの強さと合わせて染みてくる。前作でもトムへの思慕の深さが垣間見えたボーだが、本作を読むと彼がなぜ「あなたしかいないんです」と言うのかわかってくる。そこまで言われてはトムも奔走せざるを得ない。
 トムが法曹界、またフットボール界での功績により尊敬されている様、OBの絆が前作では色濃く、そういった文化になじみがない読者としては違和感・若干の気持ち悪さがあった。しかし本作で登場する検事ヘレンは、法曹界での功績はともかく、トムのフットボール界における功績や知名度には全く敬意を示さない。外の世界の人からしたらそんなものだという距離感が生まれている。前作でちょっと鼻についた部分が是正sれているように思う。また、小説の構成も前作よりすっきりと読みやすくなっている(リーダビリティは相当上がっている)。難点をちゃんと直してくる作家なのかな。だとすると次作はもっと面白いはず。

黒と白のはざま (小学館文庫 ヘ 2-2)
ロバート・ベイリー
小学館
2020-01-07


ザ・プロフェッサー (小学館文庫)
ロバート ベイリー
小学館
2019-03-06


『ジュマンジ/ネクストレベル』

 テレビゲーム「ジュマンジ」の中での冒険から2年、スペンサー(アレックス・ウルフ)、マーサ(モーガン・ターナー)、フリッジ(サーダリウス・ブレイン)、ベサニー(マディソン・アイスマン)は大学生になりそれぞれの生活が始まっていた。しかしスペンサーは壊したはずのジュマンジを修理し、再びゲームの世界に入ってしまう。残された3人も彼を連れ戻す為にゲームにログインするが、スペンサーのおじいちゃんたちも一緒にゲーム内に吸い込まれてしまう。監督はジェイク・カスダシ。
 相変わらずゲームの構造がよくわからない大雑把さなんだけど、登場する人たちが(ゲームの悪役以外)皆いい人なので、安心して見られる。ゲームに再び入ってしまうスペンサーの行動は唐突にも見えるが、周囲は順調に進んでいるのに自分だけ取り残されたように感じてつい現実逃避してしまうというのは、何だかわかる。コンプレックスを「ジュマンジ」世界で冒険したことで克服できたのに、また元に戻ってしまう。ゲームの中での全能感は当然ゲームの中だけでのことだけど、一度味わうと忘れられないのか。そこから引き戻してくれるのが友達なわけだが、彼らもまた、ゲーム内のアバターには結構愛着を持っている。何だかんだいってルックスがよくて身体能力高いキャラになりたくなっちゃうんだよなー(マーサは全ての体は美しい!と自分に言い聞かせるけど、言い聞かせないとならない程度ってことだ)。ルッキズムの呪力の根強さよ。どうしてもわかりやすい強さ、かっこよさに流れちゃう。そこへの反論、どんな能力にも使い道があるということも作中提示はされているが。
 ブレイブストーン博士にしろオベロン教授にしろ、「中の人」が替わったことがちゃんとわかる所が楽しい。ジャック・ブラックはもちろんだけどドウェイン・ジョンソンも上手い!動きがちゃんと年寄りのものになっている。ジャック・ブラックは台詞のイントネーションの切り替えがさすがだった。

ジュマンジ [Blu-ray]
ロビン・ウィリアムズ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2011-07-22


『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』

 アメリカ国務長官シャーロット・フィールド(シャリーズ・セロン)は大統領選に出馬することを決意。スピーチの原稿をジャーナリストのフレッド(セス・ローゲン)に依頼するが、共に行動するうちに2人は恋に落ちる。しかし立場が違いすぎる2人の関係は前途多難だった。監督はジョナサン・レビン。
 男女逆転シンデレララブコメみたいな言われ方の作品だが、そこにはそれほど新鮮味は感じない。これは時代が変わりつつある(女性の方が社会的な地位が高いカップルも珍しくなりつつある)ということなんだろうし、アイディアとしてそんなに斬新というわけではないということでもあるだろう(笑)。ある事件の時にシャーロットが、世間が見るのは問題を起こした当事者の男性ではなくそのパートナーの女性だ、とぼやくところは昔から変わらずトホホ感あるが。
 新鮮だったのはむしろ、フレッドがシャーロットとの境遇の差や、自分が失職中であることをさほど卑下しないという所。フレッドが自分はシャーロットにふさわしくないのではと思うのは、それとは別の所、自分のふるまいに問題があったという所だ。シャーロットの方もフレッドを職業や所得によって見下すことはない。お互いの考え方と振る舞いを見てお互いを評価(という言い方はあんまり感じよくないけど…)する。対等なのだ。フレッドがシャーロットに協力し彼女を励ますのも、まず彼女の目指す政策に正しさを感じ、共感したからだ。冷静に考えると基本的なことなのだが、2人がスピーチ製作にしろセックスにしろ、自分はどうしたいのか、どう思っているのかちゃんと確認し落としどころを見つけて実行しているということに何だかほっとする。
 明るく希望に満ちたラブコメではあるのだが、今のアメリカは本作でシャーロットとフレッドが目指すのとは真逆の方向に進んでいる。その中で本作を見ると、そんなこと言われてもなぁ…と若干冷めてしまうのも正直なところだ。こういう状況だから本作のような「こういう方向がいいんだよ!」と言い切る作品が必要なのだとも言えるだろうが。


ゲーム・オブ・スローンズ 第一章~最終章 コンプリート・シリーズ(初回限定生産) [DVD]
ピーター・ディンクレイジ
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2019-12-04


『ブレッドウィナー』

 アフガニスタンのカブールに住む11歳の少女パヴァーナ。ある日父親がタリバンに捕まり、母と姉、幼い弟が残され、女性の外出が禁じられている為に買い物にも行けなくなってしまう。パヴァーナは髪を切り男の子の恰好をし、家族を養い父に会う決意をする。監督はノラ・トゥミー。
 『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』『ブレンダンとケルズの秘密』など独自の映像美が強いインパクトを残したアニメーションスタジオ、カトゥーン・サルーンの新作。パヴァーナが語る「お話」は切り絵的な質感。紙人形芝居のような味わいで面白い。立体感や紙の凸凹感まで再現されておりディティールが実に細かい。
 パヴァーナは物語で自分を励まし、家族に起きたある出来事もその一部として受け入れていこうとする。しかし、彼女が生きる社会(2001年のアメリカ同時多発テロ事件後)の中では、女性に生まれた時点で男性に付属した生き方しか残されていない。前述のとおり女性が一人で外出することは禁じられているし、それまで許されていた大学に行くことも禁じられ、文章の読み書きも睨まれる。パヴァーナの父親は教師、母親は作家で、娘たちにも読み書きや歴史、物語ることを教えていた。彼女らにとってタリバンが仕切る世の中は自分たちの価値観、生き方を否定するものなのだ。やむなく外出した女性たちが暴行を受ける様が非常に痛々しく辛い。その中で生きていて、果たして自身の「物語」が介入する余地があるのだろうかと、つい悲観的になってしまう。母や姉の必死の反抗も、この先何かもたらすのだろうかと。個々の人たちはあまりにも無力だ。そういう時に心を支えるのが物語=自分の言葉と言えるのだろうが…。

ソング・オブ・ザ・シー 海のうた [DVD]
デヴィッド・ロウル
TCエンタテインメント
2017-04-05


ブレンダンとケルズの秘密 【DVD】
エヴァン・マクガイア
TCエンタテインメント
2018-02-02


『家族を想うとき』

 リッキー(クリス・ヒッチェン)はマイホーム購入という夢の為、フランチャイズの宅配ドライバーに転職する。妻アビー(デビー・ハニーウッド)は介護福祉士として一日中駆けずり回っている。両親が時間に追われる一方で、高校生の長男セブと小学生の娘ライザ・ジェーンは寂しさを募らせていた。監督はケン・ローチ。
 リッキーもアビーも家族を深く愛している。しかし、家族の為に励んできたはずの仕事が、家族と共にいる時間を奪い、繋がりを絶っていくという悪循環から逃れることができない。個人事業主とは名ばかりで、過酷な労働条件に縛られ、社員のような保証はろくにない。イギリスでもアメリカでも、日本でも今問題になっているシステムに押しつぶされそうになっていく人々を描いている。『わたしはダニエル・ブレイク』に続き、現代の労働とシステムをめぐる問題を扱った作品だが、前作よりも更に安易な救いうや慰めが訪れない(ここで終わる?!って終わり方で、ここでカットできるのは凄いと思う)あたり、監督引退宣言を撤回したケン・ローチ監督の怒りの深さが感じられるように思う。
 リッキーもアビーも真面目に働く人、働くことを当然と思って真摯に取り組む人だ。しかし彼らが取り込まれたシステムは、真摯であればあるほど当人にとってしんどくなっていく。介護士として働くアビーは、個々の「お客」を自分の親だと思って親身になって接したいと心掛けている。しかしそれができるだけの時間も、それに見合う賃金も与えられていない。きつきつのスケジュールで、時間外で対応しても賃金は出ず、良心的であればあるほど低賃金で重労働ということになってしまう。アビーの疲弊は体力面だけではなく、良心に恥じない仕事ができないという心理的なものでもあるのだ。作中、アビーの客でかつては労働組合運動に参加していた女性が、アビーの労働条件を聞いてびっくりするというシーンがある。彼女の時代は労働者同士で連帯することができたが、今はそれもできないのだ。過剰な自己責任論により、個々に分断されてしまっている。
 そんな個々であるリッキーとアビーをかろうじて支えるのは家族だ。ただ、これにも皮肉を感じてしまう。もしも2人に子供がいなかったら、結婚しておらず自分1人の心配だけしていればいいのだったら、ここまで苦しくはなかったのではないか。家族は心の支えになるが、家族の存在によって経済的には追い込まれてしまう面もあるというのがやりきれない。
 なお、疲れ果てたリッキーはアビーに「自分を思いやってほしい」と訴えるが、アビーには私だって疲労しておりいたわってほしいんだと一喝する。過剰な労働により甘えさせるゆとりがなくなるというよりも、関係性のフェアさが必要だということだと思う。ここも現代的だなと思った。

わたしは、ダニエル・ブレイク [DVD]
デイヴ・ジョーンズ
バップ
2017-09-06




『リンドグレーン』

 アストリッド(アルバ・アウグスト)は教会の土地に住む信仰に厚い家庭に育ったが、教会の教えや倫理観、保守的な土地柄に息苦しさを覚えていく。文才を見込まれ地元の新聞社で働くようになった彼女は能力を発揮し始めるが、親子ほど年の離れた社主ブロムベルイ(ヘンリク・ラファエルセン)と恋に落ち、彼の子供を身ごもる。妻子があるブロムベルイは不貞が露見し罪に問われることを恐れ、アストリッドをストックホルムの秘書専門学校へ送り出す。監督はペアニレ・フィシャー・クリステンセン。
 スウェーデンの国民的児童文学作家、アストリッド・リンドグレーンの若かりし日を描く伝記映画。日本語題名はリンドグレーンだが、正確には彼女がリンドグレーン(結婚後の夫の姓なので)になる以前の物語だ。リンドグレーンの作品には長靴下のピッピを筆頭に好奇心旺盛で元気いっぱいな女の子がしばしば登場するが、本作を見るとそれはアストリッド自身が持ち合わせていた気質らしい。保守的な田舎ではかなり自由奔放、かつ落ち着きのない気性と見なされていたのではないだろうか。両親や兄弟に愛されていても、教会が所有する土地に住み、父親が教区の中でもそこそこのポジションにいる家庭だったそうなので、娘がシングルマザーになるということに両親はかなり頭を悩ませたのでは。一方で、スモーランド地方の自然豊かな環境や家畜に囲まれた生活が、後のリンドグレーンの作品に投影されていることもわかる。
 そんな自由闊達なアストリッドが、ブロムベルイとの関係にどっぷりはまってしまい、ストックホルムで彼を待ち続けやきもきする様はどうにも歯がゆい。保守的な価値観からは逸脱したところのある人だったろうが、こういう所は、仕方のないことではあるが当時の価値観から離れられない。ただ、ある時点でブロムベルイに対する態度を変える。仕事をはじめ、子供が生まれたことで世界が広がった彼女には、ブロムベルイの不誠実さが見えてしまったということだろう。このあたりの葛藤にストーリーの大分を割いており、作家への道は本作中内では提示されないので、作家リンドグレーンの姿を期待するとちょっと肩すかしだった。
 なお、アストリッドの幼い息子役の子役が大変上手かった。拗ねる姿がすごくリアル。また、子供の咳の音が生々しくて喘息持ちとしてははらはらしてしまった。更に具合悪くなる時の、深い咳の音なのだ。




 
ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ